第三十五話・決着
獲った! そうアントンが思った矢先に、疑念が生じる。憑依者には余裕があった。だというのにこうも容易く?
だが、この好機を逃してはならない。アントンは己とカリディスを同調させて、相手の魂を取り込みにかかる。そこで異変に気づいた。
「無い!? どこにも?!」
憑依者を倒すにはまず魂を取り込まなければならない。だというのに憑依者の肉体にはどこにも魂と呼べるものがなかった。
「この体では無かったのか!」
『まさかとは思いますが、幾度も魂の捕縛者と戦ってきた私がなんの対策も取らずにいたとは思っていませんでしたよね? 勝ち目が無いなら逃げ出す準備ぐらいは、当然しますよ。不思議に思いませんでしたか? 私がホアキンという駒をなぜ選んだか、ということを』
その言葉はどこからともなく聞こえてくるようであった。
そう。この世に憑依者ほど魂の扱いに長けた者はいない。そのことを悟った瞬間にアントンが行動に移れたのは奇跡に等しかった。レオノールを押しやり、自分も部屋の隅に飛んだ。瞬間、雷が部屋を突き抜けた。
砕け散った調度品や石材の中に立つ姿は、先程倒したはずのホアキンだった。現にカーシーの刃が胸に刺さったままだ。
だがホアキンはそれを抜き去ると、新しい肉がおぞましい音とともに盛り上がってきた。
「ホアキン……ではない……?」
「そのような識別に意味はありませんね。体はホアキンですが、中身は私ですよ。いったいなぜ、贅沢に改造したと思っているんです。単純に予備の肉体ですよ。もっとも改善も兼ねていますがね」
この時アントンは自分の考えが間違っていたことを悟った。義務や任務で倒さなければならないのではない。憑依者は生きていてはいけない生き物だ。
「はあぁぁぁぁっ!」
気合一閃。カリディスを元ホアキンに向けて、横薙ぎに振り抜いた。だが、その一撃は雷の魔剣によって軽く防がれていた。いくら憑依者が乗り移ったとしても、強さは変わらないという幻想は儚く砕け散った。
「やはり肉体の性能はあなたに届いていますね。全く……ここまで改造したのに魔剣使い程度に敗北するとは、人間というのは不思議なものです」
今度は憑依者が剣を振るってきた。普通の斬撃ではない。見惚れるような美しさで流麗な動きは、剣が液状化でもしたかのような連撃だった。
それをアントンが防げたのはカリディスの強化あってこそ。半ば場当たり的に防御に成功しただけだ。一撃でももらっていれば雷によって行動不能に陥っていただろう。
「良い剣技ですね。エルドヘルスの兵士が使う剣だ。それだけに惜しい。私はエルドヘルスでも活動していた……つまり、見飽きているんですよ」
「くそっ……そういうアンタはどこの剣技だ」
「なに、大昔に廃れた流派ですよ。ですが……」
再び剣戟が再開されるが、明らかにアントンが押されている。それは肉体的には互角でも、技量面で大きな開きがあることを示している。
「研究の片手間でも、鍛錬した時間はあなたより遥かに長い。剣士として私を突破できると思わないことです」
剣の応酬は続く。レオノールはこれに加わることはできない。何の加工もされていない杖では雷の魔剣に感電させられるのがオチだ。何か使える魔法は無いかと思考を巡らせる。砲撃も今の憑依者には回避されてしまうだろう。ならば……ホアキンの肉体に、砲撃を応用した壁を浮かべて縛り上げた。カリディスにした砲身化で閉じ込める。
「今だ……! 魔剣、マンティス・カリディス!」
アントンが取っておいた巨大カマキリの魂で、醜い剣を作り出す。それは原型同様に折りたたみが可能な、大剣だった。
鎌の部分で内部に斬撃を届かせるが、感触は硬い。信じられないことに、四方を壁で囲まれた状態で防御しているらしい。
「なら、そのまま吹き飛べ!」
今の憑依者は砲身に閉じ込められているのだ。ならば、そのまま砲身として使えば良い。カマキリの鎌が光の力と反発しあい、再びの砲撃を実現させた。
高速で打ち出された鎌の部分は床に大穴を開け、憑依者をも同時に下へと打ち出した。
闇と光の反発に利用した魔剣の一部分はもちろん、憑依者自身が闇の塊なのだ。結果として爆発的な威力の増加に繋がる。
間髪入れずに大穴へとアントンは身を投げ出した。今の一撃で負傷はしただろうが、死にはしないだろう。動けない、ぐらいが丁度いい。一階部分に叩きつけられた敵はまさにその状態だった。
「カリディス! 頼んだぞ!」
(シシシ……任せろ。このときのために俺たちは在ったのだから)
鎌を無くした歪な大剣を解除する。再び黒の長剣と化したカリディスを、ホアキンの肉体へと叩き込む。相手の抵抗は緩慢で、すり抜けて胴を袈裟斬りにした。
憑依者の魂がアントンの中へと入ってくる。問題はここだ。恐らく憑依者は肉体が駄目になった時点で、魂同士の戦いに切り替えたはずだ。
そして感じる己の内にある強烈な他我
「があああぁぁぁぁっ!」
現実世界でも連動して叫び声をあげる始末だ。
大きい。何度も代替わりしながら一度も主導権を握らせなかった憑依者の魂はひたすらに巨大だった。魂の捕縛者として他者よりも大容量を持つアントンですら心臓が破裂しそうな圧迫感を覚えた。
そこから先は綱引きだ。アントンは憑依者に自我を奪われる前に、カリディスを用いて憑依者の魂を消費してしまわねばならない。
(可哀想に。ただの常識に流されて、ここまで来てしまった。やりたくもないことをやって、得るのは痛みだけだ。私を中に入れてしまえば、君の精神も深く傷つくというのに)
「黙れ……! お前は生きてはいけない。ホアキンにやったことをもう忘れたとでもいうのか……!」
(それの何が君に関係があった? 傍から見れば異常かもしれないが、アレはアレで安定していたのだよ。大きな力を得る代償としては、見かけの変化ぐらいのものだ。それにカーシー達も戦場にいなければ関わらなくていい話。放っておけばどれもこれも見てくれが変わる程度だ。変化を恐れるもの達の生贄。それが君だよ)
大丈夫だ。惑わされるな。アントンはそう自分に言い聞かせる。現にカリディスは魂を使って、その姿を変えつつある。星の夜から白い彫刻のようになっていく剣を見ながら、懸命に己を保つ。
(まぁいいさ。光と闇の対立は形は異なれど、あちこちで萌芽するもの。ここで私が終わろうとも、結局変化は訪れる。最後に勝つのはいつだってこちら側なのさ)
「結局は負け惜しみか! こちら側だのなんだの知らないが、お前はここで消える!」
(そう。そして、それは大したことがない。おかしいと思わなかったのかな。物事の重要度を決めたのはヤーバード教団で、君ではない。私としては変化を起こせればそれでいいのさ……さぁ君の勝ちというものがやってきた)
レオノールが1階に駆けつけた時、アントンは真っ白に変化したカリディスを祈るように掲げ持っていた。それは勝利を絵にしたような光景だった。




