第一話 お祭りの前
街は今までの凍えたような静けさから一転して賑やかになった。
井戸に水が戻ったのが確認され、精霊祭の日取りが決まったからである。
「精霊祭ってどういう事をするの?」
ライカがそう祖父に尋ねた所、「祭りじゃ」の一言で終わってしまった説明に具体的な所が全く分からないまま、慌しい、しかし、どこか楽しげな人々の喧騒の波に共に乗る事が出来ずに、ライカは戸惑いに意識を占拠されたままでいた。
「どういうってお祭りよ、賑やかなのよ!」
ミリアムに聞いても、やはり返ってきた答えは似たようなもので、そもそもその祭り自体がよく分からないライカとしては困惑するしかない。
「お祭りって?」
重ねて聞いたライカに、ミリアムは目を丸くした。
「お祭り、分からないんだ?」
「うん」
こくりと頷く。
「そうね、つまり、この大地とその上で暮らす私達を守っている精霊と神様を称えて、今年も健やかな年になりますようにってお願いするの」
「精霊?神様?精霊にはみんな時々お祈りしてるよね?神様って、確かラクサーでしょ?ラクサーは世界の元の卵を産んだらまた混沌の世界へ旅立ったって本に書いてあったけど、もういないのにお願いして何か意味があるの?」
今度は心底びっくりしたようにミリアムはライカをまじまじと見た。
「そりゃあ何かあったら精霊様に祈るけど、そういうのとお祭りの時のお祈りとは全然違うのよ。そうねお祭りの時は神様をお祝いするみたいな感じなの。おかげで私たちが幸せですって感謝するのよ。それに私達がお祭りするのはこの地を守護する精霊や神様だから、そんな始原の神様とかは関係ないの。ライカって時々、賢いんだかなんだかよく分からない事があるわね」
言われてライカは小さく唸る。
「その神様や精霊ってどうやって分かるの?見えるの?」
「まさか。ただ、精霊祭の時には人間の所に遊びに来るって言われてるわ。だからこのお祭りではみんな仮面を付けるのよ」
「仮面?」
「そうそう、今日来てもらったのもその事なのよ」
「仮面の?」
「お祭りの時の衣装よ」
ミリアムはにこにこと笑うと、ちょっと声を潜めた。
「実はお願いを聞いて欲しいの」
「ふーん」
そう言われてもピンと来ないライカは、ミリアムに招かれるままに着いて行く。
二人は、店の裏側にある住居用の階段を昇り、住居部分の一番手前の部屋の扉を開いた。
「どう?進んでる?」
部屋の中にはミリアムの友人の二人の少女が先に居た。
なぜか彼女らは下着姿で、散らばった布やら服やらをひねり回している。
水遊びなどではハダカでもお互い気にしないような風土だが、普段は礼儀的にも身だしなみを整えるのが当たり前だ。
特に適齢期の女性は本人が良くても家族が煩いものである。
さすがにライカは唖然としてその賑やかで不自然な光景を眺めた。
「うん、大体予定通り間に合いそう」
「あ、こんにちは、ライカちゃん」
「こんにちは、ライカ」
「え、あ、こんにちは」
入り口でまごまごしてるライカをミリアムが無理やり引き摺り込むと、扉を閉めてしまう。
「これって何事?」
当然の疑問をライカは発した。
「お祭りの衣装の直しをしているのよ。もう今度の銀月の日がお祭りでしょう?」
銀月の日というのは、月が世界を庇って付いたという傷が銀色に浮かび上がる夜となる日の事である。
この精霊祭は、井戸に水が戻って最初の銀月の日に行われるのだ。
「衣装って?お祭りには特別な服が要るの?」
そんな話は祖父から全く聞いておらず、ライカは困惑する。
「そうよ、さっきも言ったでしょう。お祭りの夜には人の中に精霊が紛れ込んで一緒にそれを楽しんで行くって言い伝えがあるの。それを暴かないように、街の人はいつもと違う服装で顔を半分隠す仮面を被るのよ」
「そうなんだ」
ライカは再び唸った。
生地を買い、仕立ててもらったりすればかなりの食費が飛んでしまう。
いっその事祭りの日は家に篭っていた方がいいのではないか?とさえ考えてしまったのも仕方がないだろう。
「それで、ライカにお願いなんだけど、着て欲しい衣装があるのよ」
「えっ?」
ミリアムは部屋の奥へと進むと重そうな木製の被せ式の物入れの蓋を開け、そこからなにやら鮮やかな布を取り出す。
体型が丸分かりの薄い下着一枚で作業する少女達の合間を緊張しながら抜け、ライカもそれを覗き込んだ。
「これはね、戦が終わってこれから沢山楽しい思い出を作ろうねって母さんが作ってくれたお祭りの衣装なの。でも、その時の領主様が祭りを許してくれなくて、結局着られなかったんだ。今のライカなら丁度いいんじゃないかと思い立ったらどうしても着てもらいたくなっちゃって」
ミリアムが感慨深そうにその衣装をぎゅっと抱きしめる。
そして内着、上衣、スカート、上掛けエプロン、単衣のベストを次々とライカに当てた。
「やっぱり!ちょっと肩の所を直せばぴったりよ」
「あの、ちょっと確認したいんですが」
「え?何?」
「これって女の子の服ですよね」
「もちろんよ」
「俺が着るんですか?」
「そう」
その邪気のないやりとりに、ライカは何か激しい脱力感を感じて肩を落とす。
(昔は別に女の子の服も平気だったし、むしろ柔らかくて好きだったんだけど。なんか、凄く、今となっては嫌なんだけど)
人間など他にいない世界で、服などじゃまでしかなかった頃とは違い、ライカにもそれなりの人間の男としての意識が育っていた。
しかしそれを目前で目を輝かせている少女に言う事も出来ず、自分でも理由ははっきりしないもやもやを抱えたまま、なんだか泣きそうな気分でライカは胸中でそう呟く。
周囲にいる少女達は、皆が皆ニコニコと楽しそうで、ライカは自分の気持ちの方がもしかしたら間違っているのだろうか?と不安に苛まれるのだった。




