ユグドラ公国②
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帝国宰相ジギタリス・イラ・サルマンの執務室には、早朝から落ち着かない空気が漂っていた。
原因はハイン──ではなく、“鳥”が訪れたからだ。
いわゆる伝書バトようなものだが、貴族が使う“鳥”は一言で言えば魔物である。
高度数千メトル、速さにして時速六百キロルで飛翔する鳥型の魔物を魔術師が調教したものだ。
十二公家の一家、エイヴィス公爵家が一括管理し、帝国の諸貴族へ供給している特殊な“翼ある使者”だった。
「カリステ公爵領からの書簡です」
文官がそっと封筒を差し出すと、ジギタリスは薄く目を細める。
白い封を開け、中の用紙を一読した。
「ふぅん……ユグドラ公国から相当数の難民が流れ込んでいる、か。しかも救援を要請してきたそうじゃない。それにしてもアンデッドの駆除ならむしろ専門の筈なのに──ああ、手が負えないほどの規模なのね。となると暫くだんまりだった不死王の残党かしら」
ざまぁ見ろといわんばかりの声色である。
侍官が、一歩進み出て報告を重ねた。
「ユグドラ公国からは公国軍では対処しきれぬ危険が発生している、との話が遠回しに届いております。そこでカリステ公爵は、周辺被害への懸念を踏まえて“帝国として助けるのか”を仰ぎたいようで……」
ジギタリスは机に軽く手を置いたまま、片手で髪をすくう。
「領地内の裁定は領主が行なうのが本来の帝国法ね。重要な案件は中央へ報告しなければならない。それはいいわ。ならば返事はひとつ。好きにすればいいけれど、深入りはしないこと──そう書いておきなさい。アンデッドが相手ならカリステ公爵が仕損じる事はないでしょうけど、カリステ公爵の仕事はアンデット退治ではないし、もちろん慈善事業でもない」
「かしこまりました。では、すぐに返信を整えて、“鳥”へ持たせます」
侍官が礼を取って退室するのを見送ると、ジギタリスはじっと机上の残された地図を見つめた。
ユグドラ公国ではアンデッドが蔓延しているという。
帝国へと波及する恐れがある以上、多少の力添えはしても良いとジギタリスは考えている。
◆
オルケンシュタイン山脈は、ガイネス帝国の西方に連なる険しい山々の総称である。
その一帯を領するのが、カリステ公爵家だった。
ここの山肌からは質のよい石材が豊富に採掘され、建材や工芸用として帝国内外に出荷されている。
切り出した石材はふもとの工房で加工され、そのまま帝国の首都へと運ばれる。
高度が高く気候も厳しい地域だが、その分カリステ公爵家は石材の専売利権という強力な資金源を得ているのだ。
カリステ公爵の館は山腹を切り開いた広い敷地に建っている。
外観は灰色の岩を組み合わせた外壁で、他の大貴族の華やかな邸よりも幾分地味だ。
しかし、内部には独特の趣向が凝らされている。
廊下を進み、奥まった部屋はカリステ公爵の執務室だ。
足を踏み入れると、そこには驚くほど多種多様な人形が飾り立てられている。
大きさはどれも人間と同程度か、少し小さい程度のものばかり。
少年をかたどった人形や、壮年の軍服姿の人形、妙齢の女性を象った人形、そして老女の人形や幼い少女の人形。
さらに小動物らしき姿のものや、踊り子めいた服装をしたものもちらほら並んでいる。
共通しているのは、その人形たちが不気味なほどによく作り込まれ、どこか生気さえ宿しているように感じられる点だった。
明るい窓辺から離れた部屋の中央あたりに、背の高い人形が立っている。
銀色の髪を思わせるウィッグをまとい、手足の関節には装飾めいた金の留め具が填められていた。
人形は微動だにしない。
だが数瞬ののち、その近くに並んだ少女の人形がふっと唇を開いたように見えた。
『……あの小娘は“好きにしろ”と言っている』
震えるような声が、まるで誰かが背後で喋っているかのように響く。
すると今度は少年の人形が続けて言葉を発した。
『偉そうに。好きにしろ、だなんて』
低い笑い声が、どこからともなくこぼれる。
次は老女の人形が首をかしげながら語りかけた。
『けれども……深入りは……するな、とのこと……』
続けて、軍服姿の壮年の人形が片手を振り上げる形をとりながら声を響かせる。
『干渉してみるのも手だろう。ユグドラ公国は混沌としている。アンデッドの波は、いずれこちらにまで及ぶかもしれぬぞ』
それに呼応するように、妙齢の女性を象った人形が鳴らすような甘い声を放った。
『ご近所の話ですものね。それにアンデッド! なんて素敵なの!」
人形たちはそれぞれ違う声色を持ちながら、いかにも人間のように言葉を交わす。
背の高い銀髪の人形がゆっくり腕を動かし、他の人形たちを見回すような仕草をする。
『不死王ファビアンが復活したとみてよろしいでしょうね』
軍服の人形がガキガキと関節を鳴らして返事を返す。
『ユグドラの大森林が腐海に沈む事があれば事だ! すぐに“軍団”を送り込むべきだ!』
老女の人形が乾いた笑いを漏らす。
『こちらまで攻め入ってくるようなことがあればそうしても良いのじゃがのう』
少女の人形がかわいらしい声で応じた。
『うん、わたしもそうおもうよ』
妙齢の女性人形が小さく笑った。
『かといって、いまはまだ機が熟していませんでしょう? じっくり見るのが吉ですわ。不死王は手ごわいのでしょうから。手札を見てからでないと、ね』
すると、少年の人形が鼻で笑うように首を振る。
『ふうん、それじゃあちょっと手を出すくらいにしておこっか』
銀髪の人形がまるで締めくくるように口を開いた。
『決まりですね。しばし静観し、必要なら隣人として手を貸す。その程度にしておきましょう』
人形たちはこの一言で合意に至ったかのように、口をつぐむ。
しかし部屋を包む空気は生温く、どこか湿り気を帯びていた。
何十体もの人形が、そろって深い沈黙に入る。
しんとした気配に覆われた部屋には、人の姿はない。
あるのはただ、整然と並ぶ人形たちの列のみであった。




