第十九話 兵士の鬱屈
彼は城門前からこの狭い街を一瞥した。
この地に派遣されてから既に三年が経過して、ある程度ここの風土にも慣れはしたが、いかにも僻地らしい田舎くさいこの土地を彼は好きになれずにいる。
「大体、ここに寄越された者はもはや栄達の望めぬ者だ。下位貴族の庶子や家のやっかい者ばかり。英雄の領地への派遣という名誉で綺麗に飾ってはいるが、所詮は元流民の成り上がりの領主の下。これで腐るなという方が難しいとは思わないか?」
「おまえの愚痴は食事時に聞いてやる。今は役目に集中しろ。隊長に見つかったらどうなると思ってるんだ?」
「安心しろ、今日は隊長は別部隊の鍛錬の検分でこっちには夕方まで戻っておいでにはなるまい」
「ああ、だから貴様今日は緊張感がないんだな」
「なんとでも言うがいい、たまには不満の一つぐらい言って吐き出さないとやってられない気分になるだろうが」
「お?おい、誰か来るぞ」
祭の後という事もあって、出入りの殆どなかった城門前に近付く者がいた。
少年が二人。
一人は彼らも何度か見掛けた事のある相手だ。
この辺りではあまり見ない顔立ちだが、元々多彩な民族が入り混じっているこの街ではそう浮く事もない。
ただ、金に近い濃い色の髪と同じ色合いの目が印象的で目立つ少年だ。
彼らは同僚の噂話でこの少年が酒癖と口の悪い木工師の孫だと聞いていた。
しかし、問題はもう一人の方だ。
その姿を目にした途端、二人は思わず息を飲んでいた。
彼らは末端と言えど貴族であり、それなりにある貴族同士の付き合いの中で、見目よい貴族の血を凝縮たような美しい容姿の者を目にした事もある。
実際、ここに飛ばされて来ている兵士の中にも幾人か容姿の優れた者がいた。
だが、その少年はそんな見慣れた美という形容など意味を成さない程圧倒的な存在感を持っていた。
硬質な銀の髪に夜を閉じこめたような藍の瞳、すらりとした体付きは筋肉質には見えないのに、どこか力強さを感じさせる。
その部分部分が結実した結果、言葉での形容を超越した存在として少年はそこに在った。
美しいというより、非現実的な完璧さだ。
城門の歩哨をしている二人の兵士はひそひそと囁き合った。
「最近流行りの上位貴族の跡継ぎの成人前のおしのびの旅ってやつか?」
「いや、あの顔立ちはこの国の貴族じゃないぞ、だからといってどことも分からないが」
二人がそんなやりとりをしている間に、その少年達は近付いて来る。
どうやら城に来るのだと悟って、門番である二人はその意識を私人のものから兵士のものに切り替えた。
「こんにちは」
にこやかに挨拶をして来たのは馴染みの少年の方だ。
彼はよく城へと出入りしており、彼等もその名前を覚えていた。
「何用だ?本日は治療所も緊急の用件以外は受け付けぬ。重要な用件がないなら明日にでも出直して来るがいい」
「あ、はい。実は領主様に用事があって来たのですけど、お取次ぎ願えないでしょうか?」
「御領主に取り次げだと?御領主はお忙しい身、お前達のように思い立ったからといってすぐに動き回れるような仕事はなさっておらん。事前に申し込みをして日と刻が決まってから面会をしていただくのが礼儀というものだぞ。平民のお前達は気楽で羨ましいものだ」
「そうなんですか、それは困りましたね」
少年、ライカはちらりと傍らの少年を見る。
門番達も何となくもう一人の少年の挙動を窺うように注目した。
「ここへ行って領主に会えと言われたんだ。こいつらはその領主とやらじゃないんだろう?気にせずに通ればいいじゃないか」
あまりにも傲慢な言いぐさに、門を守る二人も怒る以前に絶句してしまう。
同時に、先ほどの懸念が頭を過ぎり、この少年はかなり身分が高い者ではないか?とも考えていた。
なにしろ身分の高い者程傲慢である事に慣れていて、それが許される立場でもある。
当然のように彼等を見下すその態度は、身分社会に生きる彼等にとって脅威や萎縮を促すものでもあるのだ。
「サック、そういう言い方は駄目だよ。この人達も仕事でお城の出入りを見張ってないといけないんだ。悪い人が入り込むのを防ぐのが仕事なんだよ」
「俺は悪い人じゃないから妨げられる理由がない」
二人の言い合いに門番達は強烈な違和感を感じる。
平民の少年が高位貴族か王族に見える少年を叱り飛ばしているのだ。
兵士達はこの二人の関係を理解出来ずに混乱に陥った。
「と、とにかく、その用件を先に伺おうか?」
