第二十四話・異教の村
一行は北への街道を進んでいくが、これといった妨害はない。されど警戒を怠るわけにはいかず、四方八方を見ながら疲れだけが溜まっていく。
そうして進むことしばらく、遠くにヤーバード教のシンボルを付けた建物が見えた。
「あれは……村か」
「だね。結構大きいけど、壁も何もないよ」
キスゴルと言えば騎兵だが、遊牧の民という訳でもない。農耕は普通に行われており、長年の交流のおかげかエルドヘルスと似通っていた。あるいはエルドヘルスがキスゴルの影響を受けているか、どちらかだ。
「丁度いい。少し馬を休ませるとするか。巡礼者が寄らないのもおかしいしな」
「宿屋はないよね。この村の教会に泊まるより、荷馬車で寝たほうがマシな気がするなぁ」
「わたくしはお二人の判断に委ねます」
「そんでもって俺はレオノール次第なので、決定ですね」
レオノールとアントンはロベルトの判断と、ミレイアの勘を全面的に信頼していた。ロベルトも以前見せていた神経質さが薄くなり、気軽に接することができるようになった。ミレイアは最初からこれまで、全く変わった印象を受けないが、そのマイペースぶりが頼もしい。
門もない開けた農村に荷馬車ごと入っていく。アントンはそこで初めて、違和感を覚えた。村への突然の来客に人々が無関心過ぎるのだ。かといって刺客のような剣呑さは一切見えない。恐怖や危機感よりも不気味さを感じる農村だ。
「俺は農村にあまり縁がなかったんですが、どこもこんな感じなので?」
「いや、規模が小さくて排他的なところもあるにはあるが……理屈として言えないが、こうまで薄気味悪い村は初めてだ」
「ミレイアさんの言ではありませんが、お祈りを済ませてすぐ出たほうが良いかも知れませんね」
「レオノールまでそう言うとはいよいよ怪しい村だね。なにがあるか分からないって感じ」
日頃から人を疑うようなことをしないレオノールだが、その彼女までもが村人の態度に不信感を覚えているのだ。手早く済ませた方がいいと一行は判断したが、時間は待ってくれない。時刻はそろそろ夕方にさしかかろうとしていた。
村の教会で司祭はもてなしはともかく、暖かく迎えてくれた。痩せぎすで歳は初老に入ってしばらく経つと見える。男性だが、修道女の姿は見えない。
「司祭殿が一人でこの教会を? いささか広すぎる気がしますが」
「これは私の不徳の致すところで、この地ではあまりヤーバードの教えが広まっておらんのです。本部からの支援金で何とかしようとすると、人を雇うような余裕はありませんで……」
レオノールが祭壇前に跪いて、祈りを捧げる。その祈りは幼少の頃から叩き込まれてきた洗練さに満ちており、歌のようだった。守護騎士であるアントンも、一歩下がった位置で同じようにしているが、習った聖句を間違えないようにするだけで精一杯だ。
それでも孤独な司祭には感動を与えたようで、感極まってか目には涙が浮かんでいる。
「ああ、なんと見事な……これは正式な訓練を受けた者のみが謳う祈りです。普通の祈り手では省略される部分まで含まれている。私も若き頃に一度聞いたのみです」
「ああー……実は彼女は信心深い令嬢でして、あまり詮索してくださらないでいただけるとありがたいのですが」
ロベルトの申し分に司祭は苦笑している。まるで、自分より無知だと勝手に決めつけられた者のような寂しい笑みだった。
「神の家で行われることを言いふらしたりはしません。それに、老いたりとはいえ私も修行をした身。事情は察せますよ。残念なのは神聖なる任務に助けとなることができないことですが……」
「こうして通らなかったことにしてくれるだけで充分かな」
「おお、では今宵はここにお泊りになられないので?」
「荷馬車に荷物を積んでありますから、見張りも兼ねてそこで休みますよ。それにしてもヤーバードの教えが広まっていないところなど初めて聞きました。村人は異教徒なのですか?」
