第三十三話・旅の縮図
前方から来るカーシーは勢いに満ちている。やる気というよりは狂乱に近く、舌と歯をむき出しにしながらよだれを垂らして迫ってくる。
対峙したロベルトはそんな様子にも、いつも通りの平然さを保っている。距離が近くなると大剣を脱力したかのように横に移動させ、カーシーが飛びかかってくる瞬間に振り抜いた。見事な横薙ぎで妖犬達はたちまち無力化された。
「魔剣……カーシー・カリディス!」
続く群れの相手にはアントンも加わった。カーシーの魂を使い、剣を薙刀のように変化させて、薙ぎ払いに参加する。
いくら怪物といっても、魔剣使い達はカーシーに慣れ始めていた。不思議なものを見すぎたからだが、カーシーの敏捷性も凶暴性もそういうものだと認識して、怪物を使う利点である相手への恐怖の効果が全く発揮されていない。
「このまま、カーシーだけなら……」
「行けると期待したいところだが、まぁそんな訳はないよな」
アントンの楽観をロベルトは切り捨てた。戦場というものは試練を用意してくるものだと、人間同士の戦いですらそうなのだからと、歴戦の傭兵は見ていた。
はたしてその通りになった。アントン達のいたところに影が落ちる。狙いすましたそれは大穴のようだった。
「散れっ!」
ロベルトの言葉で全員が四方八方に飛んだ。レオノールだけがアントンの方向に飛んできて、それは無事受け止められた。
最初の攻撃は無事に避けられたが、見上げる巨体はそのまま残り、注がれる視線と逆に一行を見下ろしていた。
「こいつって、戦場で見た……」
旅が始まる前、遠目に見た巨大な怪物。それは巨大なカマキリだった。
カマキリといっても色も緑ではなく、赤に近い色をしている。巨大な肉でできた四肢は脈動しながら、うちに秘めた暴力をこれでもかと見せつけるようだ。
カマキリの腕に相当する部分がたわむ。
「距離を取れ!」
「いや……間に合いませんぜ!」
ただでさえ巨体に見合う腕の長さのうえに、肉が想像以上に伸びていた。アントンは咄嗟に剣を振りかぶって鎌の部分と刃を噛み合わせた。他の皆が薙ぎ払いに巻き込まれぬよう、立ち位置もしっかりと取って、全力で押し留めようというのだ。
「ぬっく……! おおぉおおおっ!?」
皆が退避した後、一拍遅れてアントンは吹き飛ばされ、家屋の壁に叩きつけられた。幸い、頭は打っていないようでフラフラと立ち上がる。
「アントン君がカリディスで力負けした……!?」
「いてぇ……見かけ通り、化け物ですわコイツ……」
超人的な身体能力を与えてくれる魔剣カリディス。そのおかげでここまで生き残ってこれたのだが、とうとうそれを上回る相手に出くわした。
感情があるのか、カマキリは己の一撃で死ななかったアントンを気色の悪い目玉を動かしながら観察している。敵も困惑しているようだった。
「何かすごく敵視されてる気がしますが……」
「いくら強敵でも、コイツを相手にいつまでも戦っている訳にはいかない。力を合わすぞ、アントンは何とか相手を抑えてくれ。ミレイア、早いがアレをやる」
「りょーかい。本当はホアキンまでとっておきたかったけどね」
「レオノールはカーシーが来ないか見張って、少し離れていてくれ。見くびるわけではないが杖ではコイツは止まらんだろう。魔法も温存すべきだ」
「はい……」
レオノールは参加できない己を恥じながら距離を取って、見守った。アントンは何とか抑えると聞いて、簡単に言ってくれると思いながらカリディスを構えて……突撃した。
今のところ敵とみなされているのはアントンだ。だが肉の大鎌を相手取っては先の二の舞い、一気に懐へ入り込んで剣を振るう。
切り裂くのと足や体で潰されるの、どちらが早いか。そんな綱渡りを延々と演じていくアントン。
