捕らえしもの、囚われしもの【その13】
「で、補佐官さん。何でコールがいるの? そんなのアリ?」
器用に片手でフェフを拘束したまま、ラーグはにこやかな表情でソーン補佐官に問う。訓練に第三者を、しかも部外者を入れるなんて聞いていない。
「ラーグ。隊長はフェフに『何をやってもよい』と指示しました。よって、誰かの手を借りることは、問題ありません。コール君、ちょっと離れていなさい。ここからは私たちの『訓練』が始まります。手出しも口出しも無用です、いいですね」
「あ、はい。はいはいっ」
いつもと同じ動揺も何も感じられない平静なソーン補佐官の声に、コール少年は慌てて森の方に逃げ込む。その姿を見て、一番安堵したのはフェフだ。
「何となく納得いかないけど、まいっか。――『対象者』確認。インガ正監、ご同行願えますか? 私たち第二班は貴女の『味方』です。一緒に兵営まで戻りましょう。それで訓練は終了です。お疲れ様でした」
「貴方の班が『味方』? その証拠は?」
「うーん、それは難しいですね。信じていただくしか。とりあえずフェフを放しますから、これで信用して貰えますか?」
にっこりと人好きのする笑顔でインガの説得にかかるラーグ。この“ウサギ狩り”訓練における難所の一つだ。どうやって敵味方の別を知らない『対象者』に、自分たちを信じさせるか。もしくは騙すか。
今回のラーグは騙す側だ。幸い、相手は何のかんの言って純粋なフェフと、それなりに世慣れてはいるだろうが口で言うほど擦れてないインガ正監。ラーグにはそれなりに勝算があった。だからこそ主に攪乱を配下に任せ、自分一人で対象者の確保を試みた。いち早く彼らを確保し、自分たちを『味方』と誤認させる。それが勝利の条件だ。
「インガ正監、フェフ副長。証拠は何も示せませんが、それはこの後の態度で示します。我々第二班は、第一にあなた方の確保を優先しました。それぞれが単独です。複数で身柄を押さえるのではなく、あなた方を守るために。単独行動は危険が増しますが、それだけ発見を急いだこと、これでは証左にはなりませんか?」
ラーグは口巧者だ。嘘八百並べていても、その軽快な態度と相まって相手を安心させる技に長けている。拘束を解かれたフェフは慌ててインガ達の元に戻り、疑いと信頼の間で気持ちを揺らす。
「俺を信頼できないというのなら仕方ありません。ですが、逃げないで下さい。先ほど、第一班二名の姿を見つけました。彼らは、まだ近くにいる。彼らに見つかれば、俺は不利を承知であなた方を守らなければなりません。お願いです、俺にあなた方を負わせてもらえませんか?」
ラーグの演技とも思えない熱心な弁が続く。実際は目一杯の演技であるが、そう感じさせないところがラーグの凄い所だ。
インガもフェフも判断に迷い、思わずソーン補佐官にすがるような目を向けた。だが、当然のように彼は冷厳な目付きで二人を見返すだけだ。
「ソーン補佐官、貴方はどう思いますか?」
「――インガ正監、何度も言わせないで下さい。今回の訓練では、私は一切の手出しを行いません。決めるのは貴女とフェフです。今の状況下においては、決定権は貴女が持つべきです。『要人』として、何を信じるか。ご自分で考えお決めなさい」
助けを求めたインガの声に、今までの態度とはうって変わった冷厳なソーン補佐官の声が返される。その声にインガは身が引き締まると共に、歓喜した。
裂け目から脱出する際、彼の手助けを拒絶した。それからのソーン補佐官は“外向き”の態度を変え、フェフに対するのと同じ態度でインガに向き合ってくれる。完全ではないだろうが、少なくとも今のインガは彼にとって“外”ではないのだ。それが、それだけのことがただ嬉しくて仕方なかった。
その期待に応えたい。インガはじっとラーグの目を見据えて思考した。
「――ラーグ班長。もっともらしく聞こえますが、貴方の配下が側にいないということが私には奇妙に感じられます。守るならば、守るための万全の態勢を整えようとするのが、貴方の考え方ではないでしょうか。短い期間でしたが、貴方は奇をてらう所が多いながらも慎重な考えをする人であると、私は判断しています。その貴方が『守り手』でありながら単独で行動することは考えられません。それは『攻める』ための行動でしょう。
フェフ副長、第二班が『敵』です。逃げますよ」
インガは監査官だ。そしてルーニックの貴族だ。何と言われようと、どれほど嫌がられようと、人の態度と行動の裏を読んでその考えを読み解いていかねばならない。自分がその判断を誤れば、ルーニックという国が、そしてそこで生を営む者たちが、自分たちが背負わねばならない者達が困るのだ。
未だ心を決めかねている風情のフェフ副長を叱咤するように、インガは鋭い声で逃走を指示する。命ずることに慣れた、インガの声。それに弾かれるようにフェフは身を翻してコールが駆け込んだ森の方へと足を進める。インガも共に続こうとしてラーグに向き合っていた身体を返したが、その瞬間、何気なく距離を詰めていたラーグが素早く動いて彼女の腕を取り、抱きしめるような形で拘束した。
「すみませ~ん、女性に抱きついて。でも下心も邪心もありませんから、ご容赦!
