第七七話 ルサルカ
すけべぇ心を戒めろと言うありがたい言葉の後も、少しだけ老婆の話は続く。
「すけべぇな心や不快に思わせるようなことを考えなければ、ルサルカはすぐには殺してはこん。
じゃが最初の見定めが終わった後、ここからもまた運命の分かれ道がやってくる」
劣情や敵対心、とにかくルサルカが不快に思えばなんであろうと殺される。
けれどそれを乗り越えると、次は強烈な威圧感を放ちながら睨みつけてくる。
老婆──リンダもその旦那も、その視線に心をあっさりと折られ、腰を抜かしながら目を逸らしてしまった。
「思えば、あそこで目を逸らしてはならんかったのじゃ。
どんなに恐くても、その目を見続けられる勇気のある者でなければ、ルサルカから何も得ることなどできはせん……。
じゃからな、坊やたち。もしもルサルカに何かを望むなら、決して彼女を恐がるような態度はとってはいかんぞ。
現にわしらはそれに失敗して、何も得ることはできなかったんじゃからな」
「でも、生きては帰してくれたんですよね?」
「……ああ。わしらが腰を抜かした瞬間、呆れたような表情をして、その美しい顔をそむけてしもうた。
その瞬間わしらは眠気に誘われ──目が覚めたら、歌が聞こえだす少し手前辺りの海に船と一緒に漂っておったのじゃよ」
「最初の見定めさえ乗り切れば、お眼鏡にかなわなくても殺されることはないってわけか」
「さて、それはどうかの。わしらのときはそう言う気分だったから──というだけかもしれん。
もしもわしらの寝顔が気にくわんかったら、そこで沈められていた可能性だってあったかもわからん」
「ルサルカっていうのは、とにかく気まぐれな感じって思っておけばいい感じ?」
「そうじゃな。それが一番、あの存在を言い表すのに相応しい言葉なのかもしれんの。……さて、これでわしの話は終いじゃよ。
これから先、この話を活用するかどうかは好きに決めるとええ」
「ありがとう、おばあさん。凄く参考になった」
ブラットがそう言うと老婆はニコッと笑って、上質な回復ポーションを机の中から人数分出して渡してくれた。
とっさにお金を払おうとすると、老婆に首を横に振られながら止められる。
「これは餞別じゃ。わしと旦那は、その一件で心が折れて船に乗るのをやめてしもうた。
じゃからこれはそのとき叶えられなかったわしらの思い──そう思って、坊やたちの旅に持っていってくれんか?」
「……わかった。そういうことなら、ありがたくもらっておくよ」
「ありがとうございます」
「ありがとー! おばあちゃん」
「ふぉっふぉっふぉ、まあ、ルサルカ相手にはどんなポーションも意味はないじゃろうがの」
冗談めかしてそういう老婆と最後に全員握手を交わし、ブラットたちは店を出た。
「かなりルサルカ融和への情報が得られたな」
「どうする? もう行っちゃう?」
「せっかくだし念には念を入れて、この町の人にもっと聞き込みをして、巨大ポータルの方も解放してから行こうよ」
HIMAの言葉に二人とも頷き、町の聞き込み調査を続けてみることにした。
けっきょくその後リンダ以上に有益な情報は得られず、ブラットたちは巨大ポータルの解放に向かう。
解放してからその島でも情報収集していると、ちょうどゲーム内の一日が過ぎようとしていたので、【リミナル・ウェッジ】を使って『パペットモンスター』が赤の楔を挿してくれた南側へと飛んだ。
そちらも巨大ポータルの島に挿してくれていたというのは知っていたので、そこも解放して【リミナル・ウェッジ】なしで飛べるようにしておきたかったからだ。
なにせルサルカが終われば、次は南の攻略がはじまるのだから。
そちらは巨大ポータルだけを解放し、すぐに船ごと戻ってきて情報収集を再開。
かなり手広く聞きまわったが、やはりこちらもリンダ以上に有益な情報は得られなかった。
「ここまでやったんだ。あとはもう、やる気と根性で切り抜けて見せよう」
「完全な情報なんてあるかどうかも、それが本当かどうかも私たちにはわからないしね。
まだやることはあるのに、ここでばかり足踏みはしてられないよ」
「だねぇ。私も情報収集ばっかで飽きてきちゃったし」
「なら決まりだな」
三人揃って船に乗り込み、いよいよルサルカのいる海域へと挑む覚悟を胸に、巨大ポータルの島から出発した。
