第二十七話・安楽のもてなし
太った教区長はわざとらしく、咳払いをした。この人物は芝居がかった動きが好きらしいとアントンは思ったが、不思議に不快には思えなかった。それも当然で、教区長カーンは誰に対してもこのような態度を取るのだ。
「結論から言いますと、我々が仮想敵としている集団……シンシア派と思われる、はキスゴルのやや深いところまで浸透していますが……そこで止まっています」
「止まっている? 普通ならばより権力に食い込もうとするものではありませんか?」
レオノールの疑問はもっともだ。別に憑依者ならずとも、権力を手にしようと思えば、より深きを望むのが普通だ。それにカーンは止まっていると言った。つまり意図的に停止したということだ。
「私もこう見えて……いや見かけ通りに、ここで権力と人脈を持っております。調査の初期で気付くべきでした、シンシア派は王や大貴族に取り入る気は無いのだと」
カーンの恰幅の良さはそれなりに意味があってのことだ。生臭坊主と思わせることと、多くの行事に参加する際の饗応の両方で身に肉が付いたのだ。カーンの信仰心は本物であった。
そのカーンの探りをシンシア派はすり抜けていった。こうした権謀術数の話だと傭兵三人は聞いているしかない。
「取り入る気はない? では彼らは一体ここで何を……」
「無論、取り入る気はないにせよ、活動が制限されないよう金はばら撒いていました。それでも、彼らがここで近づいたのは軍務を司る役人達でした。まるで魚が川をさかのぼるようにそこから、現地の実力者、そして末端の人間と根付くようでした」
傭兵たちの頭に浮かんだのはカーシーをはじめとした、かつて出会った怪物達だった。なるほど、ああした怪物はそうやって運用されるようになったのだと思い至った。
「聖女様。憑依者にまつわる歴史は事実なのですな?」
「はい。流石に連続して表に出たというわけではありませんが」
「ふむ。となれば、彼らは当然考えたはずです。今までのやり方では通用しないと」
アントンはあ、と声を出した。憑依者というからには、そして自分とカリディスが討たねばならないということは、敵は常に同一人物なのだ。そのことに今更考えが及んだ。
ならば当然、反省もすれば修正もするだろう。
「闇の力……というのが一体何なのか、私には計りかねますが、実験などを行うには人里離れた方が良く、動きやすい軍の方が賢明だと考えたのでしょう。兵も守りに使えますし」
「むしろ、今までそうしなかったのは何故かが気になるところねー」
「権力者を傀儡にするというのも、それはそれで効率的ですからな。ただ、ヤーバード教団が力を持っている以上は頭が回る王には支援するにもリスクが大きい。ただ……」
「ただ?」
「気になるのは憑依者という者にとってなにが利益かということですな。利益は良い。意外かもしれませんが、私にとっての利益は神殿や教会を訪れる人を多くすることです。まあ虚栄心の一種ですな」
教区長カーンは一国の首都に派遣されるだけあって、流石というべきか自分のことをよく弁えている。派閥はあれど、キスゴルもエルドヘルスもヤーバード教団の国だ。熱心さは違うだろうが、大抵の者はヤーバード信者だ。
カーンのゲームはそこから、祈りにくるような人間を増やすことが目的、そのまま利益ということだ。
「利益は金銭ではありません。大抵の場合、金銭で解消できるというだけでしてな。憑依者の利益が何か? それを理解できれば、追跡は容易いでしょう」
そう言われても同類であるはずのアントンには、さっぱり理解できなかった。他人の頭を推測するなどできるわけはない。それでも、それなりに疑問は湧いた。
「なぜ憑依者はキスゴルに味方してるんだろうな。カーシーとかデカいカマキリとかそいつが作ったんだろうから、キスゴルに勝ってほしいということにならないかな?」
