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050 ラディルと初任給

 昼休憩中の静かなキッチンに、タイマーの音が鳴り響く。

 俺はオーブンを開けて、鉄板を取り出す。

 肉汁の海にそびえる、こんがりと焼きあがった巨大な肉の巻物――ポルケッタ。

 旨みたっぷりの水平線から、パチパチと美味しさが弾けている。


「良い感じに焼けたんじゃないの~?」


 独り言を言いながら、俺は鉄板をコンロの上に乗た。

 焼き加減を確かめるため、肉の中心に竹串を刺す。

 少し待ってから竹串を抜き、唇の下のあたりに軽く当てた。

 じんじんと、竹串から熱が伝わってくる。


「よし、ちゃんと火も通ってるな」


 ひとまず肉を休ませるため、網を敷いたバットにポルケッタだけを移す。

 残った旨味たっぷりの肉汁は、別にホーローの容器に入れる。


「そしてこの鉄板はもう一仕事――」


 脂の残る鉄板に、ニンジンやズッキーニ、ナスやジャガイモ――大きめに切った野菜を入れる。

 鉄板を軽く振り、野菜全体に残った脂を絡ませていく。

 野菜を重ならないように広げて、もう一度オーブンの中へ。


「十五分ぐらいで様子見るか……」


 キッチンタイマーをセットして、調理台に置く。

 時計を見ると、もう夜営業の三十分前だった。


「お肉焼けたの~? うわっ、すごい!!」


 バーカウンター側の席で休憩していたトルトが、肉の仕上がりに歓声を上げる。

 じっくりと肉を鑑賞するためか、わざわざキッチンの中まで入ってきた。


「あれ? こっちの容器はお肉の脂? 何かに使うの?」

「ああ、これを入れてパスタを作ると、コクが増して旨いんだ。ペペロンチーノとか、ナポリタンとか……」

「へぇ~、まかないで作ってもらおうかなぁ」


 トルトと他愛のない会話をしていると、二階からヒューとフェルミス君も降りてくる。

 そろそろ休憩時間も、終わりのようだ。

 グリル野菜でセットしていた、キッチンタイマーが鳴り響く。


「野菜も……よし、火が通ったな。それじゃ、盛り付けていくか」


 オーブンから鉄板を取り出し、野菜を大皿に盛り付ける。

 派手な盛り付け準備に、みんなの注目が集まっていく。

 注目の集まる中、主役であるポルケッタのタコ糸を切り取る。

 そして渦巻模様がキレイに見えそうな、端の部分――三センチぐらいの所を、切り落とす。


「うわ、旨そう……!」


 ヒューがたまらずに、声をもらした。

 薄桜色にハーブの緑のラインが鮮やかな、大きな渦巻の断面。

 これをグリル野菜の上に、ドーンと乗せる。

 ポルケッタを乗せた大皿を、渦巻の断面を客席側に向けカウンターの上に置いた。


「すごいすごい! お祝いのときみたいだよ!」

「注文が入ったら、ここから切り取ってサーブする。メニューは……本日のおすすめで、三千マジカコースでいこう」

「はい!」


 フェルミス君が、壁にかけられたメニューボードを書き換えていく。

 そろそろ夜営業が始まるので、トルトもホールの灯りをつけて準備を進める。


「準備はいい? オープンするよ」

「大丈夫っス~」

「よろしく、トルト」


 みんなに準備の確認して、店を開けに行くトルト。

 外にはすでに二人ほど、待っているお客さんの影が見えた。


≪カランカラーン≫


「お待たせしました! ――あれ、ラディル!? いらっしゃいませ!!」


 扉を開けたトルトが、嬉しそうな声をあげる。

 声につられて入り口を見ると、ラディルがニコニコしながらカウンターに駆け寄ってきた。


「こんばんは! お久しぶりです、店長さん!」

「おう、いらっしゃい! 今日はどうしたんだ?」

「へへっ、初任給が出たのでピコピコで食べてこいって、マリカ様に言われたんです!」

「あはは! そうかそうか」


 まぁ、そんなとこだろうと思ったけど――店を卒業した子がこうして食べに来てくれるのは、嬉しい。

 ラディルと話していると、もう一人の来客――上品な雰囲気の紳士が、近づいてきた。


「そこは『初任給が出たので、食べに来ました』で良いんですよ、ラディル君」

「そ、そうなんですね……!」


 紳士に窘められて、敬語で返すラディル。

 同行のお客さんだったのか――雰囲気から言って、騎士団の先輩かな?