かなり改修も進んだことで最高速でも安定した航海を続け、あっという間にルサルカの海域──イベント領域の境界線までやってきた。
この先に船を進めれば、ルサルカのイベントがはじまる。
境界線の中から出てくるプレイヤーたちは、失敗したのか寝たまま戻ってくる者も多かった。
できることはしてきたつもりが、それが少し不安を煽ってくる。
けれど自分たちと船を信じて、まっすぐ境界線の向こう側へと乗り出した。
まずは静かにしながら、歌声が聞こえないか耳を澄ませる。
「まだ聞こえないな。しゃちたん、もしも船楽器の音が気に入られずに、本当に眠りそうになったときはターンで反転してジェットですぐ元の場所に戻れないか、やってみてくれ」
「うん。かすかに聞こえるくらいの場所に戻れたら、眠らずに済むかもだしね」
あとは最終手段として、眠ってしまったら自動運転で領域外に出られないかと、あらかじめ座標をセットして、いつでも指示一つで勝手に戻れるようにもしておいた。
主砲も敵意はないことを示すため、砲身を斜め後ろに向けておく。
事前にできる小細工はできるだけやり終わり、後はもう本番で臨機応変にやっていくしかない。
しゃちたんはターンとジェットボタンに触手を添えながら、船をゆっくり前へと進ませる。
ブラットとHIMAは船楽器をいつでも奏でられるように甲板に出て、探知機のレーダーもあるが目視での周辺警戒と歌声の確認を怠らない。
「ブラット」
「ああ、聞こえてきたな」
ブラットが操舵室のほうに手を振り、イベントがはじまったことをしゃちたんにも知らせていく。
微かな音でも、とても澄んだ美しい歌声だとわかるそれが海風に乗って耳に届いてくる。
HIMAはこれがダメなら全部ダメだろうと、一番迫力のある一番低音のペダルを一気に押し込んだ。
──ボギィィヤャァアアアァルルルウウゥウゥウゴオォオオーーッ!!
「……ん? 歌が止まった? もしかしてやっちゃった──……ああ、聞こえてきた」
「なんだったんだろ、今の。いきなりこんな音が返ってきたから、びっくりしたのかな?」
「かもしれない。オレなら間違いなく驚くだろうし」
ボギャーボギャーと重低音を響かせながら進んでいると、老婆に聞いていた通り少しずつ眠気がこみ上げてきた。
HIMAはすぐに一つ右のペダルを踏んで、少しだけ音が高くなっただけの雄たけびを船が上げる。
するとまた一度歌が止まり、少ししてまた聞こえだす。
そんなことを残りのペダル三つ分繰り返し、また重低音に戻ると歌が止まることはなくなった。
「あのおばあさんの話だと、歌が途切れるなんて話は聞いてなかったんだけどな」
「やっぱ私らのが特殊なのかな」
相手を刺激しないようにゆっくり進みながらも、眠くなったらペダルを踏み代えるということをしていると、老婆が言っていた通り音を変えても眠気が収まらなくなってきた。
「別の音を鳴らすぞ!」
ブラットたちは、ここに来る前に町で購入した楽器を手に持ち鳴らしだす。
ブラットはトライアングル、HIMAはカスタネット、しゃちたんはマラカスを。そうすることで、ちゃんと眠気は引いていく。
眠気で判断しながらペダルを踏み代え、楽器を鳴らす。慣れるとそう難しくもなかったが、相手の要求が次第に高まっていく。
いくつか他にも楽器に限らず音の鳴る物は持ってきていたが、だんだんそれらも効果がなくなってきたのだ。
もはやちゃんと音を鳴らせる道具は全て意味を無くし、ブラットたちは慌てふためきながら船にある物を引っ張り出してきたり、手を叩いたりとガチャガチャバンバン音を立てるしかなくなる。
老婆が面白がっていたのではないかと言っていたが、確かにこれはそうとしか思えない。これをはた目から見ていたとしたら、さぞ愉快なことだろう。
少しでも違う音がするものはないかと、三人は必死になって周囲を探す。
今やしゃちたんも運転している場合ではないと、自動運転に切り替え船の上を慌ただしく動き回っている。
HIMAはペダルを踏まなくてはいけないので動けないこともあって、ブラットとしゃちたんでフォローして音が出そうなものを渡したりと船の上は大忙しだ。
それだけ一生懸命やっているのに、嫌がらせのように眠気は襲い掛かってくる。
歌声を聞く限りではもうかなり近そうなのに、一向にそれらしい姿は見えないというのにだ。
(他に音のなる物はなにか────っそうだ! スキルがあるじゃん!)
