047 朝食と練習
「昨日はちゃんと休めた?」
「はい! お気遣いいただき、ありがとうございました」
フェルミス君が店に来てから、一夜が明けた。
夜は色々あってバタバタしたけど、今朝はフェルミス君の様子も落ち着いている。
これなら、ちゃんと話ができそう。
「とりあえず朝のコーヒーを入れたんだけど、飲めそう?」
「大丈夫です。いただきます」
俺はコーヒーサーバーに入れておいたコーヒーを、二つのカップに注いでいく。
そして朝日の差し込むリビングのテーブルにつき、俺達はコーヒーを飲み始めた。
「はぁ……おいし……」
「美味しいです」
ニッコリと笑顔で返す、フェルミス君。
彼の場合、対人会話術用スマイルな感じもあるけど……少なくとも、泣き出してしまうような不安定な状態ではない。
今なら彼の【人前で食事ができない】ことについて、聞いても大丈夫そうだ。
「その……フェルミス君の食事の悩み、詳しく聞かせてもらえるかな?」
「……はい」
フェルミス君の顔から笑顔が引っ込み、少し不安そうな表情で俯く。
ここはしっかり聞いて、受け止めなくては。
姿勢を正して、フェルミス君の話に耳を傾ける。
「――子供の頃、父の商会の慰労会がありまして……従業員や取引先の方々と食事をする、お祭りのような催しだったのですが――」
ポツポツと、丁寧に。
震える声がフェルミス君の、記憶と想いを伝えてくる。
「色んな方々とお話している間に気疲れしてしまったのか、食事が受け付けなくなってしまって……」
ウエスフィルド商会は、とても大きな商会だ。
商会の後継者たる子息ともなれば、関係者の関心が集まるのは当然のことだろう。
そしてその視線には、多くの思惑が含まれている。
「このままじゃダメだってわかっているのに、食事会を重ねる毎に、どんどん悪化してしまい――」
震える声が、かすれていく。
コーヒーのカップはテーブルに置かれて久しく、さざ波のような光を反射している。
「とうとう友人や、家族も含め――人前で食事がとれなくなってしまったんです……」
最後はまるで吐き出すように、フェルミス君は言葉を落す。
端的に説明できるのは彼がこの事を、ほんの些細なことと理解してるからだろう。
だからこそ乗り越えられない自身を、強く責めているのかもしれない。
「説明が遅くなってしまい、申し訳ありません……」
「いや、初めての職場なんだから仕方ないよ。こっちこそ、フェルミス君の働きぶりに甘えてばかりで、ごめんね」
食事は、とても繊細なことだ。
俺だって社長と食事をするときは胃がキュッとするし、味もろくにわからなくなる。
子供の頃からフェルミス君は、対人ストレスの多い食事を繰り返してきたのか……不憫だな……。
「それで、これからどうしようか?」
「…………」
これからの話について、言葉に詰まるフェルミス君。
きっとこれまでも、解決に向けて色々と手を尽くしてきたことだろう。
万策尽きてウチの店に流れ着いたフェルミス君を、問い詰めても仕方がない。
一緒に働くわけだし、まずは生活のルールを決めよう。
「食事を抜くのは、体がもたないから……朝食やまかないは、この部屋――リビングで食べる? 昨日みたいに、呼ばれるまで誰も入らないようにするから」
「えっ……でも、それでは……」
俺の提案に、フェルミス君が焦ったように言葉をはさむ。
「僕、また……変われないから……」
真面目でひたむきな、変わりたいという意思。
もっと適当でいいのにと思うけど、これがフェルミス君なんだな。
そんな彼に頼ってもらったんだ、俺も力になりたい。
「代わりに、みんながまかないを食べてるとき、一緒にお茶を飲もう」
「お茶……?」
きょとんとした顔で、フェルミス君が俺の顔を見上げる。
説明が下手だった気がして、俺は言葉を付け加えた。
「あ、コーヒーでも何でもいいんだけど――飲み物なら、大丈夫なんだよね? まずは人との食事に対して、慣れることから始めてみたらどうかな?」
これで伝わっただろうか?
