第三一話 実感
冷静になってから、自分でも総課金額に慄いた翌日のこと。
「色葉、次のイベントの開催が決まったって!」
「マジ? おっ、ほんとだ。公式がもう発表してんじゃん!」
例によって学校の帰り道。葵がBMOからの通知により、次に開催される期間限定イベントの開催情報を察知した。
これまではイベントどころではなかった色葉だったが、今回からは自分もちゃんと楽しめそうだと気分が一気に高揚する。
「今回のイベントは海にまつわる内容っぽいね」
「ほうほう、イベントの報酬アイテムも一部公開してるね。
今回の目玉アイテムの一つは……一寸小船? なにこれ? 小船なんている?」
「海とか川をメインに探索してる人なら一個は持っててもいいかもしれないけど、私も別にいらな……あ、色葉、これ普段は手持ちとかカバンに入れられる船だって。
それで使うときに乗れるくらいの大きさにできるみたい。
ちょっと海とか川を探索するときにあると便利かも?」
BMOにある船はイカダなども含めて建造物扱いなので、本来はカバンにも手持ちスロットにも入れられない。
なので持ち運ぼうとしたら、その重量を持てるだけの腕力を持っているか、運搬用の道具を用意または人員を集めて運ばなくてはならない。
町の外では運搬中にモンスターに襲われたり~なんてこともあるので、船類の長距離輸送ともなるとかなり面倒くさい。
だが今回の目玉アイテムの一つ【一寸小舟】は、普段アイテム扱いなのでカバンや手持ちスロットに入れて楽々持ち運べる。
軽い気持ちで水地形の場所を移動するにはもってこいのアイテムだろう。
(零世界だと小舟で海に乗り出したらイカ系の魔物たちに瞬壊させられそうだけど、BMOでの移動手段の一つとして考えれば便利そうかも)
「どうする? 色葉はこれ狙ってみる?」
「まだ公開されてない他のアイテムにもよるけど、取れそうならとってもいいかもしれないね。
今回はいっちょ頑張っちゃおうかな!」
「ならその前に職業枠を、もう一個増やせるようにしておきたいね。
この前言ってたメントランの丘のイベントどうする?」
メントランの丘のイベントといえば、零世界に行く少し前に葵と一緒にやろうと言っていたもののこと。
ちょうど次に取りたい職業の候補も決まってきたところだったので、渡りに船だと頷き返す。
進化はすぐにできずとも、新しい職業を取るだけでもできることが増える。
期間限定イベントもそうだが、次に零世界にアタックするまでには枠をもう一つ空けておくのもいいだろう。
「うん、だいぶ今の戦い方も確立できたし、私はいつでもいいよ」
「ならあれってイベント発生の条件があるから、それを先にクリアしておかないとね」
「あれ? そうなんだ。すぐできる?」
「うん。条件自体は簡単だよ。
メントランの町の役場で、『マーサ』っていうNPCのクエストを三回以上クリア。
それとマーサさんの近所のNPCのクエストを、誰のでもいいから三人以上クリア。こっちは一回ずつでいいからね。
そうすると、メントランの丘の隠しイベントが起こせるようになるんだよ」
「いや、けっこう大変じゃない?」
葵の言う通りなら、クエストを計六回もこなさなければならない事になる。
内容によってはかなり面倒な条件だ。
「クエスト自体は簡単なのばっかだからすぐ終わるよ。
私は名前まで覚えてないけど、近所の人の名前は攻略サイトとかに乗ってるからね。
BMOの中で自分で調べようとすると結構めんどいよ」
「よくそのイベント見つけられたね」
「最初に発見した人はほんとに偶然だったらしいよ。
たまたま楽なクエスト選んでこなして、たまたまマーサさんちの近くに行ったら、いきなりイベントが始まったみたいだし。
今では報酬が職業枠プラス1だから、みんなクリアできるレベルになったら直ぐにやるくらい有名なイベントになっちゃってるけど」
発生条件はマーサの好感度が一定以上ある状態で、近隣住民の評判もよくしておかなければならない。
そうすることでマーサの信用度があがり、イベントに必要な依頼をしてくれるようになる。
「なるほどね。分かった、ちょっと他にやっときたいことがあるから、それをパパっと終わらせて、そっちも今日中にやっちゃうよ。
ってことで、明日一緒に行くってことでいい?」
「全然いーよ。ふふっ、色葉とデートだ」
冗談めかしてそんなことを言いながら、葵はギュッと色葉の右手に抱き着いて手を繋いだ。
そんなことはいつもの事なので、色葉も気にせずコツンと頭を傾け葵の頭に当てて笑みを浮かべた。
お返しとばかりに葵がグリグリと頭を押し付けてきて、「やめろよ~」と色葉もお返しする。
周りの通行人たちは、そんな見目麗しい女子学生のじゃれ合いを微笑まし気に眺めた。
帰宅するとすぐさま制服を床に投げ捨て着替えると、HCを取り出してBMOへとダイブする。
昨日課金した拠点やらアイテムやらを、ちゃんと自分の目で確かめたくて授業中もずっとソワソワしていたのだ。
ダイブしてすぐに目に入ったのは炎獅子チャレンジのため、もはやいつものログイン風景と化した武骨な『ロックス』の街並み。
課金拠点を買ったので、これからは町の中でログアウトしたら課金拠点で始められるように設定できるのだが、まだしていないので今回は炎獅子に一番近いこの町だ。
(よし、さっそく行くぞ!)
