第十ニ話 スティング
ファットゴブリンというモンスターは、多種多様に存在するゴブリン種の中でも特に頭が悪い方に分類される。
そんなモンスターがリーダーなどという少し上位な種族に進化したところで、それはたかが知れていた。
ブラットは疑問に思っていたようだが、群れと同時に攻撃してこなかったのは群れを御すだけで頭のリソースが一杯になってしまうから、そもそも戦うことができないのだ。
例えその群れが自分と一匹だけだったとしても。
けれど群れを全て失ってしまえば話は違う。
抑圧されていた枷から解放され、自分の道具を殺された怒りによって、ただのリーダーよりもさらに上の力を振るって襲い掛かってくる。
けれど逆にそれは一匹でも残しておけば、棒立ちなリーダーを殺してしまうことができるという意味でもある。
群れを手放すという当たり前な考えすら、ファットゴブリンには思い浮かばないのだから。
だからこそ零世界で出会ったときの対処法を学ばせる意味もかねて、BMOでも似たようなプログラムとAIが詰まっていた。
ただモドキの場合は超特別仕様にと、絶対に忘れさせないようにと鈴木小太郎が仕様を変えたおかげで、ファットゴブリンとは一線を画する存在へと引き上げられしまったわけなのだが。
「ガァアアアアアアッ!!」
「──はやっ!?」
その脂肪がまとわりつく巨体からは想像もできない速さで駆け寄られ、さらにその巨体に相応しい力で戦鎚が振り回される。
戦鎚の振りも見事なもので、ノーマルなファットゴブリンたちのように、ただ持ち上げて振り下ろすだけの幼稚で雑なものではなく、ときにはフェイントまで混ぜた高度な戦士の扱い方。
ここまで余裕をもって全て避けてきたブラットもこれには苦戦し、直撃は避けられているものの風圧だけで小さなダメージがチリチリと炙られるように蓄積していく。
まさに一歩間違えば即デスコース……だというのに、ブラットの顔には目一杯の笑顔が浮かんでいた。
(これだよっ、これ! こういうギリギリなのが味わいたかったんだ!!)
口に出す余裕はないが、その表情だけで心の内を全開に語っていた。
喜んでいる間にも相手の攻撃速度は増していき、ブラットの回避行動はもはや弾幕ゲームさながらだ。
わずかな隙間に体をねじ込むように位置取って攻撃をかわし、針の穴に糸を通すような精密さで最適解の攻撃をお見舞いしていく。
しかし相手の脂肪による物理耐性が高く、思っていた以上にHPを削れない。
ブラット側のHPも攻撃の余波以外でのダメージがない上に、自己回復が働いているのでほぼ互角。
まさに一進一退の攻防……と言えば聞こえはいいが、はた目から見ればほぼ同じ光景がずっと続いている状況。
その拮抗状態に持っていくのに、どれだけの技術がいるのかを考えれば称賛に値する戦いだが地味極まりない。
ギャラリーがいたら飽きて去って行くものもいただろう。
だが本人はこの一度でも最適解以外の選択を取れば敗北という状況に酔いしれ、楽しくて仕方がないとばかりにずっと笑いっぱなしだ。
進化する前から変態プレイヤーと言われていたのも、あながち間違いではなかったのかもしれない。
「──終わり!」
「ブガァッ……────」
四〇分以上もの激闘の末、左手の戦槌が振り下ろされ一瞬止まったところで、それを足場に相手の右手の戦槌をかいくぐりながら三角飛びで顔面に肉薄し、横面に足底を叩きこんでフィニッシュ。
崩れ落ちながらボスは消え去り、ドロップアイテムを残していった。
《種族レベルが 12 になりました。
スキル【毒針1】【共感:植1】【集気法1】【共感:鉱1】 を取得しました。》
《職業【見習い合成獣】レベルが 10 になりました。
スキル【肉質操作1】【捕食回復1】 を取得しました》
戦闘中のアナウンスはオフにしていたため、取り巻きたちで稼いだ経験値分も含めて一気にリザルトが流れてくる。
それに耳を傾けながら、ブラットはドロップ品を回収していった。
取り巻きのファットゴブリンたちからは、【肥醜鬼の脂】【肥醜鬼の骨】【肥醜鬼の棍棒】の三種が回収できた。
脂は料理に使うと不味くなるうえにバッドステータスが付くので、松明や焚火などに安価な燃料として使用するのが一般的だが、燃やしたときの臭いが酷いので使いたがるプレイヤーはいない。
骨や棍棒はサービス開始当初ならそれなりに需要があったが、半年たった今は雑魚モブの捨て素材扱いなので換金しても大した値は付かない。
