第四七話 偵察
いざ再出発するとなったとき、バルトのハンドサインによって全員が一か所に集められた。
密集したのを確認してから魔法で霧のような黒い粒子を展開していき、ヌイやバルト本人も含めブラットたちの周りにまとわりつかせる。
ブラットたちからすると、自分たちの周りだけ薄暗くなってしまっている状態だ。
それが目視でも確認できたところでバルトは振り返り、準備ができたという意味を込めて頷き、ヌイもそれに頷き返した。
ハンドサインでそのまま止まれの命令を全員に指示してから、今度はヌイが何かをしはじめる。
彼女の黒灰色の髪が風も吹いていないのに勝手にフワフワと動き出したかと思えば、ブラットたちの周囲の黒い霧が溶けるように自分たちの影の中に吸い込まれていく。
そして次の瞬間その影から黒い膜が飛び出して、ブラットたちにピッタリと張り付くように覆っていった。
覆われた瞬間は真っ暗になってしまったが、すぐに視界は元に戻る。
しかしこの場にいる全員を繋ぐ、黒い糸のようなものがそれぞれから伸びて繋がりあっていた。
「これで小声でも多少離れてても聞こえるし、君たちの気配や音、香りを全てその膜が吸収してくれるからね。
とはいえ限度もあるから、不用意な行動は慎むこと。いい?」
ブラットたちは一斉に首を縦に振った。
これはBMOでいうところの、ヌイの種族スキル【闇影隠し】。
闇と影を操ることを得意とする彼女のこのスキルは、対象者たちの存在感を影のように薄くして、音や香りなどは闇の膜が吸い込んでいく。
意識して見なければ、常人には目の前に立っていても気が付かれないほどの効果を発揮する強力な隠密スキルだ。
そのくせ対象者たちは黒い糸で糸電話のように繋がり合っていることで、それぞれの姿も音も声も見失うことはないという敵対者からすればかなり厄介なスキルとなっていた。
このスキルは周囲の闇が濃いほどに効果を発揮し、夜ならば弱めに展開しただけでもそれなりの効果を発揮してくれる。
そして今回は強めに発揮するのと同時に、バルトの力によって無理やり周囲を暗くしたことによって効果を高めた。
これができるからこそ、バルトはヌイと組まされることが多い。
準備ができたところで、いよいよ縄張りのある方角へと進んでいった。
(空気が変わった……?)
周囲の景色は何一つ変わっていない森の中だというのに、一歩踏み入った瞬間にゾクリと肌が粟立つような感覚がブラットを襲う。
今まさにモンスターたちの腹の中ともいえる、縄張りの中へと踏み込んだのだ。
さすがに縄張りの中まで偵察に出たことのないガンツたちも額から冷や汗が流れるが、それでも恐怖に呑まれず、止まりそうになった足をちゃんと動かし体は前に向かって進んでいく。
──と、少し進んだところでヌイから止まれのハンドサインが。
ブラットは息を殺しながら足を止め、注意深く彼女が指さす方角へと視線を向ければ、人面鹿ならぬゴブリン面鹿の小さな群れが徘徊していた。
このモンスターはゴブリンの頭に棍棒のような角を生やした、ゴブリンフェイスディアー。
強さはボスからしたら掃いて捨てるほどいる使い捨ての戦力で、この場の誰もが瞬殺できる雑魚だ。
けれどあれらは一種の警報機。こんなところで下手に戦闘すれば、あっという間に他の強個体がやってきて数の暴力でなぶり殺されるだけ。
あのレベルの敵ならヌイのスキルのおかげで気が付かれはしないだろうが、油断は禁物と身を伏せて木の影や草の中に身を潜めて様子を見守る。
「「「ギャッギャッギャ」」」
ブラットたちが近くにいるとも知らずに、呑気に気味の悪い鳴き声を発しながら通り過ぎていく。
充分に距離が開いたのと、他にモンスターが近くにいないか確認してから再び行動を再開する。
その後も警報機代わりに徘徊させられているモンスターたちの網をかいくぐり、奥の方へとさらに踏み入っていた。
本来ならここまで来るには、もっと厄介な強いモンスターや強力な索敵能力を持つモンスターなどもいるはずなのだが、今回は三方面に主力を割いているせいで人類側への警戒は穴だらけだった。
まさにアデルたちの読み通り。しかし、ここで面倒なポイントに差し掛かる。
(止まって。あれの上を通るよ)
ヌイのハンドサインで「あれ」と指示したのは、大量にひしめくオーガフェイスディア。
ゴブリンフェイスディアの頭と角が、凶悪な鬼の顔と鬼の角にすげ変わったような体高三メートルはある巨大鹿の群れだ。
強さ的にはスリーヘッドワームと同格クラスで、ここはこのモンスターたちの繁殖場になっているらしい。
まだ生まればかりのオーガフェイスディアーも多く存在していた。
ここを通り抜けるのが一番見つかりにくく目的地に行くのに都合がいいルートなのだが、この群れのせいで完全に塞がれてしまっている。
そこでヌイはアラクネのニーフ三級戦士に指示を出し、蜘蛛の糸を高い木の上に張ってきてもらうことにした。
ニーフはすぐに一本の木をするすると音もなく、木の葉一枚揺らすことなく登っていき、オーガフェイスディアーのコロニーとなっている場所の頭上、木の枝葉に隠れるようなルートを選んで頑丈な糸を張りながら先に行く。
(あの人の動きすごいな。ヌイさんのスキルがなくてもバレないんじゃない?)
