第二十四話 姫君の部屋
石造りの建物というのは暗く冷え冷えとしている。
特に未だ寒いこの時期は、まるで氷に囲まれた洞窟の中を歩いているようですらあった。
「お城の中って初めて入りましたけど、今の時期でこれじゃ、冬場はもの凄く寒いんじゃないですか?」
ライカの単純な疑問にザイラックは大げさに同意する。
「全くだよな、真冬は暖炉をガンガン燃やしても部屋全体を暖められはしないんだぜ?貴族共がやたら毛皮を重宝がるのはそのせいさ」
「言っておくがうちは高級な毛皮なんぞ置いてないぞ」
「この城酷いんだぜ、まとめ買いした染めなしの生地でカーテンやらなにもかも賄ってるし、よくもまぁこんな城に王なんか迎えられたもんだ」
「あれはあっちの都合だからな。仕方ないから姫君の部屋を使ったが」
「あそこだって布地の類は使い物になるものは殆どなかったし、余計な出費が増えたでしょうに」
「何、王のご宿泊にご不便があるのは臣下として心苦しいので恥を忍んで借財をお願いしたいと言って、貴族院から纏まった額を借りられたからむしろ助かった」
「王をネタに金を引き出したんですか?」
「人聞きの悪い事を言うな。後からは王をお迎えするのに使った金を返せというのは不敬であるという話の流れになって、大方は返さなくて良いという事になったのだぞ?流石に王家の財務官は王に対する敬意には並々ならぬものがあるものだ」
ザイラックが豪快に笑った。
「そりゃまた。王の巡幸ってのは領主に散財させるのも目的の一つだってのに、気付いたらむしりとられていた財務官も気の毒に」
「忠実なる臣下が王家のご厚意を曲解してはならんぞ」
なんだか話が変な方向に流れている事に、ライカは困惑した。
「あの、それって俺たちが聞いていて良い話なんですか?」
「ああ、変な話をして悪かったな。財のある城主は廊下にも毛皮を張り巡らせたりして防寒しているらしいのだが、うちは何もしてないから寒々としているだろう。すまないな。使用人や客人に申し訳ないと思ってはいるのだが、こればっかりはさすがにどうしようもなくてな。なにしろ広すぎるのだよ」
「あ、いえ、石造りの建物は隙間風が少ないので我慢が出来ない寒さじゃないと思いますよ。それに俺、こういう雰囲気は好きです」
「ああ、家に近い感じだな」
ぼそりとサッズが同意をする。
「なるほど、故郷に勝る家は無しという所か」
そんな、たわいがないのか、重要機密なのか分からない会話をしながら歩いていると、廊下の途中に唐突に横手へと曲がる通路が現れ、領主がそちらへと導いた。
通路の壁が、そこだけ不自然に削り取られたようになっていて、他の磨かれた石壁との違いが顕著なのがはっきりと分かる。
「この通路、変な造りですね」
「うむ、ここは元々壁で塞いであったのだよ」
「そうなんですか!」
「まぁそのおかげで姫君の部屋は全く荒らされずに残っていたのだけどね。おそらく彼女の父君がやったのだろうな」
「どうしてまた、そんな事をしたんだ?」
サッズが不思議そうに尋ねた。
「彼女が亡くなった後、誰にもその場所に触れてほしくなかったのだろうな。むろん、自分自身にも」
「子供に先立たれた親がやったのか。それはまあ、おかしい事をやっても仕方ないだろうな」
「ほう、意外と情があるじゃないか」
ザイラックが混ぜっ返すように口を挟む。
しかし、サッズはそれに構わずに言葉を継いだ。
「命を繋ぐ相手を亡くすというのは生きている意味を否定されるようなものだ。少なくとも俺たちはそう考える」
「確かにそうだな。子供を犠牲にするのは未来を捨てる事だと、私も思う」
通路の先がいきなり明るくなって、彼らの会話に気を取られていたライカは思わず驚いて立ち尽くす。
「あれ?ここも城の中ですよね」
「ああ、ど真ん中だ」
そこは吹き抜けの螺旋階段になっていて、この城の素材である白い石が光の中で淡く色を浮かべて屋内とは思えない明るさの中にあった。
思わず天井を見ると、そこは光を透過する色ガラスがはめ込まれている。
