ダルクヘイムは終了しました①
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マリステラ大陸──荒涼とした風が吹き渡るこの大地にとって、空を覆う暗雲はもはや日常の景色でもあった。
しかしその日はやけに風が強く、雲が吹き散らされている。
ダルクヘイム要塞の守備兵たちは、普段なら「見張りがしやすくて良いが、どうせ誰も来やしない」などと軽口を叩くような、そんな調子はずれの快晴。
だが、ここ最近は恐ろしく張り詰めた空気が要塞内に充満しており、見張りの兵も厳しい表情で周囲の様子を窺っていた。
というのも先日、要塞が何者かによって襲撃されたからだ。
数多くの犠牲者が出て、あまつさえ師団長ファリスが重傷を負ってしまった。
とはいえファリスもさるもので、襲撃者に対してそれなりに手傷を負わせる事には成功した──が、魔族の面子が大いに傷つけられた事は否めない。
師団長イグドラは激昂するも、下手人を特定するには至っていなかった。
そんなツいていない旧魔王軍だが、今日はそんな彼らに更に悲劇が襲い掛かろうとしていた。
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ネザシア海の彼方──地平線のはるか向こうに何かが見えた。
「……あれはまさか」
誰かが呟いた。
歩哨が、震える指先で空の彼方を指し示す。
見ると、地平線近くの空に漆黒の影がゆらりと揺れていた。
輪郭は曖昧──竜の様に見えなくもないが それが竜ではないことを彼らは既に知っている。
「まさか、また?」
歩哨の一人がそう囁いた刹那、彼らはほぼ同時に厳戒態勢への移行を叫びはじめる。
「総員、戦闘準備ッ! 飛竜隊を呼べ!」
矢継ぎ早に怒号が響いた。
ダルクヘイム要塞は旧魔王軍の西方方面軍が拠点とする堅牢な城塞だ。
その周囲には外郭として幾重にも石壁と魔術障壁が張り巡らされており、空からの襲撃を想定した見張り塔もいくつもある。
前回はまんまと奇襲をされてしまったものの、しっかり警戒した上でなら事前の対応策はいくらでもある。
飛竜隊などはその筆頭だった。
◆◆◆
「隊長! 現れました、黒い竜です! 距離、およそ三千!」
「わかった」
迎撃部隊隊長アルドミラは低く舌打ちをすると、半円状に列を成す部下たちを一瞥した。
髪を短く刈り込み、鼻筋の通った精悍な顔立ちの浅黒い肌のダルフェン種の美女──師団長でこそないが、歴戦の猛者である。
魔族とは基本的に人間種に敵対的な者たちの総称であり、種族名ではない。
だから人間種でありながら魔族という者もいるし、エルフェン種、ダルフェン種といった人間種と交流がある種族も、個々人が人間種に敵対しているのならばそれは魔族と呼ばれる。
「……竜ではないわね」
アルドミラは飛竜の鞍に身を預けながら、彼方を睨みつける。
そこには確かに巨大なシルエットが浮かんでいる。
漆黒の躯体、翼を広げた姿は竜種そのものだが、どこか歪で、周囲の闇を引きずるようにして進んでいる。
あるいは "亡竜" かとの想いもある。
亡竜とは竜種の成れの果てだ──いわゆる不死種。
不死種は魔族の中でも忌み嫌われている種である。
「……まさか、南方方面軍の……」
アルドミラは一瞬、同胞の裏切りかとも思ったが。
──いや、違う。アレから感じる気配は、不死種などというモノより遙かに邪悪な──
そのとき、部下の一人が問いかけてきた。
「隊長、どうします? 確認のために接近斥候を──」
「いや、接近はしないほうがいい。まずはここから炎弾で牽制する。そのまま撃ち落とせればそれで良し。散開しなさい!」