でも、お見事でした。その通りです、なかなか人を見る眼がありますね、インガ正監」
どこか楽しそうに、そして感心と感歎の気持ちを万感に込めてラーグはインガを褒め称えた。実際、こんなに早く見破られるとは思わなかった。ちょっと甘く見過ぎていた自分を戒め、ラーグはインガを拘束したままフェフに向き合う。
「フェフ副長~。『要人』確保してまーす。大人しく一緒に来て貰えますか?」
口調はいつもの軽快さを残しているが、その目は鋭い。今回、補佐官さんは直接の戦力としては考えなくて良いみたいなので、後はフェフを捕まえるだけだ。フェフの対象者としての役割は『要人の護衛』なので、インガを見捨てて彼だけが逃げるという選択肢はない。インガの身柄を押さえ、フェフの抵抗を排したら勝利だ。
そのことを理解しているフェフも、事態の打開策を必死で考えながらラーグの隙を窺うが、当然そんな隙など無い。軽く捉えているようにしか見えないが手足の自由を許さないその腕から逃れ得ないことを、拘束されているインガ本人が一番分かっている。
「了解して貰えたら、副長。こっちに。そそ、堅実な判断ありがとーございまーす。
とりあえず手の自由だけ貰いますね、能力使われても困るんで」
渋々近づいたフェフの両手首を器用に片手で捉えて、地に伏せさせる。左手はインガの腰を捉えたまま、フェフの背を膝で押さえつけて後ろ手に拘束すると、ラーグはフェフの片手とインガの片手を布綱で結わえた。その素早い動きに、隙をうかがっていたフェフですら抵抗できなかった。
「はい、副長、立って立って! この体勢のままだとインガ正監が疲れるから。じゃ、戻りましょうか、楽しい“我が家”へ! あ、補佐官さんも拘束しなきゃ駄目か?」
「私は何もしません。ご自由に」
「うーん、滅多に無い機会だから縛ってみたいけど……もったいないから止めときます」
「ラーグ、その軽口は必要なのですか?」
「はーい、俺の緊張感をほぐすために必要です!!」
「……なら結構。しかし、貴男はその油断がいけません。緊張感は持続させなさい。貴方の『敵』について、気持ちが留守になっていますよ?」
「えっ……?」
インガとフェフを確保し、ソーン補佐官をも促して自分たちの仮陣地に戻ろうと踵を返したラーグは、刹那、向かってきた攻撃の手をすんでのところで躱した。とっさに地に伏せ、転がるように距離をとったその後を追いかけるように、足元に木の枝が突き刺さる。
「ちっ……逃げやがったか。補佐官さん! 助言、早すぎ!」
「知りません、そんなこと。自分の狙いが甘かったことを、私に転嫁しないで下さい」
ラーグを狙って投げられた木の枝は、投擲の槍となるように加工されたものだった。続けざまの二本を何とか躱したラーグは身を起こし、その投げ手の悔しげな顔を苦笑して見つめた。
「イース、補佐官さんの言う通りだ。お前、色々と鈍ってないか?」
「抜かせ! お前こそ、俺の気配に気付いてなかったなんて、馬鹿にするにも程があるぞ! もっと真面目にやれよ!」
「俺はいつも真面目だよ!」
「これほど説得力のない台詞も珍しいよな!」
いつの間にやらその場にたどり着き、様子を伺いながら参戦の機会をうかがっていたイース。その彼と軽口とも言いがたい真剣さを潜ませる会話を交わしながら、ラーグはイースに向かって接近格闘を挑む。繰り出される蹴り払い、腕を取った投げ技。それらを半ばは躱し、残りは受け流しながらイースも反撃に出る。
先の兵営での『訓練』と同様、いやそれ以上に鋭い動きで繰り出される真剣な攻守を、インガとフェフはただ見守るだけだ。
「インガ正監、フェフ、何をしていますか。今の隙に、自由を確保しなさい。見物してどうするのですか」
「あっ、はい」
促されてようやく思い至ったフェフが、インガの手も借りて四苦八苦しながら拘束を解く。軍団兵の拘束術は、どんなに簡単に行っているように見えても堅固だ。両手が使えないフェフの指示でインガが解こうとするが、簡単には解けない。
その間にもイースとラーグの戦闘は続いている。先ほど投げつけられたイースお手製の槍枝をお互い手にし、気付けば剣戟に移行していた。ラーグは二本の枝を二刀流に器用に使い、剣戟を与える。残った一本を使ってイースも受け流すが、所詮木の枝。数度の交合であっという間に折れた。残るのはラーグが持つ一本のみ。
「やっぱ、枝じゃ駄目だな」
「せめて布かなんかで補強しとけよっ、持ち手が滑ってしかたねえ!」
「投げるつもりしか無かったんだ、そんな手間かけられるかっ」
