第12話
魔王城直前の、くたびれた山小屋。
かつてその辺りは、モンスターもいない代わりに他にこれといった特徴もない、まして人間なんてめったにこないような静かな場所だった。普通ならつまらなく思えるようなそんな静寂さを逆に魅力だと感じた一人の優秀な老賢者が、小屋を建て、家具を揃え、隠居生活を始めたのがそもそもの始まりだ。
山奥に一人で隠居するような変わり者の賢者は、その後しばらくして魔王が復活し、それをリーダーとして崇めるモンスターたちが周囲を闊歩するようになっても、小屋に結界を張ったり魔法で罠をはったりして応戦していた。だが結局最後には、際限なく現れるモンスターたちに心が折れ、その小屋を退去することを余儀なくされた。
そのときの結界や罠の残滓が今も消えていなかったため、魔王城の直前にも関わらずモンスターが近づくことの出来ないという……「ご都合主義な休憩所」が出来上がったというわけだ。
そんな小屋の中でエミリ……明日葉絵美梨が、まるでマヒの状態異常にかけられてしまったかのように、体を硬直させて立ち尽くしていた。
彼女の視線の先には、賢者アレサがいる。アレサはエミリをからかうような表情のまま、彼女に対する告発を続けた。
「経験したことを自分の記憶に残したまま、それ以外のすべてのものを、過去のある時点まで戻す。あるいは、現在の自分の記憶を、過去の自分の頭の中に飛ばす……という感じかしらね? その現象を貴女自身がなんて呼んでいるのかは知らないけれど、一番単純に表現するなら、『時間を戻す』っていう感じでしょう? きっと貴女はその能力で、魔王のところに向かう私たちのことをこれまで何度も邪魔してきたんじゃない? 何度も何度も『今日』を繰り返して、さっき説得してたみたいに、今のボロボロの状態でたった二人で魔王と戦おうとしている無謀な私たちを止めようとしてくれていた。もしかしたら……もうすでにその魔王戦の『結果』も知ってるのかしら? だからこそ、今の私たちのやろうとしていることが無謀で、どれだけ『今日』を繰り返してでも絶対に止めなくてはいけないと思っている……てね」
「ふふふ」という不敵な笑顔のアレサ。彼女は本当に、完全にエミリの能力を理解しているようだ。
「ど、どうして……?」
驚きで、いまだにうまく体を動かせないエミリ。だからその疑問の言葉も、彼女の意思で発せられたというよりは、考えていたことが思いがけず口の中からこぼれ落ちてしまっただけのようだった。
どうして、バレたの?
あたし、また何かミスっちゃってた……?
で、でも、今回はちゃんと「戦い」の前に「説得」をしたよ……? 最適化された選択肢だけじゃなく、あえて無駄な行動をしてるよ……? それ、なのに……。
「だけど……きっと、貴女がどれだけ『今日』を繰り返しても、私たちは考えを変えたりはしなかったんじゃないかしら? 何十回、何百回と『今日』を繰り返して、何十種類、何百種類といういろんな方法で私たちを説得しようとしたのに、貴女が見てきた『結果』は変わらなかった。結局最後には私たちは魔王に無謀な戦いを挑んで……敗北してしまった。多分、繰り返した時間の中には結構手荒な方法もあったんでしょうけれど……それでも、やっぱり私たちの考えを変えることは出来なかった」
だって……だって今回はまだ、あたし剣を使ってさえいない……。
百分の一のギャンブル剣も、五分の一の魔法吸収の腕輪も使っていない。それなのに……どうして……。
もはやその言葉がエミリの心の中だけなのか、実際に声に出せているのかもよくわからないくらいに、彼女は混乱している。
そんな彼女の疑問に応えるように、アレサは言った。
「きっと、そんな『繰り返す今日』のどこかのタイミングで、その『繰り返しの世界の私』は、貴女の能力に気づいたのよ。そして、それが無意味であるということを……貴女がどれだけ『今日』を繰り返しても、魔王戦に向かうという私たちの決意は変わらないということを知ってもらうために……『その私』はある仕掛けをしたの。『過去の繰り返しの中の私』から、今の私に向けて、伝言を送ったの。だから、その伝言を受けとった今の私が、貴女の能力に気づけたの」
