第十七話・内面
本日も快晴なり。
物資で狭くなった馬車の中でアントンはレオノールと向き合っていた。アントンは夜番の後だが、くず鉄拾いをしていた彼にとって睡眠不足はあまり苦ではなかった。
苦労はレオノールと交換し合う砂を敷いた板にあった。
「俺には分からない……なんで文字が三種類もあるんだ?」
「正確には4種類ですよ。現代文字、古代文字、神聖文字、神聖古代文字。聖殿の蔵書を読みたければ全部覚えるしかありません」
聖殿というのはヤーバード教団の国で最も大きな教会だ。うっかり本を読めるようになりたいとアントンがこぼしたため、現在に至る。
「……一つで良いだろ。もしくは本の方を訳せ」
「それはそうなんですが、文字が混ざった本とかあるのです。しかもそういうのほど、面白かったり重要だったりするんです」
アントンは唸り声をあげて砂板に文字を書き始めた。子供のような光景だが、実はアントンの教養はそれほど低くない。ピンカードのシスターのおかげで簡単な読み書きならできるし、自分の名前ぐらい書ける。
苦労した大人がお触れ書きも読めないことがある世では、随分とマシな方だった。
それでもアントンは本を読んだことがない。単純に高価だったり、時間がなかったりと理由は様々だがともかく一冊読み切った経験が無かった。
高等も高等の教育を受けたレオノールからすれば、珍獣にも等しい。恨めしいことにロベルトはともかくとして、ミレイアさえ結構な学識だ。前者は性格から、後者は出身街にそうした施設があるという違いはあるが、ともかくアントンより知識豊富である。
「レオノールはよく読んでいたのか?」
「わたくしの場合、読まされていたという方が正確でしょう。聖女の素質がある子は専門の機関に引き取られるんです」
苦笑いが混ざった。アントンも意外に思う。レオノールの性格ならそうした教育に何の疑問も抱かないように思っていたのだ。
「でも、隠れて読んだ冒険譚とか、その……恋愛についてとかは読んでて楽しかったですよ? 今はこうして冒険に出れて、不謹慎ですがちょっと楽しんでます」
「置いてある時点で読んで良かったんじゃないのか? それにしても貧民あがりの傭兵と命運共にする冒険が楽しいか?」
「ええ、とても」
アントンは故郷の幼馴染に思いを馳せた。タニヤなら外で走り回っている方が似合いだが、レオノールにはそう思えなかった。
「ハ、それは光栄。光栄ってこのつづりで合ってるよな……?」
そんな調子の幌で行われているやり取りは御者席にも聞こえていた。ミレイアは目を輝かせながら、聞き耳を立てていた。
「ね、ロベルト君。あの二人って怪しいよね」
「そうか? 俺はアントンの体力にちょっと引くだけだが」
「分かってないねー。あの二人でいるとき、レオノールは儚げだけど砕けてるし、アントン君に至ってはあの素っ破な口調! 大分気を許してるよ!」
「まぁ牢屋で何かあったんじゃないか? それでいきなり恋愛関係につなげるのはどうかと思うぞ」
「恋愛関係なんて言ってないのに、ロベルト君もそう思ってるんじゃない~」
「まぁ……否定はしない。ただ、実際にそうなら苦労しか無いな」
「そこが良いんじゃない!」
「私はこの席が嫌になってきたぞ」
ロベルトからみれば、アントンは信用できる男だ。ただ、身分差を超えた恋愛となると、あまり向いていないように思える。貴族を別の生き物と捉えるタイプの人間の典型だ。現状、上手く行っている方なのが不思議なほどには。
そこはレオノールの気質が大きく作用していると考えるしかない。高位の方が身分差を考えないというやつで、意外に多いケースだ。
傭兵にしては神経質なロベルトとしては色恋沙汰で集団が崩壊する方が怖い。皆で付けたイヤリングのようにまとまればいいのだが、長旅となるとそうもいかないだろう。問題の一つや二つは覚悟しておくべきだ。
通常ならミレイアのような人間が瓦解させる方が多いのだが……どうも、立ち回りが異常に上手い。過去になにかあったのかと想起させる。
そんな心配を他所に馬車は進んでいき、アントンの勉強も進んでいった。
「そういえば、カリディスってどんな意味の言葉なんだ? 普通に人名?」
「名字ですね」
ふーんと頷きながら、砂板にカリディスとつづっていく。そこで閃いたが、カリディスというのは製作者の銘なのではなかろうかということだ。
魔剣第一小隊が出会ったように世に魔剣は意外と多い。つまり製作者が昔は大勢いたのだろう。その中の一人が自分の姓を刻んだというなら分かりやすい。
(シシッ……直接聞けよ。だがまぁ半分当たりだな。もう半分は単なる記号ではないという意味だ)
(そういえば最初から何かを成し遂げるとか言ってたな)
(シシシ……“カリディス”は常に勇者とともにある。現に俺達も数奇な旅に巻き込まれている。使い手が誰でもいいわけじゃないのさ……)
前と言っていることが微妙に変わってないか? とアントンは思うが、今更なので黙っておく。思考する剣に常識を求めても仕方が無いが、カリディスはどうにもうさんくさいというか隠し事をしている様に思える。
この先何が起こるかを知っているような気がするのだ。うっかり口を滑らせてくれるとも思えないので、アントンは話し相手をレオノールに切り替えた。
「憑依者っていうのはいつもキスゴルにいるのか?」
「いえ、決まったところに出るわけではありません。エルドヘルスに出現したこともあります」
「ふん? なんでだろうな」
「どうかしましたか?」
「いや、誰かに取り憑けるなら、教団に討たれないような人物に取り憑けば良いじゃないか。それこそ王様とか、いや教団内部に入り込むってのもいいな」
少し考えれば誰にでも分かることだ。逃げるだけなら誰でも良いだろうが、闇の力を撒き散らすことが目的なら社会的地位の高い人間に取り付いたほうが効率的。いっそ未開の地にでも行ってヤーバードとは距離を置いて雌伏するのもありだろう。
「それは……」
「何か条件があるわけだ。まぁ話せないのは別にいいさ。俺は生き延びさえできればいい」
本当に生き延びれるなら、と後に付け加えなかった。レオノールはアントンを魂の捕縛者と呼んだ。なら、そこにも知識や前例があると考える方が自然だ。
こうしてレオノールとアントンは仲良く成り損ねながら、進んでいくのだろう。アントンは眠りに沈んだ。
……ならばこれは夢なのだろう。それとも魂の捕縛者のことを頭の端に載せながら眠ったゆえか。アントンは自分の中に埋没するような光景を目にしていた。
心臓がある。肺がある。その他の臓器もちゃんと備わっている。いいや、むしろ一つ余っている。それは肉でできていないように見えた。薄い光で出来た蜘蛛の巣のようだった。
それが何なのかは直感的に理解した。これこそ他の人に無く、アントンにだけ存在するものなのだと。
――美しい
きらめく幾何学模様のいくつかの光球が捕らえられている。魔の力を消費されて、ただの犬に戻ったカーシー達のものだ。逆算して闇の力が彼らにどう作用していたか、それも理解できた。
ただ、これは捕らえるだけのものだ。浄化するものがいる。それがカリディス……浄化というよりは消費だが、アレの言う俺達という言い回しは間違っていなかった。
もし、闇の力を消費すること無く、体内に留まらせ続けたら……この身は闇に成り果てる。ならば憑依者とは……?
新しく得た知識をもとに、今後の展望を練る必要があるのかもしれない……アントンはすぐに消えゆく夢の間でそう思った。




