第二〇話 初陣
扉を抜けると暗いトンネルのようなところに出た。
出口は五メートルほど先に光が見えることから、そこだと思っていいだろう。
色葉──ブラットはまず現状確認から入る。
「げっ、裸じゃん……」
服の持ち込みもできないと聞いていたが腰布くらいは巻いていて欲しかったと、本来の肉体にはついていなかった股間に鎮座する物体から視線をそらし、手持ちのスロットを開くようにイメージした。
するとBMOのときは視界にアイテムのアイコンが表示されていたが、こちらでは頭の中に何があるのか思い浮かべられる……といえばいいのか、入っているものが何なのか分かる程度でUIが表示されることすらない。
「不便だなぁ……。えーと、これでいいかな? ──っと出た出た。
これも慣れないとだめだね、こっちで練習しなきゃ」
頭の中で引き出したいものを思い浮かべ、それを引っ張り出すようなイメージで手を動かしてみれば、何もないところから衣装一式が手元に出現した。
それをいそいそと着ようとしたとき、あることに気が付いた。
「パンツがない……。えぇ……、そんなものBMOじゃ作れないのに。
こっちで用意するまでノーパンで過ごせと? うーん……」
無いものは無いのだからしょうがないと自分に言い聞かせ、ブラットは衣装を身にまとっていった。
体をひねったり屈伸したりして、何か動きにおかしなところがないか一通り調べていく。
「体の動きはおかしいところはないけど、違和感が凄い……。
男子がスカートはいたらスースーするとか言ってるのをどっかで聞いたことあるけど、こんなもの常に付けてるほうがよっぽど気になるだろうに。男の人はよく平気でいられるなぁ」
足を動かすたびに太ももに当たる柔らかな物体の感触に、何とも言えない微妙な顔をするブラット。
しかしこれも慣れるのを祈るしかないと意識するのはできるだけ止めて、ランランとの冒険で手に入れた【毒蜥蜴王の首飾り+1】もしっかり首に下げて服の中に隠してから、出口と思われる光の方へと近寄っていく。
すると段々と薄っすら大勢の人と動物の鳴き声のようなものが耳に届いてくる。
「あれは……やってるなぁ。ここから出たら、すぐ戦闘みたいだね」
出口からまだ顔は出さず覗き込むようにして外を見てみれば、多種多様な姿かたちをした人類たちと、大小色とりどりのオオカミたちとの乱戦……というよりは戦争が勃発しているのが視界に入った。
どちらかと言えば人類サイドが善戦しているようだが、気楽に構えていられる余裕は誰一人持っていない様子。
知らず知らずのうちにブラットの心臓の鼓動が早くなっていく。
もしあの中に入って死んでしまえば、BMOでのブラットという存在はお終いだ。
「こんな序盤で死ぬわけにはいかないんだ。やるぞ、私……いや、やるぞ、オレ」
色葉としてではなく、ブラットとしての覚悟を決めて人類とモンスターとの戦争へと飛び込んだ。
出た瞬間に曇っていた音声がクリアになり、あちこちから叫び声と鳴き声が大音量で耳に入ってくる。
感じる空気も臭いもBMOとはまるで違い、誰もが本気で命のやり取りをしている味わったことのない戦場の熱さが身を焦がすようだった。
その圧倒的な現実感に一瞬ひるみそうになった心を奮い立たせ、今まさに自身の喉笛を噛み切らんと飛び掛かってくる中型犬サイズの黒いオオカミの攻撃をしゃがんで避ける。
「ガァルァッ──!!」
「はぁっ!」
「ギャッィ──」
頭上を飛び越えていくオオカミの腹を、手から出した魔刃で切り裂き通り抜けていく。【魔刃3】になった切れ味はなかなかのもので、すぱっと腹を切り裂いた。
後ろでボトボトと臓物と血が落ちる音がしたが、そんなことを気にしている余裕はない。
今のブラットの位置は人類サイドから少し離れた場所にあるため、四方八方オオカミだらけなのだ。
(ここで無理やり一人で戦うより、できるだけ体力の消耗を避けながら人類に合流するのを優先したほうが生存率は高いはず!)
