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第四十五話・新たなつとめ

 王都ワイラネスでの生活が始まって、そろそろ一年を迎えようとしていた。アントンは生まれ育ちのわりに、この賑やかな街での生活によく慣れたと言っていいだろう。

 レオノールの守護騎士という立場から、神殿に詰めていることが多かったのは確かだが、それでも非番の日が与えられた。地方都市の貧民としては誰かから休みを与えられるという感覚にまったく慣れなかったが。おかげで知り合いと呼べる人も増えた。



「ルートおばさん。注文していた油が届いたって聞きましたが」



 騎士叙勲の際、世話になったフアンの実家である雑貨屋をアントンはひいきにしていた。この店整然としていて汚れてもいないが、品揃えが豊富……というか節操が無いのだ。やろうと思えば商品を眺めているだけで一日が過ごせる。

 店の奥に投げかけた声に恰幅の良い女性が出てきて、応対してくれる。



「ああ、セルラト卿。変わった注文だったから時間がかかったがねぇ。燃える水の油なんて本当にあるんだね」

「家名で呼ぶのやめてくれってば。誰のことなのか一瞬考えちまいます」

「ごめんねぇ。でも、こういうところはしっかりしておかないとさ。うっかり他の客を同じように扱ったら面倒になるからね」



 大きな陶器をアントンは受け取る。燃える水から作られる油というものをアントンは知らない。というか燃える水自体見たことなどない。ただ手入れのときにカリディスから文句を付けられたため、言われたものを注文しただけだ。

 売っているということは一応使っている地方はあるのだろう……と思うしかない。

 ここ、王都では時間さえかければ大抵のものは手に入る。裏社会では、国が量産化したばかりの魔剣まで手に入るというウワサだ。



「今日は非番かい?」

「午前までだから、これから出仕ですよ。まぁ前線に駆り出されないだけマシだが、肩は凝る」

「神殿で流行りそうなものがあったら教えておくれよ!」



 アントンは声に押し出されるように、店を後にした。

 神殿で流行というのもおかしなものだが、日頃抑圧された神官や尼僧たちはひと目につかない部分で洒落たものなどを身に着けたりする。他にも聖堂騎士団は意外にも菓子など好んでいたりする。


 そうした世の意外な面を見聞きしてアントンも随分と変わってきた。住む場所で性格が変わるというのは案外本当らしい。身を持ち崩したりはしないが、他者の個性に理解を示せるようになった。

 つまり、下級騎士らしくは成れてきたというところだろう。元くず鉄拾いとしては長足の進歩だ。貴族としての威厳が備わるかは別だが、それでも身内以外の人間と接することができている。



「ミゲル殿、グリハルバ卿、お疲れ様です」

「セルラト卿。今、帰りか。ようやくこやつのおしゃべりから解放されるわ」

「そこまでうるさくないですよ。うるさかったら、あの美しい聖女様にご迷惑じゃないですか。ねぇセルラト卿。そりゃまったく喋らないってわけじゃありませんよ? ですが、いくらか部屋の中に聞こえないぐらいの世間話なら許されるってあたしは思うんですがね。聖堂騎士団の人たちが硬すぎるんですよ」

「わかった、わかった。貴君はおしゃべりではない。だが、貴君も聖堂騎士団の一員だということは忘れるなよ」



 神殿内部、聖女の部屋の前で二人の騎士がアントンを前にてんで勝手にまくし立てた。

ミゲルは平民出身の騎士なのだが、教団に似つかわしくないウワサ好きの人物だ。これといって特徴のない体格と茶色の髪をしている。アントンが聞いた話によると、これで何かあったときに機転が利き、そこが評価されている。

 グリハルバ卿はアントンと同じ貴族騎士だが、非常に堅苦しい。体格は立派で顔つきも四角めいている。敬虔な信徒でもあり、それで王国より教団に忠誠心が向いている。働きぶりは謹厳実直。それはいいのだが、我慢強い性質のアントンを非常に高く評価しているらしい。アントンにとっては少し扱いに困る人物だ。


