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Sympathy For The Devil  作者: 赤穂 雄哉
Stage Istanbul
27/31

27. McDonald's in Istanbul

挿絵(By みてみん)

 携帯電話の画面にはイタリアでの風景が映されている。プラートからの実況映像らしい。中国人と地元住民との間でのぶつかり合いだ。

 プラートはイタリア繊維業の町。既に住民の25%以上が中国人で、デモの規模は相当なものだ。


 教会のある広い通りで、中国人達は横断幕やプラカードを持って行進している。間に合わせて作ったのだろう。赤、青、黄色の文字は中国語、英語、イタリア語とまばらだった。内容は雇用条件の改善と人権侵害についてだ。搾取はやめろと書かれたプラカードの字は赤く、流れ落ちる血のようにも見える。


「なあ、シナガワ。何を見ているんだ?」

「イタリアでのデモ行進だ。中国人どもが労働環境の改善を要求している」

「何だそりゃ? あいつら勝手にイタリアに来たんだろ? おかしいじゃないか?」

「そうした方が都合が良いからな」

 鼻で笑うとダニエルが食い付いてきた。

「どういう意味だよ?」

「こいつらはイタリアに呼ばれて来たんだよ。借金国家だから何としても産業を活性化させなくちゃならない。自由経済下において、一番手っ取り早い方法は商品の低価格化。そうなると、低賃金の労働の需要ができる。つまり、マーケットができた訳だ」

 ダニエルは機嫌が悪くなった。残っていた正義の血が疼くのだろう。

 無視をして言葉を続ける。

「そうなると、ビジネスが発生する。低賃金の労働者を送ってやれば、金になるという訳だ」


 マクドナルドの店内はさざ波のように笑い声が響いている。カップルは身を寄り添わせ、恋の語らいに夢中のようだ。店の片隅で夢の中にいるような表情をしてキスをしていた。

 それはそうだ。これはイタリアの問題で、トルコの問題じゃない。彼らの頭の中には彼らの生活で一杯だろう。楽しい時間に水を指す者は嫌われるというのは、どこの国でも変わらない。


「だけど、イタリアの法律を犯すのはおかしい。間違っている」

「知った事か。人間は平等であるべきなんだろう? 一方で富める国がある。そして、その一方で貧しい国がある。俺達アンダーグラウンドの住人はグローバル視点をもったヒューマニストなんだよ」

 黙ってしまったダニエル。そんな彼に一言付け加えてやる。

「そして、口先だけでなく、行動する、な」


 中国人達は日々の労働で疲れきっていた。染めていない頭が並ぶので、上から撮られた映像は、まるで蟻の行進のようにも見える。たどたどしい口調で、覚えたばかりのイタリア語を叫んでいた。


「せめて人の暮らしを!」

「せめて労働時間は十二時間を!」

「せめて食事は二食を!」


 そんな発音じゃ誰も耳を貸そうとしないだろう。空に向かって喚いているようなものだ。

 彼らは劣悪な環境で暮らしをしている。マフィアや企業に劣悪な環境で重労働を課せられ、死んでも鞭をふるわれる有様だ。

 夢見た楽園は地獄。パスポートは取り上げられ、帰国できなくされた後、機械の部品のように扱われる。

 病気になろうがお構いなし。貪られて手取りの少ない給料を稼ぐ為、薄暗くて湿った地下室のような工場で日に二十時間も働かされる。

 ミシンの音は工場に鳴り響き、頭の中にある何もかもを吹き飛ばしてしまうだろう。無駄口を叩けば給料を減らされる。食事は出ず、中国に居た頃よりも空腹状態が続く。顔色は悪くなり、まるで頭蓋骨の標本のような有様。

 工場長のいわれなき性的な嫌がらせも無理矢理受け入れさせられ、疲れて帰路につくと、地元住民から石を投げつけられる。

 つい最近は溜りきったストレスの為か、中国人同士で殺し合いをしたのだそうだ。犯人は逃走中で、今も行方が知れない。イタリアの報道機関は言っていた。

「これは由々しき問題です」


 由々しき問題は常に置き去りだ。

 彼ら悲しき労働者は工場長に怒鳴られ、人格は否定され、人である事を放棄させられる。光は当たらず、歯車になる事を強要され、ボロボロになった指先を見ながら、彼らは悲嘆に暮れてこう思うに違いない。


「こんな筈じゃなかったのに」


 そもそも、甘言に乗って、人生を人任せにした報い。彼らはそれを受け入れるべきだ。契約書を書く時に、大丈夫。このビジネスは合法的なものだと言われた時に、全てを受け入れた彼らの責任だ。全ては彼らの問題だ。

 全てを疑わなくてどうする?

