第六話・隊長と異形
その獣は人を食らっていた。獣である以上、人も食らうのは当然だが、鎧兜の男達を食っている。金属などその獣には何とも無いというように。
獣を取り囲む男達が恐怖に顔を引きつらせながら槍を突き出すが、黒い毛皮に阻まれて意味を成さない。槍を突き出した男が次の餌となった。獣はこの状況を明らかに楽しんでいた。
その身は熊より大きく、コウモリよりも漆黒をまとう狼だった。どこからか笛の音が聞こえると、獣は苛立たしげに吠え返した。その場にいた男達全てを蹂躙すると、食らうこともせずに消えた。
「クーシー? おとぎ話の犬ですか?」
「そうそう! 死ぬ人の前に現れる黒犬! なんか戦場に出るって噂になってたよ!」
「どうせ熊か何かを見間違えたのだろう。下らん」
アントン達はテントに机と椅子を持ち込んで、朝食を楽しんでいるところだった。豆のスープと堅焼きのパン。チーズが付いているのが嬉しい。
「穏やかじゃないですけど、うわさ話じゃないですか? 兵士とかそういうの気になるんでしょう?」
アントンが短い期間に学んだことの中に、傭兵は意外と繊細で迷信深いということがある。男ぶりを示し、武勇伝に花を咲かせる傭兵だが、命がけだからこそ少しでも幸運を持ち込もうとする。それはアントンにとって、少しでも親しみを覚える考え方だった。死や怪我は誰でも怖いのだ。
「と言ってもさぁ、ここに魔剣使いが3人もいるんだよ? 怪物ぐらいいてもおかしくないじゃない」
「そう言えば、俺の剣は魔獣とか実在するって言ってましたね。少なくてまず会わないようですが」
「ほら! 魔剣のお墨付き!」
「そいつの剣が喋るというのは、自分の頭の中から出てるだけじゃないのか? 聞けない以上は信じられんね」
信じているのはミレイアだけで、男二人は懐疑的だった。そんな存在が実際に戦場に現れたら、もっと噂になったりするものだろう。
「ん~でもさ、実際に斥候隊が帰ってこないことが続いてるんだってさ。最近は小競り合いばっかりで、本格的な戦いになっていないのに」
「物騒な話ですね。俺がいないところに行ってもらいたいです」
現在の小康状態を揺るがしかねない事態だ。アントンにとって、飯が食えて訓練に参加できる今こそが至福の状態だった。実際に戦場に出るのは御免被るというのが正直なところである。
「アントン君は良く兵士の訓練なんかに参加するよね~私とか常に事態に備えて体力温存しておきたいタイプ」
「新人ですからね……それに、魔剣のおかげで体力はちょっとどうかと思うぐらい上がってるので、剣技を学ぶには丁度いいです」
「まぁ精々頑張ることだ。足を引っ張られてはかなわん」
「旦那……俺のことをそんなに心配して……」
「なぜそうなる。それに旦那はやめろ。ロベルトだ」
「まぁ私とロベルト君はそもそも剣の形が違うからね。訓練に参加したって得るもの無いし」
確かにその通りだった。ミレイアは細剣で風を起こすという。普通の訓練では細剣の練習などやらない。ロベルトの魔剣の効果は知らないが、大剣を振るっている兵士というのもいない。
一方でアントンの魔剣カリディスはブロードソードで、多少形が違うだけだ。空いた時間に頼み込んで訓練に参加する意義はあった。
そんな日々を何日か過ごした後、ようやく魔剣第一小隊の隊長が派遣されてきた。アントンとミレイアは気楽な日々もこれで終わったと思って残念がった。
テントの中に入ってきた騎士ははちみつ色のふんわりとした髪をして、子供のような目をしていた。どこか育ちの良いお坊ちゃんといった印象だ。
「騎士、ホアキンだ。皆の隊長を努めることになった。よろしく。楽しくやろう」
ホアキン隊長の腰の剣はやたらに派手な装飾が施してあった。宝石と金細工の結晶のような柄で、アレも魔剣なのかとアントンは疑った。
ホアキンは近づき、ミレイアの手を取った。うやうやしくその手の甲にキスをすると、ミレイアの顔が一瞬強張った。
「特にレディ・ミレイア。貴方とはぜひ仲良くしたいものだ。あなたのように麗しい戦乙女がこの世に存在するとは信じられない。私が貴方をお守りしよう」
「あ、はは……よろしく?」
ミレイアの顔にある嫌悪感に気付かないのだろうか。アントンとロベルトは放置されたままだったが、好きにやらせることにした。ミレイアが目で薄情者どもめ、と訴えている。
「今回、我々が与えられた任務は斥候隊が次々に消えている事態の調査だ。卑怯なりし敵国キスゴルがおぞましい秘術に手を染めているという噂もある。気を引き締めていこう。だが、レディ・ミレイアは安心していてくれて結構だ。夜までに準備を整えておくよう」
さっとミレイアにだけ一礼をしたホアキンはどこかに行ってしまった。アントンとロベルトはどうでもいいのだろう。嫌うのは結構だが、無視されると大変に困ったものだ。
「ホアキン隊長は変わった人だな。騎士なのに頭ごなしに使ったりはしなさそうだし、ミレイアを神聖視しているみたいだった」
「いや、単に女好きなだけだろう……先行きが心配だ」
「あぁ~私、ああいうの全然駄目!」
