2話 感謝と初ログイン
朝早くに目が覚めた花は、正午にリリースされるゲームの為におにぎりを二つ昼ごはんの為に用意した。おかずになるように、具は明太子と鮭。片手でも操作できるように、食べやすいおにぎりを用意したのだ。しばらくは、おにぎりとサンドイッチが続きそうだな、と花は少し笑った。
お弁当が出来ると、慣れないコンタクトをつける。アバターの為に少しでもかわいらしくしよう、と挑戦することにしたのだ。詳しいメイク方法は分からないので、ファンデーションとチークと薄く色づくリップ。それだけで、精いっぱいだった。
「あ! もう、こんな時間!」
思っていたより、支度に時間がかかってしまった。花はいつもの服にリュックサックを背負って、慌てて家を出た。
「あれー? 今日は少し雰囲気が違うじゃん」
花の後から出社してきた同期の派手二人組が、早速花に気が付いて挨拶もそこそこにそう声をかけて来た。
「おはようございます」
「あはは、中学生のメイクって感じね。ま、少しは見られるようになったんじゃない?」
「止めておきなって、言い過ぎ」
漆戸の言葉を、茅ノ間が止めてくれた。茅ノ間は、時折いじめに近い漆戸の言動を快くは思っていないらしい。言い過ぎだすと、やんわりと止めてくれていた。
「あの……私、今日からお二人の仕事は手伝えません。ごめんなさい、残業はしません」
花は、いつもの眼鏡のガラス越しではない瞳で二人を真っすぐに見てから、頭を下げた。その言葉に、二人は驚いたようにきょとんとした顔になった。
「は? あんた、私たちの仕事をしないって何様のつもりなの?」
案の定、漆戸は怒った顔になって花に言い返してきた。茅ノ間は、黙っている。
「仕事は――自分でやった方がいいと思います……いつか、困ることになると思います。今からでも、仕事覚えて下さい……」
勇気を振り絞って、花はそう言い返した。怖くて、足が震えそうだ。でも、踏ん張って二人にそう言った。昨日の莉世の励ましてくれた言葉と、昼に始まる新しいチャレンジが花の背中を押してくれていた。
「そうだな。有栖川の残業は多すぎる」
話を聞いていたのだろう。近くの席に座っていた、同じく同期の黒梅和景が割って入ってきた。
「もう、入社して何か月経ったと思っているんだ? もう、七月だ。お前たち、まともに仕事覚えてないんじゃないか? 有栖川がいないと仕事が出来ないなんて、情けないと思わないのかよ?」
普段は寡黙で、同期たちの中で和景はあまり輪に入ろうとはしなかった。花とは少し違うが、同じく少し浮いた存在だ。しかし端正な顔立ちをしているので、主に女性の先輩たちから可愛がられていた。
「別に、有栖川に頼らなくても出来るわ! 仕事ぐらい、もう覚えてるわよ!」
まさか、花に援軍が来るとは思っていなかったのだろう。漆戸は顔を赤くして黒梅に言い返す。
「――分かった。仕事を、これから有栖川には押し付けないようにするよ……いままでごめん。行こ」
それまで黙っていた茅ノ間が、ようやく口を開いた。ちらりと花に視線を向けてから、促すように漆戸の肩を軽く掴んで引いた。
「けど……良かったら、分からないところは教えて欲しい」
「いいよ、それぐらい。構わないだろ? 有栖川」
自分を助けてくれた和景と理解してくれた茅ノ間の言葉が、花にはしばらく頭に入らずにぽかんとしたままだった。だが、慌てて何度も首を縦に振った。
「勿論です! 聞いてください!」
その言葉を聞いた茅ノ間は、ぎこちなく小さく笑った。そして、まだ怒ったままの漆戸の背中を押して自分たちの机に戻った。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう。黒梅くん」
二人が去ってほっとした花は、すぐに和景に感謝の言葉を口にした。和景はいつもと変わらず何を考えているのか分からない顔で、パソコンの電源をつけた。
「いいよ。あまり遅い時間まで、残業しない方がいいからな」
「うん、これからは定時には帰るようにする」
ほっとした花は、デスクの引き出しを開けてキャラクター柄の缶の蓋を開けた。その中には、カラフルな飴が入っている。その中の黄色い飴を一つ取り出すと、和景に差し出した。
「え……何?」
不思議そうに飴を見つめる和景に、更に花は飴を差し出した。
「エアコンで、喉がおかしくならないように飴ここに入れてるんだ。よかったら、黒梅くん好きな時に食べて?」
社内は、一年中エアコンで温度が管理されている。花は気管支が弱いので、小さな頃から飴を持ち歩いていた。
「……ありがとう。助かる」
和景はそう言って、素直に花の手から飴を受け取った。そうしてその黄色い飴を口に入れると、気持ちを切り替えたのかパソコンの画面に向かった。
それを見ていた花も同じようにパソコンの電源をつけると、昼休憩までに片づけられる書類を手にして、彼と同じく仕事に気持ちを切り替えた。
莉世や和景のように、現実の世界で助けてくれる人がいることに気付けたことが、素直に嬉しかった。ゲームでも、協力し合える人がいてくれるといいな――そう思いながら、明るい気持ちで過ごした。
事前登録していたため、スマホを見ると既に『アルティメット・リベリオン』はインストールされていた。緊張しながら開くと、「ようこそ! 勇者様!」と、ゲームの案内人でもある小さな妖精の『ジュエル』が元気よく飛び出て来た。
本当に、可愛い……!
