第十七話 謝罪と噂
現在の状況についてライカは色々と考えてみたのだが、結論として、新顔だから、という理由以外には思い至らず、もはや仕方ない事と割り切る事にした。
「でもさ、俺の時はこんな事はなかったと思うんだよね」
それでも何か納得出来ないものを感じてぼやく。
「あーくそ、意識を開放してるとイライラしてくるから暫く意識を閉じるからな」
「ちょ、サッズ、一人だけずるいぞ」
「ずるいも何もないだろ、お前はそもそも俺みたいには感じないんだからいいじゃないか」
そう言われてしまえば確かにその言葉は正しいので反論出来ない。
しかし、ライカとしてもこの居たたまれなさは良い気分ではなかった。
現在彼らに何が起きているかと言うと、ライカがサッズと連れ立ってミリアムの店に向かっていたら、通り掛かる人々が悉く二人を驚いたように見るのである。
サッズは前夜のいかにも異国風の目立つ衣装はやめて、ちゃんとライカの服を着せて目立たなくなっているはずであったし、それでもあえて注目を集めるのはサッズがこの街で見ない顔だからだと、納得はしたライカではあったのだが、だからといって周り全ての人にジロジロ見られるのはやはり気持ちの悪い事だった。
しかも、下手に気配に敏感な分、その視線を実際の圧力のように感じて気分が重い。
思い返してもライカがこの街に来たばかりの頃はこんな感じではなかった。
せいぜいちらりと見るぐらいで、あからさまに視線と意識を向け続ける人間などいなかったのである。
「なんかサッズ、竜っぽいんじゃないか?」
「なんだ、竜っぽいって、俺は今も昔も竜だぞ」
「いや、そうなんだけど。あ、そうだ!それだよ、その踏ん反り返った感じが通り掛かる人にも分かるから反感を生んでるじゃないか?」
「あ?俺がいつ踏ん反り返ったよ?情けなくもお前の言いなりにはいはい言う事を聞く年長者の鏡のような行いをしてるだろう?」
「見るからに態度がでかいだろ」
「そんな風に思うのはお前だけだね」
結局の所、注視されるばかりで話し掛けられる事はなかったので、二人は自分達の意識をその煩わしい視線から逸らす為に、わざとたわいない事を話しながらミリアムの店に辿り着いた。
時刻はもはやとうてい朝とは言えない一日の内で一番日が高くなる頃である。
当然食堂であるミリアムの店、バクサーの一枝亭は既に営業していた。
祭りの翌日は毎年客が少ないし、若い子は祭りではしゃぎすぎて疲れているだろうからと、この日ライカはお休みにしてもらっていたので、こうやってのんびり客として来ているのだ。
開店の印に戸口が仕切りなく開いている店の入り口を見ながら、ライカは大きく深呼吸する。
ミリアムの反応が予測出来ないのがちょっと怖いというのが今のライカの心境だ。
「こんにちは」
ライカは覚悟を決めたはずなのに、それでもなんとなくびくつきながら店に入り、ミリアムの姿を探す。
事前に聞いていた通り店には客が見当たらず、がらんとした店のテーブルをミリアムが拭き布で磨いていた。
ふと、声に導かれるように顔を上げた彼女は、そこにライカを見出して、きゅっと眦を吊り上げる。
「ライカ!あなた昨日!」
「うわぁ、ごめんなさい」
すかさずライカは挺身礼という、体を地面に投げ出す最高礼でもってミリアムに謝った。
はっきり言ってこの礼は地面に顔がこすれて痛いのだが、だからこその最高礼である。
「もう、そんな大げさな事して、そんな事よりちゃんと説明しなさい!」
なにやら尚更怒らせたような感じがする。
ライカは慌てて起き上がると服に付いた土を払うのもそこそこにミリアムに借りていた衣装を差し出した。
「ミリアム、これ、ありがとう」
包み布に包まれたそれを一瞥して、ミリアムは手を振ってみせる。
「それはあげたの。持って帰って」
全く取り付く島もない物言いに、ライカは真っ青になった。
「あの、やっぱり怒ってるよね?」
「そりゃあ怒ってるわよ。約束を守って貰えない事はもの凄く嫌な事なのよ。分かるでしょう?でもね、私だって耳も頭もあるんだから、何も弁明を聞かないって事はないの。大げさに謝るより、理由を説明して頂戴」
「うん」
ミリアムの言う事は尤もで、単に忘れていたライカとしては益々緊張してしまう。
(正直に言ったら怒るだろうし、嘘を言ったらもっと怒るだろうな)
どちらにしろ怒られるなら正直に言うべきだ。
祖父も言っていたではないか、女の子を相手にする時は絶対にごまかそうとしてはならない、と。
「ミリアム、実は、」
「ちょっと待って、そちらはどなた?」
ふと、厳しい表情だったミリアムの視線が流れ、訝しげなものに変わる。
その視線の先にはサッズがいた。
彼はライカの様子を興味深そうに眺めていて、それ以外の物には全く意識を向けずに茫と佇んでる。
「あ、これはサ、サックっていうんだ。小さい頃から一緒だった、じいちゃんとは違うけど俺の家族だよ」
「家族って全然似てないわよ」
「うん、血は繋がってないけどずっと一緒に育ったから」
「ああ、家族同然って事ね。……あー!」
急にミリアムが大きな声を上げて、ライカはびくりと体を引いた。
「昨日の噂の!」
「ええ?何の噂?」
ミリアムは一人何事か納得すると、そのままずいっとサッズに近付く。
「こんにちは、ミリアムと言います」
言葉を掛けられて、そこで初めて彼女が生きている事に気付いたとでも言うように、サッズは改めてミリアムを見た。
その目には僅かに興味を浮かべている。
「ええっと、なんだったかな、混沌の末とかなんとか、ああ、面倒くさい。続柄の話は良いよな?ライカの兄だ、よろしく」
(サッズ!笑顔!)
