ダルクヘイムは終了しました②
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黒い竜が要塞の正面にある荒れ地へ降り立った。
竜──とはいっても、あくまで何となくそう見えるだけなのだが。
大量の黒い液体が竜の形を取っているだけで、本来あるべき竜種の力強さ、叡智、威風、そういったものは全くない。
ただひたすらおぞましさだけがそこにあった。
竜の背には少年──ハインが立っている。
背上から睥睨するように要塞守備兵たちを見回すと、かろやかに竜の背から飛び降りた。
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一際体格の良い男が前に出ると、他の兵たちを制すように片手を挙げた。
大鬼種の騎士で、側頭部から伸びる黒味を帯びた角が凶暴な風貌をより際立たせている。
男はハインの姿を見据え、「何者だ」と怒号混じりに問いかけるが返事はない。
見た目は人間にしか見えないがしかし、男は少年から得も知れぬ不気味な感を覚えた。
それは例えるならば "目" だ。
空高くから見下ろす大きな大きな目。
途方もない存在から見下ろされ、観察されている様に感じる。
「まさか、貴様……勇者か……?」
唸るように再度問いかける。
しかしそれでもハインは答えない。
大鬼の騎士を無視して僅かに顎を上げただけだった。
その仕草に苛立ちを覚えたのか、大鬼種の騎士が再度問いかけようとした瞬間、ハインが言葉を発する。
「頭が」
唐突な呟きと同時に手をふりあげる──そして。
「高い」と呟くと同時にその手が振り下ろされた。
同時に凄まじい衝撃が荒れ地に広がり、魔族の守備兵たちの多くが一瞬で地に叩きつけられる。
「ぐあああああッ……!」
数え切れないほどの断末魔が大気を震わせ、殺到していた兵の半数以上が血の染みに変わっていった。
骨の砕ける音と、潰された内臓が泥土と混ざり合う不快な音が響き渡る。
散り飛ぶ肉片がぬらぬらと地面にこびりつき、体液と血が蒸気を立てながら広がる。
大鬼の騎士は辛うじて膝を突くに留まり、呻くように息を詰まらせていた。
しかし重厚そうに見えた鎧は所々にヒビが入り、あろうことか種の誇りでもある角も一本へし折れてしまっていた。
顔色は蒼白を通り越して、まるで生気を失った死人のようだ。
脂汗が肌から噴き出し、鎧の下へ小川のように伝い落ちてゆく。
周囲には辛うじて“ぐちゃぐちゃ”にならずに済んだ兵士もわずかにいたが、誰もが体のどこかを酷く損傷していた。
呻き声はあちこちで上がっていたが、もはや立ち上がれる者は誰一人いない。
「ほう、無傷か」
ハインは大鬼の騎士を見下ろしながら、わずかに満足げに頷く。
「やるではないか」
その声を聞いても、騎士は呼吸を保つのが精一杯のようだ。
「視たところ、ガッデムの奴の膝くらいには及んでいそうだな──差は明らかだが。奴なら走る事は無理でも歩く事くらいは出来る」
ハインは一方的にそう評すると、地に手をつく騎士の凶悪な面構えを眺め、嗤うように続ける。
「見た目も凶悪そうに見える……よし、お前は合格」
そう言い放つと、ハインは自分が乗っていた黒い竜へと視線を向けた。
「オーマ!」
その名を呼ぶと、黒竜の全身がぐにゃぐにゃと揺らめき始める。
鱗の継ぎ目から液体のような闇があふれ出し、それが地面に滴るよりも早く、見る見るうちに人型へと形を変えていった。
漆黒の髪と、露出の多い黒い鎧に身を包んだ少女にも見えるその姿──この場の誰もが知っているその名前は。
「シャ……ル、キ、様……ッ!」
大鬼の騎士が、血を吐くように言葉を漏らす。
その声にハインが僅かに首をかしげ、「シャルキ? ああ、この皮の名前か」と呟く。
「ついこの間、帝都へ向かってきていたのを見つけてな」
ハインは、あくまで退屈しのぎだったとでも言うように肩をすくめる。
「まあオーマにくれてやったのだが、なんだ劣等……貴様の知り合いだったか?」
そう続けた直後、ハインはわずかに驚いた。
「おっ?」
大鬼の騎士の全身から赤黒いオーラが立ち上っている。