無手となったイースは、ラーグからの攻撃を何とか躱しながら反撃の機会をうかがう。重さに乏しい木枝の剣では、まともに食らわせたところで行動不能にまで陥る損傷を与えることなど無理だ。ラーグ自身もこれで勝負を決めようなどとは思ってもいない。“援軍”が到着する前に、イースを押さえなければ負けだ。
ヒュンという軽さのある音で繰り出される剣戟を躱しながら、イースはラーグから距離を取ろうとしている。木立から離れようとしているということは、空間を必要とする策を考えているはずだ。ラーグはいくつかある可能性を考えながら、イースが本格的な反撃に出る前に何とか彼の足を止めようとする。
ラーグはイースの背後の大地を確認しながら、打ち込みと同時に足技を仕掛ける。それを共に避けてイースが二歩下がる。そこに、ラーグは剣として振るっていた枝を投擲し、見事に足の間を通した。流れのまま下がって体勢を整えようとしていたイースは、思わず足を取られて転ぶ。そこを狙って、飛びかかるようにラーグは彼の腹に膝を入れた。
「ぐえっ……っ」
「取ったっ!」
そのまま馬乗りになってイースを押さえ込みにかかるラーグ。元々体術ではラーグの方が上手なのだ。先に上を取られてしまっては、イースが体勢を戻す隙を与えてはくれない。さすがに素直に拘束はされまいと、もがき脱出しようとするイースだったが、動きを読んだラーグの押さえ込みは一向に緩まない。とうとう両手を取られてしまい、イースが一瞬だけ観念したような表情を浮かべる。それを見て勝利を感じるラーグ。だが――。
「ぃ……ってぇぇえ~!!」
その衝撃は突然だった。後頭部を直撃した、だが決して強くは無い攻撃にラーグの拘束が思わず緩む。その一瞬の隙を逃さなかったイースは、転がり出るようにラーグの下から逃れ、十分な距離を取って立ち上がった。
「ラーグ、だから言いましたよ。貴男は『敵』に対する意識が留守になりがちです。戦場で目の前の敵にだけ向き合うような戦いをしてきた訳ではないでしょう? わずか2年やそこらでもう忘れたのですか?」
峻峭な叱責の色を一切隠さない、冷厳きわまりない補佐官さんの声。だが、ラーグに攻撃を与えたのは彼ではない。彼は一切の手出しをしていない。
「…………まさか正監さんに殴られるなんて、想定外でした」
「だって、貴方は『敵』なんですもの。『味方』を守るのは当然のことだわ」
格闘を続ける彼らの背後から、ラーグに一撃を与えたのは何とインガだった。側に転がっていた未だ折れていなかった木枝を掴んで、彼女なりの精一杯でラーグの後頭部を殴りつけた。損傷としてはジンジンと痛むくらいで何事もないが、さすがにラーグも意表を突かれた攻撃であった。まともに食らってしまったラーグとしては、自嘲が半端ない。
インガも今度は攻撃と共に逃げ下がって、ラーグの手の届く範囲にはいない。彼女を守るように、拘束を解いたフェフ副長が側に立つ。形勢逆転だ。ラーグは遠のいた勝利を嘆き、わざとらしく天を仰いだ。
「うーん、この半端ない敗北感。どうしたらいいと思う、イース?」
「そりゃ、勝つしかないだろうさ。多分、無理だろうけど」
「やってみないことには分からんけどな。補佐官さん! 今のは確かに俺の失点です! 今度から気をつけます!」
「戦場に『次回』はありませんよ」
ソーン補佐官の冷眼を真正面から受け止めて、それでもラーグは再びイースに向き合った。イースが目論んでいた通りの状況が作り上げられている。お互い無手、二人の距離、空間。この時をイースは待っていた。
イースは駆け抜けるようにラーグとの間合いを詰める。交わされる打撃をその腕で防いで、ラーグも膝を狙った蹴りを繰り出す。飛び下がってその衝撃を流したイースは、今度は上体に向けての鋭い蹴りを繰り出す。大振りになりがちな足刀蹴りを手堅く決めて、再びイースは下がって距離を取った。防御に回ったラーグも下がって、二人の間合いが広がる。
格闘戦になるかと思われた一戦だったが、勝負を決めたのはイースの“武器”だった。間合いを確認したイースが手早い動きで腰帯を外し、両手に構えて振り回す。その帯の両端には、手頃な大きさの石が結ばれていた。
「って! 投縄かよ!」
1エル(約1m)ほどの長さの革帯の両端に錘となる石を付けた即席のボーラは、それでも狙った通りの仕事をこなした。ラーグの足元に絡みつき、足の自由を奪う。すかさず間合いを詰めたイースが膝を狙って蹴りを繰り出し、今度はラーグが倒されてその身を押さえられた。
イースは無駄口も叩かず、即座にラーグの拘束にかかる。足をボーラの革帯に取られているラーグは、まともな抵抗が出来ない。結局、ラーグはそのままイースにふん縛られて――ここに勝負はついた。




