第五〇話 イベント開催!
アデルに岩石地帯の主を任せてほしいと頼んだ日。
昼寝までしたのにブラットの頑丈な体も偵察任務で疲弊していたようで、アデルが去った後にはまた眠気が襲ってきて、そのときにログアウトを望みながら再びベッドに横になった。
すぐに視界は開け、ブラットはBMOの零世界への扉の前に立っていた。
手持ちスロットを確認すると零世界にはない便利なUIが表示され、衣装や装備品もちゃんと入っていることを確認しながら身に着けていく。
そしてバルトに描いてもらったあのモンスターとその取り巻きたちの絵もしっかりとこちらで見ることができるのも確認しつつ、画像データにして兄ペディア……ではなくはるるんに送信した。
このモンスター、もしくはそれに近い姿かたちをした存在の出現場所や情報を教えてほしいと。
初見を楽しみたいブラットからすれば、戦う前から相手の具体的な情報を求めることはまずないのだが、今回は効率を重視してこのモンスター相手にBMOで楽しむことは諦めた。
残り少ないイベントまでの期間に、最低限の情報は集めておきたかったのだ。
「お前は絶対に逃がさない。オレが絶対に倒すからな」
向こうもブラットに執着しているが、それはこちらも同じことのようだ。
こうしてブラットの対ボス戦の準備がはじまったのだった。
あれこれと下準備の下準備を進めつつ、いつものように炎獅子チャレンジを最後にして時間が過ぎた翌日。
いつもの登校時間にお互いの家の前で待ち合わせをしている葵を見つけるや否や、色葉はたたたっと走り寄って彼女に抱き着いた。
「あーおいっ!」
「うわっと、どうしたの? ご機嫌だね」
自分から腕を組んできたり手を繋いできたりといったスキンシップはよくしてくるが、色葉から抱き着いてくることはあまりない。
思わずにやけそうになる口元を必死にこらえながら、葵はさりげなく受け止めるふりをして右手を色葉のお尻にもっていき感触を堪能する。
紗千香が見ていれば「エロ親父かよ」とツッコミをいれていたであろう、流れるような常習犯の手並みである。
「ふふーん。実は向こうで次の進化に必要なやつを見つけたんだ!
二次進化もいよいよ見えてきたよ!」
「そうなんだ! よかったね、色葉」
「うん!」
満天の笑顔を咲かせる色葉はなんて可愛いのだろうかと、葵はお尻に触れていないもう片方の手で、頭をヨシヨシと撫でながら自分により密着させるように抱きしめる。
色葉も早く葵に直接この報告がしたくて昨日からテンションが上がっていたので、彼女からも抱き締め返して葵は我が世の春だとたっぷり柔らかな感触を味わった。
はた目から見たら、朝から濃厚なラブシーンかと目を疑うレベルである。
「……あんたら、朝っぱらから何してるの。遅刻するよ~」
「おっといけない。そうだった」
「あ、双葉さん。おはようございます」
「おはよう、葵ちゃん」
玄関先が騒がしいと見に来たら、娘の色葉とお隣の娘さんが熱烈に抱きしめ合っているのでさぞ驚いた──……という様子もなく、当たり前のように挨拶を返す。
色葉の母──双葉からすれば、まーたやってんのかくらいの気持ちである。むしろもう付き合っているとすら思っている。
変な男をひっかけてくるくらいなら、仲のいい家族の娘さんとくっついてくれたほうが母親としても安心だ。
この時世、提出書類は異性婚より面倒になるが同性婚もそこまで珍しくもない。
国の許可を取るのが大変だが、きちんとした手順を踏めば同性同士でも合法の上で子供を産むことだってできてしまう。
お互いに気持ちがあるのなら、そこまでムキになって反対するようなことでもないのだ。
「それじゃあ、いってきまーす!」
「はいはい。いってらっしゃい」
今日はいつになく元気だなと、未だにべったりくっつきながら、きゃっきゃと話し登校する二人の背を母は苦笑しながら見送った。
零世界での攻略準備も進めつつ時は過ぎ、いよいよ色葉がはじめてまともに参加できるようになった期間限定イベントの開催日となった。
学校にいる間にも紗千香も加えて打ち合わせをし、下校の時間になればダッシュで帰宅してBMOへダイブする。
課金拠点として用意した要塞に作った自分の部屋の中にやってきたブラットは、忘れ物はないか最後のチェックをここでする。
サクラが作ってくれた衣装。首には【毒蜥蜴王の首飾り+1】、胸には【毒蜥蜴王鱗の胸当て】、右腕には【月光銀の腕輪】。零世界で使っていたものも全部持ってきた。
なので【ソウルマント+1】は、お留守番。
イベントが行われるのは普段プレイヤーたちが遊んでいるワールドとは別に用意された、特殊マップとなっている。
そのワールドでは時間の体感速度が普段の二倍から八倍に上げられ、忙しい社会人もいつも以上にたっぷり楽しめるようになっていた。