 アントンも人間なので、寝る時間や休憩時間は必要だ。そこでこの二人と交代制でレオノールの警護をしている。

 イサベルとタニヤのことを考えれば最低でも5人以上がレオノールのために待機していることになる。部屋から動くときはもっとだ。



「荷物を中に置いたら、少し早いですが交代にしましょう」



 アントンは二人の話を遮って、私室に荷物を置いて甲冑姿に変わる。カリディスによる身体強化のおかげで他の騎士に比べれば早着替えのようなものだった。



「お待たせした。二人とも良い休憩を!」

「一日もしないうちに戻ってくるんですがねぇ……いやま、守るのが聖女様だから続きますが、そのうち音をあげちまう! セルラト卿、もっと人数を増やすよう談判してくださいな。猊下とも顔見知りなんでしょう?」

「ミゲル殿、それはどちらかというと聖堂騎士団に頼みたいんだが……」

「そうだぞ。第一、この中で一番働いているのはセルラト卿ではないか。我らは二人、卿は一人だ。しかし、確かに上奏はしないといけないかもな。聖女様の護衛がこの人数というのも心もとない」

「聖堂騎士団の人数が増えるのを、国王様がとやかく言わなけりゃ良いのに……」



 小突き合いながら、休憩のために離れていく二人をアントンは見送る。あの二人の部屋はレオノールと同じ階にはない。もちろん、同じ階にあるアントンがおかしいのだが、レオノールのアントンへの信頼はもうすでに知れ渡っているので何も言われない。



「イサベルさん、半日ぶりです。今日はタニヤが中ですか」

「ええ、セルラト卿。貴人にお仕えする作法の訓練は終わりがないものです。剣の腕前と同じですね」

「別に極めたいと思っているわけではありませんが……にしてもイサベルさんまで卿呼びは勘弁して欲しいなぁ」

「それは慣れないといけませんね。今や、親しく呼べるのはこの部屋の中の方たちだけです。それに私にも世間体というものがありますしね」



 暗にビジネスライクな関係しか築く気はないというイサベルにアントンは少しがっかりしたが、すぐに立ち直った。別に万人に愛される顔や性格をしているわけではないのだ。その時、アントンの横にあった扉が控えめに開かれた。



「アントン、帰ってきていたんですね。少しお話があるのですが……」



 金色の布じみた髪は今日も輝いていたが、それに相応しい顔は表情を若干曇らせていた。

 また面倒事だなとアントンは諦めつつ、イサベルと目線で頷きあった。そして外をイサベルに任せて、部屋の中に入る。

 守護騎士であるアントンでもレオノールの部屋の中にはあまり立ち入らない。それこそイサベルが言うように世間体があるためだ。それを押してレオノールが中に入れたのは、色っぽい話ではないだろう。


 中ではタニヤがお茶を淹れて、侍女のように静かに立っていた。いつもなら軽口の一つも出ようものだが、今日はないらしい。アントンも用意された頑丈な椅子に静かに腰掛ける。



「実は叔父様からのお話があったのですが……ウナシアーズという海沿いにある街についてです」



 レオノールが自分を落ち着かせるように、茶を口元にゆっくりと運ぶ。



「そこで原因不明の奇病が発生しているというのです」

「病……レオノールに話がいくということは神秘的な術でなんとかなるのか? まさか剣で切れるわけはないだろう」

「それを確かめに行く……ということですね。報告では夢を見る際に必ず悪夢を見るとか、逆に夢を全く見なくなったと訴える人々が多いそうです。神官の術で若干和らぐそうですので、治療団を編成して率いて行きます。わたくしも行くので同行の準備をお願いします」



 そこでレオノールは眉を困らせたようにしてつぶやいた。



「叔父様の話では、この病は各地で記録に残っているそうです。世界に新たな脅威が現れているのかもしれません。その病は記録でこう呼ばれていたそうです。夢の簒奪者(ドリームキャッチャー)と……」



 だからアントンも行かなければならないのだ。可能なら大本を断つために……魂の捕縛者(ソウルキャッチャー)として。



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