第四十ニ話・地下室
教皇の間の奥にあったのは、教皇の私室……あるいは執務室だった。意外というかアントンが漠然とイメージする“偉い人”の部屋とは違って、実用的な作りになっていた。机には書類が山積みになっているが、その一枚で人の運命が決まったりするのだと考えると、複雑な気分になる。アントンとしては願わくば教皇が公平な人物であることを願うばかりだ。
「ここから先は他言無用だ。もっとも知ったとして何ができるものではないが……」
「叔父様の部屋に? なぜ、わたくしが知らない秘術があるのですか? 奇跡や術はわたくしどもの管轄ですのに……」
「それにも理由はちゃんとある。教皇だけが知っていることの多さたるや、国王にも劣らぬぞ。守護騎士アントン、そこの敷物をはがしてくれ」
「はぁ……」
アントンが部屋の中心にある敷物を引っ張りながら、ぐるぐると巻き上げた。するとそこだけ石材が四角く区切られていた。地下室への扉なのだろう。
「すまんが、その石床も持ち上げてくれ。若い頃はなんとか開けられたのだがな」
「よっと……確かに少し重いですね」
持ち上げられるようにという配慮だろう。石材には指を入れるくぼみが作ってあった。アントンからするとちょっと重いだけだが、カリディスの身体強化があってこそだ。普通の人間なら渾身の力をこめなければならないだろう。石床を開けてみれば予想通りに下へと続く階段があらわれた。
「燭台を持ってついてきたまえ」
「この机の上のやつで良いんですかね」
火がついた大きな蝋燭が五個も刺さった燭台を手に、アントンは地下へと進んだ。燭台は銀でできていて、装飾が施されている。壁にぶつけないよう細心の注意を払いながら降りていく羽目になった。
教皇は慣れているようだが、レオノールはそうでもない。時折、振り返っているかどうか確認して進んでいく。
深い。既に一階部分は通過したはずだ。文字通り地下にあるのだろう。どこまで降りるのかと三回ほど考えたあたりでようやく教皇が止まった。
「ここが歴代教皇に伝えられてきた秘儀の間だ。少しそのまま待っていてくれ」
教皇が四方にある奇妙な結晶に手をかざすと、結晶は光を放ち部屋を照らしだした。おとぎ話の魔法使いが住んでそうな部屋だったが、きちんと整理整頓はされている。
丸部屋で幾つかの机が壁沿いにならび、中心には奇妙なことに水がたたえられている。
「偉い人の部屋には火も必要ないのか……それに、なんだこの水盆……いや、泉?」
「それが今回の秘儀に必要なものだ」
泉は銀のような金属で六つに区切られている。花柄のようだなというのが、アントンの第一印象だった。そして、中心にあたる部分にはくぼみが付いている。
「“封魔の泉”と呼ばれてきたそうだ。これが地下にあるというより、これの上に大神殿を建てたというのが正確なところだ。名前の通り、魔なるものを水に取り込んで抜け出せないようにする効果がある。とはいっても使われる機会はなかった。今日、この時まではな」
「つまり、この泉にカリディスが溜め込んだ憑依者の魂を移すということですか……確かに剣に封じておくよりは安全な気がしますね」
折れたことはおろか、欠けたことも見せたことがないカリディスだが今後もそうであるという保証はない。万が一、紛失したり破損してしまえば憑依者の魂が再び飛び立ち、これまでの旅路を無にしてくれるだろう。
(カリディスはこの泉のことを知っているのか?)
(シシシ……知っているというほどではないが、“封魔の泉”を持ち運べるように改良したのが俺たちだ。知らんが、制作者が同じだったりしてな! シシシ)
「どうしたね、守護騎士アントン?」
「はい。カリディスによるとこの泉……“封魔の泉”は同じ機能を持っていると説明してくれました」
「剣と話せるのか? まったく世の中は不思議にあふれているな。邪悪な存在は憑依者だけではない。これからも守護騎士アントンは様々な存在と出会うだろう。その時に相手を封印できなければ意味がないということだ。憑依者はここに封印して、魔剣カリディスは空けておくのが望ましいだろう。さぁ泉の中央に剣を……」
黒から白へと変わってしまっているカリディスを、アントンは泉の中央にあるくぼみに刺すようにして置いてみた。
すると、カリディスから白色が抜け出るように徐々に黒色へと戻っていき、逆に泉の水は絵の具を流し込んだように乳白色へと染まった。
「六角のうち二つまで色が変わったか……憑依者め。よほど巨大化していたようだな……」
教皇は苦々しくつぶやいた。完全に黒へと戻ったカリディスを眺めていると、アントンは懐かしく感じたが同時にあらためてこれは魔剣なのだなという実感を持った。魔を封じるための魔剣。それは何よりも魔に近いということではないか。
「猊下はまだ封印するべき存在がいると仰る?」
「残された文献を読んだ限りではな。それらをすべてこの泉に封印するのは難しいかもしれんがな……作り方さえ分かれば泉を増やすのだが、長い歴史の中でその術は失われている」
憑依者一体で三分の一を使ってしまっている。残りがそれほど強力な存在でないと期待するしかない。カリディスとアントンですら憑依者を封じた後、容量が完全に限界だったのだから。
「研究は急いで進める必要があるが、今は良い。無事に機能すると分かっただけでも収穫だ。戻るとしよう」
教皇が再び結晶に触れて灯りを消すと、一行は来た道を戻り始めた。
「叔父様。なぜ、あの封印技術をわたくしたちの側でも研究させないのですか? 我々は秘儀に通じております。互いに協力しあえばもっと早く設備を整えられます」
燭台の灯りだけに戻った薄闇で、レオノールが地下で初めて口をきいた。思えばレオノールは秘儀の間や“封魔の泉”を見ながらも一切口出しをしなかった。権力が明確に分かれているのもあるだろうが、このような重大な秘密を隠してきた歴代の教皇に不審感を持ったのだろう。
「魔法や秘儀に通じる者は魔剣の研究に駆り出されておるでな。こちらとしてもカリディスのような魔剣を作れるようになるならありがたい」
「叔父様……? カリディスは魂の捕縛者でなくては意味がありませんが……」
「魂の捕縛者を見出す手間は相当なものだ。一代に一人現れるとも限らん。その能力を含めた魔剣の発明を期待しているのだよ」
「……叔父様がそう仰るなら」
教皇の発言はむしろ不審感を煽っていた。今代についてはそれでいいだろう。だがかつての教皇たちは秘儀の間でなにをしていたのか……それを明かさないままだったからだ。
陰謀などに縁のないアントンとしても不思議だった。それならば研究のためカリディスを差し出せと言われそうなところが、それはなかったからだ。
教皇の部屋に戻り、隠し階段のフタをもとに戻して燭台を返す。
教皇の間には戻らず、そのまま執務室での会話になる。
「秘密を共有できる仲間ができるというのはいいものだな。教皇の椅子に座ると友人もいなくなる。実に寂しいものだよ。権力を求めていた時には想像もしていなかったがな……例外は我が姪くらいか。そこに守護騎士アントンも加わってくれたわけだ」
「秘密は守りますよ。言う必要もなさそうですし……レオノールがいなければ来る機会もなさそうですがね」
すると教皇が思案げな顔になった後、苦笑した。
「だが、助言役は必要になるかもしれん。国王陛下が守護騎士アントンの取り扱いに興味をもたれているようだからな」
アントンが望んでいない一言を、教皇は放り投げた。