「けど、こっちはそれなりに使い道はありそうだね。儲け儲け♪」
ファットゴブリン・エリートウォーリアのドロップアイテムは、ボス扱いだったので通常と違い三つ落ちていた。
【肥醜鬼・精鋭戦士の戦鎚】、【肥醜鬼・精鋭戦士の瞳】、【肥醜鬼・精鋭戦士の頭蓋骨】。
最前線プレイヤーたちにはもはや何の価値もない素材だが、中堅プレイヤーの錬金素材としてはまだそれなりに需要がある。
売りに出せばそこそこのお値段で、誰かが買い取ってくれることだろう。
「おっと道が開けたみたいだね」
隔離されていた空間が消失し、ブラットの姿が他のプレイヤーにも見えるようになった。
時間が経ちすぎていたせいで減ってはいるが、それでもまだ見学しようと残っていたギャラリーたちが遠目に見えた。
楽しかった気分から一転思わずため息が零れそうになるが、今更気にしてもしょうがないと二町『リゴウル』へと続く道へと足を向けた。
まわりに敵影はなし。
さすがにボス戦直後にモブが襲い掛かってくるほど鬼畜ではなかったようだと安心しながら、ブラットは改めて新しい能力について探っていくことにする。
「まず【毒針1】なんだけど……どっから出すんだろ?」
効果は〝体についている〟毒針を突き刺すことで、【毒1】状態にすることができるというもの。
この能力を保有している蟲系の種族などは分かりやすく針が剥き出しになっている場合が多いので疑問にすら思わないのだが、あいにくブラットの体に針らしきものはついていない。
まさか捨てスキルになってしまっているのかと嫌な予感を感じながらも、とりあえずゲームシステムにのっとって【毒針1】の発動を意識してみることに。
──すると、ぷしゅっと空気が抜けるような小さな音が耳に届いた。
「あー、ここって針穴だったんだ」
音のしたほう──両の手首に開いていた穴から、長さ20センチほどの針が飛び出していた。
進化したばかりのとき、なんの穴なんだろうと疑問には思っていたのだが、この体はそこから針が出せる仕組みだったようだ。
何度か出し入れを意識しながら毒針の扱いを練習していると、やがて慣れてきて長さも調節できるようになってきた。
針先をチラリとのぞかせることも、指を伸ばせば手の甲側からは見えない程度に伸ばすこともできるのだ。
「暗器みたいな使い方ができそうだね。そっちの場合はモンスターというより、対人戦向きだろうけど」
毒針について満足がいったブラットは、そのまま他のスキルについても調べていく。
まず【共感:植1】と【共感:鉱1】。
前者は植物に、後者は鉱物に対して共感し、それぞれが持つ喜怒哀楽を感じ取れるようになるというもの。
正直1では大したこともできないが、もっと数字が上がれば効果範囲も共感の度合いも上がっていき、会話のような真似もできるようになるスキルでもある。
これによって敵の発見や隠しイベント、隠し通路の発見などをするプレイヤーもいるので、このスキルを育てていけば便利になることだろう。
次に【集気法1】。溜め動作が必要で、その間隙だらけになるがスタミナを回復することができるスキル。
途中で攻撃されればキャンセルさせられてしまうので、戦闘中に用いるならうまく相手の隙を狙う必要がある。
「近接系にとっては必須級のスキルだったはず。種族スキルで覚えられたのはラッキーだったね」
そして職業スキルで得られたものは、【肉質操作1】と【捕食回復1】。
肉質操作は体の肉質を軟化させたり硬化させたりすることができる、防御系のスキル。
打撃を受ける際には軟化、斬撃を受ける際は硬化などタイミングよくするにはプレイヤースキルが求められるが、上手く使えばダメージ軽減を狙うことができる上に使いようによっては攻撃にも利用できる。
そして重要なのがもう一つの捕食回復。
このスキルを育てていくことで、職業【合成獣】の本領が発揮されていくようになる。
「効果は近接攻撃がヒットするたびに自分のHPを回復させる……。
こいつを育てていくと回復値が結構な高さになるらしいんだよねぇ。
さすがゾンビとまで呼ばれる職業だ」
攻撃と回復を同時にこなせるので、わざと攻撃を受けても肉を切らせず骨を断つなんて荒業をこなせるようになるのだ。
──と、スキルを確認しながら意気揚々と先へ進んでいると、前の方からガラの悪い風貌の五人組が明らかにブラットを目標に近寄ってくるのが目に入った。
「あれは……」
「よぉ、ブラット。よーやく二町にいけるようになったのかよ。おっせーなぁ」
「スティング、か」
