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第三十六話・眠りから

 成功した。旅の目的は無事に達成された。

 それを柄越しに感じ取った後、アントンもまた崩れ落ちる。体力を使い果たすというのはこういうことだと、初めて知ったような思いだった。

 横からする瓦礫の音に確証も無いまま話しかける。



「レオノール、やったか? もう……喋るのさえ……難しい」

「はい、はい……! 守護騎士アントン。あなたはやり遂げたのです……!」



 手を握られて、ようやく会話相手が間違っていないことに気づく。だが、それで限界だった。アントンは他人から保証され、昏睡の海へと入っていった。

 そこで様々な夢を見た。だが、どの夢にも白い影の小男が付いて回った。



(シシシ……まぁよくやった方だよな俺たち)

(カリディスか……お前、そんな姿をしていたのか。それにしても、この光景は現実か? 意味が全く分からない、というより分からない光景だ)



 天をつくような塔が幾つもそびえ立ち、空には鉄の箱が飛んでいる。人々は祭りよりも多い数が一方向に動いていた。まぁ夢ならばあり得るか、と言いたくなる。



(シシッ。これは俺たちが見ている夢じゃない。憑依者(ソウルチェンジャー)が見ている夢だ)

(アレの? というか夢とか見られるんだな)



 そういうと小男は寂しげに、申し訳無さそうな態度で応じた。



(シシシ……アイツの魂で俺たちの容量はいっぱいなんだ。もう砂のひと粒も入る余地が無い。動かす余裕も無いから、消費することができない……俺たちが一人増えたような感じになってしまった)

(これからはアレを抱えたまま動かないといけないのか……)

(シシ……まぁともかくだ。この景色はコイツラの理想像といったところだ。変化を重ねていった先に広がる光景というわけだな)

(もっと邪悪なものかと思っていたが……)

(シシシシ。アイツも言っていただろう? 善悪を決めたのはあくまで人間だ。詩的に言えば、箱庭の安寧か痛みを伴う変革か、その違いだ。だからといってヤーバードが間違っているわけでもない。変化の過程で出る犠牲者は半端じゃないだろうからな!)



優れた世界の誕生を阻もうとする立場に身を置いたのだと、アントンは気づいたがそれを後悔しなかった。自分はレオノールの手を取ったのだ。そして、今出る犠牲に故郷が巻き込まれないとも限らないのだ。

 カリディスによって強化されようと、剣士として技が磨かれようと、他人が経験しないような旅をしても、どこまでもアントンは普通の人間なのだ。急激な変化など望まない。

 だから今回の正誤両方含んだ決着に文句を付ける気にはならない。ただ、決定すれば何かが犠牲になると学んだだけだった。



(さて、これからどうなるかねぇ。守護騎士なんて、運命が無い方が難しそうだ。どうすればいいのか何も分からない。礼儀作法とか窮屈そうだ)

(シシシ……さて、運命が本当に終わったかどうか。ところでここは現実とは時間の流れが違うぞ。夢だからな)

(え? 俺は色んな光景を見て……何日経ったんだ。まずい、早く目覚めないと。またな、カリディス)



 アントンの形が薄れていき、白いもやとなって天上へと登っていく。



(シシシ! またな、か。なにもかも変わったもんだ……しかし、ああも精神を簡単に起こしてしまえるたぁ、まだまだ何かに使われそうな気がするな)



 カリディスは元々この夢に場所を提供している身だ。出ようと思えば簡単に出られるが、あくまで使い手のアントンはそうではないはずだ。これはアントンが精神を上手く扱える才能を持つ証拠である。

 アントンがこれから安寧の生活を送れるかどうかは、怪しいと言わざるを得ないだろう。


 カリディスはそれを笑った後、自身もそこからかき消えた。



 アントンが目覚めると、木の天井が目に写った。どうやら自分はベッドに寝かされてるらしい、ということは分かって安堵するが、体は木の棒のように硬い。動くのもやっと、というところで上体を起こすのにもたっぷりと時間をかけなければいけなかった。

