第二十六話・キスゴルの街
アントンは珍しく考え込んでいた。記憶を辿ると無自覚にレオノールの守護騎士になった日が思い出される。自分には不似合いな役割はすぐには飲み込めなかったものだ。それは今もそうかもしれない。
そんなアントンは今、ある現実に直面していた。魂の捕縛者として、これまでの旅を続けてきた。だが、場当たり的に流されて来たとも言える。
そもそも“闇の力”とは何なのだろう?
(カリディス。お前は何か知らないか?)
(シシッ! これに関しては俺達が見てきた物と同じぐらいしか知らないな。生き物を化け物に変え、世界の覇権を狙う……といったふうにな)
(そこが分からないな)
相変わらず自分のことを俺達と呼ぶ、相棒カリディス。長く生きてきたであろう、この魔剣をしてこんな程度の知識しか持っていない。
かつて戦った化け物達や鹿足を考えれば確かに異形であり、おぞましくもあるだろう。だが農村での戦いでは言葉が通じた。それだけでなく、普段は普通に生活していた。
レオノールにこのようなことは聞けない。彼女はヤーバード教団で徹底的に育て上げられているので、まず排斥ありきで会話にならないだろう。
アントンは自分の目と耳をしっかりと開けておく決意をしていた。
「後は一直線で、単調な旅になりそうだね」
「そうなんですか、ロベルトの旦那」
「まぁ地形的にはそうなるが、昨晩のようなこともある。それにキスゴルの中枢にその憑依者とやらが入り込んでいるなら、妨害はこれからだろう。近づけば近づくほど、勢力圏ということなのだからな」
さて、キスゴルの国自体が敵に染められていないのなら、いいのだが……アントンはそこで考えていなかったことに気付いた。
「敵がお城とかにいた場合、どうやって決着をつけるんですかね。入れもしないような……」
「教団はキスゴルの要職にも当然います。その方達の手引で内部へは潜り込めるでしょう」
「それにしたって人の城で剣を振り回すわけにもいかないんじゃないか……? とっ捕まってどっちも牢屋にいれられそうな気がする」
アントンにとって一国の王城などおとぎ話の建物だ。ついでに言えば、多少ズレはあっても間違ってはいない。キスゴル人は権威を戦利品などで表すため、城の中は華美なものだった。
「前回もキスゴル王が協力してくださったと聞いています。まずはたどり着くことを考えましょう」
「確かにたどり着かないと意味はないよなぁ」
「何か……嫌な予感がするか? アントン」
ロベルトは静かな顔でアントンを見据えていた。真剣そのものといった感じで、ふざけた返答が許されていないようだった。
「ああ……なんというか不安でさあ。ここまで来たのに妨害は散発的……敵地にいるはずなのに、本当ならもっと苦しい旅路になるはずなのに、順調で……それが偶然とは思えないんですよ」
「そうか。それなら私も気をつけよう」
「へっ?」
「傭兵の勘というわけではないが、命がけで生きてきた人間は時々直感で何かを感じ取る時がある。ミレイアもそれを信じるクチだな。私も信じている。魔法や怪物がいる世の中で人間も不思議な力を持っているということをな」
「ただの不安な気も我ながらしますがね。ただ、はちみつ色の髪をした人物もあれから何も仕掛けて来ないし……」
空が曇り始めた。黒と白どちらともつかない灰色は現在の様子を現しているかのようだった。
「まぁまぁ。楽しいことでも考えようよ。敵地ど真ん中って考えたら、気にしても仕方ないよ。アントン君の守護騎士訓練は順調?」
「訓練……それなりに上手く行っていると思いますが、なにぶん時間が足らないんで。剣技なんかはカリディスがいるので補えるし、文字の勉強も我ながらよくやっていると思うんですが、この聖なる書物とかいうのが分厚すぎるんですよ!」
「あははー、聖句集だね。読んだことはないけど」