からかうような軽薄な声音で話しかけてきたのは、特撮ヒーロー物で悪役としてできてきそうな風貌をした『カマキリ、ハチ、クワガタ』の混合蟲人のプレイヤー。
プレイヤーネームは『スティング』を名乗り、『Rogue』という上位層パーティのリーダーでもある。
彼の隣には浮浪者のようなボロのマントに見せかけた、最前線の素材を使った卑屈に笑う鷲鼻の小人族の男──『ハムゴロウ』。
戦隊物で悪役として出てきそうな〝女幹部〟然とした恰好をし、鞭を手に持つ悪魔の女性──『スミレ』で両脇を固め、その後ろにもいかにもアニメや特撮で悪役として出てきそうな見た目をした『Rogue』の残りのメンバー二人が立って、嫌らしい笑みをブラットに向けていた。
「おおよ。二桁ランカーのスティング様が来てやったぜ。──ふんっ」
「──おっと」
ニヤニヤと自慢げに笑いながらブラットに何かを投げつけてきた。
以前までのブラットなら顔面に直撃して直近のスポーン地点へ直行していただろうが、進化した今は事も無げにそれを手でパシッと掴んで見せた。
それを見たスティングは、余計に笑みを深くした。
「──餞別だ。早く上に登って俺との約束を果たせよ、ブラット」
「ああ、できるだけ早く果たせるよう頑張るさ」
投げつけられたのはなんてことない、少しだけHPの回復効果のあるポーション瓶。先ほど倒したボス素材を売れば余裕で買える代物だ。
ハッキリ言って今のブラットにとっては大した価値などない。けれど、それでもブラットは嬉しそうに笑う。
それはスティングはブラットが施しを嫌がるのを知っているから。
だから缶ジュースを一本奢るぐらいの価値の物を、わざわざ用意して持ってきてくれたのだ。
彼らにとってはこんな低クラスのポーションなど、もはや持っている意味すらない代物だというのがその証拠だろう。
そしてブラットの性格をよく理解してくれているということでもあった。
──そう。彼らは風貌もいかにも悪役然としているし、パーティ名も態度もあまりいいものとは言えない。
だがそれはただそういう〝ロールプレイ〟をしているだけで、外面以外のプレイは非常にマナーがいいことでも知られている良識のあるパーティなのだ。
そしてスティングとはお互いに別のゲームで何度か親交もあり、ゲームの中だけの付き合いで互いの本当の名前も性別すらも知らないが、そこいらのプレイヤーたちよりも仲がいい。
少し前に劣等種狩りと称して執拗にブラットを付け狙うPKプレイヤーたちとのいざこざがあったときも、率先して手を貸してくれたプレイヤーたちの一人でもあるゲーム友達なのだ。
そんな友人からの餞別をブラットは曇りのない笑顔で受け取り、その場でグイっと飲み干した。
ボス戦で減っていたHPも回復し、多少警戒を解いて次の町へといける状態になった。
「ありがとな」
「ああ、待ってるぞ。ブラット」
それだけ言うと「ふっふっふ」といかにも悪役のような笑い声を上げながら、スティングたちは去って行った。
ブラットから離れ周囲にパーティメンバー以外、誰もいなくなったところで、スティングはロールプレイも忘れて上機嫌でガッツポーズを取った。
「よしっ、よっしっ!! あいつなら絶対にやると思ってたんだ! さすがだ、ブラット!!」
「ほんと、オヤビンはブラットくんが大好きでやんすね~。ちょっと嫉妬しちゃいますぜぃ?」
彼の隣にいた小人族の男がゴマすりの所作をしながら、にやにやとスティングを見上げながらそんなことを言ってくる。
「は? 何を言ってるんだ。あいつは男だぞ」
「ふふっ、冗談よ。よかったね、しゅーちゃん」
「こっちで、しゅーちゃんって呼ぶなっ」
小男の顔と声で現実側の自分の愛称を呼ばれ、スティングは思わずツッコミを入れた。
実はこのスティングの太鼓持ちのような小男をロールプレイしているのは女性であり、彼の現実側の恋人。
さらに現実に戻れば立場が逆転し、尻に敷かれているというのはパーティ内だけの秘密だ。
「けどこれで決まったな。あいつは絶対にこれから上に食らいついてくる。
それまでに俺はもっと上に行って、あいつを全力で迎え撃つ。いくぞ」
彼は今でもランク二桁の超上位プレイヤーだ。けれどブラットが登ってくるならと、さらなる高みを目指して突き進んでいくのだった。
「はい、とーちゃく!」
そしてそんな超上位プレイヤーが自分に向けて熱烈な闘志を燃やしているとは露知らず、ブラットはのんびりと二町──『リゴウル』に到着するのであった。