自分の説明の下手さに恥入りながら、フェルミス君の顔を見た。
そこには、安心したような笑顔がうかんでいて――
「――はい! お茶、ご一緒します!」
とても明るい返事に、俺もホッとする。
焦っても仕方がないし、地道に様子を見ていこう。
「と、言うことで、朝食にしよう! 実は、昨日から仕込んでおいたんだ~」
「あっ、お手伝いします!」
席を立つ俺に、フェルミス君が続く。
向かった先はキッチンのトースター、中には焼いて保温しておいたフォカッチャ。
「うわぁ……美味しそう……!」
香ばしい小麦の香りに、チーズに、ハムに、オニオンスライスに、ブラックオリーブ――調子に乗って、たくさんトッピングしちゃったんだよな。
昨日は雨で、食材たくさん残っちゃってたし。
「気に入ってもらえたようで良かっアチッ!」
「あぁ! 大丈夫ですか!?」
四角い深皿いっぱいに膨らんだフカフカのフォカッチャを、パン切り包丁で二つに切り分けていく。
切れ目から立ち上る湯気は、火傷するほど熱々で……この瞬間がまた、美味しいんだよなぁ。
「ダイジョウブダイジョウブ! はい、これフェルミス君の分。食べるとき、火傷しないようにね」
「ふふっ。はい、気を付けます」
大きな四角い具沢山フォカッチャに、真っ赤なミネストローネを添えて。
絵に書いたような、休日の贅沢な朝食だ。
「それじゃあ、俺は下に行くから、ゆっくり食べてね」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
フェルミス君は丁寧にお辞儀をして、俺を見送る。
俺は朝食とコーヒーをトレーに乗せて、一階の店に降りて行く。
そして個室の席につき、一息ついた。
「ふぅ……」
一人になったことに、つい安心してしまう。
昨日から色々あったけど……とりあえずフェルミス君との話は、一旦落ち着いたとみていいかな。
ぼうっとしながら、俺はフォカッチャに手を伸ばす。
「いただきます――っん、ウマい!」
モッチリフカフカなパンと、色々な具材の味が口の中に広がっていく。
食べ進める事に、体の中が熱くなっていくのを感じる。
「雨、止んだんだ……」
個室の小窓から、テーブルに光が差す。
外を見ると、たくさんの人々が忙しなく行き交っていた。
「食事に対するトラウマかぁ……」
生活をする上で、食事は欠かせない。
単に栄養の摂取だけではなく、人間関係においてもだ。
それが分かっているからこそ、フェルミス君はあんなに苦しんで――
≪コンコンッ≫
突然、窓の外に男の手が現れ、窓ガラスをノックした。
光を遮るように、窓に男の顔が被さる。
「うわッ!? ……あ、ヒューじゃないか」
驚く俺の顔を見て、ヒューはニカッと笑う。
そして店の入口を指差して、扉の方へ歩いていく。
俺も店の入口に向かい、内側から扉のカギを開けた。
≪カランカラーン≫
「おはようございます! 店長!」
「おはよう。休日にどうしたの? 忘れ物?」
「いやー実は――」
照れくさそうに頭をかきながら、ヒューはチラチラと視線を送ってくる。
「昨日の夜、雨でお客さん来なかったじゃないですか?」
「そりゃ、うん……」
「そんでピザ生地が、結構残ってたなぁって思って」
「うん」
「なので、練習させてくださいっ!」
パァンッと顔の前で両手を合わせ、頼み込むヒュー。
「えぇ……」
「練習で作った分はちゃんと買い取るんで! お願いします!!」
「いや、そうじゃなくって――休日は休むものだよ、ヒュー君」
休みの日にわざわざ練習させるのは、本人の意思とはいえ忍びない。
おかえりいただこうとする俺の動きに、ヒューは声のトーンを変える。
「わかりました……」
姿勢をただし、軽く咳払いをするヒュー。
そして――
「店長! ピザパしようぜーっ!!」
「何がわかったのかな!? それに、今ちょうど朝食を食べ終えたところなんだよ」
「そこをなんとかっ! ねっ?」
「――もう、仕方ないなぁ」
ヒューは必死に頼み込むようで、グイグイと店に押し入ってくる。
これはもう、断ってもムダだろう。
「今日だけだよ」
「ありがとうございます、店長!」
俺の手を強く握ってお礼を言うと、ヒューは颯爽とキッチンへ向かった。




