第四十四話・家名と手続き
フアンに案内されて入ったのは城内の小さな部屋だった。調度品らしい調度品は奥の方に置かれた執務机のみだ。
フアンはどこからか椅子を持ってきて執務机の対面に置いた。そして自身は執務机の方の椅子に座り、アントンは対面の椅子に座ることを勧められた。
「さて、あらためて……私、フアンは下級貴族の戸籍に関する業務の一部を任されているものです。ですが、アントン殿はきわめて珍しい増えた貴族となるので、案内を任されました」
「貴族が増えるのは珍しいので?」
「ええ。といってもキスゴルと開戦しているので、これからは珍しくもなくなるかもしれませんが……といっても分ける土地がないので法服貴族ということになります。平民から官職を得て貴族になった場合がほとんどなのですがアントン殿の場合、かなり特殊な例になるでしょう。なにせ聖女様の守護騎士なのですから。なにかの形で仕事をする対象が、国ではなくヤーバード教団になるわけで」
「聖女の守護騎士だから騎士に任ぜられたというのが正直なところでしょうね」
「ええ、まぁ……国からすれば上手く行けば教団とのパイプが手に入るわけですし」
やはりというか、ロベルトが言っていたように順序が逆なのだ。功績をあげたから騎士になったわけではなく、守護騎士になったから貴族騎士になった。
それにしてもフアンははっきりとした物言いの男だった。アントンにとってはそれぐらいの方が、わかりやすくて良い。裏になにか隠すような言い方だと理解が追いつかなくなる。
エルドヘルス国にしてもアントンが国家を重要視してくれれば、多くの面でやりやすくなる。仮に見向きもされなくとも、首輪はつけておく必要がある。どちらにせよアントンは厚遇して損はない存在だ。
加えてキスゴルのこともある。キスゴル国王はアントンたちに対して、謁見させただけでなく行動の自由を許可するような扱いを見せた。エルドヘルスからしてみればそれに対抗する形で鷹揚なところを見せたいのだ。
「ですが、憑依者捕縛という功績で一目置かれるのも事実ですよ。数少ない魔剣使いでもありますし、キスゴルと開戦してからこちら“英雄的”と呼べるような活躍をした方はほかにいませんからね。騎士といっても名ばかりの者が多い中、実際に戦場で勝利しているわけですから」
「はぁ、戦に勝った貴族はデカい顔ができると」
「そういうことです。大抵の輩は口しか出せませんからね。さて、まず名字……というより家名を決めてしまいましょうか」
貴族といえば名前が二つあるようなものだ、ということはアントンも知っている。どちらで呼ぶかは場合によるため、鬱陶しいだけな気がしてくる。
アントンは現在、ただのアントンだ。それが当たり前だった上に、孤児である。縁戚自体が確認できないため、自分と関わりのあるような名はない。
仲間内で家名を持っているのは、おそらく……というより絶対レオノールだけだ。今思えば、レオノールにも聞いておけば参考になったのだが、レオノールの家名も知らない。
意外と知らないこと多いな、と思っているとフアンは分厚い本を持ってきた。
「これは家名名鑑です。国内の貴族を管理する、ここのような部署には必ず置いてあるものですが……これでざっくりと決めてしまってもいいかと」
「それは助かる。これでバーっとめくって指がある場所に……」
さっそく実行する。何だって良いだろうとアントンは思っていたのだが……
「ええと、アントン・バカ」
「なんだろう、凄く抵抗感があるなぁ! もう一度やり直していいかな!」
前言撤回するのは早かった。ごく普通の苗字らしいが、それを選ぶのは躊躇われた。なんとなくで選ぶのは限度があるとアントンは学習したらしい。
もう一度同じようにして選び直す。指の位置は変えていた。
「アントン・セルラト。意味は知らないが、これで良いかな」
「ええと……現存している中では被っている家門もないようですね。ではそれで登録しておきます」
家門名鑑には没落した家名も載っているのだそうだ。被っていればどうなるのかはアントンにはわからない。おそらく名門とであればややこしい問題に発展するのだろう。
「さて……ではセルラト卿。法服騎士には年間で金貨十枚が支払われます」
「おお!」
「ですが税で半分は引かれます」
「うん?」
「ですのでおおよそ金貨五枚ほどと思っていただければ……」
「気のせいかな、それで騎士の生活を維持するのは難しいような……」
「ええ、まぁ兵士の年収とほぼ同額ですし。だから騎士は戦に参加してくれるわけですね」
アントンは先の報酬で金を持っているので、問題ない。だが世間一般の騎士たちはそれで武具を手入れし、場合によっては馬の面倒をみるわけだ。それはさぞやっていられないだろう。
「その分、戦に馳せ参じたときの手当は厚いですから」
今はキスゴルとの戦中だから問題ないのだろうか。アントンは甲冑も馬も守護騎士として貰っていた。世間の騎士が聞いたら羨ましかろう。
もっともアントンからすれば、じゃあ代わりにおかしな存在と戦ってくれよといったところだ。
「そして、マナーに関してなども案内しろと言われてはいるのですが、正直なところそんな暇はないのです」
「言われてみれば……仕事と並行しろとか言われたら溜まったものじゃないな……」
フアンは城での役職がある官吏だ。この部屋も彼一人のためのスペースで、部下がいるわけでもないのだ。代わってくれる人物がいないところで、新参の騎士に時間を割けなどと言われても困惑しかない。
「お偉方が指示すれば万事そのとおりに進むと思われてるのでは……」
「それは口に出さないほうがいいですよ、セルラト卿。マナーに関しては講師への紹介状を書きます。ただ私の仕事柄、下級貴族のマナーなので、上級貴族に対してはそちらでどうにかしていたただかなければ……」
「そっちはレオノ……聖女様に聞きますよ。神聖文字なんかも教えて貰ってるので、少なくとも口頭でアドバイスぐらい貰えるかと」
「はぁ。守護騎士というのは羨ましい役職ですな。私などは遠くから見るばかりですが、神聖さもさることながら、とても美しい女性ですからな」
仕事でもあるし、距離が身近すぎてアントンはあまりレオノールへの賛辞にピンとこない。他の身近な女性……タニヤやミレイアも十分美人なのもある。
あとは雑談しながらいくつかの書類にサインするだけで終わった。文字を習っておいて良かったと思うアントン。
フアンとの会話も楽しかった。王都に来てから教皇に会ったり、国王の謁見が詰め込まれたりと、身分差を感じることが多かった。そんな中で下級官吏との接触は程よい刺激となった。
「私の実家は商業街区で雑貨屋をしているんですよ。セルラト卿も休暇のときは是非寄ってやってください」
「高級志向で?」
「ああ、王都に来て間もないんでしたね。貴族向けの商店なんかは別の通りにあるんですよ。まぁセルラト卿も貴族ですが、さほど贅沢はされないでしょう? でしたら丁度いいぐらいの店だと思いますよ」
「確かに、長旅とかするときにはあまり高級な品は持っていかないなぁ」
金はあるんだけど、という言葉をアントンはのみ込んだ。あまり自慢することでもない上に、高級品を嗜好する自分が思い浮かばなかったのだ。
それにしても商人の家ながら官吏になっているということは、フアンは相当に頭が良いのかもしれない。
その後、様々な紹介状を書いてもらえた。アントンもフアンに気に入られたらしい。
この出会いはロベルトに話しても良さそうだ。勉学を志すロベルトとフアンの相性もいいかもしれない。
いずれの再会を約して、アントンは無事に王城から帰ることができた。