 部屋は素朴で、見窄らしいという感じはしなかった。それなりの待遇を受けているらしいと気づき、横のナイトテーブルに置いてある水差しとカップを苦労の末手に取り、水を飲むと一気に落ち着いた。

 がしゃりと音がした。見ると扉を開けた中年の尼僧が、運んでいた陶器を取り落としたところだった。アントンはさて、なんと言えば良いかと悩んだが、その前に尼僧の方が大声を上げながら部屋から駆け足で出ていった。



「聖女様ーー! 守護騎士様がお目覚めになられました!」

「……様?」



 自分に敬称が付くと妙な感じがするなと、思いながらアントンはベッドから出ようと四苦八苦しだした。どうにかベッドに腰掛ける形になったところで、バタバタと階段を上がってくる音が聞こえた。

 次に飛び込んできたのはレオノールだ。目尻に涙をたたえた彼女は、なんとアントンに向かっても飛びかかって来た。



「アントン! 本当に、本当に良かったです。わたくしはもう目覚めないのではと、気が気ではありませんでした! 無事で本当に良かった……!」



 アントンは押し倒された格好になり、身動きが取れずにいた。良い匂いがするし、で平時なら喜んだかもしれないが、今は絞め技を食らっている気分である。



「心配かけた……心配をかけたのは謝るが、そろそろ放してくれると助かる。主に骨が、ががが」

「離しません! どれだけ皆が心配したか……」

「あがが……!」

「お楽しみ中?」

「なんなら日を改めるが……」

「待って、助けてください、旦那、姐さん……」



 遅れて部屋に現れたロベルトとミレイアに必死に助けを求めたが、解放されたのはしばらくしてからだった。多分、二人は心配をかけたのを怒っているのだろう。そうアントンは思いたい。



「はーっ、死ぬかと思った。そんなに寝てたんですか、俺」

「大体2週間と少しは昏睡してたな。飯は流し込んでいたからともかく、下の方は尼僧達に感謝するんだな」



 ロベルトの発言にアントンはきまりが悪くなった。やる方は慣れている者がいるのだろうが、まだ若いアントンの方はそうでもない。



「ま、まぁ今度礼を言いに行きます。それにしても2週間とは体が動かないわけです。体感では2日ぐらいだったんですが……手足がきしみますよ。ところでここはどこなんですか?」

「テレシクア。覚えているか? 出発した街だよ。2国を一周して帰ってきたわけだな。そこの神殿で保護されている。鑑札とレオノールがいなかったら帰ってこれなかったところだった」



 なるほど。キスゴル側は王の出した鑑札で抜けて、エルドヘルス側はレオノールの身分で入ったわけだ。その日、戦いが無かったにせよ随分と危ない道行だ。それだけアントンが危ないように見えたのであった。



「二度目だけど、辺境に聖女様がいきなり来たもんだから、ここのお坊さん達は泡吹いてたね。まぁそれで皆いい部屋借りれたんだからありがたいねぇ」

「道理でこざっぱりとした部屋だと。俺が寝てる間に何かありましたか?」

「それが奇妙なことに何もない。憑依者(ソウルチェンジャー)を殺したのだから、配下が追ってきてもいいはずだがな……倒したんだよな?」

「肉体は間違いなく。魂もカリディスに入れることに成功しています。ただ、完全に消滅させるのは無理なようですね。容量がギリギリでなにもできないとカリディスも言っていました。そういえば、カリディスは……?」

「アレなら、気がつけばこの部屋にあるんでな。ベッドの足元に金属の箱を用意して入れてある。なにやら色が変わっているし、重要だろうと考えて見張りも付けてた」

「助かりました」



 そこで先程アントンに抱きついたため、所在なさげにしていたレオノールが立ち上がって言った。



「それならば……報告や報奨などのためにも一度、首都ワイラネスに行きませんか。魂の封印に関しても、きっと資料があるはずですから」



 国民でありながら、一度も行ったことのない土地の名前があげられた。


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