入るのは各町のポータル、もしくは課金拠点から自由にできるが、持ち込みは装備品と生産に必要な道具のみ。
イベントマップで手に入れたアイテムの持ち出しは、イベント終了後のみ。
食料や飲み物は最初に用意された補給物資と現地調達。回復薬等も現地調達だ。
逆に言えば現地でも、最低限素材も現物も手に入れられるようになっているということだ。
全部ちゃんと身に付けられているか確認すると、色葉好みに装飾された要塞内の自室を最後に見渡す。
零世界から帰還した色葉の口座には、またしても大金が振り込まれていた。
ヤツハネガラスのときほどではなかったが、雑魚でも大量に倒せばそこそこの額になるし、スリーヘッドワームなどの小ボスも手ごろで美味しいお値段に設定されていたようで、既に来月の拠点維持費も稼ぎ終わってしまった状態だ。
そこで新たに、この広い部屋を飾るための家具や絨毯など追加で課金して揃えた。
自分の部屋よりも大きい空間を、ちょっとした時間の隙間にちょこちょこいじるのは息抜きにちょうどよかった。
今はまだ初期のレイアウトのままだが、いずれは進化した大人なブラットが座ると映える部屋や、色葉の個人的な趣味で作ったお洒落な部屋など、色々とパターンを記憶させて、気分で変えられるようにしたいと考えている。
とはいえ、誰にも見せることもない部屋なのだが。
きちんと装備品もついていることも確認できたので、待ち合わせ場所である三町のポータルに急ぐ。
HIMAが一番で次にブラット、やや遅れてしゃちたんの順番で集合。しゃちたんは一番家が遠いので仕方がない。
周りも似たような待ち合わせパーティがたくさんおり、次々とイベントマップへと飛んでいくのが視界に入る。
「それじゃあ、オレたち『Ash red』も出陣しようか」
「「おー!」」
今回イベントに参加登録のために決めたパーティの名前は「Ash red」になった。
理由は色葉の名前にある〝色〟をテーマに、葵の葵色、紗千〝香〟の香色を混ぜ合わせると、灰色がかった赤色になるから灰赤。それを英語にして──という単純な理由だ。
ズットモーズよりはいいだろうと、三人で案を出し合い決めた。
リーダーも登録する必要があったので、ブラットが引き受けることになった。
ブラットとしてはこの中では一番強いHIMAにと考えていたのだが、二人からブラットがやってくれと頼まれた形だ。
彼女たちからすれば今回はブラットがいたからこのメンバーでやることになったのだから、当然の流れだったのだろう。
「「「せーの」」」
転移一覧に分かりやすく別枠で用意されたイベントマップの項目を、必要はないがノリで同時に選択。
その瞬間、三町とは全く違う光景へと視界が切り替わった。
「「「お~」」」
見渡す限り広がるのは海ばかり。
ブラットたちが立っているのは、三人が乗っても狭苦しくない大きさの木造船の上。
真っ白な帆が船の後部で海風を受けて膨らみ、中央にはこぢんまりとした船室が。
船室の上には大きな窓で囲われた操舵室があり、船室内に設けられている梯子でそこへ登っていけるようになっている。
これが今回ブラットたちに支給された船の初期型だ。
「帆は膨らんでるのに全然船は進んでなくない?」
「どういう仕様なんだろ?」
「とりあえず船を見て回ろう」
しゃちたんの疑問にもっともだとHIMAが首を傾げていたが、ここでぼーとしていても進まないとブラットがまっさきに船の探索を開始すると、船が動いていない理由が直ぐに発覚した。
帆に隠れて視界に入っていなかっただけで、その後ろにアンカーとその巻き取り装置が設置されていて、今はそのアンカーが海底に降ろされ船が固定されていただけだったというわけである。
試しに少し巻き取ってみれば、非常にゆっくりとだが風向きの方角へ向かって船が動いた。
納得したところでアンカーを再び降ろし、今度は船室のドアを開けて中に入った。
「狭いけど最低限のものは揃ってるっぽいね」
「だな、ここには海水ろ過装置に釣り竿がある。序盤の水と食料はこれでなんとかしろってことか」
「こっちの棚にはポーションが各種六本ずつ置いてあるよ。食料も缶詰がちょっとだけある」
船室は二段ベッドが壁際に一つ。逆側の壁にはシングルベッドが一つ、その上に揺れで開かないように簡単な留め具がついた吊り戸棚。
HIMAがその戸棚の扉を止めているフックを外して中を見れば、左の棚には医療キットとでもいうべきポーションが、右の棚には非常食なのか肉や魚の缶詰が一人三つずつ配れる数だけ入っていた。
船室の後ろにはブラットが見つけたウォーターサーバーのような小さな海水から真水を生成する簡易海水ろ過装置に、簡素な釣り竿が三本。