 この世に悪意があるというのを忘れるというのは、最悪の罪悪だ。


 安っぽく薄汚れたフリースを着た女性が、頬骨を浮かべてプラカードを掲げている。肘の所は擦り切れ、哀れなパッチワークが施されていた。

 隣の男は片手の指が欠損しているようだ。拳を握りしめたくても親指だけしかない。彼が故郷に帰って、可愛い娘の頭を撫でようと思っても、手の平でしか撫でてやれない。


「せめて人の暮らしを!」

「せめて労働時間は十二時間を!」

「せめて食事は二食を!」


 口々に人間である事を求める彼らは、まるで虫けらのようだった。


 そんな行進を取り巻くようにして、イタリア住民が立っている。職を失い、困窮する生活をくぐり抜けている彼らの横顔は怒りで満ち溢れていた。顔の中央に座った立派な鼻を広げ、口は憤怒で曲がっている。

 無職になり、愛する息子の進学を諦めた無念。それが彼に乗り移っているかのようだ。

 隣に居る奴は鬼のような形相で顔を真っ赤にしていた。家賃を払えず、来月には夜逃げをしなくてはならないのかも知れない。


 デモのシュプレヒコールが一段を高くなった時、それは起こった。


 乾いた銃声がして、ロケット弾が発射された。対戦車用のロケット弾はイタリア人の怒りの証明。真っ直ぐに飛んで、中国人デモの人並みに吸い込まれていった。


 突然の事態にダニエルは口を大きく広げた。俺が見ている画面を覗き込み、目を大きく見開いている。

「何だ、コレ?」

 銃声は止まない。

 それはそうだろう。日々の鬱憤にストレスも溜っている筈だ、発散させる場所がココだったというだけだ。


「チュニジア経由でイタリアに運び込んだ武器だ」

「シナガワが?」

「そうだ。ウガンダから引き上げた武器があるだろう? リウが手配した中国製の。それらは中国人名義のペーパーカンパニーを通じて、イタリアに運び込まれた。アルベルトがそいつを売り払ったんだよ」

「何故そんな事を?」

「リウを潰してやる為だ。欧州に中国の武器が持ち込まれた。それも中国人の会社を経由してだ。三人の中国人が出てくる。それはリウによって手配された戸籍だ。辿ってゆくと必ずリウにブチ当たる」

「シナガワ、お前は最低だ」

 イタリア人の怒りが乗り移ったようだ。ただ、それは賑わいでいるトルコのマクドナルドでは滑稽なほどに浮いている。人生は楽しむものだ。イタリア人も常々そう言っている事だろう。他人の事など知った事か。


 俺はダニエルの侮蔑に応える事にする。

「光栄だよ。ダニエル」


 既にデモは阿鼻叫喚になっている。逃げ散らす中国人の背後には、続けて銃火が注がれる。一度、解かれた怒りは興奮を呼ぶ。悪意は悪意を増進させ人を酔わせる。万能感に支配されているのかも知れない。

「さあ、ダニエル。お前の仕事だ。これからツイッターでも何でも良い。この件で中国人企業が咬んでいるとネットを通じてバラまいてやれ。隠蔽しようとしても、できないように逃げ道を塞いでしまうんだ」

 返事を返さないダニエル。視線は画面に釘付けだ。


 心の中でダニエルに語りかける。


 なあ、これを悪い事だと思うか? 酷い事だと思うか?

 だが、アフリカ、中東、中南米で同じ事が行われているんだよ。





 夜になって、リウからメッセージが入ったようだ。

 牝虎は怒り狂っているらしい。デジタルメッセージに悪意だけが刻まれていた。

 そうだろう。そうだろう。リウは怒る事だろう。そして、また俺の口座の残高を引き出すはずだ。前のデータに基づいて。


 だが、その戸籍や口座は他の連中に売り払っている。彼女が引き下ろす口座は、既に他のアンダーグラウンドの連中のもの。その中にはダニエルのようなハッカー達と付き合いのあるウクライナ企業も含まれている。二人のハッカーの命がどうなるか? 

