第二十九話・因縁の始まり
戦いはロベルトの不利な状況だった。いくら広いといっても室内。大剣を振れる位置取りに手間取ってしまう。
そして、最大の壁はホアキンの剣が雷の魔剣という点にある。感電させられる危険を回避するには相手と打ち合うような真似は避けたい。鍔迫り合いも同様だ。
しかし、それはホアキンにも当てはまるはずだ。ロベルトの炎の魔剣は古代の量産品。一点ものに劣るの間違いないが、効果は十分だ。炎熱も雷に負けず劣らず近づいてはならない。
なのに結果として発生したのはロベルトの一方的な不利。それは単純な身体能力差から来ている。その感覚をロベルトは日常で味わっている。
「剣の効果か? それとも本格的に連中の仲間入りでもしたか?」
未熟者を熟練者まで押し上げる。魔剣カリディスの身体能力強化によく似ている。あるいは、道中で出会った鹿人の類だ。とにかくホアキンはもう欠片も侮れる存在ではなくなっていた。
「まぁ、こちとら傭兵だし? 騎士道精神とか持ってないのよねー」
ロベルトの劣勢を補うべく、空中を歩きながらミレイアの突きが降り注ぐ。頭上を取る有利は計り知れない。少なくとも無理な体勢を要求されるはずだが、ホアキンはそれを一顧だにせずゆうゆうと躱してみせた。しかも、その間ロベルトも相手しなければならない状況でだ。
「これは……」
「ちょっと割に合わないね」
「どうしたんだい、ヤーバードの勇者たち。二人がかりでこのざまなら、相手をする価値もないけれど」
「言ってくれる……」
自分が勇者であると、欠片も思っていないロベルトは、奇跡を期待して勇壮に戦い続ける選択肢を放棄した。攻撃は牽制におさめて、防御に徹する。頭上のミレイアと示し合わせるように、自然と後退していく。
行き着く先にあるのは扉だ。その大きな扉が開かれ、中から颶風のごとく飛び出した影がホアキンを蹴り飛ばす。
「すいません。遅れました。ロベルトの旦那……アレは俺達が知っているアイツで間違い無いんでしょうかね?」
「ああ……いや、謝るのはこっちだ。仕留めきれなかった……どうもホアキンはホアキンだが、かつてのアイツでは無い。段違いだ」
アントンは落ち着いた目で、ホアキンを吹き飛ばした先を見据えた。実戦経験豊富で頼りになるロベルトとミレイアだが、個体としての戦力は身体能力を向上させたアントンの方が上だ。
「ハッハッハ。そやつも城内で暴れて良い権利を買ったやつだ。どちらも好きにしていいが、内装はあまり壊さないでくれると助かるな」
「……どうも、陛下」
トーバ王は高みの見物というより、アントンとホアキンの生死なぞどうでもよさそうであった。実際、ヤーバード教団本部とシンシア派のどちらが商売相手に相応しいか決める程度の意味合いしか、世俗の王には無いのだろう。
「アントォン! ようやく出てきたか」
「久しぶり……ってとこですが、なぜに俺を見ているんで?」
先程までホアキンと戦っていたのはロベルトとミレイアだ。そしてアントンとホアキンの間にさしたる因縁など無いはずだったが、ホアキンの内には憎しみが燃えていた。それを嫉妬という。
「貴様さえ、貴様さえ、いなければ守護騎士の座は私のものだった」
「……意味が分からない。貴方は生まれながらの騎士。俺のような者とは違って恵まれていただろうに、なぜこの上面倒を欲しがる?」
「面倒! 面倒だと! 誰もが羨む地位について高みに上ったつもりか!?」
二人は感情からして徹底的に噛み合わなかった。ホアキンからすれば守護騎士は汚名を上書きできたはずの称号だ。苦難を乗り越える価値がある。
一方でアントンにとって守護騎士はその苦難を与えてくる時点で価値が無い。親しくなったレオノールを守るという意義すら、最近になってようやく生じた。
生まれの違いか。自分の存在を確固にするものを求めるホアキンと、楽に生きたいアントンではすれ違うだけだ。
「だが、今は違う。私も今や勇者だ。あらゆるものを作り変えるお方のみもとで生まれ変わった。後は全て塗り替えれば、正義も大義もこちらにある……」
「ぶつぶつと言われても……」
「いくぞ、アントン。貴様の首は私が貰う!」
ホアキンが動く。まるで爆ぜたかのような速度は確かに人間の範疇を超えている。生まれ変わった、というのは誇張では無かった。
対するアントンは教科書通りの構えで待ち受ける。かつて、傭兵になりたてのころに学んだエルドヘルスの正調剣術と我流が混ざり合っていた。
剣と剣が噛み合う。それでホアキンは勝利を確信した。
「終わりだ! 偽物めが!」
電撃が奔る。それはカリディスを伝い、アントンへ……向かわなかった。
(なんだ? なにが起こった?)