他には目ぼしい物資もなく、あとは自分で見つけてくださいと言わんばかりのラインナップだ。
とはいえ最低限の物資はあるので、次に船を動かす方法を詳しく知ろうと上の操舵室を目指して梯子を上る。
先頭を登っていたブラットが上に開く丸い扉をパカっと開けて中に入り、後続二人もそれに続く。
「なんか思ってたんと違う……」
「船の操縦って、こういうのでやるの?」
「さすがにゲームだからこうなってるんじゃない?」
ブラットは他のゲームや映画で見るような操舵室を想像していたのだが、そこにあったのは一本足の丸椅子が中央に置かれ、その前にある方向を変えるための操舵輪は車のようなハンドルだ。
そしてダメ押しとばかりに、椅子の下には車のアクセルペダルのようなものが一つだけ床から飛び出していた。
子供が乗るゴーカートレベルの簡易さである。
操舵室を一通り見まわしていると何かのフラグが達成されたのか、愉快な音を立てながら船の操作マニュアルが勝手に視界に展開された。
「あのペダルを踏むと前進するのか。ほんとに分かりやすいや。──てか外の帆はほとんど飾りかいっ」
「まあ素人に帆を操って船を動かせって言われてもね。BMOはお船のゲームじゃないんだし。
うーん……これによると船室の床下にある【シップコア】に必要素材を与えていくと、この船自体をどんどんアップグレードしていけるみたいだね」
「ねーねー、ちょっと試しに動かしてみていい?」
「「いいよー」」
ブラットが下に降りてアンカーを巻き取ってから、興味津々としゃちたんが椅子に座る……というより飛び乗って、触手を下のペダルに伸ばして押し込んだ。
すると、船がゆっくりゆっくりと進みはじめた。
「えーと…………………………遅くないか?」
「シップコアに素材を入れて速度をアップグレードしないと、これ以上スピードは出ないみたい」
「あははっ、動いたー!」
いろんなゲームの中で乗り物の運転などもやったことのあるブラットやHIMAと違い、しゃちたんはプルプル体を震わせ船を自分が動かせたというだけではしゃいでいた。
その姿に自分たちは擦れてしまったのかもしれないと、互いに見合って苦笑する。
とりあえずしゃちたんに船を前進させ続けてもらい、ブラットとHIMAは下に降りて船のコアである【シップコア】がどこにあるか確かめることに。
「こんなとこにあったんだ」
「これを奪われるとこの船が崩壊するらしいし、分かりにくいところにあったほうがいいんだろうな」
シップコアがあったのは二段ベッドの下に分かりにくい床扉が付いており、そこを開けることでようやく赤い水晶玉のようなコアを見つけることができた。
マニュアルによればシップコアは一度見つければ、ゲームのシステム欄からパーティ全員がアクセスできるようになるらしい。
アップグレード素材も今後はいちいちベッドをどかして扉を開けなくても、自分のアイテム欄から送ることができるようになった。
「敵襲だー!」
「「え!?」」
上で船を進めていたしゃちたんの叫び声に反応し、ブラットとHIMAは慌てて船室を出て周囲を見渡せば、真正面の方角からまっすぐこちらを目指してやってくる船影が。
向こうの帆にはドクロのマーク。明らかに海賊船だが、船の大きさはブラットたちの乗っている物より少し大きい程度。
「敵の種類にもよるけど、あれなら人数もそこまで乗ってないだろうな」
「だね。来るなら蹴散らすのみ」
「私もやるよ!」
船を止め操舵室の天窓を開けて転がり落ちてきたしゃちたんも加わり、ブラットたちは船の上で敵がやってくるのを待つ。
「「「「「ゲッゲッゲ」」」」」
「なんだゴブリンか……」
「イベント仕様で海賊の格好してるのは面白いね」
「でも後ろになんか大きいのいるけど、あれはなに?」
「ホブゴブリンっていう、ゴブリンの進化系みたいなやつだな」
近くまでやってくると相手の姿もよく見えた。
ボロボロの水兵服を着たゴブリン五体に、キャプテンハットを被った成人男性ほどの背丈のホブゴブリン。さしずめゴブリン海賊団と言ったところか。
やつらはブラットたちの船に乗り込むための梯子を手に持ち戦う気満々だ。
「敵はあんまり強くないだろうけど、イベントだし変な技も使ってくるかもだから油断しないようにね」
「分かってる──くるぞ!」
「よっしゃー! ばっちこーい!」
乱暴に梯子についた鉤爪をこちらの船にひっかけて、ゴブリンたちがなだれ込んできた。
イベント最初の戦闘ということもあって、気合を入れてブラットたちも迎え撃つ。
そして──。
「うらぁ!」
「ゲヒィー──」
あっさりと親分も倒して戦いは終わった。ボスすら特別な何かをすることもなく……。
「「「よわっ!?」」」




