第十話 家族での食卓
色葉の肉体に色葉の意識が帰ってきた。
起き上がろうと意識すると自動で身を包んでいたHCが割れるように開いていき、それと同時に椅子のような形へと変化していく。
最終的に椅子に座ったような状態になったところで、色葉がコロンとそこからベッドの上へと降りると、音もなくしぼんで元のシート状の物だけが残った。
それを四つん這いでベッドの上を移動しながら、いつもの枕の下へとずぼっと押し込むと、そのまま倒れこむように顔を埋めた。
(イヨさん、晩御飯前に起こして~)
『わかりました、いろは』
もうすることはないとばかりに、今度は夢の世界へと旅立っていった。
夜七時半頃。イヨさんによって起こされた色葉は、眠そうな顔をしながらダイニングへと降りていく。
するとそこには既に仕事先の本社がある仮想空間からログアウトしてきた両親が、並んで食卓に着いていた。
「あら、色葉。何その顔? さっきまで寝てたの?」
「うーん、ちょっと眠くてね~」
色葉の母──灰咲双葉は、彼女とまったく同じ明るい髪色のミディアムヘア。
色気のあるタレ目の非常に整った顔立ちの持ち主で、とてもではないが高校生と大学生の子供がいるようには思えないほど若々しい女性だ。
そんな双葉は、寝ぼけた顔をしてやってきた娘に少し呆れたような顔を向けた。
「はははっ、夜眠れなくなっても知らないぞ~」
「う~ん、頑張って寝るから大丈夫だよ。お父さん」
対して快活な笑顔で迎えてくれたのは、父──灰咲柊介。
彼は色葉に似た活発そうな大きな目をしており、明るく優しそうな印象を見るものに与える。
そしてその顔は色葉や双葉に負けず劣らず整っており、異性を魅了する甘いマスクに、大人の男性の渋さも少し合わさったような男性だ。
身長も高く、社内でも既婚者でありながら人気が高い。
「お兄ちゃんはまだ帰ってきてないの?」
「私は先にログアウトしてきたから分かんない。連絡してみる?」
「お、その必要はないみたいだぞ」
「ただいま、父さん、母さん。色葉」
「「「おかえり」」」
BMOからログアウトしてきた治樹が、一番遅れて食卓へと着いた。
例にもれず、やはり彼も色葉と並んでも遜色ないほどに顔がいい。
母譲りの少し垂れた目に、形のいい口がスマートな笑みを浮かべる。
身長は一八六センチ。筋トレも毎日しているので、ゲームばかりしていても引き締まった体がスラっと伸びるモデル体型と非の打ち所がない。
このようなそこいらのアイドルなど目じゃないほどのイケメンが、自分の腰布を必死に欲しがったずんぐりむっくりなおっさんの中身かと思うと、無性に色葉は悲しくなってしまう。
「な、なんなんだ、妹よ。その悲しそうな目は……」
「いやべつに~」
余談だがお隣の葵たちが住む飛鷹家も似たり寄ったりの美形家族で、この二家族が並ぶと眩しいとすら周囲に言われるほどである。
全員揃ったところでイヨさんが出来上がった料理を調理ロボットから取り出し、配膳の準備を進めていく。
「今日は何かな~♪」
「この匂いからして、お魚かしら?」
「昨日は肉だったし、それもありそうだな」
「うちが開発している調理ロボットは、健康バランスも考えて毎日の献立を考えてくれるからな!」
柊介は大手電機メーカーに勤め、調理ロボットの開発部門を担当している。なので灰咲家に備え付けられている物も、彼が開発に携わった最新式。
年間を通してのバランスの考えられた献立作成、食材の注文、食器の管理、家族一人一人に対しての好みの味付けの記憶まで、調理に関わる全てのことを全自動で行う優れもの。
味付けもデータで持ち出すことができるので、引っ越し先の調理ロボットにそれを渡せば、そっくりそのままの味が楽しめる。まさに家庭の味も持ち出せる時代なのだ。
イヨさんが他の補助ロボットと共に机の上に並べていくのは、家族が予想していた通り焼き魚がメインの献立だった。
香ばしい魚の焼けた香りに包まれて、色葉も思わずごくりとつばを飲み込む。
「「「「いただきます」」」」
