第四話 最悪な試練
扉を抜けると後ろの光が消える。軽く振り向いてみれば、帰路は完全に閉ざされていた。
「ここは? 広い洞窟? ……みたいな所だけど」
みたいな──というのは、出入り口さえ見えないのに真っ暗ではなく、ある程度見渡せる程度の明るさを保っていたからだ。
キーンと耳鳴りが聞こえてきそうなほど静かで、周囲に敵影らしきものもなし。
ブラットはステータス画面を開いてHPやSTが無限とのことなので、どういう表示なっているのかと確認してみようとしたが、そもそもステータス画面自体が開かなかった。
バグか? と思いログアウトの確認画面を試しに開いてみれば、そちらはちゃんと機能していた。
「演出ってことかな? まあ、バグじゃないならいいや。
えっと確か……あのときの画面には前に進め的なことが書かれていたはず。
とりあえずあの文を信じるなら無敵状態らしいけど、警戒はしながら先に進んでみるかぁ」
不死状態ということは、もはやこの試練とやら自体がただのゲーム的演出という可能性がある。
ようはここまでくれば、決まった流れを踏襲するだけの出来レースなのではと。
ただそうと決まったわけではないので、ブラットは周囲へ視線を巡らせながら慎重に歩みを進めた。スタミナ切れの心配もないので、いつもより速い歩調で。
「ん? なんだろ、あのデコボコ」
しばらく進んでいると地面がポコポコといくつも小さく盛り上がっており、気を付けなければそこかしこで躓いてしまいそうである。
「歩きにくいなぁ……おっ──いたっ」
ブラットの足は小さい。簡単にデコボコに足を取られ、前につんのめるようにして転んでしまう。
かばうように出した両腕をボコボコの地面に強く打ち付け、ズキンとした痛みが走る。
「……痛い? なんで…………」
BMOに限らず、一般人に許されている仮想現実での痛みの度合いは制限されている。
全くないわけではないし、プレイヤー側でその度合いも設定できるが、最大でも精々少し強めなデコピン程度の痛みを一瞬感じるだけ。
今のようにジクジクとした痛みがずっと続くなど本来ならありえない。日本国の法に抵触していると言っていいほどに。
ここに来たプレイヤーは、BMO史上で自分がはじめてだ。
どうせ来るやつなどいないだろうと、ろくにテストプレイすらされていないのかもしれない。
であるのなら、何かしらの設定ミスがあってもおかしくはないのではなかろうか。そんな思考が脳裏をよぎり、ブラットの背筋が寒くなる。
「ちょっと、やめてよね……」
思わずブラットではなく、色葉としての言葉が零れる。
なんらかのヒューマンエラーだとしても、法に触れてしまえばこのゲーム自体もサービス停止になりかねない。
というかそもそも実際に自分の体でないのだとしても、痛みのリミッターが外されていたのだとすれば、重傷を負ったときどれだけの痛みを味わうことになるか分かったものではない。
ログアウトの確認画面を表示させ、すぐさま緊急ログアウトしてしまおうとしたが──それを止めてしまう自分もいた。
「いやいやいや、だってこれってBMO側の責任じゃん?
ちゃんと運営に報告すればやり直しさせてくれるよね? ──いやでも」
報告したということは、公にこのことがさらされてしまうかもしれない。
そうなったらサービス停止だ。ここまで無心になって頑張ってきたのに、そんな終わりなど納得できない。
それにこのゲームを楽しんでいるユーザーは世界中に大勢いる。そのゲームをブラットが終わらせたとなると、その憎悪を向けられるのは彼であり彼女だ。
だからモドキなんぞやめておけといったんだ、お前のせいで──なんて理不尽な言葉を有象無象が投げつけてくることは想像に難くない。
ゲームとはいえ、これでご飯を食べている企業勢──プロプレイヤーだっている。
その人たちがもし逆恨みでブラットを飛び越え、色葉に辿り着いたら何をされるか分かったものではない。
ログアウトしてすっぱりBMOから足を洗う──という選択肢もないわけではないが、そんな自分だけが割を食うのは絶対に嫌だ。
引くも地獄、進むも地獄。なんだってこんな目に自分が遭わなければならないのかと腹が立ってくる。
だが、このままここで突っ立っていてもはじまらない。だからブラットは決断する。
「──ったよ。上等だ、やってやろうじゃん」
据わった目でデコボコの地面を睨みつけながら立ち上がる。
まだ肘がズキズキと痛いが、無理やり前へと進みはじめる。今度は転ばぬように、より慎重に。
やがてデコボコ道が終わり、はじめと同じざらざらとしたほぼ平らな地面を歩いていくと何か蠢くものが薄明かりの中で視界に映る。
「なに……? げっ──」
目を細めて先をよく見てみれば、そこには大量のヘビの群れが隙間なく蠢いていた。
進み続けろと言う指示を守るのなら、あの蛇の海を歩いて渡ることになる。
