知将ハイン様
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胸の傷は完治した。
母上などは大騒ぎをしていたが、外面を浅く裂いただけなので実際問題はなく、表面的にも完治した。
まあ母上から心配されるのは嬉しかったが──流石にずっと寝っぱなしというのも退屈だった。
癒術師からは「治療はもう必要ありません」と告げられ、俺はようやく窮屈な寝台から解放された。
まあそんな事はどうでもいいのだ。
母上の様子が、ここ数日ずっとどこか沈んでいる。
普段なら俺の怪我が治った事をもっと素直に喜んでくれるはずなのに、浮かない顔で手紙を眺めてばかりだ。
別にもっと喜んで欲しいとかそういう子供っぽい考えは少ししかない。
俺はそれが気になって気になって仕方がない。
で、結局声をかけてしまった。
「母上、どうかなさいましたか? ここ最近、なにやら思い悩んでいるご様子ですが」
すると母上は、俺の方に向き直る前にわずかに顔を伏せた。
その仕草だけで、言いづらい何かがあるのだと分かってしまう。
「何でもないわ。……ハイン、あなたの方は胸の傷は本当にもう痛くないの?」
「ええ、まったく問題ありません。明日から学園に登校しようとおもいます……それより、母上こそ何かご心配事があるなら仰ってください」
俺がそう言うと、母上は困ったように微笑した。
けれど、その笑みはどこかぎこちなく見える。
「……ほんの些細なことよ。あなたには関係のないことだわ」
「母上が困っているのに、関係がないはずありません。……親子ではありませんか」
少し狡い言い方だろうか?
けれど俺としては、本気でそう思っているのだ。
すると母上は首を振って、一通の書簡を取り出す。
「ほら……エルデンブルーム伯爵家からの手紙がね。最近の亜人種に対する帝国の政策がどうにもきな臭いらしくて、中央の様子を窺う内容なの。……それだけよ」
人種序列法か。
エルデンブルーム伯爵家は、母上の生家でもある。
エルフェンの血を色濃く受け継ぐ名門で、帝国でもその教養と魔術研鑽によって長らく名声を保ってきた一族だ。
だが、もし人種序列法の改定が行われ、亜人排斥の方向へ進むのなら……。
それこそ伯爵家は肩身が狭くなるどころか、下手をすれば存亡の危機に立たされる可能性だってある。
しかし。
「しかし人種序列法はそもそも貴族家には適用されないのではありませんか?」
だから俺もどうでもいいと思っていた。
俺がそう言うと、母上はまた少し目を伏せた。
「法改正の動きがあるのです……いえ、少し話し過ぎたわね、ごめんなさい。ハイン、大丈夫よ。確かに私はエルデンブルーム伯爵家の出ですが、公爵家の名に瑕をつける事はしないと──」
「何を仰いますか!」
母上は俺を心配させまいとしているのだろう。
けれど俺としては、そう言われるとますます黙っていられなくなる。
「なるほど、話はわかりました。帝国宰相ジギタリスについては聞き及んでおります。ド〇能の皇帝になりかわって、ガイネス帝国から亜人を排斥してしまおうという肚ですね」
なぜ宰相が亜人を嫌うかは諸説あるが、ともかくジギタリスが亜人全般を嫌っているというのは有名な話だ。
個人を種族で差別するなどあってはならない話だと俺は思う。
差別などという前時代的な感性を持つ者が帝国の舵取りなど、おこがましいにも程がある。
やはり劣等の屑のド〇能さときたら、毎回毎回俺の想像をこえてくるな。
よし、母上が帝国を掌握したら劣等牧場をつくって、帝国中の劣等をそこに押し込め、これ以上人類種の劣等度が高まらないのように管理しなければ。
「ハイン?」
まあ他の亜人系貴族などはどうでもいいが、母上の生家がこうも舐められるとは。
これは俺の責任もあるだろう。
これまでの帝都に対する襲撃などは、基本的にサリオン公爵家に任せてきた。
まあ一部例外はあるが、アステール公爵家として堂々と派手に動いた事はなかった。
劣等から賛美されても不快なだけだし、一々母上におべんちゃらをぬかしてくる劣等下級貴族を見るとぶち殺してしまいたくなるからだ。
ダミアンが死んだ時、母上ではアステール公爵家の舵取りなどできないとほざいてきた周囲の劣等貴族──俺は連中の名前を全て覚えているぞ。
「ハイン、聞いているかしら?」
なるほど、かくなるうえは帝国の上層部でも手だしできないような功績を立てれば良いということだな。
帝国のために "仕事" してやるわけではない。
いまは母上がこの国を、ひいては世界を牛耳り、恒久的な平和を齎すための土台作りの時期なのだ。
それを邪魔されたくないからやるだけだ。
そうして俺は周辺諸国で、反帝国的な国々を思い浮かべた。
それらの国のどれでもいいから叩き潰してやって、帝国に隷属させてやればいい。
ジギタリスの如き劣等女狐も国一つを土産に渡せば黙るだろう──うっ!?