ブラットは【破魔拍子】のことを思い出し、柏手を打つように手を叩いて澄んだ音を響かせる。
モンスター相手なら逆効果になり兼ねないが、ルサルカが人間のNPCなら気に入ってくれるかもしれないと希望を抱きながら。
「よしっ」
願いが届いたのか眠気が一気に吹き飛んでいく。
安堵しながらも次の楽器を探そうと三人が視線を巡らせていると、不意に景色が変わった。
海に浮かぶ五十人くらいは乗れそうな広く平らな岩場が、最初からそこにあったかのように現れたのだ。
「なんだ?」「なに?」「んん?」
自動運転で進ませていたはずの船が勝手に進路を変えて、その岩場に沿って動いていき、やがて縁に優雅に腰かけ歌う美女の姿が視界に入った。
下半身はサファイアのようなキラキラと光沢のある鱗に覆われた、人魚の尻尾。
上半身はほぼ裸で、無理やり豊満な胸を抑え込んでいるかのような宝石がジャラジャラと付いたビキニのみ。
聞いていた通りスタイル抜群で、出るところは出て、引き締まるところは引き締まり、文句のつけようがない肉体美をさらけ出していた。
そしてなにより、どれだけ気合を入れて作りこんだのかと、運営に言いたくなるほど整った顔だち。
海風に揺らめく銀色の長い髪に、勝気な赤い瞳、長いまつ毛、品のある眉に上品な唇。写真を撮って飾るだけで、価値が付きそうな美貌の持ち主だ。
そんな彼女が人魚と違う点は、側頭部から斜め後ろに向かって伸びる蒼い海竜の角だろう。
それが歌声に合わせて共鳴するように震え、角と同じ蒼い波紋のようなものを周囲に放っていた。
この人物こそがルサルカだと、三人は一瞬で把握する。
「────」
船が彼女の目の前で、岩場に横付けされる。
岩場の高さが船の甲板の高さとほぼ同じで、本当にすぐそこにルサルカが座っていた。
そんな彼女はブラットたちが見ている中で歌うのを止めたので、もういいだろうとHIMAはペダルから足をどけた。
するとルサルカは、ニコリと妖艶な笑みをこちらに向けてくる。
(なるほど……。これは男の人じゃあ、ちょっと厳しかったかもね)
中身が女であっても目を引く肉体と美貌を持つ美女の微笑みに、内心男じゃなくてよかったと安堵しつつ、敵意はないとわかってもらうために静かにそれを見守っていく。
そんな静かにたたずむ三人を流し見ながら、細くしなやかな人差指を唇に当て、小さく首を横に傾げるような仕草をする。
気の強そうな雰囲気の美女が、急にあざとくすらある可愛らしい仕草をしたことで、全員中身は女とはいえ思わず保護欲がそそられる。
しかしそれでも変な気を起こさず静かにしていると、ニィ──と口角をあげ赤い瞳が赤黒く染まり、筆舌に尽くしがたい圧力を持った眼力でいきなり睨みつけてきた。
それはどんなに強いプレイヤーに対しても、等しく強い恐怖心を抱かせる特殊なスキル。
HIMAとしゃちたんは事前にこうしてくるとわかっていなければ、思わず恐怖に目を逸らしていたであろう程の効果を持っている。
実際に根性で耐え切れないほどではないにしろ、恐いものは恐く二人の体は小さく震えていた。
(あれ? なんだ。これくらいか)
だがその一方でブラットはと言えば、こんなものかと平然と耐えていた。二人と違い事前に知らなくても、真正面から見つめ返せるほどの余裕があった。
それもそのはずで、ブラットは零世界で本物の生をかけた戦いをこなしてきている。
本気で自分を殺しにかかってくる相手の殺気を、実際に実在する体で味わってきたのだ。
そんなブラットに対して今更、殺気が一切含まれない眼力など恐怖に値しない。