(シシシ…雷の魔剣よ。雷撃を体に流して止めるつもりだったのだろうが、そんな強力な代物に対抗策を講じてないわけがない。俺達と同時期に作られた魔剣は魔剣の効果を妨げるようにできている……まぁ出力差次第だが)
つまりは古の魔剣の中でも上等なものは、魔剣同士の衝突を想定している。例えばカリディスの場合、ツバと柄に細工が施されており電気や熱を使い手に伝播しないようにしている。
これは同じ古代魔剣でも量産型だったロベルトの剣には無い要素だ。ちなみに、本人は知らないがミレイアの細剣には似た仕組みが備わっている。
要はホアキンと自分は戦えるということだ。そう気を取り直してアントンは、噛み合った刃を押し込んだ。
カリディスを手に入れて以来、アントンは自分と互角の膂力を持った存在と出会ったことはない。だが、ホアキンは押し切られない。
ロベルトが敵であるホアキンを危険を冒して、アントンの近くまで運んできたのも道理だ。二人が打ち合う衝撃は凄まじい。
「ハハハ……魔剣同士の戦い。次世代の戦か。それが古代に戻ったかのようになるとは、全く面白い」
トーバ王が謁見の間で愉快そうに笑っている。位置からしてかすかに見える程度だろうが、良い余興らしい。
「やっぱり、鹿人間と同じで改造されたんだな。気色悪そうなのに良くやりますね」
「抜かせ! 最初から特別なお前には分かるまい!」
「それは貴方の今の雇い主にも言えるのでは?」
驚いたことにアントンは平静を保ったまま、騎士として生きてきたホアキンと互角に渡り合っていた。時折放たれる雷撃で優勢には遠いものの、見事な劇のようだ。
それは冗談のようだが、並み居る騎士たちと同じ位置に到達した理由は心根一つ。レオノールに相応しい守護騎士という仮面が、アントンの精神を落ち着かせ揺らがないようにしたのだ。
(シシシ…俺達も様になってきたじゃねぇか)
(カリディス。できそうか?)
(初めての試みだ。上手くできたかどうか……それに効率が悪い。半分も留めておけないぞ。一発分だ)
(上等じゃないかね。俺達にしては)
(違いねぇ。シシシ…)
アントンがホアキンの剣にわずかに押されてきたように見えた。その一瞬にホアキンは全力で連撃をねじ込んでくる。
ホアキンの顔が暗い笑みに染まる。一瞬の違いで天秤が一気に傾いたのを感じたのだ。
「終わりだ!」
上段から斬りかかってくるホアキンの一撃に、アントンは防御ともいえない体勢を取るのが精一杯だった。それが防御なら。
「カリディス!」
カリディスの方から小さな電撃が迸って、ホアキンを打ち据えた。魂という無形のものでも加工するカリディスの特性を活かし、受けた電撃を吸収しつづけていたのだ。
威力は大したことはない。本来の使用方法ではない上に、初の試みだ。だが、ホアキンの側から見た衝撃は凄まじい。必殺の一撃を乱されたこと、相手が雷を使ったこと、特にホアキンからは雷をどこまで吸収できるかも分からない。一瞬で過ぎ去る思考に、体はついていけなかった。
「先の言葉、そのままお返ししますよ。終わりだ!」
カリディスの刀身が鎧を砕き、その奥の身を切り裂いた。だが、浅い。血は盛大に吹き出たが、臓腑まで達していない。
「誰だ……?」
ヴェールを被った人物がホアキンを引きずって、致命の一撃を避けたのだ。ロベルトとミレイアもいるというのにどこから現れたというのか。
「今日は挨拶まで。退きましょう、我らが勇者」
「ふっ、ふざけるな。私はまだ……」
「ええ。まだ戦えるから退くのですよ。最後に勝つのは貴方。それでいいではありませんか」
待て、という言葉を出すことはできなかった。アントンはこの人物こそが恐るべき敵だという予感に震えていた。いかなる呪いか。ホアキンとヴェールの人物は一瞬で消え去った。




