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第七話・妖犬と隊長の思惑

 一瞬、カーシーが消えたように見えた。魔剣で増強された感覚が上に飛んだと警告しているが、アントンは動けないでいた。自分目がけて落ちてくる火山弾を見るモノのような気分で、ボウっとした。



(シシシッ! 左に飛べ!)



 感覚より早く伝わった言葉に咄嗟に従えたのは上出来だろう。カーシーの右腕が振るわれたタイミングで、それをくぐり抜けるようにして回避していた。地面に転ぶような不格好さだが、土だらけになりながら生き残った。



「燃えろ!」

「切り裂いて!」



 着地した態勢を狙ってロベルトの大剣が火を纏い、後ろから尻を突き刺した。肉が焼ける臭いと不快な煙が舞う前に、ミレイアの剣から起こった風がカーシーの頭部に裂傷を与えた。

 苦悶の咆哮をあげるカーシー。恐るべき怪物だが、ロベルトとミレイアがいれば勝てると確信したアントンに再び届く声。



(次は前に転がれ!)



 前? 前にはカーシーの巨体がある。そんなところ、絶対に行きたくない――そう思ったアントンだったが、戦場経験の無さから体はとりあえず指示通りに動いていた。

 尻尾の下を慌ててくぐり抜け、後ろをチラッと見やれば先程までいた場所はカーシーの爪で地面がえぐられていた。


 とりあえず魔剣の指示には絶対に従ったほうが良いと、アントンは悟ったが……切実な疑問がある。攻撃を加えているのはロベルトとミレイアなのだが、カーシーは常にアントンの方を向いていた。



「なんか、この化け物って俺だけ狙ってないですか!?」

(あいつの視点で見れば、俺達が一番の獲物なんだ。気配としても、本来は戦力としても、な。シシッ! 要は好かれているってことだ。お前の魂の容量は魅力的だ)



 魂の容量? なんのことだ、と疑問を持ち続ける暇さえありはしない。次は左に、次は後ろに、アントンは魔剣の指示でひたすら転がっていた。

 猫がじゃれつく糸玉のように、ひたすら転がり続ける。反撃など考えもしなかった。


 しかし、それが功を奏してロベルトとミレイアの魔剣でカーシーは追い詰められつつあった。どうも、この獣は賢くないようだ、いや獣にさえある理性や野生の本能といった何かが欠けていた。

 とうとうカーシーの動きが鈍くなった。そして響く声。



「よし。落ちろ雷」



 使い続けた超感覚が追いつかないほどの勢いで、カーシーもろとも光る何かが打ち付けた。体全体が熱くなり、痺れるような感覚とともにアントンは意識を失った。


 不思議な感覚だった。アントンという意識は失われたようにさえ感じられた。周りを見渡せば夜空のように瞬く紐のようなものに囲まれていた。それを押したり引いてみたりすれば、光は瞬いて気分が良くなっていった。

 そこの中心には黒い玉のようなものが浮かんでいた。玉といっても薄いベールを丸くしたようなもので、中が透けて見えていた。そこに悪童のような笑みを見た途端に、アントンの周囲にはなにもなくなっていた。


 次に目覚めた時、アントンは粗雑な外套と、それを丸めて作った枕の上に寝転んでいた。肉を焼いた後のような臭いだが、未だ農場跡だった。



「気がついたか、アレで生きているとはお前……いや、今はよそう。動けるようになりそうか?」

「問題ないよ、ロベルトの旦那。多分、魔剣の活力なんじゃないかな」



 短期間しか一緒に過ごしていないが、神経質なロベルトがこれほど気遣わしげな労りを見せるのは初めてのように思う。



「すまんが、少し揉めていてな。動けそうなら連れて行かせてもらう」

「大丈夫だよ。鼻はバカになりそうだけど」



 驚いたことにロベルトはアントンに肩まで貸してくれた。調子がわずかに戻ってくると、聞き覚えのある高い声が聞こえた。



「ミレイアさんも生きていたのか、良かった。カーシーは誰が倒したんだい?」

「問題はそのことだ。行くぞ」



 半ば引きずられるように進むと、ミレイアの声は誰かを罵っているように聞こえた。そのまま近くまで来ると、ホアキンと言い合っていることが分かった。

 さらに近づくとミレイアは慌ててアントンへと駆け寄ってきた。



「アントン君! 大丈夫なの!? 良かった~あのまま死んでたら目覚めが悪すぎるよ!」

「あはは……心配してくれてありがとう」



 アントンは心配されると、微妙に落ち着かない気分になるところがあった。自分が他者の心配をすることが多い上に、自ら泥を被るところがあるのだ。こうして心配をあからさまにするのは幼なじみのタニヤぐらいのものだった。