ライカは密かにそう指示を送ったが、それを受け取る感覚を先ほどの道中で閉じてしまっていたため、残念ながら相手には届かなかった。
ライカの心声が届かなかったサッズは、にこりともせずにミリアムの顔をじっと見る。
そして、顔をぐっと近付けた。
(う!)
目の下を擦り合せる竜式の挨拶をする気だと気付いたライカは、素早く足を引っ掛ける。
本来四本足の生き物であるサッズは、つい、自分が今二本足で立っている事を忘れていつもの感覚でバランスを取ろうとしてしまい、堪らずテーブルの下に突っ込んだ。
「ライカぁ」
「ここは向こうとは習慣が違うんだから、あっち式の挨拶は失礼だよ」
「あっち式って?」
一連の流れを呆然と見ていたミリアムが問い返す。
「ちょっと暑苦しい感じ」
「そうなんだ、なるほど、だからね」
「え?」
思いもよらないミリアムの反応に、ライカは首を傾げた。
「そういえば、昨日の噂とか」
「ええ、昨日広場で激しいラブシーンを繰り広げたカップルがいて、それがまた夢みたいに綺麗な人達だったって噂でみんな盛り上がってたの」
「へえ」
「へえ、じゃないわ、それってきっと貴方達の事よ」
「え?だって俺らカップルじゃないよ、男同士だし」
「ライカはあの衣装着てたんでしょう?」
「あ、そうか、って、ええっ?」
「やったんでしょう?その暑苦しい挨拶とやらを」
「やったけど」
ライカは昨日の出会いを思い出す。
確かに竜式の挨拶をした。
そういえば彼等の周りに人がかなりいたような覚えもある。
しかも彼等の衣装はどっちもそれなりに派手なものだった。
「きっと精霊のカップルが祭りに誘われてやってきたんだって、みんなで盛り上がったのよ」
クスクスと、ミリアムが笑う。
「うわぁ」
賑やかな二人に、サッズはさっぱり理解出来ないという顔を向けて肩を竦めた。
「あ~、サッ…ク、一人で関係ない顔してないで、教えただろ、こっち風の挨拶」
言われて、サッズは「ああ」と呟いて、ミリアムの目を正面から覗き込むと口元に笑みを浮かべる。
「改めまして、よろしく」
それはどこか皮肉気な、あまり暖かなものとは言えない笑顔と挨拶だったが、ミリアムは不意打ちを食らったように赤くなった。
改めて見るまでもなく、その少年は目前に存在するにも関わらず、まるで硬質の青い宝石が人の姿になったような、人が脳裏に思い浮かべる精霊の姿そのもののように人を魅了する容姿なのである。
まだ人生の半ばにも達していない少女にはあまりにも刺激の強い相手ではあった。
だが、彼女とて接客業のプロである。
その意地で自らを立て直したミリアムは、にこりと微笑んでその挨拶を受けた。
「こちらこそ、ライカは大事な仕事仲間でもあるし友人でもあるの。その家族同然の相手なら心から歓迎するわ」
ライカは二人のそんな様子にほっとしながらも、今後こんな気苦労をまだまだしなければならないと思うだけでぐったりと体から力が抜けるのを感じた。
「領主様、希望や望みってどうやって持つものでしたっけ?」
領主の言った暗い予感を打ち消す方法を思い浮かべながら、ライカは机に寄り掛かって口の中でぼそりと零す。
その時ふと、サッズからライカが炊き込めてやった少し尖ってはいるが気持ちがすっとする香りが漂い来た。
その空気を澄ませるような香りに、ぐったりとしていたライカの口元が微かに微笑を刻む。
気苦労も手間も、相手がいるからこそのものだ。
一人で苦労するよりは二人で苦労する方が気が楽だし家族は多い方が良い。
竜は孤独な生き物だが、竜ではないライカは、孤独が苦手だ。
(まあいいか)
ライカはそっと手の中の包みを見る。
ミリアムが彼にくれると言った人の希望が詰まった衣装がそこにあった。
ライカはそれを大事に抱え直すと、人間の少女であるミリアムにやや興味を引かれている様子のサッズに苦笑を零し、先の事はあまり心配しない事にしようと決めた。
しかし、そう考えた先から、ライカはまだミリアムに対して約束破りの説明が終わってない事に思い至って、サッズが下手を打ってミリアムの機嫌をまた損ねたりしないようにと祈るような気持ちで二人のやりとりを見守ったのだった。




