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幕間 007 上司の恋は難しい2

「休暇も最終日だっていうのに、いつまで店を張り込むつもり? ジェマ」

「だって今日は絶対に、マリカ様が来るハズ! そんなの、見逃すわけないじゃない!」

「……昨日も一昨日も、そんなこと言ってなかった?」


 いたりあ食堂ピコピコから、少し離れた物陰。

 身を潜めて店の扉を見張るジェマと、呆れたように付き合うリサの姿があった。


「リサだって、別に無理に付き合ってくれなくてもいいんだけど……」

「それは、ほら? 私もミスティア様にご報告とか、色々あるし?」


 騎士団の癒し手であるリサは、定期的にイサナ聖教会へ礼拝に赴く。

 その際、ミスティアの話し相手にもなっている。姉のマリカとは違った話が聞けるからと、ミスティアの信頼を得ていたのだ。


「実際、リサはどう思う?」

「どうって?」

「ピコピコの店長とマリカ様の結婚よ」

「恋がどうこうから、一気に話が跳んだわね、ジェマ」


 ジェマの突飛な質問に、リサは呆れながらも真面目に答える。


「聖痕を受け継がず、王位継承権を放棄してるマリカ様。婚姻は比較的、自由度が高いけれど……さすがに店長さんは、身分が違い過ぎるんじゃないかしら?」


 イサナ王国の聖なる力の継承である、聖痕が現れなかったマリカ。

 第一王女であるマリカが命の危険がある騎士団の団長を務めているのも、王位継承権が無いから。

 白銀の鷹騎士団(プラチナ・ファルコ)は、聖痕が無くとも王国と国民を護る使命を果たすという、マリカの決意の下に結成された騎士団なのだ。 


「でも、あの高度な転移魔法や強固な扉の盾……調査遠征の働きぶりを見ると、後々功績を上げて爵位を賜る可能性もあると思うのよねぇ……」


 温厚なピコピコの店長に、出世欲はあまり無い。

 しかし店長の能力はイサナ王国に多くの恩恵をもたらし、彼を出世させていくだろうとジェマは考えていた。

 

「うーん……確かに、遠征のときは、とても助かったけどそれとこれとは――」

「来たっ!! マリカ様よっ!!」


 ランチの客が落ち着き、昼の休憩時間に入るころ。

 二人が見張る店の前に、マリカがやってきた。

 彼女は扉のガラス越しに中の様子をうかがい、店の中に入っていく。


「今日はすんなり入って行ったわね……」

「明日からまた忙しくなるし、きっとゆっくり話がしたかったのよ。結婚の事とか、結婚の事とか、結婚の――」

「あら? もう出てきたわ」

「早っ!!」


 店の中からはマリカと一緒に、大柄な老齢の男性――ポセが出てきた。

 彼の肩には、ピコピコの店長が背負われている。


「あの方は……遠征の炊き出しの手伝いをされてた、漁師の……ポセさん、ね」

「っていうか店長さん、どういう背負われ方してるの!?」


 想定外の状況にジェマとリサは、マリカたちの会話に聞き耳を立てた。

 