「これって精神的な嫌がらせで諦めさせようってやつなのかなぁ。運営、性格悪いでしょ絶対」
一匹や二匹程度ならそれほどヘビに対して忌避感もないが、ここまでくるとそれはもう別次元の話。
ブラットは気持ち悪そうにしながらも、ヘビの群れの中へと足をそっと差し入れた。
踏まないようにスリ足でどけるように群れの中を突っ切ろうとしていると、一部のヘビが足に絡みつき這い上がってくる。
体を這う何とも言えないヒンヤリとした感覚にゾワリと背筋を震わせながらも懸命に進んでいたのだが、突然足の至る箇所から走った激痛に声にならない悲鳴を上げた。
「──ッ────ッ!? ──ッ!!」
見れば太ももやふくらはぎ、裸足の足などにヘビが噛みつきはじめたのだ。
太い針を刺されるような痛みに思わず手を地面についてしまうも、そこからも這い上がってきだしたので、振り払いながら無理やりにでも身を起こす。
痛みは噛まれた瞬間がピークで、その後は麻痺でもしだしたのかジリジリと軽度の火傷のような痛みが続くものの、こちらは耐えられないほどではない。
そしてここまでくるとヘビの安否などどうでもよく、むしろ憎らしい。踏み潰すようにしてヘビの海を何とか抜けた。
「──はぁっ──はぁっ──はぁっ」
電子の体でなければ脂汗を流していそうなほどに憔悴したブラットは、思わず前のめりに倒れこみながら足を確認してみれば、先ほどまで感じていた痛みはすっかりなくなり、傷跡一つない状態に戻っていた。
「──んで、こんな目にっ!!」
安堵した後に湧き起こったのは、このゲームを作った運営に対しての怒り。
もうどうでもいい。こんなゲームやめてやる。何度もそう思ったはずなのに、ログアウトする選択をできない自分にも腹が立つ。
どうしてもこの半年の時間を、ブラットとしてここまでやり切った時間を無にすることができないのだ。
だから怒りで無理やり恐怖を殺し立ち上がる。次もきっと痛い思いをするだろうという予感がするが、それでも進んだ。
少し進むと今度はのっしのっしという緩慢な足音が、こちらに向かってくるのが耳に届いた。
思わず周囲に隠れられそうな場所はないか探してみるが、ただの洞穴のようなこの場所にそんな気の利いた所などありはしない。
恐怖で震えそうになる体に対して両の拳を握り締め、奥歯をギリギリと噛み締めながら目の前を睨んでそれがやってくるのを待った。
「ア゛ーーー」
やってきたのはBMOにも登場する緑の肌の亜人モンスター、ファットゴブリン。
身の丈は二メートルほどで体型はだらしなく、腰布だけで大きなお腹は剥き出し。
大きな口を開けヨダレを垂らす醜いアホ面をさらし、肥え太った腕には身の丈相応の木の棍棒が握られていた。
視界から身を隠そうと動いても、その知性を感じさせない瞳はしっかりとブラットを捕捉し続ける。
「は、はは…………」
乾いた笑い声をあげるブラットの目の前までやってきたファットゴブリンは、その棍棒をゆっくりと振り上げ──ブンっと脳天に振り下ろした。
「──ァッ」
頭というよりは鼻にツンと響くような衝撃と痛みに意識が真っ白になるが、この仮想体は気絶することはなかった。
そうならばどれほど楽かと思いながらも、必死で這うようにして股の間をくぐるように相手の後ろに回る。
するとそのファットゴブリンは興味を失ったかのように、そのまま真っすぐ去って行った。
なんだこれで終わりかと安堵するブラットの耳に、また同じ足音が聞こえてきたことで顔が引きつる。
けれどそれでもブラットは前へと進んだ。ここまで来たのに終わらせたくないという気持ちが、どうしてもログアウトという考えを押し潰してしまうから。
なんて馬鹿なんだろう。ブラット自身もそう思う。けれどそれでもブラットというモドキが進化の果てにどこへ辿り着くのか、この身をもって確かめてみたかったのだ。
次々と現れるファットゴブリンの棍棒に殴りつけられながら切り抜けた先にも、さまざまな恐怖と痛みが待ち受けていた。
それでもやはりブラットの最後の細い一本の心の芯だけは、絶対に折れることはなかった。
──────どれほどの痛みに耐えてきただろう。
人の身であれば、ありとあらゆる死に方を体験できたのではないだろうかというほどの、仮想現実ならではな拷問を散々味わい尽くし、心も擦り切れ今ではただ唯々諾々と痛みに耐えながら進む存在になっていた。
もう前すら見ることなく代わり映えのしないザラザラとした地面に視線を向けて、ゾンビのように歩いていると、ゴンと何か壁のようなものに頭をぶつけた。
そのまま立ち尽くし、次の痛みが来るのを黙って待っていたのだが特に何も起きない。
ここでようやく心に小さな灯がともり、思考が鈍く働きはじめる。
ゆっくりと下から目の前へと視線を移せば、そこには光を吸い取っていそうなほど薄暗い中でも目立つ漆黒の扉があった。