 

 俺の知った事では無い。

【Supplement】

 物語中での設定や背景の説明。


【イタリアでの移民問題】

 イタリアでの移民問題は視点によって変わってくる。大きく分けて3つの視点がある。

 一つは現地イタリア住民、一つは移民、一つはイタリア政府や企業家になる。

 イタリア住民は仕事が奪われているとしている。

(あくまでも推測で、雇用環境が改善しない、賃金が上昇しないという問題もあると思われる。)

 移民からすると、より高賃金である所を求めてやって来たのにも関わらず、

 現地で迫害される。(これは正規労働者もそうであるし、騙されてしまった不法労働者もそう)

 イタリア政府や企業家からすると、安い賃金で他国や他企業に対して、

 低賃金で雇用でき、また現地イタリア人がやらない仕事でも雇用が確保できる。


・イタリアのプラートで中国系移民が増え、地元住民との間で摩擦が起こっており、

 行政との関係も緊張化している。

 その一方で、経済的な貢献をしているという点で、イタリアの政治家は

 プラス評価をしているという記事。(ソースが中国よりではある)

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=45399


・欧州で外国人嫌悪感情が高まっているという記事。

 イタリアの例も上げられているが、いくつかは伝聞情報を含んでいるので、注意は必要。

 この記事でも言及されている通り、不法滞在者はその国の人々が就かない仕事に

 従事しており、それによって国が運営できているというケースも存在している。

http://www.berc.gr.jp/modules/contents7/index.php?id=17



http://www.businessweek.com/magazine/italian-jobs-chinese-illegals-11032011.html

 上記記事より抜粋

The city is home to the highest percentage of Chinese in Europe, reaching 25 percent of Prato’s population in 2008, just as the global economy was spiraling downward. Since then, relations between the natives and the newcomers have deteriorated. The Italians accuse the immigrants of taking their jobs and undermining their businesses; the Chinese say they are the victims of harassment and discrimination.

 欧州で最も中国人の割合が高いプラートでは人口25%に達しており、

 それは世界経済が下落したかのようでもある。

 それから、現地住民と移民との間で関係が悪化している。

 イタリア人は移民が自分達の仕事を奪って、蝕んでいると非難しており、

 中国人は嫌がらせや差別の問題であると主張している。


【この物語での欧州経済について】

 先に述べた通り、この物語での欧州はソブリン危機から抜け出ていない状態。

 ギリシャ、イタリア、スペインなどを始めとする負債国家は緊縮財政をしている状態。

 その為、地方行政には金が回らず、行政サービスも低下している。

 (以前に述べたナポリのゴミ問題はそれが表面化した一例)

 (警察や地方経済を回す為の金もなく、大規模な公共投資によって

  雇用を生み出す事もできない。)

 負債国家は経済を回す為に躍起になっているが、

 産業振興を行おうにも財政事情がそれを許さず、

 企業としては国際間競争の為に低価格化路線を選択している。

 これが結果として、不法移民を呼び寄せる遠因になっており、

 アンダーグラウンド住民達がそのニーズに応えている。移民局、関税局も緊縮財政のもと、

 増員はできず労働条件は悪化の一途を辿っている。

 また、そういった隙を狙って、移民局、関税局の買収なども行われている。


・ソブリン危機

 ギリシャから始まった負債の連鎖によって起こった経済危機。

 具体的な解決策が見つかっていない状態。

http://ja.wikipedia.org/wiki/2010年欧州ソブリン危機



・2010年のヨーロッパの債務状況

 ソブリン危機を図式化したもの。債務はこれだけではなく、他の国も巻き込んでいる。

 http://graphics8.nytimes.com/images/2010/05/02/weekinreview/02marsh-image/02marsh-image-custom1-v3.gif


・世界中にある政府の債務を合計したもの。

 注意点としては、USドルベースで換算されているという事(レートは不明)。

 政府が出しているデータに基づいてるという事(虚偽報告がある可能性)。

 そして、国によって債務の定義が違う場合があるという事。

http://debtclock.s3.amazonaws.com/index.html

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