「異教徒という呼び方はあまり好きではありませんが、彼らは土着の呪いめいた教えに固執しています。彼らを教えで導くのが私の生涯の務めになるでしょう」
ロベルトは考え込んだ。異教徒というのなら不干渉を決め込むのはおかしくない。宗教というものの敵はどちらかといえば、同じ教えの解釈違いにより生まれる“異端”の方だ。
だが、それにしても村人たちの反応は薄すぎる。遠巻きに見たり、ひそひそと噂話ぐらいしても良さそうなものだ。そこに祈りを終えたレオノールとアントンがやってきた。
「司祭様。祈りの場をお貸しくださりありがとうございました」
「ヤーバードの耳は常に開いております。あなた方にヤーバードの加護がありますように……それにしても守護騎士と巡礼とは敬虔なことです。私の若い頃はまだ見かけましたが、この頃はめっきりと減ったものです」
「それだけ教えが根付いたのだと信じましょう。ヤーバードへの祈りは本来、場所を問わないものですから」
「然り然り、貴女と神学について語ることができたのなら、面白そうですが……荷馬車の方で荷物を守らねばならぬとか、もう馬はいませんが厩場はまだ残っております。そこに繋がれるが良かろうかと」
「感謝いたします」
アントンはぎこちない礼儀作法で礼を述べる。こういう場で実際に行ってみるのが、身につけるこつだと聞いたからだ。
一行は荷馬車をかつては賑わっていたであろう厩に入れて、野宿することにした。壁もあり屋根もあるので快適だったが、村から出るルートを確保するためにこっそりと柵をはずしておいた。
「教会が街の外側にあってよかったね。これならすぐに出られるよ」
「アントン、カリディスはこの村について何か言っていないか? どうにも怪しい気配がするのだが……」
(シシシ……俺達も頼りにされたものだ。炎の魔剣使いの勘は恐らく当たっている。血は大分薄まっているようだが、人外の気配だ。お前達が闇の力と呼ぶものだ)
「ロベルトの旦那が危惧している通りだと言っています」
「すると闇の力か?」
「そうではあるようですが、薄まっているとも言っています。キスゴルの首都に近いだけあって残党とかが村を作ったんじゃないですかね?」
「そうした可能性は否定できませんね。闇の力は人々を魅了します。特別な存在になれるというのは、多くの人々が持つ願望です。これまで撃退してきた憑依者の眷属の中には逃げおおせた者もいるでしょう」
「チッ、厄介だな」
一行は袋小路に追い込まれないよう、教会の壁を防御にだけ使えるように慎重に場所を選んだ。本当にここが憑依者ゆかりの地であるなら、レオノール達に対してさぞ怒りが染み込んだ教えが伝わっているだろう。
かといって闇夜の中を旅することはできない。単純に難しい上に、移動中を襲われる方が危険だからだ。
「もっと油を買っておくべきだったな」
ロベルトは龕燈を付け続けるのを諦めて、いつものように焚き火を囲む方式にした。もちろん老祭司の許可は取ったし、いざという時のために松明を人数分用意してある。
「ロベルトの旦那は良く頭が回りますよね」
「お前が回らなすぎるだけだ。死ぬのはゴメンだからな、思いつく方策は全て試すさ。それに村人たちは目をつぶってでも村を歩けるだろうが、俺たちはそうじゃない」
「……村人が襲ってきたら? いくらヤーバード教団の威光があるにせよ、村人全員斬り殺したりすれば問題になるでしょうよ」
「少しは回ってきたな。お前のカリディスのような剣なら平で叩いて気絶させることができるだろう。ミレイアは風で防御膜を張れる。俺は薪棒でやる。なるべく殺さないようにしなけりゃならん」
村人に犠牲者が出て老祭司の怒りに触れてもまずい。いつもと勝手が違う相手との戦いを想定しながら一行は体を休めた。
夜半になるとヴェールに体を包んだ集団が、明かりの付いた松明を片手に行動を開始した。それを屋根の上に風で登ったミレイアが発見して合図を送ったのだった。