鋭い命令とともに、アルドミラの飛竜が先陣を切るように旋回し始めた。
その動きを合図に、十数騎の飛竜たちが幾つかの斜め列を作って空中を分割した。
この飛竜たちはドラゴンと名乗るにはあまりにも力が弱い下位亜種である。
しかし人間の騎乗に適した身体構造と、そこそこのブレス能力を併せ持つため旧魔王軍では重宝されてきた。
いざ火力や機動力を求める際、最前線で活躍するのはいつだってこの飛竜騎士隊だ。
アルドミラは頬をわずかに引き締め、視線だけで部下に合図を送る。
「一度に撃つな。まずは私の号令に合わせて三騎前へ! ライアー、ウォルテガ、バニッシュ、行け!」
「了解!」
応じた三騎がグッと飛び出し、高度を合わせながら徐々に黒竜との距離を詰めた。
ライアー、ウォルテガ、バニッシュは大鬼種の三兄弟で、流れるような連携攻撃を得意とする精兵である。
「アルドミラ隊長、よろしいか!」
「構わない! 炎弾、放て!」
くぐもった音が広がり、飛竜たちの喉元から灼熱の炎球が吐き出された。
竜騎士たちは手綱を巧みに操作し、一瞬で高度を変えて弾道を調整する。
炎弾は空気を切り裂きながら、真っ黒な影へ一直線に迫っていった。
ごうっ、と勢いよく燃え盛るそれには特別な可燃性の粘体が含まれており、触れたものは骨まで焼かれ続ける代物だ。
破壊的エネルギーの奔流とも言うべき全竜種のブレスとは比べるべくもないが、それでも大抵の生物にとっては恐ろしい威力であることには変わりはない。
しかし──
「な……? 消えた……? どういうことだ」
アルドミラが信じられないという表情で、目を凝らす。
炎弾が着弾するはずの瞬間。
どうしたことか、勢いよく燃えていた火の玉が竜の体表に触れる前にすうっと小さくなり、やがて跡形もなく消えてしまったのだ。
「防御結界?」
いや、違うとアルドミラは本能的に断じた。
打ち消されただとか防御されただとか、そういう事ではなくもっと根源的な理由であるような気がする。
ただ、それを考察する時間はなかった。
「追加の炎弾を放て! 数で押し切るしかない! いけッ!」
再度、飛竜たちが幾つもの炎弾を吐き出す。
今度は三騎ではなく七騎が一斉に炎を集束させた。
重なる炎の塊はまるでひとつの巨大な火球となり、空を灼きながら黒い竜へ殺到する。
要塞の城壁から見守る兵たちも、あの黒い竜が火に包まれて砕け散る瞬間を待っていた。
ところが……
「う、嘘……」
烈火の塊は先ほどより少しだけ暗く光を失いながら、やはり消え失せてしまう。
何度撃ち込もうが同じ。
黒い竜はまるで夜の深淵そのものだった。
投じられる炎弾を悉く呑みこみ、そこにかすかな残渣さえ残さない。
「このままじゃ埒が明かない! ならば直接やるしかない!」
アルドミラは咄嗟に決断を下す。
戦は常に流動的だ。
遠距離攻撃が効かないのであれば、強行突撃で相手を叩くしかない。
「側面から二隊に分かれて包囲しろ! 一騎は斜め下から、もう一騎は上空を取れ!」
アルドミラの猛々しい声が飛竜騎士たちを奮い立たせ、複数の飛竜が隊列を組み直す。
「行くぞ!」
号令とともに飛竜たちが空に散るように広がり、黒い竜へと再接近する。
手には騎槍や魔法剣、各自が扱い慣れた武器を握りしめていた。
黒い竜は先ほどからほとんど動いていないように見える。
風を受け、自然体で要塞へと進路を取っている。
しかし、その余裕綽々の態度こそが不気味だった。
「なめられたものね」
アルドミラは歯噛みする。
「一気にやって、あの首を叩き落とす!」
飛竜騎士十数名が一斉に突撃をかける。