死闘の後ろでロベルトとミレイアは共鳴を高めていた。互いの魔剣を同期させ、一つの力と成していく。奇しくもそれはアントンとレオノールの同調行動とよく似ていた。
「よし、行くぞ。アントン! 合図で横に飛べ!」
「いっくよー!」
「今だ! 火炎旋風!」
ミレイアの細剣がまるで魔法使いの杖であるかのように、火を吹いた。それは横向きの竜巻のように渦を描きながら、カマキリを襲った。
巨大なカマキリは一瞬にして総身を炎で覆われた。発声器官を持たない怪物は奇怪な音を撒き散らす。逃げようとしても、発生源は風の魔剣だ。上から押さえつけられるような火炎を浴びせられ、時には横殴りに晒されるなど、今や風に翻弄される小鳥と化していた。
それでもなお足掻くのを止めない姿に、アントンも加わった。炎風に巻き込まれないよう願いながら、足を切り落としていく。
強靭な生命力が災いして、敵は炭になるまでその地獄を味わい、停止した。
全員が呆けたようにしばらく動けなかった。火炎の竜巻で何かを消費するのか、ミレイアとロベルトも息をあらげていた。だが、立ち止まってはいられない。ここは敵陣なのだ。
「ヤーバードよ。我らの身にその御威光で包んでください……」
「お?」
アントン達の体が淡い光を放った。その光はレオノールの杖から煙のように立ち上って、皆に繋がっていた。そこに魔剣が放つような恐ろしさはない。
「意志力を活発化させる術です。これならわたくしの負担もほとんどありません」
「なるほど、良い気休めね」
レオノールは苦笑したが、精神的疲労が緩和された結果、まるで小休止したかのように爽やかな気分をもたらしていた。全員が気を取り直して、意気揚々と立ち上がる。
「よし、カーシーがまだいないとも限らん。移動を続けるぞ」
魔物との戦いに慣れてしまった一行だが、それでも妖犬との追いかけっこはもう飽きていた。城館へと向けて再び走り出す。
薙刀のように変形したままのカリディスを肩に担ぎながらアントンは、不思議なことに先程のカマキリもどきの魂が体の内側にあるのに気付く。どうも肉体の大きさと魂の大きさは比例しないらしい。
城館が見えるほど近づいたとき、ベールの鹿足が5人ほど立ちふさがった。
「これまでの旅の総決算って感じねー」
「そうだな。奇妙なほど似ている」
鹿足が相変わらずの速度で突っ込んできて、一行と交差した。それだけで鹿足は二体が両断されていた。アントンとロベルトの技である。
「もう見飽きたよ。跳ねる動きだから進行方向に剣を置いておくだけでいいから」
「硬くもなければ、技量もない。そういう存在だと分かっていれば問題ない」
とは言ったものの残った3体とはそれなりの激戦となった。既に至近距離で懐に入っての戦いではロベルトの大剣と、変化したカリディスが不利だったからだ。一方の鹿足も脚力を活かせない。
戦いは泥沼と化した。そこで意外な働きを見せたのはレオノールだった。レオノールの武器は杖だ。相手が近かろうと、少し離れていようが関係ない。突き、払い、叩く、それらの動作が面白いほどハマる。
そこで隙を見せればミレイアの細剣の餌食だ。鹿足はその速度以外は人間に近い。つまり簡単に死んでしまう。
アントンとロベルトも生きた盾に変わり、二人の女によって鹿足は全滅した。
「ここまで来れたましたね。皆さんのおかげです」
「礼が早すぎるだろう。この中に入って標的を倒してからだ」
「それに……ここまで旅を模したような戦場。なら、待ち構えているのは大敵だけじゃないよねー」
「まぁ……これもなにかの縁。と言うわけですね」
城館の前には憑依者の剣にして、かつての隊長。ホアキンが待ち構えていた。