右側の、先ほど不満を洩らしていた方の兵士が妥協案とも取れる提案を持ち掛けた。
もし、この少年が身分の高い賓客なら追い返せば自分の身が危うい。
詳細を聞けばある程度の判断は出来ると考えたのだ。
「ああ」
その場の支配者となっている銀の髪の少年は、いかにも面倒な様子を見せながら頷く。
「これを食事に変えられるのがここの領主だけだと聞いたんだ」
その手には銀の装身具らしきものが握られていた。
彼等はそれを受け取って、驚きに身を強張らせる事となる。
「これはまた、こんな繊細な細工物を見た事がないぞ」
「こんな銀細工、王族かそれに匹敵する貴族ででもない限り持てる訳がない」
「やはり、そうなのか?」
ひそひそと囁き合う二人を、少年達が(正確にはライカが)困惑したように見詰めていた。
その内一人が、ふと更に声を潜めて呟く。
「あのお坊ちゃん、さっきこれを食事に換えたいと言っていたな」
ニヤリと笑いが浮かんだ。
「どうせ価値など分からずに屋敷から持ち出して来たに違いない。適当な金額を握らせてやれば満足するのではないか?」
「え?おい、まさか」
「御領主は御多忙なお方だ。こんな些細な事で煩わせてはならんからな」
僻地にうんざりとしていた兵士がついその鬱屈から一線を越えようとした時、
「おいおい、その辺にしておきな」
突然、何の気配もなしに、その場の誰とも違う声が彼等の会話に割り込んで来た。
兵士二人は心底驚いて、思わず小さく悲鳴を上げる。
「何だ?真昼間からお化けでも見たような面してさ」
「ラオタ殿!」
「あうっ、銀月の騎士」
「おいおい、変な渾名を付けるなよ。俺の名はザイラックだ、それと家名を名乗ると命が危ないんで、家名で呼ぶのも勘弁してくれよ」
二人の兵は舌が口のどこかに貼り付いたかのように言葉を無くして口を開いては閉じる。
「仮にも名誉ある王の兵士が、お子様相手に騙すような真似をしたりしないよな?さっきは冗談を言ってただけだろう?」
「も、もちろんです!」
「当然です!」
「そうか。だが、暇だからって子供をからかっちゃいかんな。隊長様に知られたらお怒りのあまり剣の力加減を間違えるかもしれんぞ」
「はい!申し訳ありませんでした!」
「肝に命じます!」
「そんなにかしこまるなよ。俺はお前達の上司じゃないぜ?同じ職場で働く者として助言をしてやっただけさ。まぁちょっと余計な口出ししちまったって照れてる所なんだけどな」
彼、警備隊の風の班の班長、ザイラックは、相対する者の体温を急激に下げる種類の笑いを浮かべると、流れるような動作で見事な礼をして見せた。
二人の兵士は傍目からも分かるぐらいにがたがたと震え、今にも足元が崩れそうだったが、必死で返礼をする。
「それじゃ、まぁ、この坊や達とそれは俺が預かってもいいかな?」
ザイラックの両の目がすっと細められた。
「職分を侵すようで申し訳ないが」
「いえ!是非、お願いいたします」
「よろしくお願いします」
「と、いう事なんで、二人共、俺が領主様んとこ案内してやるから付いて来いや」
ザイラックは真っ青になって固まっている門番から少年達に視線を移すと、取り上げた首飾りを手に、彼等に手招きをする。
「あ、はい」
戸惑いながらも返事を返したライカと違い、その隣の少年はまるで敵の隙でも窺うような掴み難い表情でザイラックを眺めていた。
「サック!失礼だよ」
「なんだよ」
「挨拶もしてないのにじろじろ見て、失礼だろ」
「ああ、何?名乗るの?俺あれ苦手で嫌いだ。いいじゃないか、いきなり争いになったってさ、物事には成り行きってもんがあるさ」
「いや、ほら、挨拶だよ!俺、教えたよね?笑顔!」
「ああ、そっか」
「サッズ」
ライカの声に力が篭り、その顔からひんやりと笑みが消える。
「分かった。分かったから。何でそんな細かい事でいちいち怒るんだ、お前は」
「別に怒りたい訳じゃないんだよ」
「分かりました」
ザイラックの視線の先でそのやたらと鮮やかな少年は、ため息ついでにと言った感じで向き直ると、にこりと笑って見せた。
「よろしくな」
恐ろしい程に整っているその顔立ちで笑うと、雨上がりに虹を見たとか、その季節最初の花が開いているのを見つけたとかいうのと同じようになぜか得をしたような気分になるから不思議だと、ザイラックは思い。
同時に、この少年の名前はサックなのかサッズなのかと少しだけ頭の中で考えたのだった。




