捕らえしもの、囚われしもの【その14】
「あーーーっ ちくしょーーっ」
「悪いな、ラーグ。いつもより、ちょ~っと丁寧に縛っておいてやったぞ?」
「そんな気色悪い笑顔で言うなよ!」
「仕方無いだろ、嬉しいんだから」
「はいはい、俺の負けですよっ!!」
拘束されて転がされた状態で、ラーグは恨めしそうな声と表情でイースを見上げた。対するイースの顔は、喜色満面の笑みだ。
「素直でよろしい。――そういえば、ネテルとオウンは?」
「あいつ等は、そのまま転がしてある。ちょっと反省させておこうかと思って」
「そのお前が同じ目にあってりゃ、世話無いな」
「言うなよ? 言うなよ??」
「言わいでか!」
「友達甲斐のない奴だなーーっ」
勝負はさておき、交わされる会話はいつも通りの愉快なものだった。だがラーグは、親友の瞳に単なる『勝負に勝った』だけではない喜びの色を見出していた。何がそんなに嬉しいのか。何となく分かるような気もするが、それは訊かないでやるのが友情というものだろう。
「イース班長、貴方の班が『味方』ですわね? では、私たちを兵営まで送り届けていただきましょうか」
「――仰せのままに」
素直に拘束されて転がっているラーグをそのままに、イースはインガ達の側に立ち実直な動作の軍敬礼を示す。それに答礼して、インガも彼をねぎらう。
「そう、よろしくお願いするわ。イース班長、救助に感謝します」
「それはこちらの台詞です、インガ正監。救援、ありがとうございました。貴女の助けがなければ、俺は負けていました」
「さきほどラーグ班長にも言ったけど。『味方』を助けることは当然のことよ。――それが私の成すべきことだわ。――ありがとう、貴方を助けさせてくれて」
彼女が告げた不自然にも聞こえる“謝意”に、イースも戸惑う。地面で転がったままのラーグも同様だ。
「いえ……この礼を言うのは変ね、撤回するわ。忘れて下さい。
お二人の戦いぶりも見事でした。私は、この国を守り、また護られる者として、貴方がた軍団兵への感謝を忘れません。私が至らない所為で不愉快な思いをさせたこと、お詫びするわ。でも皆に言うのは私の矜持が許しませんので、貴方が代表して受けて下さる?」
「ええ……はい」
若干の戸惑いのままに、イースはインガからの“詫び”を受け止める。イースが彼女から感じ取っていた“不本意さ”はすっかり影を潜めている。無理矢理に繋ぎ止めようとする空しさを知り、それを打破しようとする強さが代わりに表に現れていた。
彼女もこの第25隊と関わることで、何かを獲得したのだろうか。自分と同じように、自分が花咲く場所を獲得したのだろうか。その眩しさを感じさせる姿に、イースはどこかティールを重ねて見ている自分に気付いたが、それを彼女に告げることは無かった。
フェフも同じように戸惑いを秘めたまま、インガ正監の言葉を聞いていた。フェフからは彼女の後ろ姿しか見えない。それでも彼女が自信と覚悟を持った表情になっているであろうことは想像がついた。
きっと彼女も自分と同じように、何かを吹っ切ったのだ。自分自身で勝手に作り上げた枠に囚われることなく、その鎖を振り解いて飛び立って行くのだ。囚われるためではなく、望むものを捕らえるために。
兵営までの帰路は、全くもって順調だった。二班の残りに出会うことはなく、イースは仮陣に『帰投』の合図を残して先にインガ達を連れて兵営に戻った。
出迎えたオーセル副監は、予想外に汚れ乱れたインガの服装に驚き憤慨していたが、彼女自身から無傷であることを説明されて安堵の表情を浮かべる。隊長が放つ勝負終了を告げる三連射の鳴鏑が、西の森に向けて鋭く響いた。
休息を取り、身だしなみを整えるインガ達を残して、イースは残された隊員達を“救助”すべく再び森へと向かった。フェフも仕事中に『呼んで』しまったコール少年を家族の元に送り届けるべく、イースに同行する。
イースの足取りは軽く、表情は柔らかい。その姿をティールが訝しげに見つめていたが、イースはわざとらしく企むような笑みを返すことで彼に一矢報いた。せいぜい悩めばいいのだ、自分がなぜこんなに晴れ晴れとしているのか分からなくて。