花は、大好きなイラストレーターが手掛けたキャラに出逢えたことに、もう感激していた。ドキドキしながらも、ジュエルの案内に従ってキャラクターを作っていく。
名前は――八文字までの入力画面で、ふと止まってしまった。せっかくのゲームだから、可愛いキャラを作りたい。散々悩んでから、自分の苗字から『アリス』を選んだ。幸い、名前は重複していなかった。名前登録までは、スムーズに進んだ。次は、自分の顔写真だ。
花は、自撮り撮影などほとんどしたことがない。さらに3Dになるように色々な角度から撮影しなければならない。昼休憩が出来る休憩スペースの隅で、花は何度か撮影に挑戦していた――が、上手く撮影できずエラーばかりが出てくる。
どうしよう。このまま、ここで挫折するのかな……そんなのは嫌だ!
泣きそうな気持になって大きなため息をつくと、不意に肩をたたかれた。
「ひゃ!」
思わず変な声を上げて、花が振り返る。そこには、コンビニで昼食を買ってきたらしい和景が立っていた。
「何をしてるんだ? 自撮り?」
多分、挙動不審な花の様子をずっと見ていたのだろう。静かな声で、和景が尋ねた。
「あ、あのね……!」
朝、花を助けてくれた和景だ。花は、彼に協力して貰えないとゲームを諦めなければならない、そう切羽詰まった思いで事情を説明した。
「ああ、結構話題のゲームだよな。宣伝も多いし――有栖川って、ゲームやるんだ? 意外だな」
花の前に座った和景は、エコバックの中から買ってきたメロンパンを取り出して早速食べ始めた。
「いや、ゲームはそんなにしたことがなくて……好きなイラストレーターさんが作ったキャラだし、協力して大切な仲間が出来たらなって……」
最後の方は小さな声になりながらも、花は必死に説明をした。
「ふぅん――なら、俺が撮ってやるよ」
「本当に!?」
和景の言葉に、嬉しくて花は大きな声を上げてしまい、慌てて口を押えた。そんな花の様子を気にすることなく、和景はスマホを渡すように手を差し出している。メロンパンは、もう食べてしまったようだ。
正面、横顔、斜め上、斜め下。五角度からの花の顔の撮影を、和景はさっさと取り終えた。「可愛く撮れた?」とは、聞けるほど仲良くなっていないことが悲しい。
「ほら」
差し出されたスマホを受け取ろうとして、花の手は和景の手を思わず握ってしまった。
「わ、わわわ……! ごめんなさい!」
自分と違った、大きくて骨ばった精悍な手だった。思えば、異性の手を握ったのは何年ぶりだろう。赤くなりながら、花は和景の手を慌てて離した。
「気にするな、落としたら大変だからな」
和景は気にするでもない表情で、花のスマホをテーブルに置いた。
「キャラ作成に時間がかかるみたいだな――もしかして、撮影のためにコンタクトして来たのか?」
珈琲の容器にストローを刺しながら、和景は花に聞いた。花はまだ赤い顔のまま、小さく頷いた。ちらりと見たスマホの画面は、キャラ作成中の文字が出ていた。
「俺も、やってみようかな」
和景が、意外なことを口にした。花は、すぐにそれに反応した。
「本当に!? 嬉しい! 黒梅くんもやろうよ!」
もしかして、仲間になってくれるかもしれない。そう花は興奮したが、和景は珈琲を一口飲んで「内緒」と言った。
「バレたら、面白くないだろ? ゲームの中で、俺を探してみろよ」
少し楽しげな表情を、花は初めて見た。だから花は「うん」と、頷くしかなかった。
「多分、休憩内に出来そうにないぜ? 飯食っておけよ。残業しないで、ゲームするんだろ?」
「うん、そのつもり! ありがとうね、黒梅くん!」
今日二度も助けてくれた和景に、花は心から感謝していた。そして、持って来たおにぎりを食べ始めた。
そんな花を見てから、和景は自分のスマホを取り出してしばらくすると器用に自撮りを終えていた。




