第六十三話 救出
始めは呆然としていて自分の怪我に気付かなかった人も、周りの人間がそれぞれの役割を持って動き出すと己の状況を冷静に判断出来るようになるらしい。
ユーゼイック先生が到着し、均した地面に草を編んだ敷物を敷いただけの(場所によっては足りなかったのかまだ刈ったばかりの青い草が敷かれていた)簡易の治療所となった場所には当初思った以上のケガ人が押し寄せていた。
どうやら崖が崩れた際、その砕けた破片がかなり広範囲に飛んだ事と、咄嗟に少年達に駆け寄ろうとした兵士がいた事で崖下以外にも怪我人が出たようである。
だが、現在治療されている彼等は、一番酷いケガでも大きめの岩の破片で頭を打った程度であり、本当の重傷者はいなかった。
療法師のユーゼイックが状態を見て指示を飛ばし、助手達が指示に従って治療する。
何時の間にか出来上がっていた礫石の大きめのもので組まれた炉の上には大鍋が乗せられ、そこでは湯が沸かされていた。
人の活動以外の意味で熱気に包まれたそこは、火がある事がなにがしかの安心感に繋がっているのか、周囲に治療の済んだ怪我人が集まっている。
その一方で、竜騎士である領主の参入のおかげで落石の多くを取り除いた現場は、新たな緊張に包まれていた。
「こっちの声は聞こえるか?状況が分かるか?」
兵士の野太い呼び声に、斜めに立てかけられたテーブルのような形になっている平たい岩の下から声が返った。
「声は聞こえる。状況はあまり分かんねぇ、あんまり良く周りが見えねぇし」
聞き覚えのある声に、ライカの体も緊張する。
声の響きが擦れていて、どこか痛みによる軋みを感じさせるものである事から、決して相手が完全に無事ではない事を伝えているからだ。
その声の近くには、別の人間の声にならない引きつれた息遣いも聞こえる。
竜から降りた領主が何かを推し量るようにその声に耳を傾け、周囲に視線をめぐらせた。
「完全に岩を退かすにはまずはこのデカい岩から退かさなきゃならん。恐らくこの岩が上に降ってきた他の岩や土砂から下を守っていたんだろうが、今となっては下を退かすのに一番の障害になっている。しかし、この岩を退ければ今までこの岩で遮られていた周囲の小さな岩や土が一気に雪崩れ込む」
状況の難しさは誰もが感じていたので、彼等は領主の判断を静かに聞く。
「我らの目的は岩を退かす事ではない。下敷きになった人間を助け出す事だ。ならばここはこの岩を退かさずに持ち上げて空間を広げ、中の人間を引っ張り出そう」
周囲から呻き声のようなものが上がった。
竜騎士の力があればこのような大きな岩でも退かす事は出来るだろう。
しかし、持ち上げて固定するとなれば話は別だ。
力の加減を間違えれば結局は土砂が雪崩れ込むだろうし、一定の力で支え続けなければ救出の時間は稼げない。
敵に損害を与える攻撃などよりもずっと難しい事に違いなかった。
「アルが、我が竜が岩の崖から離れた側の端をゆっくりと持ち上げるから、お前たちはその隙間に支えを入れるのだ。なるべく平たく分厚い石を積み重ね、間に水で練った土を挟め。そうだ、野営の炉を作る要領だ。ここの石は横方向が弱い、積む方向を間違えるな。縞状になっている部分が必ず横になるように重ねるんだ。急いで準備を始めてくれ」
領主の指示に、警備隊と守備隊がそれぞれの班長、小隊長を中心に動き出す。
それを見やって、ラケルドは再度岩の下に声を掛けた。
「近くに何人いるか分かるか?」
「咄嗟に抱え込んだのが二人、もう一人埋まってたのを掘り出した」
治療を終えて現場に戻ってきていた彼等の仲間の少年に、ラケルドは確認した。
「崖崩れに巻き込まれたのは四人で間違いないか?」
「俺入れて五人で来たから、ええっと」
動転しているのか、彼は上手く伝えられないでいるようだったが、領主はそれで了承する。
「酷く状態が悪い者がいるか?」
領主は再び岩の下へと声を掛けた。
「意識が無いやつがいる。あと見えないが血で服がぐっしょりしてるのがいる。こっちは意識がしっかりしてるから本当はそう酷くはないのかもしれんがはっきりとはわからねぇ」
「そうか、良く分かった。お前がしっかりしていてくれて助かる」
「そんなおためごかしはいらねぇ!急いで仲間を助けろよ」
こんな状況でも相手に対して恭順をしない意思を示す声に、領主は少し口元を綻ばせる。
だが、次の瞬間表情を引き締めると、療法師であるユーゼイックの元へと歩み寄った。