 二人の様子を見ていると、俺と紳士の目が合った。


「――申し遅れました。私、イヴァンと申します。緋色の狐騎士団スカーレットフォックスの、部隊長を任されております」


 丁寧にお辞儀をして、自己紹介をするイヴァンさん。

 慌てて俺も、挨拶をする。


「ああ! 俺は店長の、天地洋です。ラディルがお世話になっております」

「いえいえ、こちらこそ――」

「うわーっ!! 店長さん、このお肉食べれるんですか!?」


 長くなりそうな挨拶を、ラディルの大声が一瞬で終わらせた。

 カウンターに置かれたポルケッタに、すっかりラディルは釘付けになっている。


「もちろん! 本日のおすすめだよ」

「オレ、これにします!」


 席にもつかづに、オーダーを始めるラディル。

 まるで家に帰ってきた、子どもみたいじゃないか。


「ほらほら、上官も一緒なんだろ? まずは席に座って!」

「あ、はい!」

「ほっほっ。ラディル君は、ラディル君ですねぇ」


 自由奔放なラディルに、イヴァンさんは動じずに付き合ってくれている。

 優しそうな上官で、良かったな――と思っていると、ラディルがカウンター席に座ろうと、椅子を引いた。


「テーブルも空いてるんだから、広い席に座ればいいだろ?」

「えぇっ!? そ、そうかぁ……」


 上官も一緒なのだしと、良い席へと促す。

 するとラディルは落ち着かなそうに、カウンターとテーブル席を見比べる。


「私は構いませんよ。カウンター席というのも、オツなものです」

「あっ……ありがとうございます!」


 イヴァンさんの一言に、ラディルは嬉しそうにカウンター席についた。

 その隣に、イヴァンさんも座る。


「久々に店長さんに会えると、ラディル君はとても楽しみにしておりました。お話したいことも、たくさんあるでしょう」

「そう、なんですね」


 上官に事情を説明されて、ラディルは照れくさそうにはにかむ。

 そんなことを聞かされたら、俺まで照れちゃいそうじゃないか!


「それじゃ、ラディルはポルケッタ――このお肉ね。イヴァン様は――」

「私も、同じもの――おすすめコースをお願いいたします」

「かしこまりました」


 ウキウキしながら、俺は前菜作りにとりかかる。

 お肉とパスタがこってり系なので、さっぱり系の料理を盛り付けていく。

 野菜はカポナータ、肉魚はイワシのマリネ。

 もう一品は、マッシュルームのカルパッチョにしよう――パルミジャーノチーズを削る、仕上げの演出がカッコイイから!


「うわっ、うわあぁぁ……」

「ほう……」


 マッシュルームに降り積もる、パルミジャーノの淡雪。

 チーズを削る様子に、釘付けになっているラディルとイヴァンさん。

 俺は内心嬉しくなりながら、カウンターから前菜を提供する。

 

「お待たせいたしました、コースの前菜でございます。こちらから、カポナータ、マッシュルームのカルパッチョ、イワシのマリネでございます」

「おお、美しいお料理ですね」

「へへ……いただきます!」


 嬉しそうに、前菜を食べ始めるラディル。

 なんだか以前よりも、姿勢が良くなって――食べ方も、少し上品になってる気がする。

 騎士団に入って、イヴァンさんに色々指導されたのかな?