余裕なのが癪だったのか、それとも気に入ったのか、ルサルカがフッと鼻で笑うと、ブラットにだけ器用に恐怖の圧力を増強させてきた。
だがこれに対してもブラットは、なんか迫力が増したかな? と素のまま受け流す。
その反応はさすがにつまらなかったのか、ルサルカは唇を可愛らしく尖らせ、三人に向けていた圧力を解いた。
「…………ふーん、なかなかやるじゃない。それに船の音も、なかなか面白かったわ。特別に私と喋る権利を与えてあげる」
「えーと、ありがとう?」
「ええ、光栄に思いなさい。それで? あなたたちは、こんなところまでわざわざ来て何が目的かしら」
勝気な外見通り、高圧的で偉そうな態度だが、不思議と彼女のその態度は堂にいっており、嫌な気分にはならなかった。
「単刀直入に正直に言ってしまうと、オレたちはエルドラードに行ってみたい。
そのために貴女に会う必要があると思ってきたんだ」
「「ちょっ」」
融和しにとここに来る前に言っておきながら、それはさすがに直球過ぎないかとHIMAとしゃちたんが慌てだす。
けれどブラットは逆に回りくどいことをするほうが、彼女の場合よくないように思えてしまったのだ。
そしてその選択は──正解だった。
「ふふふ……なんとも正直ね。いいわ、嫌いじゃないわ、そういうの。
おべっかを言ってきたり、グダグダと腹の内を隠すような話をしていたら、思わず殺していたところよ」
そんなことで殺されてはたまったものではないが、口に出すこともないので態度にも出さず黙っておく。
「けどそう、エルドラードにねぇ。ということは、目的はこれかしらね」
ルサルカが優雅にパチンと指を鳴らすと、純白の真珠でできたような輝くカギが、彼女の手の中に現れた。
それを指でもてあそびながら、ブラットたちの前で見せびらかす。
「それはザラタンが持っていたものと、同じようなカギだと思っていいのか?」
「ええ、そうよ。ザラタンのカギとこれ、そしてもう一つを見つければ道は開かれる。
それで、これが欲しいの? 欲しくないの?」
「欲しい……欲しいが、タダでくれるわけはないよな?」
「当り前でしょう。私はこれでも鍵守りの一人なんだから、誰彼構わずホイホイ渡すわけにはいかないの」
「ならオレたちはどうすればいい? できればこの船を失ったり、死んだりするのは勘弁してほしいんだが……」
「えぇ、ダメなのぉ~? 我儘な子たちねぇ」
わかりきったことだというのに、何とも嫌らしく笑うルサルカ。
しかしその動作があまりにも嵌まっていて、やはり苛立ちは起きず心は凪いだままで三人は続きの言葉を黙って待つ。
そうしていると唇に人差指を当て、何かを考えるようなそぶりを見せはじめる。
「そうねぇ、なら私を楽しませてみてちょうだい」
「具体的には? ここで素人漫才でも、やってみろってわけでもないんだろ?」
「当り前じゃない。ここで面白くもない話をするなら、その場で殺してあげるわ。
まずはそうね。あなたたちの船についてる、その大きな楽器の音をもっとよく聞かせてちょうだい」
「わかった」
すぐに返事をしないともっと無茶なことを言い出しそうなので、ブラットは間髪入れずに頷きHIMAをみる。
すると向こうはもう準備を終えていて、いつでもペダルを踏める状態で待機していた。
「それじゃあ、鳴らしますよ?」
「ええ。順番に、ゆっくりと聞かせてちょうだい」
「はい──」
HIMAが低音から高音に向かってゆっくりと、一つ一つの音を丁寧に聞かせるようにペダルを踏んでいく。