「先生。下の者達の状況はあまり良くないようだ。止血と痛み止めをすぐ使えるように用意していてくれ、あと、これと他の兵にもマントを持って来させるから保温に使って欲しい。一人出血していてあのリーダーの子もどこかを酷く損傷しているようだ、失血者が二人以上いると思って準備しておいて欲しい」
「わかりました。毛布は準備してありますからマントはそう多くなくても大丈夫だと思います」
領主が脱いで手渡したマントを深い礼と共に受け取って、ユーゼイックは自分の準備へと戻る。
「領主様」
マントを簡易治療所へ持って行くように兵に指示を出した所で呼び掛けられたラケルドは、振り返って見知った少年を認めた。
「ライカ、さっきは助かった。感謝する」
「いえ、俺、何も出来ないですし。もうあっちにいない方が良いでしょうか?」
「ふむ、そういえばレンガ地区の子と知り合いではなかったかな?彼等とはどうなんだ?」
「あ、はい。知っています」
「なら、助かる。彼等に声を掛けていてくれないか?今の状態で意識を失うと体の機能が低下して危険になる。出来るだけ意識をはっきりしたまま救出したいのだ。ただ岩の真下は危険なので少し離れてな」
「分かりました」
ライカは言うと同時に駆け出した。
それを見ながらラケルドも走り出す。とはいえ、彼は片足が捩れているので、歩くのはともかく走るのはまっすぐには走れない。
さながら離れた足場を渡るような彼独特の走り方で自分の半身たる、翼竜のアルファルスへと寄った。
しかしラケルドは、その傾いだ体こそを益とするかのように、飛び込みざまに素早く斜めに手綱を片手に巻き込み、そのまま遅延なく乗竜する。
傭兵時代には、恐るべきバランス感覚を持ってその名を知られた彼ならではの手際だった。
ぴたりと身を伏せると、ラケルドはそのまま我が身が硬い鱗の中へと溶け込むような感覚に捉われる。
それは本来は錯覚なのだが、ラケルドの意識上では錯覚ではない。
竜騎士として、竜と人、互いの身体に埋まったその一部が共鳴をする事で、彼らは奇跡のような一体感を得るのだ。
領主であり、人であったラケルドは、その瞬間に竜騎士という異能の種としてその存在を変えるのである。
「ノウスン、大丈夫ですか?」
ライカが声を掛けるとしばし沈黙が返った。
「ノウスン?」
「なんでてめぇがここにいるんだ?」
「治療所の手伝いをしていたから」
「ったく、どこにでも首を突っ込む奴だな」
大きめの舌打ちをして、レンガ地区の少年達のリーダーであるノウスンは、汚物がどうとかという言葉を小さく吐き捨てた。
「何か汚い物でもあるんですか?」
「うるせぇ、悪縁を払う呪いみたいなもんだ」
「ああ、事故に巻き込まれたから」
「違う、てめぇとの腐れた縁だ。もう二度とお目にかからないように願ったのさ」
「ノウスンが呪いに頼るとは思いませんでした。直接言ってくれた方が早い気がしますが」
「言っただろ!前に!もう二度と俺の前に現れるな!とな」
「最後には好きにしろって言ってくれたじゃないですか」
「それはものの勢いだ!……っ」
突然息を乱した相手に、ライカは慌てて声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
「てめぇに心配されるいわれはねぇよ」
答えが返りはしたが、その声からは勢いが抜けている。
さすがに自分との険悪な会話が負担になっている事に気付いて、ライカは会話の内容を変える事にした。
「他の人は大丈夫そうですか?」
「大丈夫じゃなかったらやつらを殺してやるよ」
「やつらって?」
「決まってるだろ、城の連中だ」
「お城の人達はあなた達を助ける為に頑張ってるんですよ」
「適当にやってるに決まってるだろ、俺らみたいなガキを見殺しにしたって事でてめぇらの狩りに泥を付けたくないだけなんだよ」
「それはいくらなんでも物事を歪めて考えすぎだと思います」
「てめぇはなんでも分かってるってか?」
ライカの抗議を鼻で笑い、ノウスンは黙り込んだ。
「ノウスン?」
返事はないが意識を失った訳ではない事を気配で悟って、ライカはもう一度声を掛けようとする。
「ぼうず、道を開けるから退いてくれ」
その時、兵士がライカに声を掛けた。
彼等が話し込んでいる間に、領主と兵士とで必要なだけの隙間が開けられたのである。
後はひたすらにノウスン達の所まで道を切り開いていく、力と根気と注意力がものを言う作業だ。
ライカはおとなしく引き下がると、治療所の皆の方の手伝いに戻る事にしたのだった。




