074 逃亡劇
「これから仲良くしましょうね、アリエスさん!」
「……うん。よろしくお願い、します」
ミスティア様に手を握られ、照れ笑いを返すアリエス。
交流祭の最後の、穏やかなひととき――
そんな平和な光景が突如、ユリンさんの後ろ姿で遮られた。
「アリエスッ!!」
「ミスティア様ッ!!」
ユリンさんを追う形で、アリエスたちに駆け寄るラディルとケルベス。
真っ先に彼女たちの元にたどり着いたケルベスが、ミスティア様に手を伸ばす。
「えっ――キャッッ」
突然引き寄せられ、小さく悲鳴をあげるミスティア様。
取り残されたアリエスの前で、ユリンさんは立ち止まる。
振り上げたユリンさんの手の先には、鋭く光る短剣――
「イサナ王国に聖女は、ミスティア様だけだっ!!」
震える、悲痛な叫び。
短剣の冷たい光は、アリエスに向かって振り下ろされた。
「いやっ――」
「――――ぅぐっ!!」
鈍い音と共に、地面に血が飛び散る。
アリエスの元へ駆けつけた、ラディルの腕から。
「ラディル……? ラディル!?」
「ぐぐ……だいじょう、ぶっ!!」
ガントレットごと、左腕を貫通している短剣。
ラディルは痛みで顔を歪めながらも、右手でユリンさんを振り払う。
「くっ……」
獲物から手を放し、ユリンさんは立ち退く。
腕に貫通していたのが幸いして、ラディルは短剣を奪取することに成功。
咄嗟にこんなことが出来るなんて、本当に騎士になったんだな。
「ユリン!? あなた、何を――」
「危険です、ミスティア様!」
ユリンさんの凶行を、止めようと動くミスティア様。
しかしケルベスは護衛を優先し、彼女を阻んだ。
「……申し訳ございません」
静かに謝罪を口にして、ユリンさんは服の裾から新たな武器を取り出す。
先ほどより細く長い刃のナイフ――たなびくスカートの裏側に、無数の仕込まれているのが見える。
あれって、投げるタイプの武器じゃないの!?
「ヤッ……バックヤードッ!!」
危険を感じて、思わずラディル達の前にバックヤードの扉を出す。
次の瞬間、扉には数本のナイフが付きたてられた。
躊躇ないな、ユリンさん!
「アリエスを連れて逃げろ! ラディル!!」
「!! 行くよ、アリエス」
「う、うん……」
アリエスの手を取り、ラディルは走り出した。
ドワーフの里の、出口に向かって。
「逃がさない」
「やめてっ! ユリン!!」
ミスティア様の制止する声は届かず、ユリンさんはラディル達を追いかける。
このままじゃ、もっと悲惨なことに――
「行かせるわけには……バックヤード! バックヤード!!」
「くっ――」
バックヤードの扉を出し、ユリンさんの進路を塞ぐ。
このまま、閉じた扉で囲ってしまえば――
「バック――」
扉を出す俺の方を、ユリンさんの冷たい視線が振り向く。
彼女の振り上げた手から、数本の光――ナイフが、俺に放たれた。
間に合わない――走馬灯のように迫る凶器を前に、本能が宣告する。
だとしたらせめて、ここから――
「――ヤード!!」
「ひぁっ――」
最後の扉は、ユリンさんの足元に開いた。
扉の穴にユリンさんは吸い込まれ、ガチャガチャンと激しい金属音を立てる。
「――あだっ!!」
カキンッと金属が弾かれる音と共に、尻と腰に走る激痛。
どうやら盛大に、尻もちをついてしまったようだ。
――だが、どこにも刃物は刺さっていない。
そして目の前には、白銀のおし――マリカ様の後ろ姿。
「ケガは無いか!? 店長殿!!」
「マ、マ、マリカさまぁ~!!」
間に合わずに刺さると思ったナイフを、マリカ様が弾き落してくれたようだ。
助かったと安堵した瞬間、全身から変な汗が噴き出してくる。
足が震えて立つこともできない俺の脳裏に、バックヤードの――店内の音が流れ込んできた。
「なーんか裏で、すごい音がしたんだけど」
「また店長が、鉄板でも落としたんじゃないんスか?」
店で洗い物や片づけをしていた、トルトとヒューの声。
その声は心配した様子で、バックヤードに近づいてくる。
しまった、とっさにユリンさんを店に放り込んじゃったけど――
「待った待った!! 裏に来ちゃ――」
「あれ? ユリンさ……わわっ!?」
「トルト!? トルト!!」
悲鳴をあげるトルトと、ガタンと扉が激しく閉まる音。
一気に背筋が凍りつく。
店の中なら安全だと思ったのに、間違いだったのか?
「んしょっと……店長? ユリンさんが飛び出してったけど、なんかあったの?」
「あ、いや……トルトは無事か?」
「え? ああ、ちょっとびっくりして転んじゃっただけ」
「そうか……よかった」
「うん?」
きょとんとしているトルトの声に、胸をなでおろす。
ユリンさんはどこかへ逃げてしまったようだけど、トルト達は無事なようだ。
急に色々あって、心臓がバクバクしてしまっている。
落ち着こうと深呼吸をして顔を上げると、こちらを見ているマリカ様と目が合った。
「店長殿、ユリンは?」
「あ、マリカ様……その、逃げられちゃったみたいで……」
「そうか……ところで、立てそうか? 店長殿」
「え? あ……あははは、ありがとうございます」
情けないことに、俺はしりもちをついたまま。
差し出されたマリカ様の手をとって、なんとか立ち上がることができた。
「なんだなんだ? ケンカか!?」
「さっき走って行ったの、アリエスちゃんたちだよなぁ」
「ちょっとあなた、血がついてるじゃない。どこかケガしたの?」
「え? そんなことは……」
祭りの喧騒にかき消されていた異変に、人々が徐々に気づき始める。
騒めきは瞬く間に伝播し、不安な空気を醸造していく。
「ユリン……どうして……」
「ミスティア様……」
ケルベスに支えられ、憔悴しきった様子のミスティア様。
まさか付き人のユリンさんがあんなことになるなんて、思いもよらなかったのだろう。
「……店長殿、私は――」
「俺は大丈夫なので、行ってあげてください、マリカ様」
「すまない……ありがとう」
俺に一礼すると、マリカ様はミスティア様の元へ駆け寄ってゆく。
警備に当たっていた緋色の狐騎士団の騎士たちも、騒ぎに気付いて集まってきた。
マリカ様はミスティア様を気遣いながら、集まってきた騎士たちに指示を出している。
「はぁ……ラディル達、大丈夫かな……」
ふと屋台の方を振り向くと、ひっくり返って中身の飛び散ったランチパックが目に入った。
女性陣と少し離れた場所で食べていた、ケルベスのものだな。
よほど慌てて、飛び出したのだろう。
ケルベスはミスティア様の警護に、全霊をかけているからな。
「あーあーこんなに散らかって……もうこれは片付けるしかないか……」
片付けのためカラになっていたバットを持ち、残された料理を拾い集めていく。
激しく散乱したケルベスのランチパックに、マリカ様とミスティア様の食べかけのランチパック。
そしてユリンさんの、手つかずのままのランチパックを――
ご愛読いただき、ありがとうございます。
本日は2話更新となります。
次のお話はお昼頃更新の予定です。
どうぞよろしくお願いします。