無意識的にドアノブへと手を伸ばして捻ると、勝手に扉が向こう側へと開いていく。
「………………」
扉の先も光差さぬ暗黒が広がるだけ。戻りかけていた思考をもう一度手放し、ブラットは心を無にしてその先へと躊躇なく入った。
「う゛っ──」
覚悟していた痛みはなかったが、奇妙な浮遊感と眩暈に見舞われ勝手に口から声が零れ前のめりに膝をついた。
相変わらず痛みの制限はなく、現実と変わらない感覚が膝を打つが、今となってはこの程度大したこととは思えなくなっていた。
眩暈に目を押さえ、こみ上げてきた吐き気が収まるのを待ってから、ゆっくりと閉じていた目を開いて周囲を改めて見渡してみる。
するとそこは見えていた暗黒の世界などではなく、ビルの一室にあるような簡素な応接室。
飾り気のないベージュ色の壁紙に、灰色の短毛絨毯が一面に敷かれている。
安そうな緑色の二人掛けのソファが二つ、中央に置かれた木製の机を挟むように設置されていた。
そしてブラットから見て奥側のソファに、部屋の様相と同じくゲームの雰囲気を壊す安物のスーツをだらしなく着た、どこにでもいそうな平凡な顔だちをした中年の男性が座ったままこちらを見ていた。
あまりにもこれまでとは違う光景に思わず言葉を失っていると、向こうが心から歓迎するように手を広げ、満面の笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「おめでとう、ブラットくん。よくぞ試練を乗り越え、ここまでたどり着いた」
「え……は? なに?」
「そんなところに座ってないで、まずはこちらに座ってくれないか?
色々と君に話しておきたいことがあるんだ」
「…………あんた誰?」
まだ心がこの状況についていけないながらも、気が付いたら最初に抱いた疑問が口から出ていた。
不思議なことに、どこかで見た気もする顔だ。
「おや? 見たことないかな? BMOの紹介記事なんかで、たまに出ていたはずだけど。
君くらいのBMOユーザーなら一度くらい、鈴木小太郎って名前を聞いたことはないかい?」
「すずき……こた……ろう! あんた運営のトップか!!」
鈴木小太郎。今見えている姿が本物だとすれば、BMOを提供している企業の代表取締役として紹介されていた記事に載っていた写真の人物ということなる。
「トップと言えば聞こえはいいけど、地球での私の身分はただのEW社の雇われ社長みたいなものなんだけどね。
けどまぁ、このゲームを提供する必要性があったのは私なんだけど」
「何を言って──」
「──まぁまぁまぁ。君が抱える疑問も批判も全て受け入れ、全力で謝罪する用意がこちらにはある。
だがまずは、こちらに来て私の話を聞いてくれないか」
「………………分かった」
あのような目にあわされた怒りは、当然ながら燻ったままだ。
けれど謝罪する気があるのならとブラットはしぶしぶといった様子で立ち上がり、小太郎の対面側にあるソファに腰を掛けた。
思っていた通り座り心地は良くないな……なんて思っていると、小太郎が静かに頭を下げた。
「この度は散々な目に合わせてしまい、本当に申し訳なく思っている。
もしも君が望むのなら、数十億単位の慰謝料を支払う準備もできている」
「お、億……? もしかして口止め料込み……とか?」
「まぁ、そう思ってくれても構わない。これから話すことを吹聴してほしくはないからね」
なんだか社会の裏側を見てしまったような気がして途端に怖くなってしまうが、ここまできたらちゃんと話を理解しておかないと、後々ブラット自身も犯罪者の一味に数えられかねない。
相手に気取られないように、なんとか音声や映像など証拠になりそうなものを録っておけないかと自分の──色葉の肉体が身に着けているデバイスへアクセスを試みる。
しかし一切の応答がない。不審に思いながらも、今度はいつでも逃げられるようログアウトの選択画面を表示させようとした──が、ここに来てそれすらもできなくなっていることに気が付いた。
「その様子……、どうやらログアウトできない状態にあることに気が付いたのかな?」
「…………どういうこと? 電脳誘拐ってやつじゃないのこれ? 立派な犯罪だよね?」
「犯罪云々など言い出したら、そもそも一般企業が一般人に提供する仮想現実サービスにおいて、痛みの制限を一切なくしている時点で完全にアウトだよ。それにね」
「それに?」
恐ろしいまでに罪悪感を感じていない小太郎の表情に、今度こそブラットは体が震えそうになるも弱気を気取られぬよう気丈に聞き返す。
すると彼はにっこり笑って、意味の分からないことを口にしたのであった。
「これは電脳誘拐なんかじゃない。君の魂を私の世界へと連れてきた。
だから今君という存在が入っているその体は仮想体などではなく、この世界においては君の肉体──ということになるんだよ。ブラットくん……いや、灰咲色葉さん?」
「は?」