「しっかりつかまっててくれ、店主」

「はい。ちょっと、ゆっくり目でお願いしますね」

「騎士団長様、走る速度は加減した方が良いだろうか?」

「ふっ……侮らないでいただこう。カーナヤ海岸まで走るなど、鍛錬にもならない」

「承知しました」

「あの……ゆっくり、ね……?」


 マリカたち三人は、これからカーナヤ海岸に出かけるようである。

 イサナ王国からカーナヤ海岸までは、およそ人が走って行くような距離では無い。


「カーナヤ海岸……? 走る……?」

「不穏な空気になってきたわね」


 聞き間違えだと思うジェマと、思いたいリサ。

 しかし店の前でマリカとポセは、今にも走り始めそうな準備運動をしている。


「では行きますぞ、騎士団長様!」

「ああ!」


 準備が終わるやいなや、マリカとポセの二人は勢い良くで走り出した。

 店長の虚しい悲鳴が、尋常じゃない速度で遠ざかっていく。


「本当に、素で走りだした!? あのままカーナヤ海岸まで行くっていうの!?」

「私は走らないからね? これはもう、諦めるしか――」


 尾行は諦めるしかないと、ジェマを見るリサ。

 しかしジェマは自身の魔法の杖に跨り、リサを見ている。


「乗りな、リサ!」

「えぇ……」


 ジェマが魔法の杖で、絵本の魔女のように飛ぶのを、リサは度々目にしていた。

 宙を飛ぶのを怖いと思うリサだったが、マリカたちの様子が気になって、渋々とジェマの後ろに跨る。 


「ウィンドフェザーッ!!」


 呪文を唱えると、魔法の杖に跨った二人は空に舞い上がった。

 そして既に城壁の外に出ている、マリカたちを追う。


「ジェマ、速過ぎっ! 息が……苦しくなって……」

「でも、マリカ様たちの方が、速くて……振り切られそう……!!」


 韋駄天のスキルを持ち、走る速さに絶対の自信を持っているポセ。

 騎士団長として、王国民に負けたくないマリカ。

 お互いに競いながら走る二人の速度は、常軌を逸していた。


「スピード上げるわ。リサ、しっかり掴まってて!」

「へっ? これ以上速いやあぁぁぁぁぁっ!?」


 全ての魔力を振り切り、ジェマは自身の最高速度で追いかける。

 それでなんとか、マリカたちを見失うことなくカーナヤ海岸までたどり着くことができたのだった。


「はぁ……はぁ……なんとか……追いつけた……!」

「ひぃ……ひぃ……足が……全身が震えるわ……」


 マリカたちから少し離れたところで、息を整える二人。

 カーナヤ海岸までの移動に疲れているのは、二人だけではなく――


「大丈夫か? 店長殿」

「は、はい。ちょっと腰を痛めただけで……いてて」


 フラフラした足取りで、マリカに支えられながら腰を撫でるピコピコの店長。

 背負われていただけとはいえ高速での移動は、一般人の体には、重い負担がかかっていた。

 同情したリサは店長に、遠くからひっそりと回復魔法をかける。


「ロングヒール」


 小声で呪文を唱えると、微かな光が店長の腰に目掛けて飛んでいく。

 癒しの魔法が店長の腰に当たると、彼の苦痛の表情が一気に消え去った。


「――あれ? なんか、急に痛みが落ち着いたような」

「……そうか。それは良かった」


 店長の体調が回復すると、マリカたちは海岸にある小さな小屋へ向かって歩き出す。


「ナイス! リサ」

「まぁ、このくらいはね」


 マリカたち三人に見つからないように、二人も後を追って移動する。

 海までやってきたのもあって、ジェマの気持ちはかなり舞い上がっていた。


「休暇の最終日。美しい海で過ごす、年ごろの二人」

「アラサーね」

「何も起きないワケがなく――」

「あんれまー! 店長ちゃんじゃないのぉ!」


 向かっていた小屋の中から、女性の大きな声が響いてくる。

 小屋で働くおばあちゃんたちが、わらわらと店長たちを囲む。


「今朝は牡蠣が豊漁だったと話したら、食べてみたいと言うから連れてきた」

「あはは。岩ガキが旬だって聞いて」


 店長が貝を食べに来たと聞くと、おばあちゃんたちは少女のように盛り上がった。

