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第十話・戦いの前

 ぎしぎし、きぃきぃと鉄の檻が揺れる。それは中のモノの悲鳴ではなく、鉄の悲鳴だった。もう耐えられぬとばかりに内部の物を持て余している印。

 中にいたのはケダモノだった。獣のように生まれるが、母体を食い尽くしなお足りぬと底なしの悪意を垂れ流す。獣に悪意など無い。ゆえにこれは獣では無かった。


 そんな檻がそこかしこに立ち並び、揺れて出番を待っている。ここはキスゴルの地下。アントン達が住まうエルドヘルス国と敵対関係にある国の暗部だった。



「被検体12番は惜しかったなぁ。あんなにも巨大に育ったのに、制御不能とは」

「廃棄されてエルドヘルスの連中が討ち取るまでに、何十もの兵を食ったらしいぞ。アレはアレで役に立ったのさ」



 鉄張りの床が黒い赤に染まっているというのに、気にせず会話を続ける男達。あるいは彼らこそがケダモノを超えた怪物かもしれなかった。

 そんな場所に威厳ある足音が聞こえた。男達は首をすくめる真似をした後、無言に作業を続けた。



「進捗はどうだ。上はしびれ(・・・)をきらしておる」

「ご安心を将軍。既に出来上がっております。調整済みの第六歩兵大隊の指示に従います。もちろん、ソレ以外の部隊には……ですが」

「なら良い。先陣を切らせるしか使いみちはないが、無駄ではないのなら。もう出番は近い。エルドヘルスにそいつらを焚きつける日がな」



 きびすを返して“将軍”は去っていったが、地下を離れて自らの部屋に戻ると毒づいた。



「戦場の礼儀とはどこかへ逃げてしまったものらしい。あんな呪術に頼るとは。一体、陛下は何をお考えなのか……ケダモノを扱う我らはケダモノとなってしまう」



 いっその事、エルドヘルスの兵たちが、あの悍ましい犬もどきたちを蹴散らしてくれないものか。半ば真面目に“将軍”は考えた。

 これまで実験的に放たれたケダモノ達は全て討ち取られている。実験とは! あのように小刻みに放っては敵も慣れてしまう。まじない師達の長は何も分かっていない。



「将軍、そう焦らずともよいのです……この戦もさらなる栄光への近道でしかありません……」

「貴様どこから……まぁ良い。何か用か?」



 むせ返るような煙を吐き出す香炉を下げた、乳白色のベールに身を包んだ人物が突然現れた。彼らこそ最近、勢力を伸ばし、王の耳に言葉を囁く奇妙な宗教団体だった。



「エルドヘルスの番犬達は我らの犬をカーシーと呼ぶとか。そのカーシー以外の存在を戦場でお目にかかるように配置しますので、そのことを知らせに……きっと将軍も気に入られることでしょう」

「ほう。アレ以上か」



 将軍はごくりと喉を鳴らした。嫌悪感が先にくるとは言え、それでも魔に魅入られるような好奇心が顔を出すのを将官ではない一個の人間として抑えられない。



「ならばせいぜい楽しみにしておくとしよう。侵攻の日には間に合うのだろうな」

「もちろんでございます。では……」



 来たときと同じようにベール姿はかき消えた。将軍は世界が単純であった日を懐かしく思ったが、同時に動乱の時代が来たということに愉快さを覚えた。



 一方でエルドヘルス側も詳細は知らなかったが、とうとう戦闘が公になるということは察知していた。前から少しずつ行われてきた移動が段々と早まり、魔剣第一小隊も荷造りに追われていた。



「この幕舎ってどういう作りなんですかね。というか俺らがコレを持っていくんじゃないでしょうね」

「流石に少し人手が足りんだろう。後で聞いてみるしか無い」

「え~この快適空間から安テントに戻るのはイヤだなぁ……」

「テントが貰えるかどうかも知らんが、今までが贅沢だったんだと思って諦めろ」



 後にこの幕舎自体に車輪が取り付けられることが分かるのだが、それはまだ先の話だ。

 傭兵たちはテレクシアの街を通り抜けることは許されず、兵士達に監視されながら大回りで目的地へ向かう。騎士と従士達だけが街を素通りできるのだ。


 アントン達はホアキンがあの列にいるのかと思って、微妙な気分を味わった。様々な問題を起こしてくれた隊長が、ゆうゆうと大通りを通っていく様は若干不快だった。



「というかさ、ホアキンって騎士じゃない。馬乗って私達の隊長するの?」

「お前とアントンは馬にだってついていけるさ。困るのは俺だけだな」

「ロベルトの旦那を置き去りにするぐらいなら、ホアキン隊長を先に走らせて放っておくなぁ」

「あっははは。言うようになったじゃないアントン君」



 爽快に笑うミレイアだが、荷物は麻袋一つにまとめている。その他諸々はアントンとロベルトの背負子に載せていた。



「ロベルトの旦那もこっちに荷物ください。カリディスのおかげでかなり持てますから」

「……なら、ミレイアの分だけ頼むとしよう」

「あ、折れた? デレた?」



 違うわと応酬する二人を見ながら、ロベルトの荷物からミレイアの小物を取っていくアントン。三人は今ではすっかり打ち解けていた。ロベルトですら笑みを浮かべることがある。