 何気なくイヴァンさんの様子を伺うと、彼はニッコリと笑顔を返してくれた。


「噂に聞いておりましたが、お味も素晴らしい」

「ありがとうございます」


 二人が食べ進めるペースを伺いながら、俺は次の皿――パスタの準備を進めていく。

 オリーブオイルとニンニク、鷹の爪をフライパンへ。

 そしてポルケッタを作ったときに出来たラードを、一匙。


「アラビアータですか?」


 さすがラディル、最初の準備だけで何を作るか覚えてるんだな。

 でも今回はラードが入ったから、少し疑問に思ったのだろう。


「ああ。でも今日のは、スペシャルなアラビアータだ」

「スペシャル……!?」


 フライパンを火にかけ、油にニンニクの香りと鷹の爪の辛みを出していく。

 そこへトマトソースと昆布茶を加えて味をととのえ、茹であげたパスタと絡める。

 特製ラードを加てコクとツヤの増した、スペシャル・アラビアータの完成だ。


「お待たせしました。コースのパスタ、アラビアータでございます」


 カウンター越しに、まだ湯気の立ち上るアラビアータを提供する。

 フォークにたっぷりパスタを巻き付けて、ラディルは口に運ぶ。


「んんんっ! ウマッ……美味しいですっ!」

「ふふ。辛みのきいた濃厚なソース――お酒が欲しくなるお味ですね。今日は飲めませんが……」


 なかなかに、気に入ってもらえたようだな。

 俺はカウンターの台からポルケッタの皿を取り、メインディッシュ作りに取り掛かった。

 肉を分厚く二枚切り分け、野菜と一緒に鉄板に並べる。

 そしてオーブンに入れ、中までじっくりと温めていく。


「店長さん、こんな豪快な肉料理も作るんですね」

「そうだな……店も広くなったし、こういう料理も増やしていこうかと思って」


 奥の部屋への入り口が狭いせいか、意外と気づかない人も居るんだよな。

 肉の大皿をカウンターに戻しながら、俺は店の奥に視線を送る。

 つられてラディルも、店の奥を見た。


「えっ……本当だ、奥に部屋ができてる!」


 新しい部屋に気づいて、ソワソワするラディル。

 確認しに行きたいが、食事の途中で立つのは上司の手前、出来ないのだろう。

 するとイヴァンさんが、仕方ないという顔で許可を出す。


「見てきて良いですよ、ラディル君」

「はっ……あ、ありがとうございますっ!」


 ラディルはパッと笑顔になり、席を立つ。

 立ち上がったラディルは、サッと奥の部屋を確認して席に戻った。


「どうでしたか?」

「はいっ! 広かったです!」

「そうですか。ほっほっ」


 なんだかイヴァンさん、お父さんみたいだな。

 そそっかしいラディルにとって、良い上司に担当してもらえたと思う。

 ――なんてガラにもないこと思いながら、温め終えたポルケッタを皿に盛り付ける。

 

「はい、お待たせいたしました。本日のメインディッシュ、ポルケッタでございます」

「おおっ!」


 切り株のような分厚い肉の塊に、彩り豊かなの秋の実り。

 豪快な料理に、ラディルとイヴァンさんの顔が華やぐ。

 一口に切り分けるために肉にナイフを入れると、切り口から肉汁が流れ出す。

 大きめに切った肉を、ラディルは期待に満ちた顔で頬張る。


「おっ……おっ……美味しいっ……!!」


 感嘆の一言をもらすと、嚙みしめるように咀嚼するラディル。

 隣では小さめに切り分けた肉に、しっかりハーブを纏わせて口にするイヴァンさん。


「いやはや、お酒が飲めないのが本当に残念です……」

「あはは……すみません」

「いえいえ」


 二度もお酒の事を言われると、置かなきゃいけないかなぁっと思い始める。

 うちもフェルミス君が入って余裕が出来てきたし、考えてはいるんだけどね……。

 お酒を置くにしても、負担の増えるトルトやフェルミス君に相談してからだ。

 今は目の前のお客さん――ラディルやイヴァンさんに、集中しないと。


「それにしても、ラディルの上官がイヴァン様のような方で良かったです。その……面倒見が良さそう、と言いますか」

「ほっほっ。それだけが私の、取り柄ですからな」


 こちらの言葉に、謙遜するようにイヴァンさんは返す。

 食事が落ち着いたのか、ラディルも横から会話に参加してきた。


「あ、店長さん! オレ、今度遠征に行くんですよ!」

「へぇ、どこに行くんだ?」

「えっと、北の……キー……キー……」


 なかなか地名が出てこないラディルに、イヴァンさんが補足する。

 

「キーリウですね。はるか北の地で、ドワーフ達が暮らしています」

「ドワーフ……」


 そういえばドワーフも居たなぁ、イサ国。

 ドワーフやエルフといった異種族は、基本的に王国からかなり離れた場所に暮らしてるんだよな。

 しかも移動手段が徒歩しかないから、会いに行くのがかなり面倒だった記憶がある。


「すごく、遠い場所に行くんだな。それじゃしばらく会えな――」

「そこでラディル君とピコピコに協力していただきたいと思いまして、ご挨拶に来た次第です」

「……んん?」


 もしかして今日、仕事の話で来た?

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