次から次へと襲い掛かってくる様々な色をしたオオカミたちを最小限の動きでやり過ごしながら走り抜け、なんとか人類側として戦っている人間たちと合流することに成功した。
「第一関門クリア、なんとか生き残れた……」
「っなんだぁ!? どっからきた、このガキは!」
一番近くにいたのはいかにも熟練の戦士たちという香りを漂わせる、中年男性だけで構成された五人組。
オオカミの群れの中から突如飛び込んでくるなり自分たちのパーティに乱入してきたブラットに、素っ頓狂で野太い声を挙げたのは前衛で巨大なハンマーを振るう象人の男。
身長がニメートル半はありそうだが、何より横幅も同じくらい大きい。頭や足は象だが、手や体は人型をした獣人だ。
「ガキじゃない、ブラットだ。一緒に戦わせて貰う──ぞ!」
「ギャンッ」
「……へぇ、見てくれはガキだが戦えるみたいだな。
ボンド! 俺は中衛に回る、ガキと一緒に前で暴れろ!」
象人──『ボンド』のハンマーをかいくぐってきた小型のオオカミを一撃で蹴り殺し、強引にパーティ参加を表明するブラットに対し真っ先に対応したのは、ヒョウ柄の髪をした豹人の中年男性。
こちらは象人のボンドとは違い見た目はかなり人に近く、豹の耳と尻尾が生えているくらいだ。
身長は一九〇センチほどで右の頬には大きな傷跡が刻まれており、これでもかと鍛え抜かれた筋骨隆々な体で大きな槍を振り回して戦っていた。
「あいよ、ガンツ。邪魔すんなよ、ボーズ!」
「邪魔なんかしない」
「フォローは俺がする。好きにしな」
「助かる」
闖入者であろうとあっさり受け入れた豹人の男──『ガンツ』は、リーダーとして近くにいた他三人に指示を飛ばしていく。
後ろにいるのは弓を持ち、魔法も使って牽制と遠距離攻撃でサポートするエルフの男──『ワーリー』。
エルフは若く長寿のイメージが持たれがちだが、この世界において種族は寿命に直結しない。なのでガンツたちと同じく、いい年齢のおじさんエルフだ。
その横にいたのは人族、つまり普通の人間のマッチョなおじさん──『トッド』。
彼はメイスを手に持ち魔法で回復、牽制を行い全体のサポートをしている。
そして最後は小人族のおじさん──『デン』。
自分の固定ポジションはなく、それぞれの空いた隙間を縫うように駆け回り、ククリナイフを両手に持ってオオカミを次々と切りつけている。
ガンツはその三人にだけ臨機応変に指示を出し、ブラットとボンドのペアは扱いが分からない、または自由に動かすほうがいいと判断したようだ。
前衛二人が好き勝手に暴れるのに任せ、自分は全体を見て全てのフォローに回っていく。
ガンツの視野は非常に広く、彼の動きによって即席のパーティでも上手く噛み合いはじめだす。
(あのガンツとかいうおじさん凄いな。なんというか、こういうのに慣れてるって感じ)
「ちぃっ、こぼした。そいつをやってくれ」
「任せろ」
ボンドの攻撃は、とにかく大振りで当たれば一撃必殺だが撃ち漏らしも多い。
子供で体の小さなブラットはそれを生かして、彼のハンマーに当たらないよう立ち回りながら撃ち漏らしを撃滅していく。
リアルな拳や足から伝わる感触、モンスターから流れる血の生臭さ。
その全てが限りなくリアルに作られたゲームであるはずのBMOより現実で、最初の緊張とはまた違った意味で心臓の鼓動が早くなる。
──まさか、本当にここは〝異世界〟なんじゃないかと。
色葉の時代のAIによるNPCは確かに人と区別がつかないくらい人間らしく振舞うことができるようになっているが、それでも行動を共にしていたり、話をしていると段々『あ、こいつはAIだ』となんとなく分かる瞬間がある。
色葉たちの世界でも未だその原因は究明中であり、誰もが完全に人と区別できないほどのAIはまだ存在していない。
けれどここにいる五人の男たちも、少し離れたところで同じようにチームを組んで戦う大勢の戦士たちも、誰も彼もが〝生きて〟いた。
プログラムから発露される疑似人格ではない人間が、そこにいるとしかブラットには思えなかった。
「──っと」
「気を付けろっ」
「悪い」
変なことを考えていたせいだろう。ブラットは一瞬避けるのが遅れ、オオカミの爪の先が少しだけ当たってしまった。
大した怪我ではないのだが、一回死んだら終わりの世界で集中を欠きすぎだと自分で自分をしかりつけ、ブラットは目の前のことに集中していった。
(あれ? 傷が治らない?)
