希望の星
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ハイン・セラ・アステールが剣術大会の最中、胸を裂かれながらも悠然と勝利を収めてからまだそう日が経っていない。
まあ大会自体はアゼルが優勝し、それはそれで話題にはなっているのだが、十二公家の嫡子同士の試合であること……そして、互いに互いを剣で貫き合ったという事実はそれはそれはセンセーショナルなものだった。
剣術大会は言われるまでもなく真剣勝負ではあるが、別に殺し合わなくてはならないわけではない。
魔力を用いた業には魔術と天術があるが、剣術大会はこの天術の研鑽を見せる大会だ。
そして人には適性というものがある。
アステール公爵家やサリオン公爵家は魔術大家であるため、力を入れるとすれば魔術競典(『神聖大アステール帝国の萌芽』参照)の方で、そちらで結果を示す事が求められている。
ゆえに、剣術大会でははっきりいって一回戦負けでも誰も何も文句を言ったりはしないのだ。
だのに、ハインはあろうことかエスメラルダの腹をぶち抜き、エスメラルダもまたハインの胸を貫いた。
だからこれを見た者たちは、両家の関係が不穏なものにあると危惧した者も少なくはなかった。
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傷癒えてからの初登校。
ハインが扉を開けると、今しがたまで談笑していた生徒たちが一斉に口を閉ざして息を呑んだ。
視線をあちらこちらに散らして落ち着かない。
ハインはいつも通りの無表情を保ち、何事もなかったかのように自分の席へと向かう。
教室の全員が、謹厳実直な騎士か軍人のように背筋を伸ばしてハインの様子を窺っている。
その様はさながら、人食いの猛虎の前に小動物たちが固唾をのんでいるかのごときザマだ。
「……」
ハイン自身はそんな周囲の反応を、わずらわしいとも面白いとも思わない。
興味を持つ理由がないのだ。
天空を往く竜種が、地上のそこらへんに生えている雑草の陰を這いつくばっている虫けらに興味を抱くだろうか?
ハインという人間は自分以外の者をとことん見下している──極一部の身内は除くが。
そんな傲慢不遜極まるハインだが、案外にも学園生活は優等生そのもので通していた。
学業には非常にまじめに取り組み、問題行動は起こさない。
まあ講義中の私語が一定のラインを越えればやや過激に一喝する事もあるが、これは教師陣からしたら大いに助かっている。
講義を受ける貴族子弟、子女たちが貴族だからだ。
教師たちもまた貴族ではあるが、同じ貴族である以上やはり力関係というものが発生してしまう。
学園では学園内で身分差を利用して云々というのは禁じられてはいるが、そんなものは所詮建前に過ぎない。
高位貴族の子弟や子女に対しては、教師たちと言えども注意しづらい部分もある。
そこをハインがガツンと言ってくれる上に、ハイン自身が優等生というのは教師たちからしては非常にありがたい話なのだ。
ハインは机に腰を落ち着けると手元の教本をぱらりと開き、そのまま固まったように微動だにしなくなる。
これは毎朝の事だ。
ハインはこうしてホームルームまでずっと教本を読んでいる。
背筋をぴんと伸ばし、やたらと姿勢よく読書する様はハインの見目も相まって多くの貴族子女の熱い視線を集めている。
もっとも今のハインの頭の中を占めているのはそんな "劣等メス" の事ではなく、母ヘルガの様子や、帝都に渦巻きはじめた不穏な政治の動き、そして次の休みのカチ込む予定であるマリステラ大陸はダルクヘイム要塞の事なのだが。
マリステラ大陸を余す事なく破壊しつくすか、それともダルクヘイム要塞のみを対象とするか。
どちらが派手か。どちらがその功績を大なるものと出来るか。
だが、それを表に出すつもりはない。
同じクラスの者たちに警戒されようが畏れられようが、ハインにとってはどうでもいいことである。
◆
そんな張り詰めた空気を、ほんの少しだけ揺るがしたのは、アゼル・セラ・アルファイドの声だった。
「ようハイン! おはよう!」
軽い足取りでハインの机へ近づくアゼルは白い歯をこれでもかと見せつけるような、輝かしい笑みを浮かべている。
彼の背後にはセレナの姿もあり、二人とも周囲から浮いて見えた。
なにしろクラスメイトの多くはハインに近づくどころか、言葉を交わすことさえ躊躇しているのだ。
アゼルはそんな気配を意に介さない。
そのままハインの斜め前の席に腰掛けると、口を開いた。
「ハイン、胸の傷は大丈夫か?」
「大丈夫だ。問題ない」
ハインはちらりともアゼルを見ずに、教本の行間を注視したまま答える。
アゼルはハインの横顔を見つめながら「そっか……」と呟き、どことなく安堵の息を吐いた。
「それにしてもエミー……エスメラルダに何か恨みでもあったのか? 刺し方を見れば考えすぎだとは思うんだけどさ」
アゼルはかつて剣聖からその業の全てを授かっている。
刺し方一つでその下手人の考えがわかるのだ。
「恨みはない。すぐに治るだろう。そう言う風に刺したのだから」
ハインはぶっきらぼうに言ったが、その声音に苛立ちはなく、むしろ淡々とした響きがある。
セレナがハインのそばへ小走りに近づくと、つとめて明るい声を出した。
「ええと……よかったです。エスメラルダ様も、すぐに登校出来る様になるみたいですし……。それにしてもハイン様も元気になって良かったです!」
そんな事を言うセレナを、ハインは奇妙な虫を見るような目で見た。