【針触覚】を両腕から出して警戒はしつつも、その見事なまでの隠密行動に思わず感心して見入ってしまった。
(終わりました)
(うん、ありがとー)
見事バレることなく木の上に糸を張ってきたニーフが帰ってくると、ハンドサインでヌイとそのようなやり取りをして後ろに下がる。
彼女はブラットたち全員が渡った後に、糸を回収する役目もあるからだ。
もしも痕跡を残して見つかってしまえば、帰り道で待ち伏せされることだってあり得るのだから、可能性は全て排除する必要がある。
そのため木の一本にだって爪痕一つ残すわけにもいかず、上から垂れた細い糸をロープのように手繰って順番に木の上に登り、慎重にピンと張られた糸をアスレチックのように渡っていく。
次々先に行く人たちの中でブラットが意外だったのは、この中では一番巨体だったガンツが、かなり器用にそれをこなしたこと。
見た目以上に身軽なのは分かっていたが、特殊部隊がごとく滑るように音もなく糸を渡っていった姿はさすがの一言だ。
そして最後から三番目、ブラットの番がやってくる。
翼を使うと周囲の空気も大きく動くので、ヌイのスキルの恩恵があったとしてもかなり目立つ。余程の事がない限り使うわけにもいかない。
まずは慎重に素早く糸を登って木の上に。これはかなりうまくできた。
次に木と木を繋ぐ糸の上を、レスキュー隊よろしくロープ渡過のように何本も渡っていく。
(うげっ)
数本目の渡過中チラリと下へ視線を向ければ、枝葉の隙間から新たなオーガフェイスディアーの出産シーンをちょうど目撃してしまう。
あれもいずれ人類を殺しにやってくるかもしれないと思うと、今ここで雷撃をお見舞いしてしまいたくもなるが、そんなわけにもいかず視線を外して進み続ける。
できるだけ糸を揺らして枝を揺らさないように、葉音を立てなければいけないときは風が吹いたときを見計らって突き進んだ。
ようやく通り終わって下に降りると、ガンツとワーリーが親指を立てて無言でよくやったと褒めてくれた。
デンは相変わらず無表情だが、うんうんと頷いてくれている。
体感時間ではかなりかかったようにも思えたが、実際は全員の平均値あたりだったので、はじめてにしては上出来だろう。
最後にニーフが風のような速さで糸を回収して合流したところで、再びシカ陣営の縄張りの真っただ中を突き進んだ。
似たような状況はその後も何度か続くも、そのつど乗り越えて夜はヌイの【闇影の帳】というスキルで、文字通り闇の中に隠れながら森の中で交代で見張りを立て夜を越したり──なんてことをして数日間モンスターの領域を歩き回り、ようやく目的地の直前へと辿り着いた。
そこはまるで線で区切ったかのように森がすっぱりと終わり、ゴロゴロとした大岩が転がった乾いた大地が続く岩石地帯。
だが──それと同時に、やっかいなモンスターの姿も一緒に見ることができた。
「やっぱり索敵系のどれかを置いてるとは思ってたけど、私と相性の悪いバウンダリーディアーか……」
木の陰に全員で潜みながら、そのモンスター──バウンダリーディアーを見つめヌイは小さく悪態をついた。
ここは岩石地帯とシカ陣営の縄張りの境目ともいえる場所なのだが、最近ゴーストたちが妙に活発になってきたことに気が付いていたシカ陣営の主が、攻め込まれたときのためにと念のため置いていた駒がこのモンスター。
サイクロプスのような大きな一つ目を持ち、足は蹄ではなく人のような五本の指が生え、鹿角は笛のようにあちこちに穴が開いている二メートルクラスのモンスター。
最大の特徴は自分の周囲に蜘蛛の巣のような魔力的な線を引き、その上や下を通ったものは空を飛ぼうが地中に潜ろうが、完璧に感知できる索敵特化型というところ。
これはたとえヌイのスキルで気配を消して、気が付かれずに近づけたとしても、線の上や下を通った時点で何かが通ったことは確実にばれてしまう。
そしてばれたら角に空気を送り込んで、盛大に笛の音を周囲にかき鳴らして仲間を大量に呼び込む。
つまりあれに気が付かれてしまえば、せっかくここまでこれたのに、シカ陣営にもゴースト陣営にも、侵入がばれてしまうということになる。
