捕らえしもの、囚われしもの【その8】
「ところで、今日のあの戦闘訓練は何なの?」
夕食後の団欒のひととき。本来なら隊員達との楽しい交流の時間だが、今はもっぱらインガ監査官からの“今日の監査報告”という名の皮肉を聞きつつ、明日の監査予定を確認する時間だ。
役付き達は仕方ないにしろ、隊員達もできれば同席したくない。だが、終わるまではインガが退席を認めないので辟易している。おかげで本来なら人気の無い夕食後の片付け係が、大人気だ。今日は例の賭けに勝ったティール達3名が、その幸せな役目を獲得したようだ。
半ば予期していた質問とは言え、どう答えていいものか顔を見合わせるイースとラーグ。『何なの?』と訊かれても、どんな回答を期待しているというのか、そこがよく分からない。
「インガ正監がご多用で俺の時間が空きましたので、ラーグ第二班長にお願いして立ち合って貰いました。本来ですと、きちんと防具を着けて行うべき事でしたが、急時を想定した訓練ということで、ご了承いただけないでしょうか」
丁寧に、当たり障りのない理由を、もっともらしく告げるイース。この程度の処世術はイースでもそつなくこなせる。いつの間にやら、役付き達の中ではイースが一番彼女と会話を交わしている。おかげで、当初は『真面目な隊長と同じくらい変』だの『鳥肌がたって落ち着かない』とまで言われたイースの丁寧な口調に、隊員達も慣れてしまった。
「そういう事を訊いているんじゃないわ。軍なのですもの、戦闘訓練についてはしっかりとやるべきよ。その点ではあなた方の技量は見事だったわ。そうではなくて、立ち合いの内容のことを訊いているの。
なに、あの泥臭い戦いぶりは? せっかくの見事な技が、台無し。騎士の模擬試合同様に、とは言わないけれど、もう少し格式のある仕合いをしてもらいたいものだわ。あなた方軍団兵は、地元兵の規範となるべき存在である事を忘れないでいただきたいもの」
「――――お言葉ですが。それには賛同できません」
出会いの時はともかく、それ以降は従順な態度を崩さなかったイースの、突然の豹変だった。
低く、重く変わる口調。表情からも柔和さが消え、静かな怒りにも似た光が瞳に宿る。思わずインガもたじろいだ。
「我々は『軍団兵』です。だからこそ、あのような戦い方になります。
インガ正監、貴女は戦場を知らない。我々は『人を守る』騎士ではありません。『相手を倒す』兵士です。
泥臭いと言われようと、相手を倒せなければ、自分が傷つき死ぬのです。自分が死ねば、次は仲間が傷つきます。国土が蹂躙されます。そうさせないためならば、我々軍団兵はどのような手段でもとるでしょう。それが我々軍団兵の誇りです。
――インガ正監。今の言葉は撤回していただきたい。私だけではありません。今、貴女は、軍の誇りを傷つけんとしているのです」
思わぬイースの態度に接して硬直するインガに、オーセル副監も慌てる。だが、彼の言葉を裏付けるように、室内に居るラーグ班長を始めとする軍団派遣兵の視線が、剣呑なものになったことにも気付く。
だが――――。
「…………そうね、確かに軽率な発言だったわ。ごめんなさい。皆さんに謝罪させていただけるかしら」
皆にとっては意外なことに、インガは素直に謝った。その表情には渋々といった風情は全く見えず、率直な謝罪の気持ちだけが表れていた。
今までのインガの態度から、また険悪な舌戦が始まることを覚悟していた周囲は、拍子抜ける。発言主であるイースも、やや気勢を削がれた格好だ。
結局のところ、インガは有能な人材なのだ。貴族としての薫陶を受け育った者でもある。確かに必要以上に権高いところはあるが、それは半ば自分の若さに見合わぬ職位を慮った虚勢であるし、勇み足になることも多いが「監査官」としてだけではなく、自分たち貴族の果たすべき役割もきちんと理解している。ティールがその場に居たのなら、許すまでには至らないが、ほんの少しだけ彼女を見直したかもしれない。
そんな事情は知らないが、イース達軍団派遣兵も、とりあえずはその謝罪を受けた。そんな彼らを、隊長と補佐官さんが何か納得したように眺めている。
「自分の過ちを認めて謝れるうちは、お前さんはちゃんと成長するよ。いい子だな。
監査官さんよ。イースの言う通りだ。軍団兵って奴は、泥臭さがあって一人前だ。中央に居ちゃあ実感できないだろうが、そうやってこの国を護っている。そのことを、お前さん達は決して忘れちゃいけない。それが分からないうちは『上』になんぞ行っても意味がねえ。 ……いい機会だ、正監さんよ。明日、実体験させてやるよ」