ゲームのシステム画面を表示して、ポータルの前でもないのにしっかりと選択できるようになった移動先の項目を選択──からの初期名【拠点】を選択。
この名前は自分で変えられるので、色葉はここも気が向いたら変えるつもりでいる。
選択するとすぐに、何もないだだっ広い白い空間に飛ばされる。
その広さは一般的な学校を校庭ごと二つは呑み込めるほどで、天井も伸び伸びと飛び回れるほど高い。
だからこそ余計に、まだ何も買ったものを設置していない光景が殺風景極まりなかった。
しかし未だ飽きもせずに見学しに来ているギャラリーたちも誰もいない、完全に色葉──ブラットだけの空間だ。ここでなら人目など気にせず、踊ろうが歌おうが何をしても怒られないし気にされない。
「さっそく設置していこっと」
仮想空間とはいえ、これだけの体積の自分だけの空間を所持し維持するにはかなりお金が必要なのだが、今後も使い道に困るお金が増えていくだろうことを考えれば大丈夫だろうとブラットは判断した。
ゲームのシステム画面に追加されている【拠点】の項目を選択し、3Dで作られた立体的な全体像を表示させ、さらに別枠で購入したリストも表示させる。
そしてその中からお目当てのものを選択し、全体の立体映像を指さした場所へと設置した。
「うん、良い感じ!」
まず設置したのは、〝見せ拠点〟。
こちらは今後もし誰かを招き入れることになったときのために購入した家。
外見はデザイナーのセンスによって非常に小洒落た、森の中にぽつんと立つ一階建ての小さなお家といった様子。
これくらいでも一人なら充分に拠点と言ってもいい広さはある。
「そんでもって仕切りを設置してっと」
今設置したばかりの家の周りに、黒色の壁と天井のような真っ黒の仕切りを設置して残りの空間から完全に隔離していく。
「壁紙はこれとこれ!」
そして壁となっている黒い仕切りは森林の映像に。天井となっている黒い仕切りは青空の映像に。壁と天井で映像が違和感なく繋がりあって、森の中の小さな家感がぐっと増した。
範囲的には小さな一軒家に狭い庭が少し──といった程度だが、壁紙や天井の映像のおかげで閉塞感は一切ない。
「これくらいなら、私のお小遣いの範囲内でも借りられるよね」
その仕切りから先は所有者権限がなければ通り抜けられないように設定もしておく。
こうしておけばどこからどう見ても、ここまでが私の拠点だよと紹介でき、治樹や葵もおかしいとは思わない完璧な見せ拠点だ。
「内装は後でいいとして、零世界攻略拠点も設置しとこう」
続いて森の映像が映る壁に手を当てて、所有者権限で通れる穴をあける。くぐるとその穴はすぐに塞がった。
設定によってはこんな面倒なことをせずとも、すり抜けられるようにもできるのだが、人がいるときに何かの拍子にこちら側に行ってしまったら言い訳のしようもない。
面倒だが一回一回、所有者権限で通り道を開ける方式で我慢する。
くぐった先は最初と同じ真っ白なだだっ広い空間だけ。後ろを振り向けば、見せ拠点の仕切りとなっている森の映像が見える。
全体像を映した立体映像に視線を移すと、見せ拠点の部分だけピースを一つ置いたパズルのような状態で、いかに余剰スペースがあるかが非常に分かりやすい。
「これは……もしかしてこんなに要らなかったかも……?