イースだって、やられっぱなしは性に合わない。それほど長くはないであろう先、道別れることになる彼に反撃する機会は逃せない。
道別れた後も、いつかは再び顔を合わせることだろう。その時は、きっとティールは別の立場で自分に向き合ってくるはずだ。イースは何の根拠も無いままに確証を抱いている。それまでは、せいぜい今の立場を活かして彼と付き合っていこう。ついでにハーガルとも、もう一度きちんと向き合ってみよう。彼もきっと何か新しい姿を見せてくれるに違いない。
皆、自分自身で切り開いて行くのだ。自分が花咲ける場所を。
自分で選んだ場所で、根を張って生きてゆく。流れる水に潤されて育ち、次の世代に引き継いでゆく。自分で選んだ相手と共に、その手をとって生きてゆく。その当たり前の温もりを背に負って、険しい坂道を上りゆく。
もう二度と後悔しない。奪われないために、捕らえ続けるために、守り切るために。
イースが立てた誓いは、今も続いている。いつか再び相見える日まで、その日を信じて生き抜くと決めた。ただ守りたかった人。あの時は守れなかった人。
イースは“誰かを守れる”自分を確認できたことが嬉しかったのだ。そしてその誰かが、同じように自分を守ろうとしてくれたことが嬉しかったのだ。その相手が、たとえ負の感情が先行していたインガであったとしても。
監査官としてのアレコレは、もうどうでもいい。お互い“守ろうとする者”なのだ。それさえ分かればいい。彼女に対する意識を改め、イースは共にあろうと互いに思える貴重な友ラーグの手を取るために、西の森へと戻っていった。
* * *
第25隊に大小の影響をもたらした“監査”は、無事終了した。
オーセル副監は殊更に様々な書類や手続きの完璧さを褒め称え、今後の指導教材にしたいとソーン補佐官やケーン事務官が作成している帳簿や日誌の複製を作成していった程だ。あまりに書類が整いすぎていて監査することがなく、暇だったらしい。
インガ正監も細々とした駄目出しこそしたものの、『大変よく運営されている兵営でした。皆さんの弛まぬ努力を評価いたします』と、上から目線ではあったが素直な賞賛の辞を送った。
権高い態度が隊員達には不評であったとは言え、隊員達は皆普段と変わらないノンビリほんわかとした風情を残して監査官一行の退去を惜しんだ。最後の夕食時には、訓練免除組がストライフ兵営長の細君からの差し入れと教えの元に、見事な晩餐をこしらえて皆の労をねぎらってくれた。多分、意図するところは軍事訓練を逃れ得たことへの嫉みを逸らすためであろうことは何となく分かるが、目の前の美味な食事には勝てない。インガやオーセルも和気藹々とした食卓風景に混ざり、いつものように彼らは戯れ、その姿を優しい瞳の隊長と補佐官さんが見守っていた。
退去の日。
『護衛』の名目の元、アラグレンの町までインガ達一行を送るよう、隊長はソーン補佐官とイース、ラーグの両班長に命じた。『何で俺まで~っ』とラーグは煩かったが、有無を言わさぬにこやかな表情のイースに腕を引き摺られ、冷眼のまま微笑むソーン補佐官さんにその口を封じられて渋々同行して行った。
アラグレンの町までは1リーグ(約5km)。夏のさなかでもあり、一行の歩みは体調を気遣ったゆったりとしたものだ。北の山脈からの涼しい風が心地よい。アラグレンの町との中間地点あたり、西の河からアラグレンの町へと続く支流のほとりで二度目となる休息をとる。昨夜の晩餐で、隊長に散々に飲まされ体調が完全ではないオーセル副監を気遣い、木陰でしばらく休ませるためだ。
「インガ様、すみません……」
「貴方らしくもない失態よね、本当に。まあ、あの隊長相手じゃ、無理もないのでしょうけれど。気にしなくていいわ、ちゃんと休んで。いつもありがとう」
「…………はい」
目を閉じてしばしの休息を取りながら、オーセルは何とも言えない心地よさと、一抹の寂しさを感じていた。今回の第25隊監査には反対だった。何一つ良いことなどあるはずがないと思っていた。だが実際はどうだったか。
思いもかけず有用な事務方の存在を知り、『国境守備隊』としてある意味理想的な姿を持つ隊の実情を、つぶさに見ることが出来た。地元兵と軍団派遣兵との関係、町の人々との関係。書類で現れてくる以上の、その完全さ、自然さ。
