第二二話 来客
英雄になるか変人になるか。自分のまだ見ぬ未来に思いをはせながら、ブラットがガンツたちに連れてこられたのは、香ばしい匂いが周囲に漂う食堂のような場所。
給仕が何人か忙しなく歩き回りながら、ひっきりなしにやってくる客をさばいている。
(うわぁ……)
床は食べかすらしきものが落ちていたり、何かのシミがあちこちに見て取れる。
年季の入ったと言えば聞こえはいいが、ハッキリ言ってしまえばボロボロのテーブルと椅子もろくに掃除されてないせいか汚らしい。
箱入り娘なゲームっ子の色葉の精神はこの時点で拒否反応を示すが、それを何とか堪えて五人のおっさんたちと同じテーブルに着いた。
おっさんたちはすぐに先ほど貰った配給券の白を出してテーブルに置きだすので、ブラットも真似して置いていると、給仕がすぐにやってきて券を回収していった。
「お前、五枚も使うのかよ」
「今日はでかい一撃使っちまったからな、腹減ってんだよ」
ブラット、小人のデン、エルフのワーリー、純人のトッドは一枚ずつで、ボンドが五枚も出したことを二枚出していたガンツが茶化していると、すぐに料理……といっていいかどうか、むしろ色葉の精神では料理と呼ぶのもおこがましいものがテーブルに運ばれてきた。
「これが料理……?」
「ああ、早く食わねーと冷めちまうぜ」
「そ、そうなのか……これが、料理……」
周りの環境を見て期待などしていなかったが、その予想すら下回る一品に視線を向ける。
それは赤黒いただ焼いただけの肉の塊に、動物の肋骨らしき尖った骨をぶっ刺したもの。飲み物も一緒に持ってこられたが、こちらはドロドロとして生臭い。
しかしガンツたちは美味しそうにそれらを飲み食いしはじめ、ブラットはこれを食べるべきか否かで葛藤する。
(なんで前任者たちは食を改善しなかったの!?
これを前の人たちも食べてたってこと!? もーーー!)
八つ当たりや葛藤をしたところで状況が変わるはずもない。
食べなければこの体が持つとも思えないので、意を決して肉に刺さった骨を手に取り恐る恐る一口齧ってみた。
(獣臭い……。塩すら振ってないよね、これ。
でもなんでだろ、不思議と食べられる……?)
色葉としての精神は不味いと訴えかけてくる味だというのに、ブラットとしての体は平然とそれを受け入れて胃に収めていく。
精神と肉体がちぐはぐな状態に戸惑いながらも、硬い肉でパサパサになった口を潤すために謎の飲み物に手を出してみることに。
(まっず!? 肉の比じゃないっ! でもなんで飲めるの!?)
色葉の体で食べていたら臭いだけで吐くこと間違いなしなドロドロの生臭い液体も、この体は平然と受け入れることに恐怖すら感じはじめてしまう。
……結局、ブラットのお腹はその激マズ料理なはずのものでちゃんと満たされてしまった。
後で知ってブラットは後悔することになるのだが、この飲み物は魔物の血に内臓を混ぜた健康ドリンク的な扱いで、戦士たちの栄養源として重宝されていたりする。
慣れない精神と環境に適応する肉体の齟齬に振り回されたこともあって、フラフラな足取りになったブラットに気が付いたデンが気を利かせてくれ、話の続きはまた明日に。
ブラットが寝泊まりできるところに案内すると言って、五級戦士が泊まれる宿まで連れてきてくれた。
しかしガンツたちはこの後いろいろやりたいことがあるというので、ブラットとは一旦ここで別れ彼らは町の奥の方へと赤い券をもって去って行った。
宿は無料でというより、割り当てられているといったほうが正しかった。
職業とその階級に合わせた寮、または兵舎といったものに近いかもしれない。
今のブラットやガンツたちも、ここでしか寝泊まりすることを許されていないのだ。
外観は年季の入った木造らしき謎の素材で作られた五階建て。
はた目から見て倒壊しそうだったので、思わず部屋まで案内してくれるという宿屋の管理人である、ボロの服をまとった老人に大丈夫なのかと聞いてしまう。
「ふぉっふぉっ、大丈夫ですよ戦士さま。
かなり古いですが、この辺りの建物は全部、賢者さまがお創りになられた物ですから」
「賢者……って言うと、オレみたいに外から来たっていう?」