唯一の救いと言えば、戦闘能力は低いというところだろうか。その代わりに耐久力は高いのだが。
その索敵範囲は広く岩石地帯の方へと向かって張り巡らされ、お目当てのゴースト陣営の領域に踏み込んだ瞬間に警笛を鳴らされてしまうだろう。
索敵範囲外となると、またルートを開拓し直す必要が出てくる。
夜もまともに寝ることもできず、粗食でしのいでここまできたブラットたちには、精神的にも肉体的にも厳しいものがあった。
なにせこの後は、向こう側を偵察してまた帰らなくてはならないのだから。
となると取れる手段は一つ。
「あいつは殺るよ」
ヌイの決定に誰も異を唱える者はいなかった。
向こうは来るか来ないかも分からないところに戦力を注ぎたくはなかったので、取り巻きはケチって誰もいない。
バウンダリーディアー単体で見張りをさせられている状況。
笛の聞こえる範囲には戦力がいるのだろうが、近くにはいない。
ならば笛を鳴らされる前に殺してしまえば、増援はこないし気が付かれないはずだ。
皆で作戦を立ててから、すぐに行動を開始する。
まずバウンダリーディアーの魔力線を看破できるカメレオン人間のチャム四級戦士が、手にニーフと繋がったままの糸玉を持ち、体の色を周囲に溶け込ませるよう変化させ近づいていく。
ヌイのスキルに加えてさらに見えづらくなった彼を認識できず、線がないギリギリまで接近を成功させた。
そして手に持った糸玉をポンと投げると投網のように広がって、バウンダリーディアーの四本の足と胴体に絡みついて拘束する。
(今!)
それとほぼ同時にヌイが影と影をつないで転移させられる【影渡り】で、まずブラットをチャムの近くに強制転移させる。
それに加えて彼女は周囲に闇色のドームを展開し、彼らの攻撃による音や光、血の臭いを外に漏らさないようにもする。
「────」
(させない!)
息を吸ってそれを吹き込み笛が鳴る前にブラットは丸薬で魔法攻撃力を事前に上げた状態で、さらに中級雷術師で解放された職業【雷刃師】で覚えたスキル【雷刃】を全力で角に叩き込んで切り落とす。
これを最大出力で使うとほぼ全ての魔力を一撃で消費してしまうが、火力は非常に高いのだ。
ふしゅーと気の抜けた音が角の根元からこぼれていく。
さらに一瞬遅れて転移してきたバルトが、手から闇魔法で作ったドリルを発現させ、喉を突いて声を上げられないようにする。
ここでヌイは追加で闇影魔法による【影針山】で、下からバウンダリーディアーの体を持ち上げるように無数の影の針で宙に串刺しにして足音が地面に響かないようにしつつ、順次こちらの戦力をチャムの影を起点に【影渡り】で送り込んでいく。
角を切られ、喉をえぐられ、糸で拘束されながら太い針に貫かれても、必死でどうにかして仲間を呼ぼうと暴れ狂う。
そこに追加で転移してきたガンツを含めた戦士たちによって次々と攻撃を叩き込まれ、時間にして一分も経たずに討伐を完了した。
始末してすぐにブラットたちがしたのは、喜び──ではなく増援の確認。
耳を澄ませ目を凝らし、感覚器官を研ぎ澄ませ、バウンダリーディアーが味方を呼び寄せるのに失敗したことを完全に確認してから、少しだけ肩の力を抜いた。
「この死体も隠さないと不味いね。埋めても奴らはすぐに見つけちゃうだろうし、どうしよっか」
「この巨体を持ち運んで偵察するわけにもいきませんからね」
血の臭いや液体が零れないように闇の膜で死体を完全に密封して物陰に持ち込んだヌイが、バルトと困った顔でそんなことを言っていたのでブラットが助け舟を出すことにした。
「ならオレがしまっておこうか?」
「え? どうやって?」
「いや、こんな感じで──ほいっと」
闇の膜の中に手を突っ込んで、手持ちのアイテムスロットにしまい込んだ。
都合がいいことにひとまとめにされていたからか、角以外の全てが一つのアイテムと認識され枠の圧迫も僅かだった。
ちなみに角はブラット自身に吸収されてしまったので、もうどこにもない。
「き、消えた……」
「へぇ~、すごいね。そんなこともできるんだ」
「え? 神の恵み箱にぶち込んだだけだけど?」
「……は? そんなことしていいものなのか?