負ける気はしないがそれでも多勢に無勢。どこから湧いてきているんだと言いたくなるほどオオカミの群れは尽きる様子はない。しかも組んでいるのは即席の見知らぬ他人たちだ。
そんな状況であればいくらブラットであっても、かすり傷ぐらいは負ってしまうものである。
だがブラットには傷を自分で治す術を、【自己再生】に【捕食回復】とちゃんと持っていた。
その中で【自己再生】は自分で意識して発動状態に切り替える必要があったが、それは問題なく機能させることはできている。
だがもう一つ、どうもBMOにおける【捕食回復】、近接攻撃を当てることで回復するはずのスキル効果が、こちらでは全く出ていないことに気が付いたのだ。
(スキルとか道具の効果がこっちとBMOだと変わる場合があるって言ってたけど、たぶんそれが原因なはず──ん?)
戦場の空気が変わったのが、本当の戦いの場に慣れていないブラットにも感じ取れた。
それはオオカミたちもかなり数を減らし、終わりが見えてきたころのこと。
奥の方から緑色の美しい毛並みをした、トラくらいの大きさのオオカミが悠々と子分を引き連れやってきたのだ。
「あれってボス?」
「ちげーよ。群れの一部を任されたリーダーってとこだ。
だがあいつを倒せば今日の臭い付けは、それで終わりだろう。後はどこがやり合うかだか……」
一部の組があの緑オオカミの相手をし、あとは邪魔にならないよう支援をしたり、小物たちを近づけさせないように雑魚処理をするというのが人類側がいつもやってきた戦い方だ。
そしてその相手をする組がどこになるかは臨機応変。大抵は緑オオカミに目を付けられた者が所属するパーティが受け持つことになっている。
さてどこになるかと人類側も気にしている中、緑オオカミは地面を蹴ってブラットたちのいる方向へと真っすぐ突っ込んできた。
「どうやらご指名のようだぜ、ガンツ」
「上等だ。野郎ども! あんなのに殺されんじゃねーぞ!」
「「「「おうよ!」」」」
「……おう」
ガンツたちの戦場のノリについていけず、遅れて返事をしながらもブラットもすぐ動けるように構えていると、さっそく緑オオカミが前足を持ち上げ振り下ろす。
「うぉおおおおっ!!」
風をまとった爪の斬撃が飛んでくるが、ボンドが大きなハンマーを前に突き出し盾のようにしながら斬撃を弾いて突撃していく。
ハンマーは斬撃を受けて深い傷跡を残すが、大きさ故にそれくらいで本来の機能は失われない。
ハンマーによる打突で跳ね飛ばすように雑魚を一掃し、ボンドが切り開いた道をブラットやガンツたちが通ってゆく。
「だらぁあっしゃああああああっ!」
「ゥウォオオーーーン」
軌道が読みやすいハンマー突進は横にさっと避けられるも、ボンドは足を地面にドシンと突き立て無理やり急停止、からのハンマー横回転。
予想外の攻撃に反応はしたが横っ面を浅く殴られ、緑オオカミは体勢を小さく崩した。
「はぁっ!」「しゃぁっ!」
ブラットはその隙を逃さない。
横並びに走っていた小人族のデンと左右に分かれ、ブラットは左側から右手に生やした【曲刃】の魔刃に新たに覚えた【魔刃振動】を追加して切り裂いていく。
デンは右側から両手に持ったククリナイフで腕をしならせるように何度も振って、いくつもの切り傷を負わせていく。
だがさすがはリーダー格。毛皮とその下の皮膚まで硬く、雑魚のように気持ちよく切れてはくれない。
「オォオオン──ッグルッ!!」
「させねーよ、犬っころ」
やられっぱなしではいられないとブラット、もしくはデンに攻撃をしようとしてもガンツの長柄の槍が絶妙なタイミングで飛び出し、緑オオカミの行動を阻害する。
さらに後ろからワーリーの弓矢が、トッドのネバネバした蜘蛛の巣のようなネットも飛んできて、思うように動かせてはもらえない。
お供の雑魚は周りの別パーティたちが相手をして助けには来れない。
魔法は攻撃によって強制キャンセルされる。
派手に動いてブラットたちの包囲から逃れようとすれば弓や魔法で邪魔される。
緑オオカミにとっては完全に詰んだ状態だ。苛立たし気に声を挙げることすら許されない。
(このおじさんたちほんとに凄い!