仲良く手を合わせ、箸を手に持ち食べはじめた。
「そういえばうちも、EW社の技術を導入して仮想空間での時間加速で就業時間を短縮することになりそうだ」
「あら、お父さんのところもそうなのね。
私のところも導入を検討しているってこの前、上司が言ってたわ」
「ふーん、そうなるともっと早くお仕事が終わるってこと?」
「ああ、状況によって使えないときもあるが、本格的に実装されれば一日の働く時間がだいたい半分になるそうだ。
そのうち三倍速、四倍速もありえるようになったら、さらに短くなっていくかもな」
「色葉たちが働くころには、もうそうなってるでしょうね」
「趣味に使える時間が増えるのはありがたいな。仕事ばかりでゲームができなかったらつらいし」
「だねぇ。私もゲームができないのはきついもん」
「ゲームもいいが、ちゃんと将来のことも考えておけよ? 二人とも」
「「はーい」」
毎度言われていることなので、色葉も治樹も毎度の事のように返事をした。
「そうそう、そういえば今二人がやってるのってBMOっていうゲームなのよね?」
「うちの会社でもやってるっていうのが何人もいるな。俺もこの前やらないかって誘われたよ」
「私もよ。なんだかすごい人気だって話も聞くけど、そんなに楽しいの?」
「ああ、楽しいよ。ただゲームとして楽しむって方法もあるし、とんでも仮想空間で楽しむだけって人も大勢いるからな」
「あー、なんかクランで課金して広い土地に滅茶苦茶凝ったスタジアム作って、ゲームそっちのけで超人野球とかやってるところもあるよね」
「他にもサッカーにアメフト、テニスにゴルフとなんでもあるぞ。
それこそ父さんたちみたいな年齢層から百歳越えのお年寄りだって、仮想の体で若返ったようにはしゃぐ人も多いんだ。
アップされたBMO内のスポーツ動画も結構人気なんだぞ」
「へぇ~、今度私も見てみよ」
「BMOだと年齢も性別も自由にできるらしいしなぁ。仕事の時間が減ったら、一緒にやって見るか? 母さん」
「そうね。時間もこれまで以上に余るだろうし、一度やって見るものいいかもしれないわ」
「そうそう。ただお散歩するだけでも楽しいみたいだからね」
「みたいだからって、色葉もやってるんでしょ? 色葉はどんなことをしているの?」
「え? ああ、まあ、私はちょっと特殊な遊び方をしてたから参考にはなんないよ」
あんまり突っ込まれたくなかったので、色葉はここで少し強引ながらも話題転換のために、先ほど出た単語で気になっていたことを社会人の二人に聞いてみることした。
「そういえばさっきお父さんがちょろっと口にしてたEW社ってさ、実際どんな企業なの?
なんか変な噂とかあったりする?」
「え? EW社か? うーん、日本で生まれ創業百年を超える、世界でもトップクラスの大企業……ってのはさすがに色葉も知ってるか」
「うん。なんとなくね」
「変かどうかは知らないが、上層部は全員社長の一族かその身内で構成されている不思議な企業って話は聞いたことがあるな。
コネで入社とかならあるかもしれないが、さすがに全員なんてありえないだろ? 普通」
「あぁ、それなら私も聞いたことがあるわね。
しかもそれでも外から入社してきた人たちの誰も文句を言えないくらい、全員が全員優秀すぎるほどに優秀なんだそうよ」
「それは凄いな。身内が全員優秀とか、よほど特殊な教育方法とかでもあるのか?
いや、それにしてもどこかでポンコツがいてもおかしくはなさそうだが……」
「はははっ、おいおい治樹。そんなの噂だろうさ、きっと」
「そうよ。多少本当のことも含まれているんだろうけど、尾ひれや背びれを付けて周りが面白おかしくしたに決まっているわ」
「それもそうか」
「………………」
小太郎がEW社の上層部は全員、どこか色葉とは関わりのない異世界関係者だと言っていたことを思い出す。
噂だとは言っているが、火のないところに煙は立たぬという。その噂に由来するナニかはあるのかもしれない。
「にしても色葉がゲームや服でもなく、企業の話をするなんてどうしたんだ?