そして──怒りと悲しみの混じった咆哮。
「シャルキ様に……何をしたァッ!」
絶叫と共に騎士──アマデウスはハインから放たれる圧に懸命に抗いながら立ち上がろうとする。
アマデウスの胸の裡に秘められた師団長シャルキへの淡い想い──その想いが復讐の炎となって轟とうねり、彼の全身に力をみなぎらせているのだ。
ハインはアマデウスの必死の立ち上がりを見下ろしながら、「俺はよく知らんな」 などと答える。
淡々とした声だった。
「オーマ! 何をしたか教えてやれ。首は残せよ」
指示を受けたオーマは、肩口ほどの黒い髪を揺らし、地面に片膝をつくアマデウスの前へ歩み寄る。
荒れ地に落ちた死体や血溜まりを踏み越えながら、その唇に笑みを滲ませていた。
口元に浮かべる笑みはまるで娼婦のそれの様に妖しく、艶めかしい。
本来のシャルキならば決して浮かべた事のない卑しい笑みであった。
そしてオーマはアマデウスの胸元へとゆっくり手を伸ばし、あろうことか唇を重ねたではないか。
「ん……ぐ……」
逃げる暇すらないアマデウスは瞳を見開き、自身でも浅ましいとは思いながらも一瞬胸をときめかせてしまう。
が、それも本当に文字通りの一瞬の事だった。
オーマの口から溢れた黒い泥のような液体が、アマデウスの口内へどろどろと流れ込んでいく。
「う、あ……が……ッ」
呻き声もその液体に喉を塞がれて途切れがちになる。
黒い液体が全身を浸食するのを感じ、アマデウスは先ほどまで燃え盛っていた怒りの炎が急速に冷たい恐怖へマスキングされていくのを悟った。
筋肉の強張りも、心臓の高鳴りも、すべてが沼に沈むように冷たく冷たく冷え込んでいく。
──胸が、手が、足が……熱い、なんだ、どうなっている……熱いのに冷たい……寒い、お、俺は……俺は、シャル、キ……さ、ま……
◆◆◆
周囲の魔族の戦士たちは、その光景を見てがちがちと歯を鳴らす以外に何もできなかった。
それを横目で眺めながら、ハインは言葉を投げかける。
「そういえば、お前たちは俺を勇者かどうか尋ねていたな」
生き残りの魔族の一人が視線をハインへ向けた。
「この勇敢な戦士に免じて答えてやろう」
ハインは半ば嘲るように口端を吊り上げる。
「俺は勇者ではなく、ただの人間だ」
そして続ける。
「しかし、奇妙な話だ」
言いながら、戦士たちを一瞥する。
「なぜお前たちは俺をそんな目で見る? お前たち魔族は俺たち人間を食料か何かとしか思っていないのだろう?」
その問いに、誰も声を発さない。
「知っているぞ、お前達が人間をどのように扱ってきたか。文献によれば、例えば南方方面軍とやらは人間の死体を再利用して不死の軍団とやらを作り上げたそうじゃないか。根本的にお前達は人間を下に見ているのだ。だからそういう扱いを平気でする。終わったあとでも、性懲りなくちょっかいを出し続けてきたのは人間を舐め切っていたからだろう? 魔王が勇者に敗れたとはいえ、それは特殊な例だと現実を見ようとしなかった。それが今はどうだ、いざ自分たちが狩られるモノになったらそんなにも怯えて……少々情けないんじゃないか?」
勇壮で冷酷、そして強靭無比な魔族の戦士たちは何も答えられない。
ハインはつまらなそうに鼻を鳴らし、オーマの方を向く。
「なあ、勇敢な戦士よ。恐怖に呑まれず、俺を討とうとした勇士よ──お前はどう思う?」
ハインはそう言って、オーマが持つアマデウスの首に問いかけた。
生前の精悍さは見る影もない。
両目があった場所からはとめどなく黒い泥が涌き出で、口からもそれが垂れ流されている。
胴体は首から溶け千切れ、オーマの足元に広がる黒い沼のようなものに呑み込まれていた。
「誰も何も答えない。残念だ、人間の如き劣等生物とは交わす言葉もないか。……ならばよし、オーマ、速やかに掃除をしろ。この後は要塞の中を物色だ、もう一つ二つ、見どころのある首を見繕いたいからな。あと、椅子」
ハインがそういうと、オーマは自身の右腕を切り離して一脚の黒い椅子を創り、ハインの後ろにそれを設置する。
そうしてハインは脚を組み、オーマが掃除をするのを退屈そうに眺めていた。




