048 ヒューとカルツォーネ
厨房の入り口でヒューは手を洗い、持参したコックシャツに着替る。
ヒューが準備を進めていると、二階からフェルミス君の足音が降りてきた。
「あれ……ヒューさん? おはようございます」
「おはよう、フェルミス君!」
すっかり仕事着姿になっているヒューに、戸惑うフェルミス君。
俺は個室の席で朝食の残りを食べつつ、説明を付け加える。
「ピザ作りの練習に来たんだって」
「そうなんですね。おつかれさまです」
事情を理解したフェルミス君は、ヒューに労いの言葉をかけた。
そして練習の様子を見学するように、キッチンが良く見える場所――俺の座る個室の入り口の前に、移動する。
「フェルミス君、昨日はちゃんと休めた? 食欲無いみたいだったけど」
「あ……えっと……」
一瞬、フェルミス君の顔が強張った。
先に俺が一言伝えておけばよかったか……と、後悔するも次の瞬間――
「ごめんなさい。実は昨日、ウソついてて……」
「うん? ウソ?」
深く頭を下げて詫びるフェルミス君に、キョトンとしているヒュー。
少し震える声で、フェルミス君は説明を続ける。
「実は僕、人前で食事をとるのが苦手で……色々言い訳して、食べていなかったんです……」
すっかり下を向いてしまったフェルミス君に、沈黙が広がる店内。
あっけらかんとしたヒューが、俺に視線を送りつつ言った。
「やっぱりそうだったんだ~」
沈黙を破ったのは、気の抜けた返答。
このタイミングでその言い方かよ!?と、思ったものの――
顔を上げたフェルミス君は、ヒューを見入っている。
「やっぱり……?」
「兵士にもそういうヤツ、たまに居てさ。人見知りだったり、潔癖症だったり、理由はそれぞれだけど」
「そう、なんですね。なんだか……意外です」
確かに……兵士って、結構タフなイメージあるもんな。
食事に難のある人って、苦労しそうだ。
フェルミス君は、質問を続ける。
「その方たちは、その……後々、職場で食事をとれるようになったのでしょうか?」
意を決したように聞く、フェルミス君。
ヒューは顎に手を当て目を瞑り、何かを思い出すように軽くうなる。
「大概は、すぐに慣れて食べるようになったな。すげー腹減るし。まぁ、そもそも直す気が無いヤツもいたけど」
その答えを聞いて、フェルミス君の表情が和らぐ。
少しは解決の糸口が、見えたのだろうか。
「よかったね。お話聞けて」
「あ……はい! ありがとうございます、ヒューさん!」
明るい笑顔で、フェルミス君はお礼を言う。
話が落ち着いたところで、ヒューはようやくピザ生地を冷蔵庫から取り出した。
「さてっと、残ってるピザ生地は……十四枚分か。思ってたより多いな」
「全部伸ばしちゃって良いよ」
「いやいや……さすがに多すぎだろう?」
「はたして何枚が、ピッツァになれることか……」
「おっ、言ったなぁ……」
軽い口を叩きながら、ヒューはピザ生地を伸ばし始めた。
フェルミス君は練習の様子を見学するようで、キッチンの邪魔にならない場所に立つ。
食事を終えた俺もキッチンに入り、オーブンに火を付け鉄板にオーブンペーパーを広げる。
そして休み前に残ってしまった、ベーコンや魚介などのトッピング食材を調理台に並べていく。
「あっ……」
俺が救済策の準備を進めているうちに、一枚目の穴あき生地が出来上がった。
やってしまった……という顔で、ヒューがこちらを見つめる。
「穴が空いたのはこっちでもらうから、次いっちゃっていいよ」
「うっス! お願いします!」
穴の空いたピザ生地を、ヒューはうやうやしく引き渡す。
そして困り果てたように、教えを乞う。
「その……店長から見て、俺って何がダメなんでしょうか?」
「うーん……作業が全体的に、ちょっと遅いかなぁ」
「ヒドイッ」
おおげさに、ショックを受けた顔をするヒュー。
見本を見せるために、俺はピザ生地の玉を一つ手にした。
「速さが全てでは無いけど、迷って手が止まるのが良くないかな」
「迷い……」
ヒューは図星を突かれたのか、急に真顔になる。
俺は手にしたピザ生地にセモリナ粉をまぶし、打ち粉をした調理台に置く。
手のひらでコルニチョーネ――ピザの耳を作るように、中央を押して平らにする。
「考えたり悩んだりしてる間に、ピザ生地はどんどん変化していく――」
ある程度原型ができた生地を持ち上げ、クルクルと回しながらピザ生地を広げていく。
ピザ生地が広がってどんどん大きくなる様子を、ヒューは食い入るように見つめた。
「ソースを塗れば水分が生地にしみ、ベタついてパーラーに乗らない。生地を伸ばす手を止めれば、自重で伸びてやがて破ける――ほら」
「えぇっ!?」
ピザを広げる手を止めると、生地は指を支点に伸び――薄くなり、ついには破けてしまった。
まさか破けるところを見せるなんて、と言った顔でヒューが俺の顔を見る。
「迷って手が止まるのは、理解が足りてないからだよ。まずはピザ生地のことを、よく知ることさ」
最初の頃は俺も、ピザ生地を広げるのに腰が引けていて。
手のひらサイズの小さな生地が、大皿サイズに広がるなんてとても信じられなかったし。
繰り返し生地を手にするうちに、意外に丈夫なこと、想像よりよく伸びることを理解していって……一気に失敗が減ったんだよな。
「情報は恐怖心を無くす、からね」
真剣に話を聞いていたヒューの顔が、急に綻ぶ。
なんか自分でも、熱く語ってしまったような気がして少し恥ずかしい。
「ずいぶん詩的じゃん、店長」
「ま、付き合い長いからな……」
すっかり気の抜けたヒューに、茶化されてしまう。
とはいえ悲しいかな……普通の人間関係よりも、料理と向き合ってる時間の方が圧倒的に長いのも事実。
自分で言っておきながら、ちょっと切なくなってきた。
落ち込む俺に、ヒューが声をかける。
「その破けたピザ生地は、どうするんです?」
「ああ、これね。こうやって半分に切って――カルツォーネにする」
俺はスケッパー――パン生地等を切り取るヘラを手に取り、穴の開いた部分を円の直径になるようにピザ生地を切っていく。
半月になった生地にトマトソースを塗り、用意していた具材を乗せる。
そして半分に折り、生地の重なった端の部分を折り込む。
「こうやって具材を乗せて生地で包んで、端を折り込めば……カルツォーネの一丁あがり! あとはオーブンでじっくり焼いて、完成だ」
半円の生地で作ったカルツォーネは、ポッテリとした形でややサモサっぽい。
これはこれで、カワイイかな。
残りの生地も成型して、鉄板にカルツォーネを並べていく。
「へぇ……なんかもう、すでに旨そう!」
鉄板の上に、キレイに並べられたカルツォーネ。
確かに、幸せを感じる光景だ。
「カルツォーネは、なんといってもジューシーさが良くて。ピザと同じような具材なのに、生地の中で温められたソースやチーズが、ジュワ~って広がるのがたまんないんだよ! 冷凍しておけば、気軽にまかないでも食べられるしな」
思わず熱く語ってしまう俺に、ヒューが笑う。
「そう聞くと、心置き無く練習できます!」
「ちゃんとピザ生地になるように、練習してな?」
「もちろんっス!」
結局この日、ヒューが成功させたピザ生地は、十三枚中八枚であった。
うーん……まぁまぁかな?