翼の風切り音がごうと渦を巻き、刃先と槍先が虚空を突き破ろうと前へ突き出された。
──その瞬間
「隊長……! 息が……」
斜め下にいたはずの仲間が悲鳴にも似た声を上げた。
続いてもう一人、上空で待機していた兵が「ぐっ……く……あ」と呻き声を絞り出す。
何が起こったのか分からない。
だが視界の端で、二頭の飛竜がそのまま失速していく光景が見えた。
まるで水中に呑まれたような動きで、ズルリと高度を失っていく。
アルドミラは急いで状況を把握しようとしたがまるでわからない。
「くそっ……まずい。全隊、いったん引け!」
すぐさま号令をかけるが、彼女自身も胸のあたりに不穏な圧迫感を覚えた。
肺がうまく膨らまない。
息を吸わずにはいられないが、肝心の空気が入ってこない。
自分の飛竜も苦しげに喉を鳴らしている。
「ここは一度距離を……」
そう思い立った矢先、視界がぐらりと傾く。
燃えるような痛みが身体中を走り、意識が遠のいていくのをアルドミラは感じた。
「や、やられるわけ……には……」
目の端にはネザシア海の暗い水面が広がっていた。
黒く淀んだ海原がぐんぐんと迫る。
高所から見下ろすネザシア海はいつも以上に不気味にうねり、ここで初めて彼女は死にたくないと願った。
戦で死ぬならばともかく、こんなわけのわからない死に方はしたくない──そんな想いがある。
だが想いがあろうがなかろうが、死ぬ時は死ぬのが戦だ。
落ちていく最中、アルドミラはちらりと闇に浮かぶ黒竜の姿を見た。
漆黒の翼──そして、そこに立つ人影。
──……あんな、子どもが……?
そう、黒竜の背にいたのは少年だった。
偉そうに仁王立ちし、腕を組み、竜の上からアルドミラたちを睥睨している。
距離が遠いので顔までははっきり見えないが、その瞳だけが異様に印象に残る。
まるで光も闇も両方飲み込んでしまうような、無限に広がる暗黒の虚空が広がっていた。
ゾクリとする。
息ができなくなり意識は薄れていく一方なのに、なぜかその瞳だけは鮮烈に焼きついた。
──嗚呼、我々は死ぬのではない。還るのだ、あの闇の中へ
そんなある種の安堵すら混じった思考を最後に、アルドミラはネザシア海の冷たい風を感じながら落下していった。
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昨日は茶会で外へと出る事ができなかった。
休みは今日までだ。
今日を逃すとまた次回という話になってしまう。
そうなるとその次回がやってきても、また次やればいいやという怠惰な考えが湧いてくる。
『明日やろうは馬鹿野郎』という名言があるが、まさにその通りだ。
ちなみにこれはグラマンが言っていた。
だからさっさと終わらせなければ──
それにしても劣等は大変だな、呼吸ができないと死ぬのか?
あの黒い肌のメスの首を持ち帰るか一瞬悩んだが、こんな児戯でくたばるようでは帝都の女狐も納得するまい。
もう少しシャンとした奴が良い。
でかい竜か何かはいないのか?
劣等は竜をやけにありがたがるからな。
もしいなければ、オーマの首でも良いかもしれない──なんだか邪悪そうだし、迫力もあるだろう。
と、俺がそんな事を考えていると──
「いや、冗談だ」
オーマが震えて抗議をしてきた。
俺の心を読んだか。
アステール公爵家に於けるオーマという使用人の立ち位置はペットである。
庭の手入れもしてくれて、乗り物にもなってくれる便利なペット。
しかも害虫駆除や、あとは "廃品" の再利用といった雑務もしてくれる。
となれば流石に俺の適当な案で首を落とさせるわけにもいかない。
精々死ぬまでアステール公爵家の為に働いてほしい。




