第三十九話・幼馴染と聖女
来客? と言われてもアントンは今、レオノールのそばに控えている状態だ。簡単に離れるわけにもいかない。守護騎士としての役割である以上、自身で判断できない。
「来客って誰だ、ジミー? 場合によっては待ってもらうことになるが」
「ほら、あの人だよ兄ちゃん。尼僧のタニヤさん」
「ああ……! 後で顔を出すつもりだったんだが、そういうことなら……シスター、レオノール……様、知人が訪ねてきたようなのですが、この場に招いても良いですか?」
応接室といってもサニーもいるのだ。堅苦しい場ではない。シスターはタニヤとは親交があるし、レオノールには旅の最中に話したことがある。良い機会なので紹介しておこう、とアントンが判断したのはこの時点では、間違いないように思われたのだ。
「これ! 聖女様がおいでになっているというのに、軽はずみな……」
「わたくしは構いませんが……どういった方なのです? 守護騎士アントン」
「旅の最中に話したことがある幼馴染の尼僧です」
「ああ……ええ、良い機会ですね。会っておきましょう。丁度椅子もあと一つあることですし……あとはシスターさえよろしければ」
なにか部屋が冷たくなった気がするなと思いながら、アントンはジミーにこの応接室へと通すよう頼んだ。しばらくすると、足音荒くタニヤが入ってきた。
「おお。久しぶり――」
「全くよ! この馬鹿!」
挨拶がわりにアントンは顔に紙を叩きつけられた。それには見覚えがあった。ピンカードを出る際にタニヤに渡すよう頼んだ手紙だ。
「なにが、『仕方なく街を出ることになりました。探さないでください』よ! 子供の家出!? もっと事情を書きなさいよ!」
「い、いやぁ……急いでたし当時はそんなに読み書きできなかったし」
応接室にタニヤの文句が飛び交う。シスターは神に祈り、サニーは口を挟めずに口を閉じたり開いたりしている。よりによって孤児院が始まって以来の賓客が訪れた時に、こうならなくてもよかったのではないか。
アントンも困り果てた。出ていくときに声をかける暇はなかったから、簡潔に書いた別れの言葉。仕方なくの部分をもっと思いやってほしいと願う。
「まぁまぁ、落ち着いてください。守護騎士アントンには悪気はなかったのですから、そう声を荒らげないでください」
「……誰よ、アンタ」
柔らかな物腰に絶氷を思わせる声音が組み合わさった言葉と、街のチンピラめいた怒りの声がぶつかった。まさか聖職者の会話だとは思うまい。間に挟まれたアントンこそ哀れだった。
「レオノールと申します。ヤーバード教団においては聖女を努めさせていただいています」
「ふぅん、お偉いさんってわけね。あたしはタニヤ。ただの尼僧よ」
アントンは内心でタニヤの心臓がなぜ自分になかったのかと、思わざるを得なかった。身分的にはてっぺんと底の差があるのだが、タニヤは気にした風もない。これほど身分の差を無視した宗教関係者はアントンの記憶にない。
「守護騎士……へぇ、ふうん。あたしの知らないところで主人を決めてたってことね」
「まぁ、そうだけど。俺にも事情ってものがあるんだよ。断れる状況でもなかったし」
「状況が許せば断っていたのですか?」
「いや……そういうわけでもないが、今はちゃんと自覚してる。タニヤもレオノールもどうしたんだ? 俺にも当時なりの事情があった。それに対処してきただけだ。ぬけているところがあったかもしれないが、怒りをぶつけられるいわれもないぞ」
アントンは珍しく強い口調で言った。アントンとしてはその時、その時で必死だったのだ。それを否定されれば反省ではなく反感を覚える。
それを受けた女二人はもぞもぞと曖昧な態度になった。
「別にタニヤさんにも、アントンにも怒っているわけではありません……はぁ……アントンを間に喧嘩をしてもはじまらないですね。すいません、タニヤさん。心の狭いところを見せてしまいました」
「いえ、あたしこそ無礼をお許しください……その調子だと大分苦労させられたみたいですね」
