第二三話 大きな情報
ヘイムダルという名前が一緒だからと言って、それイコールBMOのトッププレイヤーと同一だと断定できるかと言えばそうでもない。
ヘイムダルという固有名詞自体は北欧神話の光の神として有名で、誰が使っていてもおかしくないからだ。
それにBMOで『ヘイムダル』というプレイヤー名を使っているのは一人だし、他人と同一のプレイヤーネームを設定することはできないが、例えば『†ヘイムダル†』『ヘイムダル。』『ヘイム★ダル』『ヘイムダル♪』なんて、ちょっと文字を加えてしまえばそれで通ってしまう。
ヘイムダルと呼ばれているプレイヤーだけなら、BMOには他にも大勢いる。
(とは言ってもロードファントムキラー?とかいう、いかにも強そうなモンスターを一度も死なずに倒せるプレイヤーとなれば、そうそういない気もするけど。
あれ? でも待てよ。そもそもこっちで使ってた名前をBMOで絶対に使うとも限らないし、こっちだけ普段使わない別の名前を名乗ってたってこともありえるじゃん。
あーもう、どうせ考えても分かんないから保留にしとけばいいかって、ん?)
などと小難しく考え込んでいたせいで、すっかり忘れていたアデルの存在をここで思い出した。
何やら期待に満ちた視線を向けられていることに気が付いたのだ。
「えっと? なに?」
「その反応、あなたはヘイムダルのことを知っているの?」
「いや、あー……うーん? 名前を聞いたことがある気がするってだけで、ほとんど知らない」
「そう……。この国からいなくなった後のことも分からない?
おそらく最後に彼を見たのは私なのだと思うのだけど、私が覚えている彼の姿はとても弱っていた……ように見えたから、もしかしてあの後死んでしまったんじゃないかってずっと気になっているの」
「……弱っていた?」
現実世界で願いを叶え自分の意思で零世界から離れた〝ヘイムダル〟が最後、弱っていた理由がよく分からず気になった。
だが、あまりにもその彼の情報への期待や不安が入り混じった切実な瞳を前に、話題からそれたり曖昧に誤魔化してしまうことはブラットにはできなかった。
「どこかで元気に暮らしてるのは確かなはずだよ」
願いを叶えて今も地球で暮らしているという情報は得ているのだから、元気に暮らしているとみていい。
何年越しかに知れた〝ヘイムダル〟の情報にアデルは、ほっと胸をなでおろした。
「よかったわ……」
(ほんとこっちの人って、なんで私がそんなこと知っているのかはまったく疑わないよね。
それくらい前の人たちが当たり前の状態にしておいてくれたのかも。
にしてもこの子……もしかして)
アデルからヘイムダルへの並々ならぬ情を感じ、ブラットはもしやと好奇心が沸き起こる。
「もしかして君は、そのヘイムダルっていう人が好きだったの?」
「え? えぇ、好きか嫌いかのどちらかで言えば好きよ。
本当なら国から捨てられるだけの存在だった私を、進化させてくれたのだもの。命の恩人だわ。とても感謝してる」
「──進化させてくれた? そこ詳しく教えて!」
アデルの言葉に彼女の恋愛感情の有無など一瞬でどうでもよくなった。
国から捨てられる種ということは十中八九、〝劣等種〟か〝モドキ〟のどちらかのことを指している。
それを人為的に進化させたという情報は、今のブラットからしたらこの先の難易度を大きく変えるキーポイントなのだから。
「その時の私は本当に幼くて記憶もそれほど鮮明ではないし、あの場にはヘイムダルしかいなかったから目撃者もいない。そんな情報でもいいかしら?」
「うん、どんな情報でもいいから教えてほしい」
「分かったわ。それは私が生まれたときの事──」
アデルは種族すら断定できないほど、曖昧なナニカとして生まれ落ちた存在だった。
そういう子はたいてい〝大人になれない種〟だったので、赤子を取り上げた人もこの子はダメだなとハッキリと口にしたという。
「赤ちゃんの時の記憶があるの?」
「ええ。私の場合は薄っすらと思い出せる程度だけど、それを意味する言葉を言われたというのだけは覚えているわ」
生後間もない赤子の記憶など地球の常識からしたらまずありえないが、零世界の住民の中には子宮にいた頃の記憶まで持っている者もいるので、とぎれとぎれに思い出せるアデルが特別というわけではない。
(ってことは、この子はモドキだった……?)