「この天井、全部ガラスなんですか!」
「すごいだろう。どれだけ金を使ったのか知らんが、とんでもないものを造ったものだ」
「花を描いているんですね」
ガラス細工の職人と知り合いであるライカは、含まれる成分によってガラスに色々な色が乗る事は知っていたが、これだけ広く、いくつもの繊細な色を使って造られたガラスで描かれた絵に驚いて、また感動していた。
これをガラス細工師のホルスが見たらどれだけ驚くだろうと思う。
行儀が悪いとかいう建前が全て頭から消え去って、きょろきょろとその全体の光景を見回しながら、石造りだが全体の形状が曲線を多用していて優美に見える螺旋階段を昇っていると、領主が微笑んで手摺りの外側を指し示した。
「そこを覗いてごらん」
言われて、ライカとサッズは身を乗り出して下を覗く。
しかし高度に対する恐怖が全くない二人があまりにも勢いよく身を乗り出したので、却って大人二人の方が慌てたが、そんな事を子供たちは理解るはずもない。
「下に木があるぞ」
「あ!分かった」
ライカが声を上げる。
「ここって例の壁に囲まれた森ですね」
「そうだ、驚いたろう」
「ええ、下から見た時は吹き抜けで天井の無い場所だと思ってました。角度のせいでガラスが見えないんですね?」
「そうだ、階段がある事すら下からは分からないようになっている。外から城を見ても姫君の部屋の辺りは単なる煙突のようにしか見えないのだ。私は幸い、こういうあるはずなのに無いものを見つけ出すのが得意なので、無事発見したという訳だ」
「領主様、そういう特技があったんですか。だからあの塀も……っと」
城を囲む塀の穴の事を口に出し掛けて、ライカは慌てて止めた。
この場には警備隊の班長がいるのである。
さすがに、まずいだろうと思えたのだ。
「む?塀?」
その警備隊のやや不真面目な班長、ザイラックは眉を上げてライカに何かを問うような目付きをして見せたが、サッズがすかさず間に入って牽制したので苦笑して追及を止める。
さほど長くない階段を昇り切ると、大きなガラスの天窓からの光を浴びた白い廊下に色々な絵が石のタイルで描かれているのが目に入った。
それは、幻想的な古代の生き物を描いた物で、天馬や一角、天獅子、そしてそれらの上に君臨するかのように竜が描かれている。
伝説の中のそれらは恐ろしげな存在として語られているはずなのだが、これを描いた、または描かせた者には独特の見解があったのか、それらは皆、神々しいばかりに装飾されて描かれていた。
「へぇ」
サッズが一言だけそう呟いたが、具体的な感想を述べる事はしない。
「さて、ここが姫君の部屋だ」
領主は恭しく扉をノックすると、服の隠しから鍵を取り出し、扉の鍵穴に差し込んだ。
扉は、意外な程に音もなく開く。
「さて、どうぞ、姫君のお心を騒がせないように静かにな」
「主殿、彼等をここへ入れるのですか?」
ザイラックがぎょっとしたように言った。
彼は当然自分を含むライカやサッズを扉の外に残して、領主が品物だけを持って来ると思っていたのだろう。
「何か問題でも?」
「この部屋は王を泊めた部屋でしょう?平民を入れて咎められはしませんか?」
「そんな事を言ったら、毎日掃除をしてくれている使用人達も平民だぞ?それを禁じると大変な事になるな」
「う、む、まぁその調子ではぐらかすんでしょうから、心配する事もないでしょうね」
「それはまた、高い評価で痛み入る」
二人のそんなやりとりを他所に、少年達は遠慮など思いも付かずに部屋へと足を踏み入れた。
その、広さもだが、彼等の目は何よりその一面に描かれた物語風の絵画に惹き付けられる。
「凄い!」
「驚いたな」
「美しいだろう。この城の主人、姫君の為に父親がその全てを掛けて作った喜びの野への入り口だ」
ライカは領主の言葉に不思議な思いを抱いた。
色々な書物を読んだライカはその言葉を何度かその中で見た事がある。
喜びの野というのはこの大陸の大多数の者の間で伝わっている死後の世界の名前だったのだ。




