普通にワンダーランド① 〜ニャンDKに住むトラオのどこかおかしい東京生活〜
最初の一歩は物件探し
東京で一人暮らし。それは地方に住む人からすると夢いっぱいの憧れの生活。気分は素敵な冒険者。
最初のステップはドラマのように格好よくイケている生活する自分の姿の妄想。
その妄想を散々膨らませ、それがハジけ我にかえったところでようやく一人暮らしの本格的準備は始まる。
親から自立しての生活とはいえ、仕送りという補助輪付き。しかもその補助輪が立派でもないとなると予算というかなり現実的でシビアな問題にいきなりぶち当たる。
今の日本は人間がただ何もしないで生きているだけでもお金がかかる。
食費は一日千円と計算しても一月で三万円。光熱費と通信費は一月で約一万六千円。その他の経費を計算したら親の仕送りの大半が消えてしまう。
私立に進学することで、すでに高い入学費と授業料を払ってもらっただけにそれ以上の甘えは許されない。
残りは俺の貯金とバイト料でなんとかするしかない。
大学に通いながら無理をしない範囲でバイトで稼げる金額を計算し、一ヶ月で使える予算を算出。
結果、導き出された家賃の額は最高でも五万五千円。
次にそんな家賃物件でも必要不可欠な条件を考える。
家賃は五万五千円以下。
交通費を抑えるために大学からできるかぎり近いこと
風呂かシャワーがあること。
求める条件はこの三点のみ。そんなに多くを求めていないと思うのだがネットで探すのはかなり難しい。
大学が多いこともあり学生向け物件が多いものの、逆に借り手も多い。ネットで見つけた良さげな物件は連絡したら、すでに成約済みとなっており焦りも募る。
ネットでの物件探しにも限界があった。価格の条件はあっているものの表示されている情報がシンプルすぎてどういう物件なのかが全く見えてこない。それで決めてしまうにはどうしても不安が残る。
俺は夜行バスを使い現地に赴き探すことにした。正直言うと実際に現地で物件を見るというのは、かなり重要な事。見えてくる情報量が全く違う。
地図だけでは感じられない町の雰囲気。
ネットのデータでは見えない物件そのものの空気。そしてプロである不動産屋の担当者から直で与えられる情報。
それらは行かないと得られないものだった。
迎えてくれた担当者が頼もしかったこともある。
メールで連絡し要望を伝えていたこともあり、紹介できる複数の物件の情報を用意して待っていてくれた。
そしてそれぞれの物件の良いところだけでなく悪い部分を合わせて説明してくる。
疑問に思ったことを聞いても何でも答えてくれた。その対応にも感動すら覚えた。
良いことだけ言って売れば良いのにとも思い、何故そんな悪い部分も話してくれるのか? と聞いたら。
「物件探しは、理想と現実の妥協点を求めるものなんです。
どんな人にとっても完璧に要望にあう物件というものはないという。
その為その物件のメリットとデメリットをあえて伝えてることで妥協のお手伝いをするのが私の仕事なので。
それにね、ここで信頼を得ておくと、お客様がより条件の良い部屋に移りたくなった時にまたウチを利用してもらおうという下心もありましてね」
そう言って担当者は晴れやかな良い顔で笑った。
用意してくれていたものは、築年数の古いリノベーション物件。
建物自体は古いが中は綺麗にリフォームしてあり、設備も今時になっているものだった。
昭和レトロというのが今、女子の間では流行している。
玄関にモダンなタイルが敷かれていたり、窓に和風なステンドグラスがついたものとか、洗面台も陶器の水うけがついていたりとお洒落な物件が多かった。
中にはハンモックがついているというものまである。
家具や家電も備え付けというものもあり、それにはかなり惹かれるものはあった。
しかし良いなと思ったところは大学から少し遠かったり、家賃もそれなりだったり。
もしくはその二つのデメリットが重なったりしていた。そうなると俺には少し難しい。
物件というのは駅から遠いなどの立地の条件が悪いところほど設備などが充実した物件が多く、立地条件の良い所はそこまで力入れなくても人ははいるので普通な設備なところが多い事も見えてくる。
これが妥協点を見出す要素ということだろう。場所の利便性をとるか、住まいの利便性を取るか? 悩ましい問題である。
内見が数軒目を超えたあたりに担当者は少し申し訳なさそうに声をかけてくる。
「あのですね、実は女性向けを意識して用意していました。繁華街から離れて治安も良くて、それなりにセキュリティもしっかりしたものという感じで。
夏梅さんと綺麗なお名前でしたし……」
確かに俺の名前はメールでは性別が分かりにくかったのだろう。どおりでお洒落で綺麗で二階以上の部屋ばかりだったはずである。
「そこで特別に紹介したい物件があります!
物騒なところにあるとか、セキュリティに問題があるとかいうわけではないですよ!