 口々に自分の漁果の報告――自慢を始める。


「そうなのね? 見て見て、これ全部、私が獲ったのよ~」

「あらあら。私はアワビを三つも獲ったんだから」

「ほらポセ! 炭と網を持ってきてちょうだい!」

「まったく。姐さん方は人使いが荒いんだから、仕方ねぇなぁ」


 おばあちゃんたちはポセと一緒に、網焼きの準備を始めた。

 一通り自分たちの話が終わると、興味がマリカに移っていく。


「店長ちゃんったら、こんなめんこいお嬢さん連れてきて~」

「え……いやぁ、あはは……」


 わらわらとおばあちゃん達は、マリカを囲い込む。

 揉みくちゃにされながらも、満更でもない顔のマリカ。


「おお! ナイスだ、おばあちゃんたち!」


 そのまま二人をいい感じにしてくれ! と、ジェマは強く念じる。

 しかし、ふと一人のおばあちゃんが真顔になった。


「――あら? 意外にしっかりした体つきね」

「まぁ、ほんと! あなたちょっと、海女になってみない? テッペン狙えちゃうわよ!」


 他のおばあちゃんたちも、マリカの鍛え上げられた肉体に気づき始める。

 すると先程までの、冷やかしの顔はどこへやら。

 みんな真剣な顔付きで、マリカを海女へと勧誘を始めた。


「申し訳ない、私には本来の仕事がありますので。ですがお困りのときは、いつでもご協力いたします」

「あらぁ! カッコイイわねぇ」

「素敵なお嬢さんだこと」


 すっかり店長は存在を忘れられ、おばあちゃんたちはマリカに夢中。

 さすがイサナ王国の第一王女にして、白銀の鷹騎士団(プラチナ・ファルコ)の騎士団長。

 絶大なカリスマ性が、遺憾無く発揮されてしまっている。


「姐さんがたー! 炭ぃ起こしたぞー!」

「準備ができたみたいね。さぁさぁ、貝を焼くわよぉ!」


 網焼きの準備ができ、店長とマリカ、海岸の人達とのバーベキューが始まった。

 物陰で様子をうかがうジェマとリサの元にも、煙と共に魚介の焼ける香りが漂ってくる。


「浜辺で楽しくバーベキューをする二人!」

「と、おばあちゃんたちとおじいちゃん」

「何も起きないワケがなく!」

「普通に海鮮食べてるだけね。美味しそう、私もあっちで一緒に食べたい」

「リサァァァ!」


 色恋の話などこれっぽっちもなく、ただただ美味しそうなバーベキューの様子を見守る二人。

 楽しそうな時間はあっという間に過ぎ去り、空はすっかり夕暮れ色に染まる。


「ごちそうさまでした! どれもとっても、美味しかったです!」

「いえいえ。こちらもたくさん買ってもらって、ありがとうね」


 バーベキューの片付けが終わり、食材を色々買い付ける店長。

 和気あいあいとした、解散のムードが漂う。


「それじゃ……バックヤード!」

「……ぇっ?」


 店長の特技、バックヤード――店に繋がる扉が、海岸に現れる。

 扉を見た瞬間、ジェマの背筋が凍り、全身から冷や汗が流れだした。


「みなさん、また今度! マリカ様、帰りましょう」

「ああ」

「いやぁ〜、良い牡蠣が買えたなぁ。今日のディナー、牡蠣クリームパスタとか作っちゃおうかなぁ?」

「ふふ……楽しそうだな」


 おばあちゃんたちとポセに見送られ、扉に入っていく店長とマリカ。

 戸が閉じると、扉は跡形もなく消え去る。

 マリカたちが店に帰るのを確認すると、リサはジェマに話しかけた。


「それじゃ、私たちも帰りましょうか。ジェマ」

「……」

「ジェマ?」


 店長のバックヤードがあった空間を、一点に見つめるジェマ。

 その顔色の悪さに、リサにも悪い予感が広がる。


「もう魔力、空っぽなんだけど……」

「……へ?」

「風魔法で……帰れない……」

「えええええ!? 明日から、仕事なのに!?」


 海岸に残された、ジェマとリサ。

 無情にも、夜の帳がゆっくりと降ろされる。



■■■



「なんとか、出動時間には帰ってこれた……」

「うぅ……まだちょっと、磯臭いわ……」


 二人は明け方、カーナヤ海岸から魚を運ぶ商人の馬車に乗せてもらい、なんとかイサナ王国まで帰ってこれた。