「そうなんです。彼は昔からああなのですか」
「まぁ、ご想像の通りです。相談だとか、そういうのは抜け落ちてますね」
「幼馴染というのも物語に限る。ということですか……ちょっと幻想が砕けますね」
とりあえず和解したらしい二人を前にアントンは終始理解がおよばなかった。
タニヤもレオノールに勧められ、同じ卓に座る。同じようにお茶を飲みながら他愛もない話が始まった。話題は今回の旅についてが主だったが、時々自分の話が入り交じるのでアントンは気恥ずかしいやらくすぐったいやらである。
日が傾いてくるに至って、ようやく話は終わった。シスターとサニーには子供たちの世話があるし、こちらも出発するか、宿を取らねばならない。
「楽しい時間でした。神の子たちの家にヤーバードの祝福があらんことを」
「ジミーが予想外に頼りになりそうで安心したよ。俺の実家をよろしく頼む」
それぞれ、思いを込めて別れを告げた。シスターは何度もアントンの身を案じていたが、もうここで生活を送ることはないだろう。せいぜい、時折顔を出すくらいだ。
とうの昔に分かっていたことだが、もう故郷で暮らすことはないというのはアントンにとっても複雑だった。嫌な思い出のほうが圧倒的に多いというのに不思議なことだ。
見送られて外に出るとロベルトとミレイアが荷馬車で待っていた。もっとも、ミレイアの方は眠っていたが、長い時間待たせたので仕方がない。
「終わったか。古巣に対する時間としては長いようで短いな……出発するか? それとも宿を取るか?」
「長い時間すみません、ロベルトの旦那。俺としてはもう出発しても良いんですが……」
「それなら、あたし達の神殿に来れば? ここの宿ってあんまり薦められたものじゃないのよね」
「そうなのか?」
「アントンは使う機会ないから知らないでしょうけど、あまりいい話は聞かないわね」
「アントン。その娘は?」
「幼馴染です。タニヤといって、この街の尼僧ですよ」
それなら確かに神殿のほうが良さそうであるとアントンとロベルトは考えた。レオノールがいる以上、断られるはずもない。最終的に首都まで行くのだから馬も休ませられる時に休ませたほうが良いだろう。
「孤児院で祈ったばかりだが、レオノールはそれでいいか?」
「ええ、巡礼にもなりますし……交渉はお任せください」
こうしてタニヤの所属する神殿で一夜をしのぐことになった。予想通りレオノールが現れたことで騒ぎになったが、一行は慣れたものだ。恐縮されながら出された食事も質素だったが、ご馳走が出るキスゴルの神殿が異常なのだ。部屋は緊急に掃除された部屋があてがわれた。
夜の間アントンはレオノールの部屋の前で目をつむっていた。すると、タニヤがレオノールの部屋を訪ねに来た。アントンはまぶたを上げる。
「……守護騎士って毎日こんなことしてるの?」
「そうなんだけど、くず鉄拾いの時に慣れてるし日中は寝られるからな。大して苦にはならんよ。むしろ寒くないだけマシなぐらいだ。レオノールならまだ起きているぞ」
「そう。じゃあちょっと取り次いでくれない?」
「ん? ああ、そういう場合もあるな。これまで夜に聖女の部屋へ立ち入ろうとする奴なんていなかったから……少し待ってろ」
アントンはノックをして来客を告げる。了解が出たので、タニヤを中へ入れて再び目をつむった。タニヤが出てくるまで結構な時間がかかったが、笑い声なども聞こえたので安心していられた。
「……で、それがどうしてこうなるんだ?」
翌朝出発の時になって荷馬車にいるタニヤにアントンは説明を求めたが、応えたのはレオノールだった。なぜだか笑われている気もした。
「タニヤさんをわたくしの侍女として借り受けたのです。今まで特定の人物はいなかったので、この際周囲を知人で固めてしまおうかと」
「……どうなっても知らんぞ」
こうして使命を果たした後に同行者が一人増えることになった。しかめっ面をしているのはアントンだけだった。