ただ女性はあまり好まない感じなのですが、乕尾さんには良いのではないかと」
そう言って紹介されたのが木造二階建てのアパートの壽樂荘だった。
家賃は四万五千円という格安。
いきなりの内見だというのに大家さんが出迎えてくれた。
「お婆ちゃん、近くまで来たから遊びにきたよ!」
というノリで話しかけたくなるくらい、優しそうなご年配女性の大家さん。
担当者も孫のような感じで大家さんと挨拶し世間話を楽しんでいる。
こちらもリノベーション物件で。
しかし【昭和レトロ】というより【The昭和!】という感じの建物。
紹介される部屋は一階で和式トイレで、今どきな設備は無いので確かに女性は好まないかもしれない。
正方形の土地に長方形の建物が道に対して直角に建てられていて、残った半分は庭。
そこには紫陽花や椿といった木が植えられている。その隅に木造の物置がポツンと建っていた。
物置には住民共通で使う工具などがあり自由に使っても良いうという。
また前の住民が残していった家具もあるからそれも良かったら使ってくださいと言われた。
土地そのものはフェンスと門戸で道から区切られており、アパートに入るにはその門戸を開けて入る必要があった。
アパートに入る前にそういう一手間があることで泥棒は面倒なので入りにくいんですよと、自慢げに担当者は話し大家さんと「ねぇ」と微笑みあっている。
手前にある駐輪スペースを通り、前から三番目の部屋の扉が開けられた。
小さな玄関に入るといきなりぶつかるのがシャワー室の扉。
三和土から直入る構造になっている。このように唐突で不自然な構造はリノベーション物件の特徴の一つ。
脱衣所なんてあるわけもなく玄関で洋服を脱いでシャワーに入るということだろう。
シャワー室に突入せずに三和土から左に一歩行くとそこはもうダイニングキッチン。
フローリングというより板間という表現がピッタリ。
玄関側の窓に向かってステンレスのキッチンがあり、その右側の壁にはDIY感のある棚が三段程ついていた。
大家さんに曰く、前の住民がつけたもの。
リノベーションは、住民が自由にしていいものなんだろうか? 大家さんはニコニコと話しているから大丈夫なようだ。
「もしもっと棚が欲しかったら、物置にまだ材料が余っているはずだから自由につけてね。
そういうの苦手だったらタビーくんが遊びに来てくれた時とかにお願いしたら付けてもらえると思うわよ」
そんな事まで言ってくる。タビーさんとは? 聞くと前の住民だという。
もしかしてここに住むと時々前の住民が訪ねてくるということなんだろうか?
「タビーくん手先が器用なのよ。
貴方が困っていると連絡したら駆けつけて棚を設置してくれると思うから」
そう謎の言葉を大家さんは笑顔で答えてくれた。
さらに奥には六畳の和室があり窓に向かって左に押し入れと半畳のサイズの床の間がある。
その床の間には突っ張り棒が残っており、そこが掛軸などを飾るのではなくクローゼットとして活用できることを雄弁に語っている。
中は思ったよりも綺麗で、ダイニングがある分広く感じた。
大家さんによると此処は俺と同じ大学の学生が住んでいてそいつは電車など使わずに歩いて通っているという。
「ほら、此処の線路ってかなり曲がって走っているでしょ? 直にここから大学行くと若い人だと二十分よ!」
家賃が予算より安くて、交通費も浮いて、快速は止まらないにしても駅から近く、前の人が置いていった家具を使えて、共有ではあるけど洗濯機もついている。
しかも優しい大家さんがいる。
デメリットは建物が古いことと、住所書くときに建物名の漢字がやたら難しいことだけ。
俺にとってメリットしか感じない。
その日のうちに契約してその部屋は無事俺の場所となった。
この時の俺は知る由もなかった。
それまでの俺の人生にはなかったインパクト強く刺激のあるドラマがこの部屋で生まれるということを。
そして俺の日常アドベンチャーはスタートした。
乕尾夏梅
猫エッセイ【俺の部屋はニャンDK】の著者。
学生ながらYouTubeチャンネル【ねこやまもり】の企画・カメラマンも担当。
現在Joy Walkerにおいて編集者として修行中。
本人は否定しているがかなりの天然ボーイ。
このコラムは彼が言うところのありきたりで普通な世界。彼のお惚けぶりをあえて楽しもう!
こちらでニャンDKは終了です。
オマケとして乕尾くんが書いたコラムの一回目を掲載させていただきました。
その後の話はすでに読んでくださった世界となります。
因みにアレコレコラムは、
一回目 最初の一歩は物件探し
二回目 部屋は綺麗に過ごしやすく
家事の師匠としてスアさんの話
三回目 自炊といったらあの料理
カレーなる友達のシングの話
四回目 日本人だからこそ日本を学ぶ
ジローさんの日本愛の話
五回目 本当に、困った時に現れてくれる男
見事なDIY技術を見せるタビーさんの話
六回目 夢持つ大人と夢をもたない子供
未来の夢を描き準備行動する事の素晴らしさの話としてノラーマンやミケさんの話
となっています。




