第三十二話・決戦開始
教区長カーンに分かれを告げ、一行は馬車に乗り込んだ。新しい馬はよく訓練されており、重量を増加させる新人達にも不平を表さなかった。
これから円を描くようにキスゴルとエルドヘルスの戦いの最前線近くの街カンゲドを目指すのだ。旅の出発地点からの方が余程近いが、事情を考えればそれに不満は持てない。
「今度の旅は随分と速く進むだろう。途中で何か妨害を受けなければな」
「人間の刺客はホアキンによるものだったようですから、そっちは少なくなるんじゃないですかね? アレは今、飼われているような感じですし。それよりも化け物共のほうが余程怖い」
旅の再開はうんざりするかと思ったが、アントンはそうでもないと感じていることに気付いた。物知りなロベルト、天真爛漫なミレイア、そしてレオノール。この顔ぶれで一緒にいることが楽しくなっていたのだ。
不思議な感覚だった。この先の旅路がどうあれ、少なくとも最期は血まみれの決戦だ。それを穏やかに受け入れている。元くず鉄拾いとしては上等ではないか。様々な出来事がアントンの心を強靭に育て上げていた。
「化け物か……最近は鹿足しか見ていなかったが、カーシーやカマキリも懐かしいな。積極的に会いたい訳では無いが」
「前線大丈夫かなー。全滅してなきゃいいけど」
「カーシー……こちら側では見てないですよね。何か理由があるんでしょうかねぇ。鹿足は意思疎通ができるからかな……」
ベールの人物は変化が目的と言っていた。確かにカーシーなどを駆使して、一国を敗退させることができれば世界は変わるかもしれない。
キスゴルの門を抜けながら、既に世界は変わり始めているのかもしれないと、アントンは思った。キスゴル王も怪物達に価値を見出していたのだから……
旅は順調に進んだ。流石にキスゴルから繋がる大道路網といったところか。馬車が引っかかるような難所もなく、道もわかりやすい。時折出くわす関所でも鑑札を見せればすんなりと通れる。
「鑑札相手に土下座する勢いねー」
「実際に王から貰ったものですから、それぐらい価値があるものかもしれませんね。個人的には人より手形の方が価値があるという風習はどうかと思いますが」
カンゲドに近づくにつれて、キスゴルの兵達とすれ違うことが多くなった。皆、馬車に乗り体のどこかに包帯を巻き付けていた。戦線で怪我を負った者達が療養のために、僅かな期間帰っていくのだ。まだ決戦が始まっていないことと、キスゴルの力に余裕のあることの証拠だった。
こうしてさして妨害もなく、一行はカンゲドの街に到着した。カンゲドの街はどちらかというとエルドヘルスに近い様式で、街を囲む城壁も灰色だった。
カンゲドの街が異様なところはそこだけではない。最前線近くの街となれば色々な“娯楽”を提供するものと兵士相手に商売する者達がいるはずなのだ。それがいない。
門の近くに立っていた兵士は死人のような無表情で、一行を通した。大通りには商人たちどころか、うろついている人間一人もいなかった。
「こうもあからさまだと、笑えてくるねー」
「ああ。いかにもここが決戦の地という印象だ。まぁ闇の力などというのだから、これはそれらしいといえるのだろうがな」
「人っ子ひとりいないんじゃ変化も何も無いだろうに……」
「アントン。変化とは……」
「憑依者が言っていたんだ。闇の力とは変化を目的にしたものだと。でも、この有様じゃただの廃墟だ。命を懸けるものには見えないな」
よって腹をくくる。憑依者を倒し、カリディスを使ってその魂を消費しつくして消し去る。待ち受けているのはホアキンと怪物達だろう。
4人に不思議な気分が湧いてくる。それは勇気や義侠心といったものではなかったが、アントン達の足をしっかりと支えてくれた。
「よし。ここが正念場というやつで間違いは無いな」
経験豊富でいつもリーダーを務めてくれたロベルトが聞く。彼はもっとも世慣れしていて頼りになったが、その根っこは誰よりも純真だった。
問われたアントンとレオノールは剣と杖を交差させて、一瞬だけ気配を城館に向けた。キスゴルで感じた場所に間違いなかった。頷いて返す。
「ひ~、大金を手に入れるのは楽じゃないな~」
ミレイアは常にムードメーカーだったが、同時に大人らしい女性だった。良くも悪くも女傭兵そのままだった彼女は一行の清涼剤で、気づきをくれる人だ。ロベルトと一緒にいることが多かったが、どういった関係になるのだろう?
今も鋭い感覚で、街の中の殺気を感じ取っているらしいが、それでもいつも通りだ。
「ヤーバードよ。大業を成し遂げられるよう、皆にご加護を……」
真剣に祈るレオノールは道標のようなものだ。また、聖女という最高位の神官でありながら、その中身はアントン達と変わらない一人の人間だと旅の中で知ることができた。
最初は面倒事を持ち込む存在だったが、今ではアントンと一心同体のようだった。彼女もまた憑依者と戦うまで死ねないのだ。
「あー、いやだいやだと言っても……役目だから仕方ないか。おもえば決戦の相手が元くず鉄拾いな憑依者も可愛そうなやつだな。物語にもなりゃしない」
そしてアントンは運命に従いつつ、自分の意志を持つことができるようになった。相変わらず口では仕方ないと言いつつも、根底にあるのは仲間のため。守護騎士として、同時に一人の人間として誰かのために動く。それはくず鉄拾い時代から孤児院のために働いていた、あの日のままの自分に旅の苦難を重ねて積み上げた強さだった。
いずれにせよ、全員死ぬ気はない。これはただの仕事だと気負いなく、2つの国を巻き込んだ戦争の元凶に剣を向ける。
「ここまで何も妨害が無かったということは出てくるぞ。全部は相手にできないだろうから、とりあえず目的地に着くまであしらうしかない」
「路地とか上手く使えないかな。目的地はあの城なんでしょ。どこからでも目指せるよ」
「そうだな。だが挟まれないよう注意しろ。ミレイアは飛べるからそれでいいが、アントンと聖女様と私は大通りを行く」
「了解です。ロベルトの旦那。レオノール、今回はあんたも前線だから気を付けてな」
「大丈夫です。この杖は飾りじゃありませんから……でも魔法は最後に向けて温存しておきます」
「よし。では……行くぞ!」
一気に走り出す。アントンもこの日のために甲冑ではなく、以前のレザーアーマーに戻していた。まず敵の居所に行かねば話にならないからだ。
走り出した一行の前後に、柔らかく着地する音がした。毛のない赤色の肌に、犬に似た四足……カーシーだ。追うものとしても、追われるものとしても犬型というのは人に比べて圧倒的に優れている。
「風よ! 押して!」
ミレイアの魔剣が後背から追ってきたカーシー達の速度を鈍らせる。そこに追い風を受ける側になったアントンが滑り込み、カーシー達に刃を振るう。相手を殺すことよりも目や足を奪うことを心がけて、すぐにアントンは一行に戻っていく。
死んだのは一匹ぐらいで、後は前足を失ったものと、目を潰されたカーシーだけが残された。ちらりと後ろに目をやれば、足が無くともナメクジのような速度で追ってこようとするカーシー達にアントンは嫌悪感を覚えた。
倒したカーシーの魂を一つ己の胸に貯蔵した。アントンはロベルトと並んで今度は前からくるカーシー達へ向けて、突っ込んでいった。戦いは始まったばかり、ここでつまづくわけにはいかなかった。