──誰だこいつは。ああファフニルメスか
アゼルやエスメラルダはハインから人間として認識されてはいるが、セレナ・イラ・ファフニルはいまだファフニルメスでしかない。
「あ、あのハイン様? 誰だこいつはみたいな目で見ないで欲しいんですが……」
「…………」
ハインは答えない。
自身を母親似の非常に寛容な人間だと思ってはいるハインだが、地を這う芋虫とにこやかに会話する趣味はないのだ。
アゼルはそのやりとりを見ながら、ふと周囲の静寂に気づいた。
ハインを恐れて口を閉じたままのクラスメイトたち──
アゼルはハインのほうへ向き直って尋ねた。
「なあハイン、皆に何か言ったのか? たとえば……『お喋りするな』とか」
「言っていない」
ハインが教本から視線を外さずに答えると、アゼルはむむっと腕を組んだ。
「皆、なんかビビってるんだけど」
「知らん」
ハインは小さく溜息をついて、本の端を指で示す。
「今は講義が始まっていない。話したければ好きに話せばいいだろう。そういう校則のはずだ」
セレナがその言葉に「そ、そうですよね」とすぐに追従する。
だが、その声を聞きつけたらしい数名の生徒が目を丸くし、顔を寄せ合ってひそひそ声を交わしはじめた。
アゼルは苦笑いを浮かべながら「じゃあ、今は普通に喋っていいんだな?」と念を押す。
ハインは教本を閉じることなく、小さく肩をすくめたように見えた。
「勝手にしろ。話はそれで終わりか? ならば俺の前から去れ。俺は忙しい」
アゼルは「おいおい、それはねーだろ……」と呟いたものの、ハインの苛立ちを感じ取ったのか、それ以上は何も言えずセレナと共に離れていく。
二人が他の席へ戻ろうとした矢先、一人の女生徒が勢い余って立ち上がった。
「……あの、ハイン様……っ」
教室内に緊張が走る。
意を決したようにハインの近くへ寄ったその女生徒は、色白でほっそりとした面立ちをしていた。
一見すれば貴族階級の娘によくいる控えめな少女だが、どこか薄幸めいた雰囲気がある。
それは、その尖り気味の耳と目許の青白さが強く印象づけているのかもしれない。
が、ハインは答えない。
虫と会話する趣味はないからである。
しかし──
「ハ……ハイン様……わ、わたくし、カエラ・イラ・ファルブルームと申します」
まるで自分の名を名乗るだけで精一杯だというように、カエラは両手をぎゅっと握りしめて震えている。
その姿を見てアゼルが思わず声をかけようとしたが、それより先にハインがつっけんどんに「言え」とだけ呟いた。
カエラはびくりと肩を震わせ、弱々しくうつむく。
アゼルが「おい、もう少し優しく……」と口を開きかけた時、カエラはほんの少し勇気を振り絞るかのように顔を上げた。
「え、えっと……ハイン様のお母様の、ヘルガ様の生家……エ、エルデンブルーム伯爵家のことで、あの、帝国法の改定に際して……大丈夫なのかな、と……」
視線が定まらず、声は上ずり、今にも倒れ込んでしまいそうなほど緊張しているのが分かる。
教室の空気はますます張り詰めた。
ハインは教本から視線を外さず、「それがどうした」とでも言いたげに短く促した。
「大丈夫なの、かな……というのは、私の家……ファルブルーム子爵家も少しエルフェンの血を引いていて……それで……その……もしアステール公爵家が何か困っていることがあれば、いつでも助力を致します、と……」
ごくり、と唾を飲み下すような音が聞こえた。
ハインの沈黙が続いたことで、教室の生徒たちは皆、まるで死刑宣告を待つ罪人のように呼吸を止めている。
数秒後、ハインはようやくカエラのほうへ目をやり、低く言った。
「……帝国法の改定──いわゆる、人種序列法のことだな。俺も憂慮している。母上の生家であるエルデンブルーム伯爵家も既に被害を受けている」
ハインの言葉に、カエラをはじめ数名の生徒が息を呑む。
教室の一角では、同じく亜人種の血を引く子弟や子女が期待にどこか満ちた目をハインへ注いでいた。
「いずれ、アステール公爵家からも公式の声明を出すだろう。とはいえ、連中──亜人種排斥を叫ぶ宰相派閥がどこまで強行するかは読み切れんが……」
そこまで言うと、ハインは僅かに息をつく。
カエラはまだ怯えた表情を浮かべており、周囲の生徒たちも一言一句を逃すまいと集中しているようだった。
「ともかく、お前たちが抱える不安は分かった。ファルブルーム子爵家の意向についても承知した。近いうちに母上にも伝えておく」
「そ、そうですか……ありがとうございます……」
カエラは胸に手をあて、安堵なのか緊張なのか分からない呼吸を吐きながら深々と頭を下げた。
「では……これで失礼します」
「よし、去れ」
ハインがそう言うと、カエラはもう一度ぺこりとお辞儀をしてから、自分の席へ逃げるように戻っていった。
◆◆◆
アステール公爵家は、十二公家の中でも特に古い血筋を持つ名門だ。
だが、現在の当主代理であるヘルガには少なからず亜人の血が流れている──これは周知の事実である。
さらにアステール家は、積極的に亜人を家中に迎え入れている。
それだけでも旧弊貴族たちからは煙たがられる──特に、帝国宰相ジギタリスのようなラディカルな思想を持つ者などから。
現在帝国で最も権力を持つ宰相といえども、十二公家筆頭ともいえるアステール公爵家を軽々に潰す事まではできない。
そういう意味で、現在アステール公爵家は亜人系貴族家の希望の星のような存在となっていた。
まあそんな事はハインにとってはどうでもいいことなのだが。