誰がどんな能力を持っているかなど、赤子の状態では分からない。
どう見ても見込みがなさそうな子供も、最低でも自分で歩ける程度になるまでは国によって育てられる。
こちらの人類は歩行できるまでの期間も短いので、そこまで負担にはならないという理由もあって、アデルも保育機関に最低限の世話を受けて育つも、後から生まれた子が歩きだしてもなお這うことしかできなかった時点で見切られた。
大人になれないとみなされた子供を捨てる森に何人か運ばれていき、そこに放置。
あとはどこかの縄張りに属するモンスターが食べに来るのを待つばかり。
捨てられた子供たちもなんとなく自分たちはここで終わるんだと察して泣く者、絶望し動けなくなる者、最後まで生き抜いてみせると足掻こうとする者など分かれていく。
「私は足掻こうとする者だったわ。歩くこともちゃんとできなかったけど、それでも他の子を囮にしてでも自分は生き抜いてみせると森を這いずりまわったの」
「…………」
なんといえばいいのか分からず黙り込むブラットを気にした様子もなく、アデルの話は進んでいく。
やがて木の根元にある、当時のアデルなら何とか入れる程度の洞に潜り込んだ。
大冒険をしたかのような気分だったが、大して他の子との距離など開いてなど無く、普通なら精々死ぬ順番が少し遅れた程度の差でしかない杜撰な隠れ場所。
だが彼女は他とは違った。他の子よりも異様に存在感が薄かったのだ。
そのおかげで他の子たちが鳥のモンスターに啄まれてもなお、洞の中で身を潜めているだけでやり過ごすことができてしまった。
(やっぱりこの子はモドキじゃない!?
魔物に気づかれにくいほど存在感が薄いって、BMOの進化前の私と一緒じゃん!
ってことはもしかして、こっちでもモドキを進化させられるってこと!? これはでっかい収穫だよ!!)
普通なら悲惨な内容に耳をそむけたくなる話をしているのだが、今のブラットはそれどころではないと集中してアデルの話に耳を傾ける。
「でも今なら分かるけど生き残ったところで……って感じでしょう?
立って歩くことすらできなかった私が、あの森の中、自分の力で生きていくなんて不可能だった。
そのまま飲まず食わずで飢えに苦しんで、ゆっくりと死んでいくのが関の山だった。
けど、そんなことにも気が付かずに生き残れたことを喜んでいた私の前に彼は現れた。ヘイムダルが」
彼は骨すら残っていない子供たちの血痕に苦しそうに顔を歪めるが、すぐに薄いはずのアデルの気配に気が付き駆け寄ってきた。
「そのとき何かを言われた気がするのだけど、正確には思い出せないわ。
けど彼は私を見て嬉しそうに抱き上げながら、這ったときにできた擦り傷を癒してくれたのは覚えてる。
そしてそれから……そう、たしか何か液体の入ったビンを私に何本も呑ませてきたの。
いっぺんには無理だからって、森に居座りながら何日かかけてね」
「液体? 回復薬か何かとか?」
「いいえ、そういうのとは違ったわね。だってその液体を飲むたびにちょっとずつ私の体が成長して、五本くらい飲んだ後、立って歩けるようになったんだもの。
最終的には他の幼年期たちと同じ程度にまで背も伸びたわ。回復薬にそういう効果ってないでしょう?
私もある程度の地位になってから、いろいろと国に残っている情報なんかも漁ってみたんだけど、そんな効果のものは見つからなかったし」
(体を成長させる液体……? 何それ、治兄なら知ってるかな)
治樹ほどBMOのことを熟知しているわけではないにしても、色葉とて先のネタバレにならない程度には情報を集めている。
けれどキャラクターの体を成長させるポーションなんて聞いたことはない。
「その液体の色とか覚えてる?」
「ごめんなさい。当時の記憶は色とか分からなくて。白黒で覚えてるって感じ……言いたいこと分かる?」
「うん、分かるよ。じゃあ、味とか舌触りとかは? ほらドロッとしてたとか苦かったとか」
「味……はなかったはず。質感もほんとに水みたいな感じだったと思うわ。けど……」
「けど?」
「飲んだとき、液体が通ったところがカッと熱くなる感じがしたはずよ。強いお酒を飲んだときみたいにね。
一番最初はびっくりしてビンを押し返しちゃったのを覚えてるもの」
「熱い、ね。分かった。ごめん、話を止めちゃって。続きを聞かせてもらってもいい?」
「ええ、問題ないわ。それはきっと、あなたに必要なことなのでしょうし」
ヘイムダルの保護の下、国には戻らず森の中で少しだけ共に過ごしながら、不思議な液体で成長していくアデル。
そして何本も飲み干して体の成長も完全に止まったころ、アデルを土を掘って作った即席の穴倉に隠してふらりとヘイムダルはどこかに行った。
そして数時間ほどで帰ってきたのだが、そこには随分と弱弱しくなったヘイムダルの姿が。
「存在感……といえばいいのかしらね。出会ったときの彼の存在感は本当にすごかった。
弱いモンスターなんて彼がそこにいるだけで近寄ろうともしなかったくらい強烈なほどに。
なのにそのときの彼は、まるで見えているのに見えていないような、それほど希薄な存在に落ちていたの」