なんというかその、それは罰当たりではないか?」
「いや、罰当たりってなんでそんなことに」
「だって、神の恵み箱でしょ?
そんなとこに死体なんかしまって神様が怒ったりとかしないの?」
「あ、ああ、そういうことか。それなら問題ないよ。こういうのをしまうのだって、許されているんだ」
「君がそう言うのなら信じるが……」
ブラットからしたらただのアイテムスロット──便利な収納箱くらいの認識でしかないのだが、こちらの世界では神聖な箱くらいに思われていたようだ。
ブラットがそう言ってもバルトやガンツたちまで心配そうに、こちらを見つめていたままだった。
だがヌイだけは「そういうもんか」とあっさり受け入れ、本当の目的を彼らにも思い出させていく。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。
こいつがいなくなったことがバレちゃう前に、向こうを偵察して帰ってくるよ」
その一言で今の状況をすぐに思い出し、周囲をもう一度確認してから行動を再開した。
森を抜け、夕暮れが近づいてきた大きな岩場の隙間を縫うようにコソコソと奥へと進む。
やがて登れば周りが見渡せそうな巨大な岩場があったので、ニーフが器用によじ登ってそこから小さく顔を出し、その先の光景を確認すると──体をびくりと跳ねさせ硬直した。
ヌイがどうしたのかとハンドサインで問いかけると、ニーフは糸を垂らして誰か来てほしいと手招きする。
バルトが代表し糸を登って確認すると、険しい顔をして他のメンバーも見るよう呼び寄せた。
人数分垂らされた糸を伝って巨大岩からチラリと顔をのぞかせてみれば、そこには一つの意思に従って軍隊のように整列し微動だにしない、大量のゴースト系モンスターたちの姿があった。
その光景が示す答えはつまり──。
「新たな統率者が生まれた…………のは間違いないね、こりゃ……」
何の意思もなく漂っていただけのゴーストたちは、もうどこにもいなかった。
ということは、そのモンスターたちにちゃんとした目的を与えられる存在がいるということだ。
「ヌイ様……どうされますか?」
「……………………」
情報としては、これだけでもいい。成功にはなるはずだ。
新たな統率者がいると確定しただけでも、これまでの推測の裏付けにもなる上に、それを念頭に今後の事を考えられる。
だがさすがにここまで来ておいて、それだけでは割に合わなくもあった。
できればその統率者の姿かたち、どの程度の力量なのか、他の縄張りの主たちと同格なのか、それとも格下なのか。それだけでも知っておきたいところ。
最悪でも取り巻きの種類だけでも知ることができれば、それだけでも情報の質はかなり高くなる。
ブラットも、ここで帰ってしまってはBMOでの対抗策がほとんど立てられない。
一目でもいいから首魁の姿を捉えられれば、色々と考えられることも増えていく。ブラットとしても続行してほしいところである。
そんな意思を感じ取ったわけではないだろうが、ヌイは決断を下した。
「──もう少し探ろう。これだけじゃ労力に合わない」
偵察続行を決意し、皆も同じ意見だったのか誰も反対しなかった。
ガンツたちも今回はあのゴーストの大軍を見ても、動揺した様子はないことから大丈夫だと判断された。
「時間的にも猶予はないよ。人類のため、急いで情報をかき集めよう」
ヌイのその一言で、全員即座に次の行動を開始した。
次は土曜日に更新予定です。




