第三十八話・居心地の悪さ
子供たちを散らさせたのは結局、ジミーだった。ジミーはその体格のせいか、絶対的な発言力を持っているらしい。アントンがいた頃はジミーとサニーしかいなかったので、なかった苦労だ。
「すいません。本当は全部答えてあげたかったのですが……」
「い、いえ。こちらこそ子供たちが迷惑をかけてすみません……」
レオノールが謝罪すると、ジミーは真っ赤になって対応した。
アントンはすっかり慣れきっていたが、レオノールはそこらではお目にかかれない美女だ。体だけ大きくなったジミーには刺激が強かったらしい。
「兄ちゃん、そういえばこの人誰なの? 紹介してよ」
「紹介の意味を履き違えなければ別に良いが……レオノール。ヤーバード教団の超偉い人で、俺が仕えている人だ」
アントンの側から答えて正解だったらしい。ジミーは今度は青くなって、無礼にならないようにギクシャクしだした。超偉い人という端的な紹介で良かった。聖女様だと言ったら何なのか分からない可能性がある。
「ど、どうぞ、こちらが礼拝堂です」
「ありがとうございます。信徒ジミー」
「あ、あ、ありがとうございます! それでは!」
権力というのは恐ろしいものだなと、去っていくジミーを見ながら思った。アントンには欠片もないレオノールへの畏怖だが、シスターは大丈夫だろうかと思わざるを得ない。
素朴だが頑丈な礼拝堂の扉をアントンが開ける。
「どうぞ、レオノール」
「ありがとう、アントン」
中は特筆するところはない小さな礼拝堂だ。ここは孤児院であって神殿ではないのだから、規模が小さいのは当然だが、レオノールはむしろ感心したように頷いた。手入れが行き届き、正当な祭具が揃えられているからだった。
腰の曲がったシスターとサニーが額づいて祈りを捧げている後ろでレオノールも同じように、祈りを捧げた。ただのシスターの後ろで良いのかと思いつつ、アントンは壁に寄り白くなったカリディスをかかげて守護騎士としての祈りの姿勢を取った。
やがて長い祈りが終わり、シスターとレオノールは向かい合った。
「なにもこのような場所で祈りを捧げなくとも、街には神殿がありますよ」
「ヤーバードの家に貴賤はありません。我が騎士が寄ったここに祈りの場所があり、義務を果たしたまでのことです」
「我が騎士……?」
そこでようやくシスターはアントンの姿を認めた。ジミーと違ってそれほど成長していないサニーも驚いている。当然だろう。出ていった人間が、豪奢な甲冑に身を包んで帰ってきているのだから。
「アントン!」
「ご無沙汰していますシスター。サニーも相変わらずで何よりだ……ジミーがあの背丈だったからな」
急に照れくさくなったようで、アントンは視線を外して頬をかいた。立派な格好もちゃんとした理由があるのに、これ見よがしだったかなと思ってしまう。
「おお……立派になって……貴方のお陰でこの孤児院も安定しました。本当に、ありがとうよ……この子の道に祝福をお与えくださり感謝いたします。ヤーバードよ……その格好は一体……?」
「今はそこのレオノールの守護騎士をやっています。中々大変だけど実入りは良いです」
「守護騎士……! ではあの方は!」
「あーまぁ、ヤーバードの聖女様」
「これは知らぬこととはいえ、大変な無礼を……」
「無礼などではありません。同じ神に仕えるもの同士、ヤーバードへの祈りを優先するのは当然のことです。この礼拝堂からは確かな敬意を感じます。同じようにわたくしも貴女に敬意を感じます」
「なんと勿体ないこと……!」
なにやら展開されている感動的な光景を、ぼうっと見ながらアントンは突っ立っている。まぁシスターが喜んでいるなら良いかといった風で、レオノールに近すぎるアントンには共感ができないのだ。
その老シスターが自分の手をがっしりと掴まえてきたのだから、アントンは驚いた。シスターの顔は真剣過ぎて歪んでいるようにさえ見えた。
「これからも貴方は誠心誠意、ヤーバードと聖女様にお仕えせねばなりません。ピンカード……いえ、エルドヘルスと、この孤児院の名誉が貴方にそれを望んでいます」
「あ、はい……仕事はしっかりとこなします。それが俺の唯一の美点でしょう?」
まさか命運をともにすると誓っているとまでは言えない。シスターの価値観では任命自体が至上の栄誉だろう。それをアントンは一度断り、契約することでレオノールに仕えている。これで日頃は対等に接しているなど知られたら殴られそうだった。
「ともかく、一旦落ち着きましょう。シスターもレオノール……様を突っ立たせているわけにはいかないでしょうし」
「そ、そうですね。手狭ですが応接室へとご案内を……」
そそくさと出ていくシスターとそれに続くレオノール。その後ろを従者気分で付いていこうとしたアントンの横にサニーが並んだ。
サニーも少しばかり背が伸びていた。茶髪の髪を刈り揃えて、未だ痩せぎすの姿はリスを思わせた。
「兄ちゃん、騎士になったんだね」
「まぁ普通の騎士とは違うだろうが」
「色々とびっくりだよ。生活は良くなるし、兄ちゃんは出世してくるし……あたしも外に出たいな」
「外もろくなもんじゃないぞ。特に今は戦争中だしな。実際、何度か死にかけたしなぁ」
「そうなんだ。でもここに一生いるのは嫌だなぁ」
どうもサニーはジミーと違って風の性質らしい。しかし、アントンが見てきた中ではそうした人物はミレイアだけだ。ミレイアには男顔負けの剣技と精神力があるからやっていけるのだ。とても勧められたものではない。
「だったら何か方法を考えないとな。身の守りもないまま外へ出たって死ぬだけだ」
今の戦いは魔剣と魔獣の戦いだ。かつてよりも難易度は上がっているかもしれない。アントンは何度か死にかけたと言ったが、カリディスがなければとっくに死んでいるだろう。
そもそも何がしたくて外に出たいのかが分からない。出たくてピンカードから出たわけではないアントンには想像もつかないところだ。
応接室はアントンの記憶ではただの物置きだったが、今はちゃんと使われているらしい。子供が増えて物置きの中身を使ったのもあるだろう。シスターは無駄には捨てない性質だ。
低めのテーブルと同じくらい低い椅子に腰掛けるレオノールの後ろにアントンは、しかつめらしく見えるように立った。作法の一つではあるのだが、自分の日頃と昔を知る面々の前ではどことなく滑稽だった。
やがてお茶が入ると、アントンは少し嬉しくなった。孤児院への援助は十分なものだったらしい。自分でもこの孤児院に貢献できたのだ、という思いが実感できる。
「兄ちゃんは座らないの?」
「普通の人間はフルプレート姿で座ったら二度と立てない。少なくとも急いではな。というわけで護衛でもある守護騎士は主人が座っている間は立っている」
全てレオノールから学んだことである。カリディスによって肉体が強化されているアントンなら座っても問題はないが、甲冑は姿勢によっては肉を挟んで痛いので座りたくないのが本音である。
「アントンはお役に立てていますか、聖女様? この子は昔から人様のように物事を学ぶ暇なく、働いていました。孝行な子ではありますが、ご迷惑をおかけしてはいないかと……」
「役に立つどころではありません。守護騎士アントンはヤーバードの勇者です。今回の旅でも使命を無事果たしました」
「……過分なお言葉です」
何日も滞在する予定では無かったが、一日でも駄目だ。褒め殺しされているようで、アントンはむずむずとした気分を味わっている。
その時、ジミーが入ってきて、アントンへ来客があることを告げた。