「そうです。準国民の私にはおこがましいことですが、将来の英雄と話しているのかもしれないと思うと胸が熱くなりますな」
「準国民?」
「はい。私は大人になることはできましたが、特別な技能を持ちえませんでしたので」
準国民、それは人口が国のキャパシティを越えたとき、真っ先に切り捨て対象となる存在。
人類のためとなる技能や戦う力を持った役職持ちたちに仕え、下働きをする人間たちをそう呼んでいる。
今考えれば食事場で給仕をしていたものたちも、周りより服装が一段劣っていたことから、あの人たちもそういう層の人間だったのかとブラットは少し嫌な気持ちになってしまう。
なにせ色葉の人生において、これまで差別とは無縁のところで生きてきた。
BMOでは迫害の対象にされたことはあったが、所詮ゲームであってリアルではない。
本当に異世界に生きる人間たちかもしれないと思いはじめた今となっては、現実に行われていることとして受け止めてしまったからだ。
ただ幸か不幸か、準国民たちは下の存在として扱われているが、いじめられているわけではない。
ちゃんと仕事をしていれば衣食住も用意してもらえるし、真面目にやっているなら失敗しても上の者から暴力が振るわれることもない。
どこまでいってもこの世界の人類たちは国の役に立つのなら、人類の役に立つ行動をしているのなら、それは仲間だという意識が根付いているからだ。
ただ失敗し続け本当に何もできないと判断されれば、躊躇なく国から切り捨てられる対象でもあることは忘れてはならない。
「ちょうどさっき、ここに空きができましたので、今日からはこの部屋をお使いください。
中に私物がいくつか残っていますが、好きに扱ってもらって構いません。
いらないなら外に放っておいてくれれば、私どもが片付けますので。鍵はこちらです」
「…………うん、案内してくれてありがとう」
「ありがたきお言葉。では私はここで」
空きが出た、イコール今日その住人が死んだ。
そう思って間違いないのだろうとブラットは察しながら、部屋の鍵を受け取りながら老人に礼を言って部屋の中へと入っていった。
「この世界では、誰かが死ぬのなんて日常茶飯事なんだ……」
小太郎の話を信じるのなら、もはや人類が生き残るか絶滅するか、その境界線に近いところに立っている。
食事の時に耳に挟んだガンツたちの会話からも、毎日モンスターたちの襲撃を受けていることが知れたので、滅亡の危機が身近にあるということも理解できてしまっていた。
通された部屋は空を飛べる住人は比較的上の階に回されることが多いこともあって、一番上の五階の角部屋で面積は三畳あるかどうか。
地球の一般家庭の部屋よりも広い色葉の部屋と比べると、どうしても狭く感じ閉塞感を覚えてしまう。
大人一人分の硬いベッドに部屋の半分を占領され、申しわけ程度に棚が置かれているだけで他に家具はない。
棚には錆びついて一部欠けも見られる小さなナイフ、使いかけの蝋燭、タバコの葉っぱとキセル、ブラットにはサイズが合わない大人用の衣類がグチャグチャに丸めて置かれていた。
これが昨日まで、ここで生活していた誰かの遺品の全てなのだろう。
「なんて世界よ……。もしこれもゲームだっていうんなら、もっとマシな設定にしろっての」
部屋の中が少し埃っぽかったので、ブラットは空気を入れ替えようと木の窓を開けた。
すると色葉の住む地域では見られないほどの、まさに満天の星空が広がっていた。
「人類がこんな状態だったとしても、空はこっちの方が綺麗とかどんな皮肉だ」
窓から見える星空に、ぽつぽつと見える町の明かりを眺めながら、ブラットはしばらくの間ぼーと外の景色を眺めて疲れた精神を癒していく。
「明日は、もう少しガンツたちにここの話を聞いてみないとなぁ」
「気になることがあるのなら、私でよければ説明してあげましょうか?」
「……え?」
五階の部屋の窓から顔を出していたはずのブラットの頭上から、女性の声が降ってきた。
ギョッとしながらブラットが上を向くと、驚くほど美しい顔をした美女……というには少しだけ幼い顔だちの女性が無音で宙に浮かび微笑んでいた。