オーセルは軍監として当然のように軍令・軍政に関わる教育も受けてきている。その中で教わった一つの言葉を思い出す。
――『国境』とは、大地を区切る線のことではない、結局の所は『人』だ。
人が自ら生きる場所として選んだ場所。そこに根を張り、受け継いでゆく場所。
その人々が帰属する場所が『国』であり、その帰属意識の違いが『国境』となる――
「東北国境守備隊第25隊」は、その意味においてまさしく「国境守備隊」だった。
人々を、このルーニックという国に帰属させることを何一つ疑わせない、柔らかな鎖。
ルーニック建国王の言とされるその言葉が具象化された姿を、オーセルはここに見た。
あのインガですら、この隊と接したことによって何かしらの意識の変化があったようだ。若年の貴族役人として、時には哀れに感じるほどに虚勢を張っていた彼女が、今は素直に感謝を告げる。その相手が、形式上は部下でもあり軍監としての師でもあるオーセルであるとしても、彼女がその心を強く持てるようになったことは喜ばしい変化だ。
虚勢を張るのは、権高く振る舞うのは、自分を弱いと感じているからだ。本当に強い者は、他者に優しい。
もうこれ以上の隊を、監査することは無いだろう。だが、自分は監査官だ。過ちだけを追いかけるのではなく、新しい種を蒔いてゆくことだって出来る。自分に出来る形で『国境』を守ることができるに違いない。願わくば、その種がその地で芽吹きますように――。
休息を取るオーセルを残し、インガはソーン補佐官に同行を求めてその場を離れた。岸辺沿いを歩き、二言三言のたわいの無い会話を交わす。涼しさを感じさせる風に髪をたなびかせ、インガは意を決してソーン補佐官に向き直った。
正面からその秀麗な顔を見上げる。長身白皙なその姿は、清冽な時の流れを感じさせるかのような空気をまとってインガの手の届く距離に立っている。
だが、今のインガには手の届かない存在だ。
今の自分では、彼を繋ぎ留めることなど出来はしない。それでも、何か証が欲しかった。約束などという頼りないものではない、信じるための証が。
「ソーン補佐官、今回の監査においては貴方に大変配慮していただきました。そのことに率直にお礼申し上げます。――ですが、私にはその資格はありましたか? 貴方が示して下さった『敬意』に対し、私は足りる人間でしたでしょうか?」
「……私はあなた方『貴族』という存在には、十分な敬意を払いたいと思っています。
その上で、貴女個人についてであるならば『無かった』と申し上げましょう」
冷たくも厳しいソーン補佐官の声。飾ることの無い、彼の平常だ。その声と態度で告げられるインガへの評価を、彼女は恐れと歓喜のうちに聞いた。
「ですが、貴女はご自分の負う『荷』を、貴女の父祖から受け継がれたその重き荷を、投げだそうとはしませんでした。足りぬならば、助け合えばよいのです。お互いに手を伸ばし、その手を掴み続ければよいのです。インガ正監、貴女にはそれができます。自分が成すべきことへの不要な助けの手をはね除けることが出来るならば、真実の助けの手を掴むことが出来るでしょう。
私は、貴女が人々の『敬意』を受け取れる方になれると思います」
今はまだ足りない……と言われたようなものであったが、未来形で語られるその評価にインガの心は歓喜に震えた。「まだ」なのだ。いつかは到達できると信じられる、自分の未来。その姿の自分は、一体誰の手を掴み取っているのだろうか。
「ソーン補佐官。この先――いえ、長くは待たせません。私が貴方の敬意を受け取るに足りる人間になった暁には、私の側で私を助けていただけませんか? 私が延ばす手を取ってはいただけませんか?」
インガは強い意思を込めて、ソーン補佐官の目を見つめ返す。
これは『恋情』なんかでは無い。そんな軽いものではない。人として得難いものを手放したくないという、心からの欲だ。
「アンスーズ隊長のお側を離れたくないとおっしゃるならば、共に私の側で支えていただければ。でも、貴方が隊長の下を離れる際には、その時には――」
「――あり得ません」
ある意味、一世一代の告白であったであろうインガの言葉は、初めて聞く強いソーン補佐官の声に遮られ、宙に浮いた。目を合わせた先では、ソーン補佐官の蒼穹色の瞳が強くきらめき、驚くほどに強い執着と、自信と、覚悟に満ちた意思を伝えてくる。