「こら、ハイン!」
両の頬にやや冷たい掌の感触。
母上が俺の頬に手を当てて、ぐりぐりと揉みしだいている。
「は、母上、おやめくだひゃい……」
「いいえ、やめません。物騒な顔をして。変な事を考えていたわね? 私の為になにか大変な事をしようとしている顔だわ」
「そ、そんな事は……」
「私はあなたの母です。あなたの事なら分かるのです」
「大変な事などと……ええと、まあ確かに大変な事を考えていたかもしれないですが、あー……そう、良いことなのです、何と言いますか……対策? ……対策ですね……」
良い対策ってなんだ?
何に対する対策なんだ?
自分で言っておいてなんだが、全く分からない。
「対策? ……対策ですか……良い対策? ……旧魔王軍の襲撃に対しての、とかかしら……」
流石母上だ。
まさにその通り!
「そうです! 昨今、旧魔王軍陣営で魔王復活の兆しが見られます……確か……グラマンがそう言っていました」
「まあ、グラマンが……」
グラマンは母上からやたらと信用されている。
劣等ジジイ……じゃないな、クソ……。
奴はジジイだが、劣等ではないので信頼されているのだ。
まあグラマンはそんな事は全く言っていないのだが、言っている事にする。
「魔王復活の兆しがあるにもかかわらず、まだ今代の勇者の選定がされておりません。 "帝国の槍" 、アステール公爵家の時期当主としてのんべんだらりと構えているわけにはいかないのです。だから、ええと、策を……」
「確かにそうね……本来なら私が考えるべきことなのに……あなたに負担をかけてしまっているわね……」
母上の元気がなくなりかけているので、俺は必死で取りなしてなんとかその場をしのいだ。
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その日の夜。
「お呼びでしょうか、坊ちゃま」
「グラマン、怪我はどうだ」
「は、頂いた霊薬のおかげか、もうすっかりと……」
そうか、と俺は頷き、グラマンに地図を見せる。
「これは……?」
「グラマン、この前お前が落とし前をつけにいったというのは、このマリステル大陸の旧魔王軍の陣営の一つだな?」
「は、仰る通りです。竜種を中心に構成された魔軍──悪名名高い旧魔王軍西方方面軍の本陣に間違いありません」
「よし、ではお前が見た限りの陣容、注意すべき敵手などがいればそれを全て話せ。理由は聞くなよ」
母上との会話の流れで何となく思いついたのだが、魔族ならOKなのでは?
母上はお優しい方なので、いくら反帝国主義を掲げているとはいえ、人間種の虐殺に関してはもしかしたらよい顔をしないかもしれない。
だが、人間種の敵である魔族なら別にいくらぶち殺した所で問題はないのでは?
とはいえ、万が一にも不覚を取る事に内容に事前の情報はなるべく集めておく。
情報を整理したら、俺が自らマリステル大陸にカチ込みにいってやる。
そして魔族の将なりの首を帝城に届けてやるのだ。
その功を以て、最低でもエルデンブルーム伯爵家に対しては格別の配慮を、という条件を引き出す。
条件が呑めなければ "ならば次は貴様らがこうなるのだ" と魔族の首だかなんだかを放り投げてやればいい。
我ながら空恐ろしくなるほどの智謀だ──完璧な策といわざるを得ないだろう。