見た目の年の頃は日本に暮らす色葉と同年代か少し年上と言ったところだが、コウモリのような翼を背中から四枚生やし、エルフのようにとがった耳に、闇夜に輝く猫のようなやや吊り上がった深紅の双眸をみれば普通の人間でないことはすぐ分かる。
腰まで伸びた星明りに照らされるウェーブのかかった長い金髪はどこか幻想的ながら、彼女が身にまとう赤黒いドレスは異様な不気味さを醸し出していた。
「君……は?」
「ここで自己紹介してもいいけど、どうせなら中に入れてくれない?」
「あ、うん。どうぞ」
「ありがとう」
後ろに下がったブラットにニコリと笑みを深めると、その女性は空を滑るようにして窓から部屋の中へと入ってきた。
「改めて自己紹介するわ。私の名は『アデル』。
この国では最後の防衛線、人類最強の守り手、あとはそう──〝姫様〟なんて呼ばれていたりもするわ」
「姫様?」
後者二つについてはつい先ほどワーリーから聞いたばかりな上に、姫様なんて印象的な言葉は忘れていない。
実質この国での一番の権力者なのだと言っていたことも。
だがそれは彼女がそう言っているだけで、本当かどうか判断する材料はブラットにはない。
ただ……この国で出会ったガンツたち、そしてすれ違った人たち、そのどれとも違う圧倒的な生物としての格の違いがひしひしと伝わってくるのが本能的に理解できた。
今のブラットでは、手も足も出せずに捻り潰される相手だろうと。
「そう、一番の権力者の娘を指す言葉らしいわ。
女王じゃないのは、私の見た目のせいね、きっと」
「は、はぁ」
確かに見た目だけで言うのなら、まだまだ女王を名乗れるほどの貫禄は宿っていない。姫様という呼称の方がしっくりくる。
「って、そんなことはどうでもよくて!
なんでそんな人がオレのところに? 散歩の途中かなにかなのか?」
「いいえ、あなたに会いに来たの。次代の英雄候補というあなたにね。それに……」
「それに?」
「神の恵み箱を授かっているとか? よければ見せてもらえないかしら」
「それくらいなら、別にいいけど……えーと、ほらこんな感じ」
未だに慣れないながらも、何とか非常用にと持ってきた回復ポーションを手のひらの上に出現させた。
それを何事も見逃さないと赤く煌々と輝く瞳で確認したアデルは、大粒の涙をこぼしながら花が咲いたかのように満面の笑みを浮かべ、そのままギュッと抱きしめられた。
「やっと、やっと会えた……」
「えっと、どうしたの? 大丈夫?」
ブラットの中身が男子高校生だったのなら、この時点で大パニック、もしくはノックダウンさせられていそうなものだが、あいにく中身は女子高生。
自分やお隣さんの容姿も負けていないので、見た目も女体も耐性はばっちりだ。
いたって普通に問いかけると、最後にギュッと抱きしめる力を強くしてそっと離れた。
「ええ、ええ、大丈夫、大丈夫よ。取り乱してごめんなさい」
「それはいいんだけど、やっと会えたってさっき言った?
わた──オレのことを誰かから聞いていたのか?」
直近でこちらに来ていたプレイヤーは、いうて二十年程前だ。
その人物がどこまで色葉と同じ情報を持っていたのかは不明だが、何かしら現地人に残していても不思議ではない。
「ええ、次の神の恵み箱を持っているやつが来たら、そいつが人類の希望だ。それまで君が人類を支えてやってくれ。そう言われたの」
「それを言ったのは誰?」
「人類の悪夢──ロードファントムキラーを打倒した英雄〝ヘイムダル〟」
「え? ヘイムダル?」
念のために訊ねただけで名前を聞いたところで意味はないだろうと思っていたのに、聞いたことのある名前が飛び出し思わずオウム返ししてしまう。
なぜならブラットも知っている、とあるBMOプレイヤーが同じ名前を使っているからだ。
(だってヘイムダルって言ったら、今のトップランカーじゃん……)
プレイヤー名──『ヘイムダル』。
BMOでも最大手クランと目される『ガリオン帝国』、そのクランマスターを務めるプレイヤーにして、現ランキングでトップに座するまさにBMO界最強の一角。
BMOをやっている者がその名を聞けば、真っ先に思い浮かべる男である。