けれどそのことを疑問に思う前に当時のアデルの前にフラフラとした足取りでやって来た彼は、真っ赤な何かの血の入った大きな杯と、白に金色がまばらに混じった球体に近い石を差し出してきた。
「これで君は進化できるはずだってね。
実際に私がそれらに触れたら体に吸い込まれるようにして取り込んで、一番最初の進化を遂げた。
それも他の一次進化してきた人たちなんて蹴散らせるほど強力な進化を。
そして私が進化したのを見届けて、あなたが来るまで人類を頼むと言って去ったのを最後に、誰も彼の姿を見たという者はいなくなったわ」
(いなくなったってのは完全にドロップアウトしたと考えればいいとして、話に出てきた血と石は私にとっての根源たちの素材、つまり最後の進化の鍵となる素材だったんだろうね。
ってことは、その何本も飲まされたっていう液体は最後の素材を必要とする段階、つまりBMOに当てはめるとすると幼年期の種族レベルをマックス状態にしたってことかもしれない……。
そう考えると、その液体に心当たりが出てくるね。それはきっと──『経験値ポーション』だ)
BMOに存在するEXP増幅アイテム──『経験値ポーション』。
使用すれば戦闘で敵を倒さなくても経験値を稼ぐことができるアイテムだ。
けれどBMOにおいては副作用もあり、それを使うたびに進化先の候補が減ってしまう。それも強い進化先を最優先に潰されていくのだ。
なので難易度が王族種や貴族種、一般種でも欲しがる人はいたが、劣等種を選ぶような気合の入ったプレイヤーは絶対に手を出そうとしないアイテムでもあった。
またモドキ種の場合、どれだけ進化を重ねようと仕様上、使用することすら不可だったので経験値の嵩増しをすることもできなかった。
ブラットにとっては無用の長物であり、興味すらなかった代物だ。
けれどそんなBMOでは不必要なものでも、零世界ではとんでもないチートアイテムらしい。
(ゲームだとシステム上モドキには使えなかったけど、こっちだとそんなの関係ないんだ。
それが確かなら私はBMOで絶対に集めなきゃいけないアイテムだね、こりゃ)
こちらの世界で劣等種やモドキが捨てられるのは、育つまでの時間が長すぎるから。
けれど経験値ポーションがあれば、それを覆せる。
もしこちらでも強力な進化先の候補が減るなんて言う副作用があったのだとしても、零世界では進化できるかできないかで全く意味が違う。
(もしもこっちで自分のパーティを作るとしたら、そうやって進化させた子たちと組むのもいいかもしれない)
ブラットとしては先のことはまだ不透明だが、戦力を育てていくのならやはり最低でも劣等種の仲間はいてほしいと考えていた。
事前に読んでいた小太郎の零世界マニュアルにも書いてあったし、ガンツたちの戦い方も見て確信したが、現地人とBMOプレイヤーには大きな違いがあったからだ。
その違いは何かと言えば、それは〝職業〟が取れるかどうか。
ブラットはBMOで職業を取ることで簡単に種族だけでは覚えられない技能を習得できるが、こちらの人類はそれができないので、もろに種族差が出てしまう。
職業という別の強化枠がないせいで、その分野に元から強い種でなければ役に立たない状況になってしまっているのが現状だ。
ようはその分野での才能を生まれながらに持っていなければ、その職業に付けませんよということ。
もちろん練習を積み重ねることで職業スキルを得ることも不可能ではないが、ゲームと違って現実で天性の才能以外の技能を習得するには多くの時間を必要とする。
刹那的に人員の穴を埋めている今の人類の状況では、呑気に練習させている余裕などない。
そうなると強力な種族、元から強い純粋な人員を育成して仲間にするのが、強力な仲間を得る一番手っ取り早い方法だろう。
(私がBMOから持ってこれる物資にも限りがある。
質より量か、量より質かでいうなら質を選んだほうがいい気がするんだよね。そっちの方向で計画を立てていこう)
経験値ポーションはBMOにおいてもありふれたアイテムではなく、欲しいからと言って直ぐに大量に手に入れられるような代物ではない。
質より量を取るなら広く浅く経験値ポーションを飲ませて全体の底上げもできるかもしれないが、ワンパンでやられてしまうような味方なんて何人いようと大した差はない。
ならば人数を絞って集中的に経験値ポーションで育て、数は少なくてもちゃんと敵と渡り合える者を育てるほうが現実的だ。
「ふふっ、私の話が何かの役に立ったみたいね」
「え? なんで……」
「そう顔に書いてあるもの────あら?」
コロコロと思案中に変化するブラットの表情を楽しんでいたアデルだったが、ふいに誰もいない窓の方に振り返った。
「ごめんなさい、呼ばれてるわ。今日はここまでみたい」
「オレには何も聞こえないけど……うん、分かった。凄く参考になったよ、ありがとう」
「いいのよ。だから早く私よりも強くなって、あなたの子を産ませてちょうだいね」
「──は?」
チュッとアデルはブラットのおでこにキスをすると、爆弾発言だけを残してさっさと窓から去ってしまうのであった。
「えっと、今なんて……?」