「わたくしにとっては普通だったのですが……守護騎士アントンにとってはそうではないようで、授業の度に文句を言われて困ります。わたくし、これぐらい暗記してますよ?」
「うん。そこまで行くとアントン君の方が普通の感覚だね」
そうでしょうかと、レオノールは口を尖らせる。輝くような顔立ちと金の髪はそのような仕草さえも美しく感じさせるのだから、不公平だなとミレイアは思った。
その後も荷馬車に揺られながら、話に花を咲かせたり、御者役が文句を言う度に代わったりと平穏な時間が過ぎ去っていった。
やがて妨害が来るようになったが、ごく普通の傭兵くずれで魔剣使いが苦戦をするような相手では無かった。彼らはやはりろくな情報を与えられておらず、かえって不気味だった。
そうして大した苦労もなくたどり着いてしまった。敵がいるはずの首都キスゴルに。
キスゴルは賑やかな街だった。以前訪れたモストをそのまま拡大したような街だが、スケールがここまで大きくなればもはや別物だ。
白亜の宮殿と見間違いそうな大商人の邸宅。街路を埋め尽くす屋台と、それにもう慣れたと言わんばかりにすり抜けるように動く大群衆。怪しげな水タバコを吹かす老人。体当たりのような勢いのスリ相手に戦闘の経験が役立つとは思っていなかった。
ここがキスゴル。エルドヘルスと並ぶ国家の忙しない街だった。
「ちょっ! これ、油断すると流されるよ!」
いつもは飄々としているミレイアも慌ててロベルトにしがみついている。レオノールとアントンは崖に落ちそうな人間のように、互いの腕を掴んでいた。
全員が人の流れに乗って落ち着けたのは半刻ほど経過してからだった。
「な、なるほど。最初からここへ来れば良かったのか」
たどり着いた先はヤーバード教団のキスゴル支部だった。キスゴルの人々も神聖な場所まで騒がしくはしないようだ。
ロベルトは納得風に言っていたが、あの様子ではキスゴル慣れしているようには見えなかった。
「大変だったが、凄いな。アレがキスゴルの日常なのか」
「単に市場に迷い込んでしまっただけの気もしますが……ともあれ目的地に着けたのはヤーバードのご加護というものでしょう」
キスゴルの神殿は他と同じく真っ白な建物だったが、装飾も施され、これまでの教会や神殿とは違った雰囲気だった。ありきたりな言い方をすれば豪華で、金持ち趣味のようだった。
「清貧が教会のあるべき姿だというのに……」
「ここじゃ、これがあるべき姿なんじゃないか? まぁ気持ちは分かるけど」
「はっはっはっ。耳が痛いですが、守護騎士殿の言う通りなのです」
「……誰?」
教会の扉が開き、白髪と白ひげが一体化している頭をした、恰幅のいい男性が現れた。言っては何だが貧民のイメージする悪徳司祭そのままのようだった。だが、目だけがキラキラと子供のように輝いていて茶目っ気をのぞかせていた。
「キスゴル教区長のカーンです。拝顔の栄に浴するのを心待ちにしておりました。さ、中へどうぞ」
教区長自らのお出ましに一行が何か言う前に、教会の中へと通されてしまった。このカーンという人物、人あしらいが極めて上手いのだ。一行は気が付けば果物と飲み物が用意された大理石の卓に座っていた。
「ヤーバードを奉ずる者がこのような生活をしているとは、さぞ落胆されたことでしょう?」
「さぁ、どうだろうね。とりあえず私はこの果実水で許しても良くなってるけど」
ミレイアの発言に、カーンはにこりとして頷いていた。良く見ていればこの教区長、自分は座らずに給仕のようにあれこれと動いている。アントンは飲み物に毒でも、と一瞬疑ったがカリディスで強化された感覚は危険を訴えなかった。
「さて、用意が整ったようですな。キスゴルの現状をご報告するといたしましょう」
太った教区長は一行と相対するように、ようやく席に腰掛けた。