年齢や経歴を考えれば当たり前ではあるが、隊長から何となく若輩者、いや子ども扱いされているような気分になって、インガは少しムッとする。だが、最後にかけられた言葉には反応せざるを得なかった。
「実体験ですって?」
「ああ、丁度いい。明日は監査の仕上げに『軍事訓練』って奴をやろうと思っていてな。
お前さんも参加させてやるよ。――ああ、そんな変な顔しなさんな。べっぴんさんが台無しだぞ。お前さんが戦闘訓練なんぞ、十分に受けてないことくらいは知ってるさ。そこまで無茶はさせねえよ」
隊長は『何も気にすることなど無い』と言わんばかりの楽しげな表情だが、言われたインガは狼狽せずに居られない。
彼女は彼の言う通り、護身はともかく『戦闘』とはまるで縁がない。仮にも軍属、貴族の一員として暴漢から身を守るくらいの技量はあるが、それは『逃げる』ことを前提とした所詮受け身の技だ。
「お前さんは『護られる立場』で参加するだけでいい。他にもとびきりの護衛を付けてやるから、安心しな? 副監さんも、そんな心配そうな顔しなさんな。あんたの大事な正監さんには、傷を付けねえよ」
傍で聞いていたオーセル副監の動揺はインガ以上だったが、隊長は人当たりのいい笑顔で宥めにかかる。インガは、自分を待ち受ける明日がどのようなものになるのか想像も付かず、ただ表情を強張らせて隊長を見つめる。
「……なあ、『護られる立場』が居るってことは……」
「……やっぱり“ウサギ狩り”だろうなぁ……お前の班とやるってだけでも面倒なのに、よりによって監査官さん付きかよ……」
隊長の言葉を聞いて、イースとラーグは自分たちが抱いた“悪い予感”が的中したことを知った。
「えええーーっ、イース班長、それ本当?!」
「第一班とやんの?! それ、嫌だーーーっ」
「補佐官さーーん! 勘弁してくださーーい」
イース達の嘆息混じりの会話を聞いて、今度は隊員達がざわめく。丁度片付けを終えて戻ってきたティール達も交えて、大騒ぎだ。その姿に、インガの不安がますます高まる。
「…………一体、なんなのよ……」
監査が始まって以来、インガが初めて受けた隊長からの“贈り物”だった。
* * *
「ということで、お前等、明日は『軍事訓練』だ。今夜はちゃんと寝とけ」
大騒ぎを鎮めるように、大きくはないが場を落ち着かせる強い声で、隊長が号令をかける。その声に喧噪はぴたりと収まるものの、密やかなざわめきは止まない。
「隊長……本気で“ウサギ狩り”ですか?」
「おう。お前等の実力が、一番発揮できるだろう? いいところ見せてやれや。
兵どもは前に一回やってるから、条件は同じだ。おっと、フェフは初めてか。じゃあ、正監さんと一緒に『対象者』をやってもらうか」
万が一の可能性にかけて確認の言をかけたが、隊員達のその期待は無残に打ち砕かれる。わざとらしく頭を抱えたり天を仰いで打ち拉がれる彼らを後目に、隊長はソーン補佐官に目で合図をして、明日の詳細を説明させた。
“ウサギ狩り”とは、軍団兵の訓練として行われる『追い物』だ。簡単に言えば、敵味方に分かれて標的を取り合う。
標的は物であることもあるが、大抵は人だ。多くの場合、仮想の『所在が不明となった警護対象の要人』を、探索し守って陣地まで連れ帰る組と、その要人達を虜囚にすべく探索する組に分かれて取り合うのだ。場合によっては武器の使用も許可する、かなり実践的な訓練の一つであり、その困難さから人気の無い訓練の一つでもある。
何せ、単なる探索だけではない。互いに相手を攪乱し追い込み、場合によっては相手との戦闘が始まる。訓練としての勝敗は、どちらかの組が『対象者』を無傷で確保し、自分の陣に連れ帰るまで決まらない。よって、対象の確保後も奪還への警戒が必要で、逆転も十分にあり得るのだ。
実際、前にはハーガルの策によって第三班が、最後の最後に『対象者』を奪還し見事に勝利を得ていた。……羊の群れに潜み、羊の群れをけしかけてくるなんて、狡いにも程がある。
エイワーズ班長は『これが地の利ってやつさ』と嘯いて、負け組からやいのやいの言われていたが勝利は勝利だ。なお、羊の群れを散らしたことに対し、後ほどソーン補佐官から茨のような刺々しい叱責を受けたことは言うまでも無い。