「そら、先の質問の答え。カーシーを倒した人物だ」

「ホアキン隊長?」

「彼が持っているのは雷の魔剣だった。それを使って、消耗したカーシーを一気に倒したのだ」

「アントン君ごとね」



 それでようやく事態が飲み込めたアントンは、ロベルトとミレイアが怒っているのがよく分かった。行動自体が卑劣である上、自分達も同じ状況なら殺されかねないのだから。



「ホアキン隊長、あなたは……」

「いやいや。今レディ・ミレイアにも説明していたことだが、不慮の事故というやつさ。私とて、そう不人情ではない。あるはずがないだろう? しかし、起こってしまったことは事実だ。正式に謝罪し、今回の任務の勲功第一は君であると上に報告しておこう」



 温厚なアントンも流石に怒りと困惑を覚えたが、ホアキンの舌が回転する速度にむしろ呆れてしまった。だが、同時にこうも思う。ホアキンは見かけや言動より遥かに恐ろしい人物で、女好きの明るい姿など擬態に過ぎないのではないか。



「ええ、恩賞は期待しています」

「アントン君!?」

「もちろんだとも。我々は結局良い部隊になれそうじゃないか」



 それだけ言うとホアキンは踵を返して、帰る意思を示した。その顔から快か不快かを読み取ることはできなかった。不満たらたらなミレイアがぶつぶつと愚痴っているが、アントンとて気持ちは同じだ。しかし、食って掛かっても意味は無いだろう。最悪、本気で処分される恐れさえあった。



「意外と賢明だな。今、ホアキンに食って掛かっても何にもならん」

「貰えるものは貰っておきます。それに道理が通じる相手か分かりませんから」



 十分距離を取ってアントンとロベルトは話し合った。この一戦で随分と壁が取れたように思う。案外に温和な性質なのかもしれない。ホアキンといい、見えるものと中身は違うようだった。

 その調子で何とかテントまで戻り、アントンは横になり、ミレイアやロベルトと話し合った。



「この待遇は隔離と同時に逃げ出さないようにという配置だったのですね」

「最終的には他の兵舎に囲まれるのかもしれん」

「それよりホアキンだよ! どーして斬らなかったのアントン君!」

「それですが、ロベルトの旦那はホアキンがただの騎士ではなく、爵位持ちでもあるのではないかと予想しています。お貴族様を斬ったら我々全員が危ない」

「それに、やつの魔剣を見ただろう。天候操作に類する魔剣だ。斬りかかったところで勝てたかも怪しい」



 ロベルトは学者のような語り口で懸念を明らかにしていく。曰く、自分達が使うような魔剣は古代から残った物だが、ロベルトやミレイアのものは量産品で、ホアキンが持っているのは一級品ということだった。



「そうなると……俺のカリディスはどういった代物なんでしょうね」

「分からん。お前が言うとおりならインテリジェンスソードだが、更に肉体の強化。そして、カーシーが集中的にアントンを狙っていたあたりまだ何かありそうだな」

「カリディスによると、それは俺のせいだとか言ってましたね。魂の容量が大きいとか、意味は分かりませんが……」

「魔剣を使うのに向いているとか、魔法使いの才とかいう意味だろうか? まぁ一旦置いておこう。問題は任務の難易度とホアキンの件だな」



 今回のカーシーのような存在がまだまだいれば、いずれ死人が3人から出るだろう。それに加えて背後からの攻撃も気にしなければならないのは危険どころではない。



「カーシーみたいな巨大生物はもう勘弁願いたいけど……」

「我々の扱いからしてああいったものを相手にさせるためだろう。さりとて逃げれば脱走兵だ。キスゴルに亡命でもしたくなるな……」

「仁義的にそれは無しでしょ。だからホアキンがムカつくんだけどさ」



 魔剣第一小隊というからにはもっと人数も欲しいところだ。しかし、増員されるかは運次第。現在やれることをやるしかない。

 アントンは腹をくくった。



「とりあえず、戦闘で化け物相手なら俺が囮になるよ。カリディスの言う通りなら優先的に狙われるし、身体能力が強化されてるから逃げるだけならなんとかなる。二人には攻撃を任したい」

「奇特なやつだな。死ぬ確率は考えないのか」

「どうせ新米だ。二人に倒せないと、俺も死ぬ。それはそれとして、いずれは大丈夫になるためしばらく鍛錬させてもらいたいんだ。日頃は訓練に出ることにするよ。ロベルトの旦那は……」

「分かっている。ホアキンのことについてはできる限り調べておく。そういった伝手は持ってるからな」

「なら私はうわさ話を集めるよ。怪物の話も当たりだったし、事前に分かれば覚悟も決まるしね」



 戦い方は決まった。ここに至って初めて魔剣第一小隊は仲間になった。見えぬ敵に備えて牙を研ぐのだった。

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