もしかして将来はEW社で働きたいとかか?」
「……え? う、うーん、どうだろ」
「あそこは難しいらしいわよ~。実際にお父さんも採用試験で落とされてるんだから」
「お、おい。子供たちの前でそれを言うなよ」
「父さんも受けたことあったのか。でもまぁ、うちの大学でも、あそこは少しでも自信のないやつは時間の無駄だから止めとけって言われてるし、別に恥じゃないよ父さん。
けどそれでいくと色葉も別に成績が悪いわけじゃないが、ちょっとあそこは難しいだろうなぁ」
「あーうん、私もなんとなく気になっただけで、本気で目指そうってわけじゃないから気にしないで。
けどさ、それじゃあBMOを運営してる会社はどんな感じか知ってる? 社長のこととかもさ」
「BMOの運営? Future Gamesとかいうところだっけか? たしか社長は鈴木小太郎」
「名前までスルッと出てくるとか詳しいね、治兄」
「ニュース記事で名前を見て、どんな経歴の人なんだろうって気になって調べたことがあったからな。
けどまあ、大した情報はなかったが」
「っていうと?」
「別段これまでゲーム開発に携わっていたこともないし、それまでの経歴が出てこなかったんだ。
まさに降ってわいたようにゲーム業界に現れたといっていい。
まったく名前が表に出ることのない、別業種で働いていたのかもな」
「へ、へぇ~。けどよくそんな人が、いきなり社長になれたね」
「Future GamesはEW社がBMOのために作った会社で、実質子会社みたいなものだってのが一般認識だ。
開発スタッフもEW社から何人か出てるようだし、社長を決めたのもおそらくそこだろう。
だから前の仕事か何かで、EW社の信用を勝ち取って社長のイスを貰ったのでは? と言われてる」
「なるほど?」
明らかにあのときに話していた『異世界』だのという『設定』に大きな矛盾があるのではないかと探ってみたが、ここまでの話を聞いた限り小太郎が語ったものを否定する理由が〝法螺話にしか聞こえないから〟というものから変わることはなかった。
(いやいや色葉。ありえないからね。未だに異世界とか夢みる歳じゃないでしょ)
そう自分に言い聞かせてはみるものの、本当は真実を語っていたのではないかと不安に思う自分がいることを隠すことはできなかった。
それからも夕食の時間は家族で話していたはずなのに、食べ終わるまでずっと色葉の気持ちは上の空のままだった。
夕食後一休みしてから、色葉はお風呂を済ませ部屋のベッドに寝ころんでいた。
お風呂の時間に治樹と音声通信で話し合い、今日出す動画のことについて話しておいたので、今頃は編集を終えた動画がアップされていることだろう。
結局動画では進化するために町の中を巡る必要があったこと。試練があったこと。モドキの進化には他にも選択肢があったなど、当たり障りのない情報をいれていく。
それに加えて進化演出の動画と、進化後のスクリーンショットを散髪前、散髪後の二種類。
最後に『合成獣』の職業が出たことを匂わせてお終いという流れにすることになった。
合成獣の職業についてはPVPなどにおいては知られていないにこしたことはない情報ではあるが、見た目でどうせ取れることは容易に察することができる。
なのでその注目を引くニュースを入れることで、適度に情報をばらまき周りの好奇心を抑制しようという意味で今回は入れることになったのだ。
そして今の色葉はと言えば、EW社や鈴木小太郎について自分でもネットで調べていた。
けれど心のモヤモヤは晴れることなく、無駄に時間が過ぎ去っただけに終わる。
「はぁ……なにやってんだろ。あんなの嘘に決まってるのに。
それに前任者たちがいて、その人たちは全部その時の記憶がゲームの中の出来事だと思ってる? なにそれ、ありえないっしょ。
そうだ! そんなことより、あいつが送ってきた異世界……〝零世界〟とやらの仕様書に目を通しておこっと」
もうどうでもいいやとばかりに気持ちを切り替え、色葉は運営から送られてきていたメッセージを起動した。
文字の羅列が、虚空に浮かび上がったように色葉の視界には映る。
「まず最初は現地の住民が戦っている近くに現れるようにしているから、そこへ乱入して一定の力があることを見せつけること。
そうすれば簡単に住民に受け入れられる? ふむふむ、よくある設定ね。んで次は──」
──レベルという概念は零世界には存在しない。
零世界に行った場合、ブラットはゲームでいうその種の最大レベル+-3程度の状態に固定されている。
ただしモンスターを倒すことでそのエネルギーの残滓を吸収し、微強化はされていく上に次の進化のための『糧』にしていくことができる。
またステータスの評価だけは、ちゃんと零世界の肉体にフィードバックされるようになっているようだ。
零世界で使えるゲーム的な能力は手持ちスロットのみだが、それも課金での拡張枠は適用されない。なので零世界に一度に持っていけるのは最大十五スロット分のみ。
「向こうに置きっぱにできるみたいだし、拠点は早めに用意しといたほうがよさそうだね」
ちなみにこれは零世界にアイテムや装備を持ち込めるようにするため苦労してなんとか形にしたもので、そのせいで外部の人間を呼び寄せる回数を減らす羽目にもなった。是非とも有効活用してほしい──と切実に記載されていた。
よほど使ってほしいらしく、向こうの現地民たちの前で使ったときの言い訳まで用意してあるようだ。
「アイテムスロットは向こうでは〝神の恵み箱〟と言えば、何を取り出しても納得してもらえる? なにそれ?