その音を聞くルサルカは何とも楽しそうで機嫌がよく、そのままいいと言うまで鳴らし続けた。
「はぁ……やっぱり、なんだかお父さまやその周りの眷属たちの声の様で、とても懐かしい気分がする良い音色だわ。
最初はお父さまたちが来たのかと思って、びっくりして歌うのを忘れてしまったくらいよ」
「ああ、なんだか最初に歌が途切れていたのはそういう」
「そうよ。じゃあ、次は私の歌に合わせて楽器を弾いてみてちょうだい」
「オレたちは残念ながら、楽器にそこまで明るくないんだけど?」
「でしょうね。ならこうしましょう」
ルサルカは歌いながら赤、青、緑、黄など様々な光を出して、指揮者のようにブラットたちへ指示を出す。
ブラットたちは色に対応した楽器を、彼女が光らせているリズムに合わせて鳴らせばいいという。
「急に音ゲーがはじまったな」
「じゃあ音と色を決めていくわよ。船についている楽器は絶対にいるでしょ、それにあの不思議なカーンカーンという澄んだ音はどうやって鳴らしていたの?」
「これのことか?」
ブラットが【破魔拍子】を軽く鳴らしてみると、彼女は笑顔になる。ブラットのこの音も、気に入ってくれていたようだ。
「ええ、それよ。あなたの手が楽器になっていたのね。面白いじゃない」
船楽器のペダルに対応した五種類の色、ブラットの【破魔拍子】の色。他にもカスタネット、マラカス、小太鼓、トライアングル、シンバルと、ここまでの道中で使ってきた楽器が指定されていく。
しかしブラットとHIMAはすぐにそれを覚えて受け入れていくが、しゃちたんだけは一人あわあわしていた。
「あわわっ……どうしよぅ……。私、楽器とか自信ないって」
「ならしゃちたんは、シンバルだけやってくれ。あとはオレとHIMAでやる。できるよな? HIMA」
「余裕だよ。音ゲーなら、ブラットより得意なんだから」
「ほんとにシンバルだけでいいの?」
「ああ、任せとけ」「任せてよ」
「二人とも…………うん! わかった! シンバルだけなんだから、絶対に間違えないようにしてみせるよ!」
椅子を用意し座ったブラットが手で【破魔拍子】、右足でカスタネット、左足で小太鼓。
HIMAが足で船楽器、右手でトライアングル、左手でマラカス。トライアングルは吊るした状態で、棒で叩けばいいようセットしておいた。
そして、しゃちたんは自分の対応した光の色がきたときだけ、シンバルは鳴らせばいいという布陣だ。
HIMAの負担はかなり大きそうだが、自分で言っていた通り音ゲーはブラット以上に熟知している。
なんならもっと複雑な演奏すらゲームでしたことがあるくらいなので、彼女にとってはこれくらいイージーだ。
準備ができたところでルサルカが歌いはじめる。
それと同時にブラットたちへの指示が、ピカピカと様々な色の光で飛び交いはじめた。
「「「──!」」」
三人は瞬きも忘れて集中し、自分のパートだけは絶対に落とさないようにと真剣にこなしていく。
しゃちたんも、慣れないながらも自分の役割を愚直にこなす。
そうしていると不思議なことに、一見バラバラな音ばかりだというのに、ちゃんとした演奏になってくる。
ルサルカの美しい歌声は船楽器の大音量に負けずに、彼女は気持ちよさそうに伸び伸びした声を出していた。
HIMAはかなり複雑なパートもあったが余裕の表情で──むしろ楽しそうに音を鳴らし、ブラットも一度とて間違えることなく手を鳴らし足を動かしていき、しゃちたんもシンバルを一生懸命叩いて、ルサルカが満足して歌い終わるまでの数分間、三人は見事に完璧な演奏をしてみせた。