ミレイアは手の甲を布で擦ってキスの後を消そうと努力していた。
「しかし、気に入られれば助かる確率は上がるんじゃないか? まぁホアキン隊長がどれだけ強いのかは知らないけどさ」
「少人数の中で露骨に贔屓されると、悪いことばかりな気がするがな」
「~~こう見えて、幾つか戦場経験してるっての! プライドが傷つく!」
「真面目だなぁミレイアさん。もらえるものは貰っておけばいいのに」
3人はああだこうだ言いながらも、準備を始めた。途中、魔剣カリディスから交信があった。どうせ、物を大して持っていないアントンは会話に応じた。
(シシッ! アイツの腕前は知らんが、持っている魔剣はかなりの代物のようだ。強い気を感じた)
(そういうのって分かるのか)
(おおまかに、だ。切った張ったに向かない効果もあるからな。だが、俺達ほどの物ではなかった。戦いになったら色々と助言をするから、聞き逃すなよ……)
それきり魔剣の言葉は途絶えた。魔剣カリディスはおしゃべりなようでいて、他人がいるところでは静かにする分別を突然身につけたようだった。
ともあれ、隊長が配属されたことで任務が始まった。新人としては注意深く行くしか無いアントンだが、どこか心が浮足立つのを禁じえないでいた。
夜になり、小さなランプの灯りを頼りに、一行は出発した。蛾が時折寄ってくる以外は何も聞こえない静かな夜だ。大きな緊張感がしぼんでくると、アントンは何か奇妙なことに気付いた。何だって、夜に出発するんだろう。ホアキン隊長は何かを掴んでいるのだ。しかし、それは自分たちに知らされずにいる。
隠密行動のような行軍の中、仲間たちとは話しづらい。
(なぁ何かおかしくないか? 夜に探すってことはもしかして前の斥候隊も夜に?)
(シシ……ようやく気付いたか。ミレイアとロベルトも疑いだしてる。この任務がただの調査じゃないってことをな)
こういう時、魔剣カリディスは良い話し相手にして、助言者だった。今まで多くの者に使われてきた魔剣は人間の考えることもある程度把握している。
(シシッ! ちゃんと目を開けておくのがこういう場合の秘訣だ。ミレイアとロベルトが気付いたのも同じ考えでだろう。ホアキンが先頭に立っているだろう?)
与えられたヒントを参考にアントンは女好きの隊長を観察した。こうした時に素直に応じられるのはアントンの美徳だ。
じっくりと知恵はないが、先入観も無い頭で考える。すると、くず鉄を拾いに夜に出歩いていた自分が浮かんだ。
(足取りだ……慣れない足場を歩いてはいるが、迷いがない! 行く場所を知っているんだ!)
(シシシッ……俺達は馬鹿かもしれんが阿呆ではない。あいつが言っていたことを思い出せ。キスゴルがおぞましい秘術に手を染めていると言っていた。その何かが目的地なんだろう)
行く先に待ち構えているのは秘術の儀式か、その成果物か。アントンはいつでも剣を抜けるように片手で剣を握り締めた。
ホアキンは林の中へと入っていく。少しばかり斜めに上がっていくような塩梅だ。主戦場とはかけ離れた場所だった。
一歩進むごとに息苦しくなっていくように感じる。ミレイアと目が合ったが、声を出さないよう唇に指を立てていた。
それを繰り返して、一行は開けた場所に出た。元は農場……だったのだろうか。放棄された家屋や家畜小屋がまだ倒壊せずに残っていた。当然に住人はいない。
「見捨てられた村か。ここまで来たんだ。もう喋ってもいいだろう。我々に何をさせる気だ」
ロベルトの口調は詰問に近かったが、ホアキンは肩をすくめるような仕草をして平然としていた。
「察しの通り、ここが目的地だ。ここは少し高所にあってエルドヘルス側もキスゴル側もよく見える。ここに見張り台を置くのが理想だった」
だが、そうはならなかった。ここに赴いた者は全て帰って来なかったのだ。その理由は尋常ではないだろう。アントンは魔剣に聞く。
(どうだ、お前の感覚でなにか分かるか?)
(シシシ…分かるぞ。人外の気配がする。まだこちらを窺っている。俺達の感覚を一致させる。抜いてくれ)
「おいおい、傭兵アントン。気が早いんじゃないか」
「そうは言いましてもね。あんなものがいるんじゃ、落ち着けません」
「ほう? では説明しよう。キスゴルは恐るべき魔物を作り出してしまった。それは兵たちにカーシーと呼ばれた。まぁ普通の兵では相手にならんのだから無理もない」
「事前に言って欲しかったわ」
「私とてレディ・ミレイアに隠し事をするのは心苦しかった。だが、どうしてもと上が言うのでね。逃げ出されても困るから」
来る。近づいてくる。アントンには魔剣の奇妙な視界と強化された夜目でそれが何なのか見えてきている。
「さて、我ら魔剣第一小隊の初任務だ。ここに巣食う化け物を倒せ」
近くの家畜小屋に大きな音を立てて、ソレは着地した。全員すでに魔剣を抜いていた。
その生き物は毛のない犬のような見た目をしており、大きさは小屋ほどもあった。こんなものが初陣の相手とはまったくツイていない。
敵国キスゴルが作り出した魔獣カーシーを相手に魔剣第一小隊の初陣が開始された。