前任者たちがそう言えば通じるように仲間や子孫たちに語り継がせた……は? 子孫?」
なにを言ってるんだ? と気になったので、今読んでいるところを飛ばして他に前任者について書かれたところはないか探していくと、彼ら彼女らについて記載されている部分を見つけた。
最初の前任者は、まだBMOのベータテストどころか、その製作の発表すら公にされていない頃に、新作ゲームのデバッグ兼テストプレイヤーとして選ばれた最初期メンバーの内の一人だった。
栄えある外部協力者第一号となった彼もゲームを通して異世界へと赴き、当時人類を苦しめていたモンスターの討伐を目標に頑張ったそうだ。
当然、彼もモドキ種だったようだが、そちらは色葉と違い既に用意されていた状態だったので何の苦労もなく進化できる状態として。
また時代的には、色葉が行くことになる時代の三百年ほど前のことらしい。
「三百年前? それぞれ送り出した時間軸も違うってことなんだ」
他の前任者たちも最初の人物と似たり寄ったりな状況で協力者となり、中にはモンスター討伐系以外の目的を与えられていた者もいたとのこと。
また達成できずに零世界の体が死んでしまった前任者もいたのだそう。
当然その人物は望みを叶えてもらうことはできず、ただゲームのテストプレイをしていたという記憶だけが残ったようだ。
そして一番直近からは色葉も参加していたベータテスト時代に、モドキ種で遊んでいたプレイヤーに頼んだ。
その彼は見事提示した目標を達成し望みを叶え、普通のBMOプレイヤーとして現在はゲームを楽しんでいる。
そのときにあった全ての出来事を、ゲームの中の出来事だと認識しながら。
そんな彼が〝零世界〟にいった時代は、色葉が行くことになる時代より二十年程前。
彼の場合は死んだのではなく目標を達成した後もしばらく零世界で暮らし、自分の意思でドロップアウトしてその世界から離れたようだ。
「そして私は最後の協力者として、これまでの総決算をしろ──ということなんだろうなぁ」
そう。だからこそ小太郎は、これまでにないほどに苛烈で厳しい選出方法にこだわった。
これまで繋いできたバトンを受け取ると思うと重たくも感じるが、小太郎の話を信じるのなら目標を達成した前任者たちはEW社という大きなバックアップの下で望みを叶えている。
しかも誰もがゲームでの出来事だったと認識している。
ならば色葉が失敗しようが成功しようが、彼らはなんとも思わないだろう。
「これがどこまで本当なのか自体まだ分かんないけど、私は私の進化のために頑張ればいいだけだ。気にしすぎないでいこう。
他になにか注意しとくこととかあるかな~」
前任者たちのことは考えないようにして、飛ばしていたところまで戻って目を通していく。
「BMOにある職業やスキルという概念も異世界には存在しない……か。
スキルは全てマニュアルでできるようにしておかないと、なんにもできなくなるってことね。
あとは職業による特性もなくなるけど、純粋な技術力で攻撃力を増したりMPの割合を減らしたりできるから、上手くやれば全ての職業を兼業した状態にすることもできると。これは難しそうかも?
他には零世界からBMOに帰るときの時間調整の方法?
あー他の人から見て、行ってすぐ帰ってくるのもおかしいからかな?
けどこれがただの設定でゲームの出来事だったとしたら、いったいどんだけ時間の倍速いじってるんだろ、零世界ってとこは。大丈夫なのかなぁ」
葵たちが言うには色葉が試練を受け、小太郎と話し、進化して帰ってくるまでのBMO内の経過時間は体感一~二分だった。
あれが異世界などではなく、BMOとは別に作られた仮想世界ならば相当の倍速で時間を加速していたことになる。
けれどこれによれば、自分である程度の零世界からBMOへの帰還時間を調整できるらしい。
「まあ、ここは臨機応変にってことで。んで次は~」
他にも細々とした注意事項などが記載されており、色葉は自然と寝てしまうまでずっとそれを読み続けたのであった。