「ウ、ウッソだー! そ、そんなん無理だしっ!」
脊髄反射的に、エミリは否定する。
もう、隠したり誤魔化すこともできなくなっている。そのくらい、彼女にとってアレサの言ったことはありえないことだったから。
自分の記憶以外のすべてのものを、過去に戻してしまう『時間跳躍』。その能力がある限り、『過去のループの中のアレサ』が『今回のループのアレサ』にメッセージなんて送れるはずがない。アレサがどんな魔法や道具を使ったとしても、「それを使った」という事実自体を無かったことにしてしまうのが、『時間跳躍』なのだから。
しかし……。
「そう……貴女の『時間を戻す』能力は、すべてのものを無かったことにしてしまう。物理的な物にメッセージを残しても、それは時間が戻れば消えてしまう。貴女の記憶以外のあらゆるものは、結局メッセージのない状態に戻ってしまう。……だから過去の私は、貴女の記憶の中にメッセージを入れたのよ」
「き、記憶……の中……?」
そこで……さっきまでずっとテーブルの上のケーキやフルーツを頬張っていたため大人しかったウィリアが――それらをすべて食べ尽くしてしまったからか――、つぶやいた。
「ねえ、エミリン? どうしてオレンジのジュース、アレサちゃんにあげちゃったの……?」
「え……」
ウィリアの視線は話しかけているエミリではなく、アレサの前に置かれたグラスに向けられていた。彼女は羨ましそうな表情で、アレサの前に置かれていたオレンジジュースのグラスを見ていたのだ。
「うふふ……」
アレサはまたさっきのように、自分の前のグラスを手に取る。
しかし今はそれに口をつけたりはせず、まだたくさん残っているジュースの中に魔法で氷を出現させてカラカラと振ってよく冷やしてから、「はい、ウィリア。ごめんなさいね」とウィリアのほうに差し出した。
「わーい!」
彼女は子供のように飛び上がると、そのグラスを受け取る。そして、ゴクゴクゴクッ! と一気にそれを飲み干してしまった。
自分の前に置かれていた紅茶のカップには口をつけていなかったので、単純にのどが渇いていたということもあるのだろうが……そうでなかったとしても、それは普段どおりの彼女の姿だ。
それくらい、彼女はオレンジジュースが大の好物だったのだから。
ウィリアの前に置かれた手つかずの紅茶のカップを取り、アレサはそれを一口飲む。それから彼女はエミリに、それまでの告発の結論のようなものを言った。
「オレンジジュースがウィリアの好物だということは、同じパーティのメンバーだった貴女は当然知っていた。おそらく、『過去の繰り返しの中の貴女』が最初にそれを用意したのも、ウィリアにオレンジジュースを与えて、話し合いの時間をかせぐことが目的だったはず。それなのに……『今回の貴女』はそのジュースをウィリアではなく、私の前に出した。『過去の自分』の意図を忘れてしまって、ウィリアにオレンジジュースを出さなかった。それで、私気づいたのよ。今の私が知らないところで、『別の私』が貴女の記憶を消している、ってこと。『記憶喪失の呪術』で、貴女の記憶の中から『ウィリアはオレンジジュースが好物』ということを忘れさせている、ってことをね」
「あ……」
「『記憶喪失の呪術』は禁呪で、滅多なことでは使ってはいけない。本当だったら、『誰かの好物』を忘れさせるなんてことくらいで、使っていいものじゃない。でも、その呪術が滅多なことでは使ってはいけないものだからこそ……それが、過去の私が今の私に向けて送ったメッセージだとわかるの。『ウィリアはオレンジジュースが好き』なんていう小さなことに、いつの間にか私が禁呪を使っている……その事実が、私たちが今、『エミリの記憶以外のすべてのものが戻ってしまう状況』に置かれているという、確かな証拠なのよ!」