「アレは成果をお披露目するための戦場だったのかもしれない。あの怪物共は、誰が見ても嫌悪感を覚えるだろうからな。軍部に対して見てくれや製法に対して、それでも戦果が出せるということを示さなければならなかっただろうからな」
怪物の製法と聞いて一同は怖気が立った。例外は口に出したロベルトだけだ。
確かにあのような生き物が普通に産まれてくるのは想像できなかった。普通に産まれてくる方も十分恐ろしいが……
「怪物を使う国と、魔剣を使う国の戦争か……我々は幸運だが、傭兵の時代も過ぎ去ろうとしているのかもしれないな」
「難しい話もいいけどさー、これからどうするの? 黒幕はこの街にいないかもしれないんでしょ? 観光して帰る?」
いかにも観光だけの方が良さそうなミレイアが、のんびりと言う。だが、そうもいかないだろうことはわかっているはずだ。
「キスゴルで活動してたのも事実でしょうし、国王陛下にお会いしてみましょう。わたくしも会ったことのある方なので、そこまで待たされはしないはずです」
「でしたら細かい話は、このカーンめにお任せを。私も街の顔役の一人ですからな。王城にも当然、顔がききます。さぁ、これから忙しくなりますぞ! あ、皆様はそのまま食事をお続けください」
カーンは早速立ち上がって神殿の上階へと向かっていった。国王との謁見ともなれば、予約にも色々と手順があるのだろう。それにしても恰幅の良さとは裏腹に、カーンは随分と行動的な人物のようだ。アントンはこの複雑そうな教区長を好きになりかけていた。
食事を終えると、その量と味に皆が骨抜きになりかけていた。カーンはいつもこのようなものを食べているのだろうか? 最初は文句を言っていたレオノールも結局はかなり食べてしまっていた。
「日頃の糧食とコレじゃ差がありすぎるわ~。もう旅とかできないかも」
「どこの料理なのかも分からなかったけど、確かに美味い……これなら食事にこだわる人の気分もわかる……」
「ちょっと辛かったが、新鮮な驚きだった。キスゴル風の味付けなのか?」
「ヤーバードよ、申し訳ありません。世俗の欲に負けてしまったわたくしをお許しください……」
それぞれが好き勝手なことを言いながら、余韻に浸る。実際に旅に出てからこれまでで最高のもてなしだった。中でも貧乏生まれのアントンは味の複雑さに、まだ脳が追いついていないような有様だ。
それも過ぎ去ると、召使いのような者から居心地の良いスペースに案内されて、夢のような時間だった。
待つことしばらく、カーンが額の汗を拭きながら戻ってきた。一行がくつろいでいるのを満足気に見渡した後、話を切り出した。
「謁見は三日後となりました。聖女様のお名前を出せればもっと早くできたのでしょうが、私にはこれくらいが相応しいと王は判断されたのでしょうな」
「はー、わざと待たせるわけですか? お偉い人は良くわかりませんね……」
「そんなことを言っていて良いのですかな? あなた方も参列するのですよ?」
「……は?」
「まさか聖女様をお一人で行かせるつもりではないでしょう。シンシア派のことをお忘れか?」
そうだった。シンシア派は軍閥にすり寄ってるとは言え、ここキスゴルでも金をばら撒いていたのだった。刺客を用意するぐらい容易いだろう。
となると大問題だった。城の中での振る舞いなど、レオノール以外誰も身に着けていない。ロベルトですら知らない。
「まぁ静かにしていれば大丈夫ですよ。ですが守護騎士殿は……少し訓練が必要でしょうな」
「……え。それってまさか……」
「守護騎士殿は聖女様の介添え。いや、伴侶と言って良い。当然、王の御前にも出なければなりません。見ようによっては謁見の間での護衛にもなるのですから丁度良いではありませんか。さて、そうなると準備が入用ですな」
バタバタと走り去るカーンと慌ただしく動き出した召使達を見ながら、傭兵三人はボウっとしていた。まるで現実感のない事態だった。




