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075 旅立ち

 イサナ・ドワーフ交流祭が終わり、トルトたち従業員もみんな退勤したあと。

 深夜の調理場を、俺は一人で掃除していた。

 体は疲れているものの、ユリンさんの件があって全く眠れる気がしない。


「ふぅ……冷蔵庫の拭き上げ完了っと。あとは――」


 調理台の下の冷蔵庫を拭くのに体を屈めていたので、首肩がガチガチに。

 立ち上がって肩を回しながら、客席の方を眺める。

 キッチンだけ照明をつけているせいか、静かな客席の物寂しさが際立っていた。


「辛そうな顔してたな、ユリンさん……」


 ユリンさんが初めて来店した日や祝勝会のときの、普通に料理を楽しんでる顔が思い浮かぶ。

 いつも店の奥の壁際の角席で、ミスティア様を奥に座らせるんだ。

 自分は付き人ですからと、すまし顔をしてて――でも料理を食べたとき、少し目が見開くんだよな。

 美味しいって顔に出るのが、料理人として嬉しかった。


「ちゃんと見つかるといいけど」


 今回のユリンさんの凶行は、イサナ聖教会の意思だろう。

 アリエスに聖痕が現れたことを知り、聖女の権威を脅かす存在だと判断したに違いない。

 それでミスティア様を慕う、ユリンさんを利用して――

 現在は騎士団がユリンさんを捜索中だけど、今後どうなるか全くわからない。


「ラディルたちも、大丈夫かな」


 結構ブスッと、腕に短剣が刺さってたからな。

 回復魔法を使えるのはわかってるんだけど、俺まで腕が痛くなっちまう。


「こんなの用意しちゃったけど、さすがに戻ってこないか」


 店に残っていた食材を詰めた、二つのランチパック。

 スキルの通販で買った保冷バッグに入れたものの、隙間が気になってグミやらチョコやら菓子を詰め込んでしまった。

 もしもラディル達が店に戻ってきたら、何か持たせてやりたくて。


「これから、イサナ王国はどうなっていくんだろう」


 今の状況は、間違いなく物語の分岐点だ。

 原作のゲームとは状況が色々違うけど、ラディルがアリエスと旅に出るというのはアリエス編そのものである。


「結局アリエスと旅に出ちゃったし、アリエス編を辿ることになるのか――」


 クリア後の世界についての解釈は、プレイヤーに委ねられていたけど……。

 ネット上の多くの人は世界が崩壊したと解釈していたし、俺もそうだと思った。

 だとしたら、これから俺がすべきことは――


≪カラカラン≫


「……店長さん?」

「ラディル! それにアリエスさんも!」


 店のドアベルが小さく鳴り、ラディルとアリエスが顔を出す。

 扉の外は薄暗い森で、ドワーフの里の近くからスキルで戻ってきたのだろう。

 とにかく二人が、会いに来てくれて良かった。


「腕のケガは大丈夫なのか? ラディル」

「うん。里を出る途中で、回復魔法をかけたから」

「そうか、よかったよかった」

「店長さん、それでね――」

「疲れてるだろう? ほら、奥の席座って。今ジュース入れるから」

「あ、ありがとう」


 二人を安心させるように、外から見えない奥の部屋の席に座らせる。

 そして手早くジュースをグラスに注ぎ、ラディル達の元へ運ぶ。


「はい、ブラッドオレンジジュース。特別なやつな」

「すごい、真っ赤だ……いただきます」

「いただきます」


 疲れた様子のラディルとアリエスは、ジュースを一気に飲み干した。

 味が濃いからか、アリエスは少し身震いをしている。

 ジュースを飲み干すと、徐々に二人の顔色が良くなっていく。


「美味しい……」

「少し、落ち着いたか?」

「……うん」


 そう言うと、小さく息を飲むラディル。

 何か伝えたいことが、あるのだろう。


「あの……あの後、ユリンさんは?」

「一度店に――ピコピコに送り込んだんだけど、外に出て行っちゃったんだ。今は騎士団が探してる」

「そう、なんだ……」


 質問を終えると、ラディルはもう一度呼吸を整える。

 そんなラディルを、隣で見守るアリエス。


「店長さん、俺――アリエスと一緒に、旅に出るよ」


 やっぱり、そうなるよね。

 覚悟はしていたけど、やはり動揺してしまう。

 でもここは大人として、しっかりと振る舞わなければ。


「騎士団に、顔を出さないのか?」

「ユリンさんのこともあったし、アリエスを危険な目に遭わせたくないんだ」

「そうか」


 今の状況で王国に戻るのは、たとえ騎士団だとしても危険かもしれない。

 このまま旅に出てしまった方が、確かに安全なのかも。

 少し思案していると、ラディルが少し震えた声で言葉を続けた。


「それで、店長さんに謝らなくちゃって思って……」

「謝る?」

「……騎士になるために、すごくお世話になったのに、裏切ることになっちゃったから」

「あ、ああ!」


 このまま騎士団に断りなく旅に出たら、背任行為とみなされ騎士の身分も剥奪されてしまうだろう。

 律儀に別れの挨拶に来てくれたのは、それが理由だったのか。

 沈んだラディルの表情から、決断の重圧が感じ取れる。


「俺のことは気にするなって!」


 ゲームの主人公とはいえ、ラディルは十代の男の子なんだ。

 本人が頑張るって言ってることを、大人が応援してやれなくてどうする!


「騎士になるために頑張ったのも、アリエスと行くって決めたのも、ラディル自身なんだぞ」

「店長さん……」

「それにさ、俺に出来るのは料理を作る事だけなんだ。ほら」


 ここぞとばかりに、俺は用意しておいた保冷バッグを差し出す。

 いや~、無駄にならなくて良かった~。


「ちょっとした軽食と、日持ちする菓子とか入れておいた。持ってきな」

「そんな……」

「袋とかゴミが邪魔になったら、夜中に店のテーブルにでも置いてってくれ。ラディルの魔法なら、いつでも帰ってこられるだろう?」

「あ……はい!」


 元気な返事と共に、保冷バッグを受け取るラディル。

 この様子なら、もう大丈夫だな。

 そして俺たちの様子を心配そうに見ていたアリエスにも、声をかける。


「アリエスさんも修行の旅、がんばって。ラディルをよろしくな」

「ぁ……はい! ありがとう、店長さん」


 はにかみながらも、アリエスはいつもより明るく返事をしてくれた。

 二人は顔を見合わせて、立ち上がる。


「それじゃぁオレたち、そろそろ行きます」

「ああ」


 名残惜しいが二人を見送るため、一緒に店の入り口へ向かう。

 入り口の扉の前でラディルとアリエスは、もう一度こちらへ振り向く。


「店長さん、ありがとう! 行ってきます!」

「いってきます」

「行ってらっしゃい、気を付けてな!」


 店の扉を開き、その先の森へとラディル達は旅立った。

 扉が閉まるとまもなく魔力が消え、のぞき窓から薄っすらイサナ王国の夜の光が差し込む。


「行ってきます、か……」


 ラディルの物語は、アリエス編――世界崩壊ルートに突入する。

 これからイサナ王国はどうなっていくのか……。

 どういう結果になったとしても、俺は――


≪コンコン≫


 不意に店の扉がノックされ、ビクッと体が反応する。

 こんな夜中に誰だろうと、扉の小窓から外を覗き込む。


「マリカ様……!」


 店の外には一人きりで、マリカ様が立っていた。

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