個人個人のスペックは今の私とそう大差ないのに、練度に連携力がとんでもない。まるで一個の生物みたいだ)
ここまでの連携が取れるパーティは、BMOでもそうはいない……というか、いないかもしれない。
そうブラットに思わせるほど、ガンツたちのパーティは完成していた。
ブラットも毛皮が硬すぎて致命傷は与えられていないが、それでも足を止めずに動き回って魔刃を振るい敵の血を流させて着実に相手の体力を奪っていく。
そして──。
「準備ができたぜぇ……」
「ボンドに合わせて全員引くぞ!」
最初の荒々しさとは打って変わり、気配を消すように後ろに控えていたボンドの準備が終わる。
ボロボロになったハンマーが彼の能力で真っ赤に光り輝き、それを振り上げ大きくジャンプ──からの緑オオカミへ全体重が乗った強力な振り下ろし。
ドゴンッ! と重機が高いところから落下したような音と衝撃が周囲に伝わっていき、役目を果たしたハンマーはボロボロと崩れていく。
緑オオカミの頭蓋骨はひび割れ、衝撃で目玉が飛び出した。どう見ても致命傷だ。
ガンツたちもこの一撃を信頼していたからこそ、ボンドの邪魔にならないように後ろに下がっていた。
しかし──その信頼は最後の最後で裏切られた。
「ボゥブァゥウウウアアアッ!!」
「なにっ!?」
「「「「ボンド!!」」」」
残り僅かな命を燃やし尽くすように緑オオカミは奮い立ち、大きな口を開く。
口内から放とうとしているのは【風螺旋槍】、一言で効果を表すとすれば風のドリル。
射程距離は非常に短いが貫通能力が高く、ボンドの硬く肉厚な皮膚をも容易く突き抜け、その体に大穴を穿つことができる魔法。
目の前で自分の攻撃の衝撃で動けなくなっているボンドは躱せない。
ガンツたちもそれで決まると思っていたからこそ油断し、フォローが間に合わない。それくらい、あの一撃を信頼していたのだろう。
…………だが一人、その攻撃を信頼していなかった者がいた。
あれでも終わらないかもしれないと、空の上で待機していた人物が。
「死んどけぇえええええっ!!」
「グォブッ!?」
空から流星のように落下しながら、ブラットはひび割れた緑オオカミの脳天に思い切り踵落としを決めていく。
もちろんできうる限りの自己強化を用いての一撃だ。ボンドの溜めに溜めた一撃よりも範囲は狭いが、威力だけならそう劣っていない。
ブラットの踵は緑オオカミの頭蓋骨を粉砕し、脳漿をぶちまけ頭が半分消し飛んだ。
「すげぇ……」
ガンツたちではない外野の誰かの声が静まり返った戦場に響くのと同時に、下あごの骨を露出させた緑オオカミは、足の力を失い完全に事切れるのであった。