 そして休暇明けの初出勤を、軽い仮眠で迎えることに。

 疲れの残る顔で、執務室へと向かう。


「おはようございます、マリカ様」

「あら? セシェルとパーシェルは?」


 執務室にはマリカが一人、入口を向いて立っていた。

 本来居るはずの、騎士団の残りの二人――セシェルとパーシェルの姿が見当たらない。

 ジェマとリサが呆然としていると、マリカが話し始める。


「二人には先に、訓練場に行ってもらっている。お前たちに聞きたいことがあってな」

「聞きたいこと、ですか?」


 呆然としながら、聞き返すジェマ。

 いつもよりも低い声で、マリカは問いただす。


「なぜお前たちは、ピコピコの店長殿を尾行している?」


 一瞬で、部屋の空気が凍りつく。

 ピリピリとした空気の中、ジェマとリサは視線だけ合わせ、必死に答えを巡らす。


「昨日は遥々、カーナヤ海岸まで追ってきたな」

「それは……私たちも、たまたま海を見に行こうかなぁって思っただけですよ!」


 追い討ちのようにマリカに問われ、思わず適当なことを言ってしまうジェマ。

 眉をひそめ、マリカはさらに問い詰める。


「以前から尾行は続いていたようだが? わざわざ店の前に雷を落とし、店長をおびき出すような真似までして」

「あれはマリカ様が――」

「やはりアレは、ジェマの仕業だったのか!?」

「うっ……」


 焦って応えるあまり、ジェマはマリカの鎌に引っかかってしまう。

 確信を得たマリカが、ジェマに詰め寄る。

 上司の怒りに、体を強ばらせ、下を向くジェマ。


「ジェマ、貴様――」

「ひっ……」

「――店長殿に、好意を寄せているのか?」

「……へっ?」


 意外な言葉に、ジェマは恐る恐る顔を上げた。

 そこには、今にも泣き出しそうなマリカの顔。


「だとしたら、私は上司として……お前の縁談を……あ、後押……し……」


 ジェマとリサはハッとして、顔を見合わせる。

 マリカが部下を気遣って、身を引こうとしているのが明確であった。

 慌ててジェマが、弁明する。


「全っ然! そんなわけ無いじゃないですかっ!」

「そんなわけない、だと? 店長殿に魅力が無いと言うのか?」

「ぐっ……」


 恋する乙女は、面倒くさい。

 言葉選び一つで泣き顔から一変、鋭い睨みをつけてくる。


「だって……」

「だって?」


 ここは真っ向勝負で切り抜けるしかないと、ジェマは腹を括った。


「だって店長さんは、マリカ様の事が好きじゃないですか!!」


 執務室に、ジェマの叫びが響き渡る。

 その声と答えに、キョトンとするマリカ。

 二人の動向を、見守るリサ。


「そ、そうなのか?」


 呆然とマリカが、問いかける。

 すかさずジェマは、リサに何か言えと視線を送った。


「――僭越ながら、私もそう見受けております」

「ほら! リサもこう言ってますし! それで気になって、二人で追いかけちゃったんですよ」


 リサの言葉に乗り、さらに畳み掛けるジェマ。

 勢い良く力説され、マリカはすっかり気が抜けてしまう。


「そう、だったのか……」


 そして張り詰めていた感情が緩み、ホッとした表情になるマリカ。

 いつもの穏やかな口調で、仕事の話に戻る。


「だが、あまり余計な詮索はせぬように。あと、城下で無暗に攻撃魔法も使わぬようにな!」

「はい!」

「では、訓練場でセシェルたちと合流してくれ。私は軍議に参加してから、そちらに向かう」

「わっかりましたー!」


 緊迫した状況を脱し、ジェマたちは足早に執務室を後にした。

 廊下を歩きながら、リサがジェマに愚痴る。


「まったく……肝が冷えたわよ」

「でも、本当に恋だったでしょ?」

「まぁ、それはね……はぁ、とんだ休暇だったわ……」


 軽口を叩きながら、訓練場に向かう二人。

 これから更に面倒ごとに巻き込まれることを、今はまだ知る由も無かった。

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