これにはルサルカもご満悦で、今までにないほど屈託のない素直な笑顔を見せてくれる。
「すごいじゃない、あなたたち。正直期待なんてしていなかったけれど完璧だった、素晴らしいわ。
私の専属演奏家として、その船の楽器ごと雇ってもいいくらい」
「それはさすがに……」
「ふふっ、わかっているわ。エルドラードに行きたいのでしょう?」
「ああ。それじゃあ──」
これでカギを──と思いきや、ルサルカはちっちっちと人差指を立てて横に揺らす。
「ええ、最後にもう一つお願いを聞いてくれたら、このカギを渡してあげてもいいわ」
カギを見せながら目の前の岩場から魚の下半身でジャンプして、ブラットの目の前に音もなく着地する。
ここで下手に警戒して動いてしまえば、どうなるかわからない。
ブラットたちは微動だにせずルサルカの次の行動を待っていると、その赤い瞳で見下ろすようにブラットの瞳を見つめてきた。
「私はね。あなたのその腕から鳴る音が気に入ってしまったの。
だからね……────その腕を私に寄こせ」
くれないかではなく〝寄こせ〟、命令だ。しかもその目は赤黒く染まり、最初の頃の威圧よりもさらに強いものをこめて、まるで脅すように。
しかも美しかったルサルカの顔はトカゲのような竜のものに一瞬で変わり、鋭い牙がギラリと日光に反射して輝いていた。
今の彼女は美女ではなく完全に化け物で、このマップで四つの危険と言われていた存在そのものを体現しているかのようだった。
いきなりこんな脅され方をすれば、臆して声が出せなくなっても仕方がない状況だ。
けれどブラットは、そのルサルカの顔や目を見ても一切動じず、負けてなるものかとニコリと笑い返してみせた。
こんな脅され方をしたものだから、逆に負けず嫌いなブラットの心に火をつけてしまったのだ。
「ええ、どうぞ。好きに持っていってくれ」
そう言って一切の躊躇もなく手を差し出すと、ルサルカは確認もせずにブラットの両腕を引き千切るよう持っていく。
実際は千切れる前にスキルで自切していたので、無理やり取られたわけでもなく綺麗な断面をしているが、傷口から演出としてポタポタと血が船に流れ落ちた。
これがゲームじゃなければ、もっと盛大に血が飛び散っていたことだろう。
腕を奪ったルサルカは元の美しい顔に戻り、ニッと笑った。
「今のでもまったく躊躇しないなんて、あなたかなり面白いわね。
もし一瞬でもためらったり臆したりしたら、その場で全身を引き裂いてやろうと思っていたのに」
「それはよかった。それで、オレの腕はお気に召したか?」
「ええ、とても」
ブラットも負けじと腕がない状態で笑い返すと、それすらも面白いと笑いながらルサルカは、手に持ったブラットの木のような質感をした両腕同士をぶつけてカンカンと打ち鳴らした。
するとブラットの両腕はどこかに消えて、代わりに出てきた真珠のような白く輝くカギをルサルカはブラットの頭の上にポンと乗せた。
「気にいったわ、合格よ。好きに使いなさい」
「ありがとう、ルサルカ」
「呼び捨てなんて生意気な子ね。でも面白かったから、特別にそう呼ぶことを許してあげる」
「それは恐悦至極でございます」
「ふふっ、ほんとうに生意気な子ね」
慇懃無礼にカギが落ちないよう器用に頭を下げるブラットに、ルサルカは屈託のない笑みを向けたのだった。
そしてそんな二人のやり取りを、何かをする暇すらなかったHIMAとしゃちたんは、ただただ呆然と見つめることしかできなかった。
次は火曜更新です!