ソーン補佐官はインガを見下ろし見下すように、その視線を向ける。初めて見る、彼の尊大な姿。幼子を諭すかのような、いや、嘲弄するかのようなその表情。今までの丁重な態度はもとより、隊員達に見せている冷厳な態度とも全く違う、絶対的な強者としての姿。
その態度と続く言葉に、インガは打ちのめされる……というよりは圧倒されて、何一つ言葉を紡げなかった。それほどまでに強烈な彼の姿だった。
「――私が、隊長の下を離れる? 何を馬鹿なことを。そんなことはあり得ません。
あれは、私が見出し、私が繋ぎ止めた、私のものです。決して離れることなど許さない。あれが何と言おうと、私は手放さない。インガ正監、いいですか。あれは私だけのものです。貴女は、貴女だけの手を探しなさい。あり得ないことを想定するのは、無駄なことです。離そうとすることも無駄です。やれるものなら、やってみるといい」
「……イースぅ。ねえ何? あの凄まじく身の毛もよだつ、おっかなすぎる隊長への愛の告白?」
「……俺に聞くなよ」
「補佐官さんって、あんな性格だったっけ?」
「……俺も知らねえよ」
「俺、初めて彼女に心底同情した。かわいそー」
「……俺に言ってどうなる」
「隊長が『あれ』扱いなんだけど-? それって愛情表現?」
「だから、俺に聞くなってばっ! 俺が聞きたいよっ! それより忘れたいよ!!」
「俺だって、記憶から消しときたいよ!!」
こっそりと二人の後を付け、多分交わされるであろう珍しい補佐官さんへの艶っぽい話題を期待していたイースとラーグは、衝撃的な補佐官さんの姿と言葉に同じく絶句した。そしてその後、平常心を取り戻そうと必死に軽口を交わし合う。
この二人にしてそんな状態だ。直接、目の前で語られたインガは、魂が抜けるかのような衝撃を受けて、その場で硬直したままだ。
そんなインガに構うこと無く、ソーン補佐官は静かに踵を返し――イースとラーグが身を潜める岸辺の茂みに歩み寄った。
「二人とも、オーセル副監を一人残して、何をやっているのですか?」
「えっと……お二人の護衛を……」
「な・に・を、や・っ・て・い・る・の・で・す・か?」
「はいっ! 知的好奇心に基づく衝動に突き動かされました!!」
「はいっ! 緊張感を持続させる練習中です!!」
「…………分かりました、いいでしょう。では私は先にオーセル副監のもとに戻ります。貴男たちは、インガ正監が正気に戻りましたら連れて帰って来なさい」
見慣れた冷眼とにこやかな笑みのまま、冷厳そのものの声でイースとラーグに指示を出して、ソーン補佐官は二人に背を向けて歩き出した。二人は冷や汗を浮かべながら、その背を見送る。
初めて目にしたソーン補佐官の『本心』とも言うべき姿と心情。
隊長に心酔していると思っていた。
自分たちと同様、隊長に心を奪われて傾倒し、恭敬し、囚われていると思っていた。
だが違った。あれは――何だ?
まるで隊長が捕らわれた獲物、虜囚のような言い方だった。隊長と補佐官さんとの間には、一体どのような繋がりがあるというのだろう。その答えを知りたくもあり、知るのが恐い二人であった。
「……なー、イース。今のことは、忘れようぜ」
「そうだな、ラーグ。それが賢明だ」
きっと忘れられないことは分かっているが、それでも自分たちの心の安定のために、何とか忘却の彼方に追いやろうとする二人であった。
だが、爽やかな水の匂いを込めた風と共に届けられた追い打ちの言葉に、結局二人の記憶に今日の出来事は深く刻まれることになる。そしてそれは――二人が第25隊を離れ、やがて彼らのことを知りうる立場になる遠い未来まで、ずっと二人の心に留まったままだった。
「――イース、ラーグ。貴男たちも覚えておきなさい。
あれを手放さないこと、それは私が果たすべき責任です」
――終わり――
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第4章終了です。大変長くなり、反省中です。
登場人物が増えたこともあり、簡単な人物紹介や用語説明などのページを後ほど投稿します。