「それにしてもアントン君の魔剣ってどうなってるんだろ。身体強化とはいえ常時発動しているのは、異常じゃない?」

「そうなんですか?」

「我が剣にせよ、ミレイアの剣にせよ力を発動させるには活力を使う。ところが、お前のカリディスは何も求めていないようだ。おかしいかと問われれば、確実におかしい」

(シシシ……俺達は互いにこの体を共有しているようなものだからな。加えて、俺達の生命力や魔力は常人と比較できない)

「……何かよくわかりませんが、魔力と生命力が飛び抜けてるから問題ないという身も蓋もない結論みたいで」

「ふぅん。魔法使いとかになれれば良かったのにね」



 アントンは一瞬、ヒゲを生やして魔導書を持つ自分を想像したが、似合ってないことで諦めた。大体読み書きもそれほど得意ではない。

 だが、内にある力が大きいというのはアントンにわずかな自信を与えるのに大きく役立っている。カリディスの身体強化がなければ、とうに死んでいた。場合によっては形態変化でロベルトやミレイアのように特殊な力をまとうことができるかもしれない。



(シシシ……魔剣使いとしての才覚にこれほど恵まれているにも関わらず、調子に乗らないやつも珍しい。これも俺達が特別だからか?)

(どういう意味だよ? 調子に乗ったら死んじゃうじゃないか)

(シシッ! これだ。まぁ悪くは無いな)



 仲間や魔剣と話していたおかげで、街の反対側までの道のりは退屈せずに済んだ。

 しかし、着いた場所は否応なく戦場の空気を感じさせる雰囲気に満ちていた。城壁から少し離れて人用のテントと物資を入れるテントがある。あたかもここでは人も物も同じと言わんばかりだ。

 平地には拒馬槍が幾重にも設置してあり、すでに番兵がうろついていた。高くて見えないが城壁や物見塔にも油や矢が蓄えられているに違いない。


 実戦経験の少ない傭兵など任務で斥候隊に付いていった経験が無ければ、萎縮していただろう。反対側は物々しさに満ちた別世界だった。



「うーん! ピリピリするねぇ。この感覚は好きだけど、あまり大戦(おおいくさ)にはならないで欲しいかな。敵が何するか分かんないや」

「まぁ表向きにはこれからが、初の化け物が出てくる戦いだろうからな。時代がおとぎ話に戻ったようだが、大昔も辛気臭かったのかもな」

「うーん。緊張してくる」

「アントンは初の傭兵仕事だったな。化け物は慣れただろうが、人相手はどうだ?」

「三人ぐらい殺っただけですね。それも喧嘩に近かった」

「まぁカリディスの言う事聞いてれば大丈夫だよ。戦場のアントン君はちょっと引くぐらい強いから、安心して。それと私らは所詮傭兵だからね。自分の命、最優先!」



 ミレイアとロベルトの話を聞きながら、三人はテントの確保に向かった。女傭兵のミレイアもよほど魔剣第一小隊が気に入ったのか。相変わらず一緒にいる気のようだ。こういった男女混交のチームはまだ珍しかった。


 一方で、高いところからものを考える人々もいる。騎士団長ハビエルと軍団長マルクもそうした人物だった。ハビエルとマルク、両名とも壮年で人を指揮するには脂が乗っている時期といえよう。実戦経験も多い両者だが、人柄の違いか衝突することが度々ある。



「信用できない傭兵共はともかく、我らの兵で最初から要所を取る! 弓兵が潜んでいそうな小さな丘が我らを待っているか、キスゴルを待っているか、自明の理であろう!」

「確かにその通りだが、斜面気味の土地ばかり重要視すれば騎士の突撃力が活かせない。戦線は下げるべきだ」



 マルクは猛々しい気性に加えて、人数からして今回の戦の主役であるという自負がある。一方のハビエルはロベルトの魔剣を手に入れようとした時のように、理屈っぽかった。

 今回の戦で未だこんなことを議論しているのは、キスゴル側の動きが不明瞭だからだ。魔剣第一小隊の任務になった小規模戦ぐらいで、後は全く動きが見えない。

 現に傍から見れば、キスゴルはエルドヘルス側より進んでいないようにさえ見えた。



「早めに部隊を城壁外に展開させたのは、貴公も同じ考えだとばかり思っていたぞ」

「……そうだ。相手の動き自体が分からんうちに戦いになるなど考えたくも無かった。分かった、貴公の論に乗るとしよう。早々に陣を張ろう」



 騎士団の動きに制限がかかるが、仕方がない。勲功は我慢して、ハビエルは脇役に回ることにした。その後布陣の話しなどで、意見が交わされたがハビエルはマルクに主将を譲るつもりで話を進めていった。

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