さらに、この訓練での困難さの一つが、『対象者』はどちらの組が味方であるか知らされていない、という点にある。よって『対象者』は基本的に隠れ潜み、どの探索者からも逃げるよう指示される。『対象者』を見つけることが出来ず逃げ切られたら、双方の組の負け。その追い物が“ウサギ狩り”と称される由縁だ。要は、対象者も訓練に参加する側であり、隠遁の技を駆使してくるのだ。軍団でイースが『対象者』役を引き当てた時には、制限時間内を見事に逃げ切って、勝者となったこともある。
「――という訓練内容ですが、インガ正監、ご理解いただけましたか? 貴女は基本的に『護衛役』と一緒に逃げていただくだけで大丈夫です。探索者は『対象者』には一切の危害を加えません。貴女が戦闘に巻き込まれるなどして傷つくことは、双方の組にとっての失点となります」
冷静で明瞭なソーン補佐官からの説明を聞いて、ようやくインガは心を落ち着かせることが出来た。彼の秀麗な容貌と美しい声色は、不安を払拭させる落ち着きと静けさを持っている。
「今回の『対象者』は、インガ正監とフェフ副長。そして私が担当します。
探索者は第一班と第二班から、班長を入れて各5名。誰が抜けるかは、班で穏便に話し合っておきなさい。……いいですか? 『穏便に、話し合って』ですよ? 今夜、騒動があれば即座に対応します」
訓練とは言え、兵営を空にするわけには行かないので、当然残留組も出る。ストライフ兵営長は最初から免除なので、幸運な隊員は後4名。誰がその幸運を引き当てるかは……補佐官さんから釘を刺された今となっては、本当に運頼みだ。
だが、隊員達が一層絶望的な顔をしたのは、それだけが理由ではない。
「…………ほ、補佐官さん? いま、『対象者』は『正監査官さんと、フェフ副長と、補佐官さん』って言いませんでしたか……?」
「ええ。副長とインガ正監だけでは勝手が分かりません。当然、誰か加わる必要があるでしょう? 監査の対象となる訓練です。私も、きちんと参加させていただきます」
涼しい顔で、何事もないかのように再度説明するソーン補佐官。念押されたその言葉を聞いて、今度はどよめきと言っていい悲嘆の声が上がる。
「えええええーーっ 補佐官さんが『対象者』だなんて……」
「……見つけ出す自信がない……」
「捕まえられる可能性が、全く感じられないんだけど……」
「いやいや、待て。足手まといが二人も居るんだ。僅かだが、勝機はある……はず」
「お前、楽観的だな?」
「ちょっとくらい、夢みさせてくれよ……」
「…………何が何でも、探索者から外れてやる……」
『足手まとい』扱いされたインガとフェフには悪いが、隊員達にとって彼らの存在が唯一の救いだ。ソーン補佐官は、直接的な戦闘能力こそ目立つものではないが、気配を断ち隠遁する術において抜きん出ている。補佐官という立場にも関わらず、軍団では隊長の命で何度も斥候に出ては、抜群の成果をあげてきた。
第25隊に着任してからも、訓練や日常において彼の“神出鬼没さ”は、時には隊長をも呆れさせる程で、隊員達は皆怖れている。隊長も時には神出鬼没だが、ソーン補佐官は本当に気付いたら近くに居るし、目の前に居たはずなのに姿を消していることすらある。まるで【能力者】の空間転移の能力の様だと怖れられているのだ。
話の流れとして『足手まとい』扱いされるフェフだって、最近は能力の使い方が上手い。隊長となにやら練習しているが、新しいことも出来るようになりつつあるようだ。“ウサギ狩り”の勝手が分からないことが助けにはなるだろうが、探索者側からみれば攪乱に能力を行使されれば厄介であることは間違いない。
そんな厄介にもほどがある二人を、探し追いかけるのだ。どれほどの困難が待ち受けていることか。
「……いっそのこと、『対象者』を見つけるまでは共闘したくなるよね?」
「それ、いい考えかもな」
こそこそと誰かが口にした言葉に多くが頷いてしまうほど、明日という日は隊員達と監査官達を楽しく迎え入れることだろう。
誰が、誰を、捕らえることができるのか。皆が『かつてない程に真剣なくじ引き』に盛り上がる中、イースとラーグは真面目に戦略を練っている。フェフ副長は、隊長から訓練内容についての“薫陶”を受けているが、どうにも不安そうだ。同じく不安だらけのインガは、ソーン補佐官の丁寧で優雅な口調と態度で繰り出される注意事項の数々を、大人しく殊勝に聞いている。
「明日は、いい日になるといいな」
隊長が最後に放った軽快な声に、皆がそれぞれに複雑な思いを抱いて眠りについたのであった。