ううん、訓練場も兼ねてるんだから広いほうがいいに決まってる」
残りの部分は本拠点と零世界に輸送するアイテムなどを保管する倉庫なんかを置くスペースも確保しておきたいが、後は様々なモンスターと様々な状況下で戦うことをシミュレーションできるような場所にする予定だ。
そのためにはまず倒したことのあるモンスターを発生させられる課金アイテム【Mジェネレーター】と、指定した空間内の環境を変換する課金アイテム【Eコンバーター】を設置する必要がある。
「いつでも場所は動かせるし、試しにこの辺に置いてみよっと──うわっ、思ったより大きい」
【Mジェネレーター】は見上げるほど巨大な漆黒の、扉が嵌まっていない門。
【Eコンバーター】は幅三〇メートル以上はある、中央に投影機のような大きなレンズが嵌まった円盤。それらは色葉が動画でちらっと見たときよりも大きかったので驚いたようだ。
というのもこれが本来のサイズなのだが、プレイヤーのレンタルした領域の広さによっては入りきらないので、余剰スペースに対応してサイズを変えるからだ。
そもそも本来のサイズが置けるほど広大な領域をレンタルするプレイヤーなど、そうそういないだろう。
「まあ、いっか。それじゃあ、試しに森。相手はファットゴブリン・エリートウォーリア!」
色葉の音声に反応して、二つの装置が起動する。
色葉の周囲は仕切りのときのようなただの映像ではなく、実際に触ることのできる仮想現実の木々が生成され、地面にも草が一面に広がって完全な森へと変化する。
そして漆黒の門の本来扉が収まっている部分が白く塗りつぶされ、そこから大きな戦槌を両手に持ったファットゴブリンの精鋭戦士がニュッ──と顔を出した。
「完璧じゃん。これで色々と訓練がはかどりそうだね」
ブラットはストップウォッチアプリを起動してから、狼の足で一気に駆け寄っていく。
ファットゴブリン・EWもそれに気が付いて戦鎚を構え、タイミングを見計らって迎撃せんと振り下ろす。
ブラットは冷静に戦鎚が頭の上に落ちてくるのを見つめながら、尻尾を支えに横に強引に体をずらして躱し一気に懐に入り込む。
その流れのままファットゴブリン・EWの顎の下から【魔刃】の刃を突き立てた。
「ヴォッ!?」
その後も手足、翼、尻尾、周りの木々。それら全てを駆使して異次元の軌道で敵を翻弄し、一方的にタコ殴りにする。
木々に動きを阻まれた一瞬の隙に【根源なる捕食】を発動。
ファットゴブリンの根源──妖魔族一致により特攻効果も発動。
補助効果として『攻撃能力強化』が付与される。以降切れるまで攻撃力増強、攻撃速度増強、攻撃時のスタミナ消費減少の恩恵に与れる。
一気に火力も上がったところで、さらに威力を増した猛攻を繰り広げ方を付けにいく。
「終わりっ!」
「グゥオオ……──」
頭部に補助効果まで乗った【根源なる捕食】をくらわせ、ファットゴブリン・EWのHPが尽きて消えた。
事前の説明通り、種族EXPもドロップ品も何もない。
「タイムは六分四七秒か。今回は見たことある敵だったし、私が有利な地形だったってのもあるけど……うん、──私は確実に強くなってる」
前回はこの相手に三〇分以上もかけていた。
それは開けた何の障害物もない場所で相手も縦横無尽に動ける状況だったというのもあるが、単純に自身の火力も低かった。
けれど機動力、火力、手段、全てにおいて進化したばかりの頃より確実に大きく成長していることは、この数字からも明らかだ。
幼年期時代の苦行を思えば、その感動も一入なのだろう。ブラットは無言でギュッと拳を強く握りしめ、その達成感にしばらく浸った。
「……にしてもこの【根源なる捕食】、やっぱ根源一致のときの特攻効果と補助効果がえぐいなぁ。補助効果が発動してない最初の一撃でも結構HP削ってたし。
後隙が大きいけどちゃんと状況を見極めてけば充分な脅威だね」
だが根源特攻のある職業は【合成獣】だけではないし、【根源なる捕食】以外のスキルも存在する。
ひとたびブラットが受ける側に回れば全特効が有効なのだから、その脅威が自分に襲い掛かってくることになる。
零世界でもそういう敵がいるかもしれないし、BMOにおいてもPVPになれば確実にそういう相手と戦う機会があるに違いない。
「そうだ。この程度で満足なんてしてちゃだめだよね。
零世界だろうとBMOだろうと────私が最強になってやる」
今まで様々なゲームをやってきた。ゲームスキルには、それなりに自信もあった。
けれどここまで苦労した記憶もないし、強く上を目指そうと思ったことは一度もなかった。ゲームは楽しめればそれでよかったから。
だが今ここでブラットは強く思う。この世界のブラットという存在を、誰よりも遥か高みへと押し上げてみたい──と。




